第10話 心の声とウツボカズラ


 あたしにしか見えない半透明のネコとの不思議な生活がいつまで続くのか、あたしにはわからない。ニャムにはお見通しなんだろうけれど。

 

 あたしは今日もニャムをカバンに詰め込んで、学校へ行った。

 最近の学校は、なんだか疲れる。だって、ずっとドキドキしていないといけないから。

 うしろにいるシュンくん。

 自分の姿がほかの人には見えていないからって調子に乗っているのやら、好き勝手散歩しては、いたずらをしようとしているニャム。

 みんなにとってはなんてことない日常の連続で、昨日の延長線上に今日があるんじゃないかと思う。

 だけど、あたしは違う。

 ニャムと出会って、いろいろなことが変わり始めている。

 ニャムが見えている間、あたしはニャムや未来のことを考え続けるのだろうし、きっと、ニャムが見えなくなっても、ニャムが居たらって考え続けるのだと思う。

 この変化は、消しゴムでは消せない、ごめんとかそういう〝言葉〟で覆い隠したりすることもできない、もう一生ともに過ごすほかない変化なのだと思う。

 これは、良いことなのかな。

 それとも、悪いことなのかな。

 あたしの人生の計画って、どんなものなんだろう。

 あたしはあたしが幸せになれるように、ちゃんと計画したのかな。

 足元を見ると、そこにニャムはいなかった。またどこかへ散歩にでも出かけているのだろう。

『ニャニャニャ』

 ニャムの声がしたほうを見てみる。

 ニャムが先生の机の上にちょこんと座って、クスクスと笑っていた。

 ニャムがクスクス笑った後にどうなるか、あたしには想像できる。

 きっとこの後、何かが起こるんだ。良いことか悪いことかはわからないけれど、何かが起こるんだ。

 あたしはその何かが気になって、黒板も教科書もノートも見ていられなくなった。ひたすらにニャムを睨むように見た。

 でも、何もわからない。ただ楽しそうで意地悪そうなネコを見ているだけ……というか、見させられているだけ。

「ったく、なんなのよ」

 心の中で思っただけのはずのことが口から飛び出していた。それは小さな声だったけれど、先生が話しているだけの空間には良く響いた。

「奈子さん、何かありましたか?」

 先生に問われて、

「あ、ああ、ええっと……何でもないです。あは、あははは」

 あたし、なんでこんなにごまかすのが下手なんだろう。っていうか、こんな今があるってことは、あたし、〝教室で心の声が漏れるけど、上手いこと嘘をついたり誤魔化したりできる〟って計画、していないんだな。

 教室の中にクスクスと笑い声が響く。ニャムも一緒になって、『ニャニャニャ』と笑っている。

 イライラする。けれど、今は大人しくしているしかない。

 この後茶化されたりするんだろうけれど、我慢するしかない。

 そして、たまりにたまったうっぷんは――ニャムにぜーんぶぶつけてやるんだから!


 休み時間のたびに「ったく、なんなのよ」って男子に言われて、ムカついて、ぎりぎりと奥歯を噛んだ。

 あたしと一緒にムカついてくれたらしい琉花が「ったく、なんなのよ!」と返すと、変な動きを追加した「ったく、なんなのよ」が返ってくる。「ったく、なんなのよ」が教室の中をぽんぽんと飛んでいる。

 はじめはイライラしていたけれど、その様を見ていたらなんだかバカバカしく思えてきた。

 っていうか……なんだかんだみんなみ~んな、仲良しだよなぁ。

「いいクラスだよねぇ」

 みかんがぼそりと呟いた。

「そう思わない? だってさ、こんなどうでもいいことにカロリー使えるんだよ? 趣味でも勉強でも喧嘩でもなく、『ったく、なんなのよ』っていう言い合いに、朝ご飯の半分くらいは使ってそうじゃん? って、あれ? おわっちゃった?」

「ご飯って聞いたら、なんか腹減ってきた」

 男子がしょんぼりした顔で言った。

「……え?」

「みかんのせいで腹減った! ご飯っていうな! まだ給食の時間までかなりあるっていうのに!」

「え、わたしのせい?」

「そうだそうだ!」

「っていうか、私もお腹空いたかも。みかんたーべよっ!」

 琉花がみかんにぎゅっと抱きついた。お姉さんの香りがあたしの鼻にもふわん、と届いた。香りはお姉さんだけれど、琉花の顔はぜんぜんお姉さんじゃなかった。

 あたしはその顔に見惚れた。

 琉花も背伸びしないこと、あるんだな。琉花の等身大の笑顔、可愛いな。

「こ、こら、琉花! 抱きつくんじゃない!」

「ってか、琉花のみかんの食い方、食虫植物……」

 うわ……。

 あたし、男子の言うことなんて一生理解できないと思うことが多いけど、今のはなんだかちょっと〝わかる!〟って思っちゃった。

「こら! 失礼過ぎない?」

 琉花が眉間にしわを寄せて言った。

 男子が両手を合わせてへこへこと頭を下げる傍らで、あたしは肩をすぼめた。

「ああ、でも、うん。この香り、罠だよねぇ」

「み、みかんまで何言ってんの⁉」

「琉花と書いて、ウツボカズラと読む……」

 いつの間にやらひょっこりと様子をうかがいに来ていたらしいシュンくんが、真面目な顔をして言った。

 その顔、かっこよすぎる!

 あたしは両手を合わせてにんまり笑って、こくこくと頷いた。

「みんなしてひどい!」

 琉花の瞳が潤みだした。

 あ、あたしの恋心、琉花の目には違う形で映ったのかもしれない。

 あたしは〝誤解だよ〟の思いを込めて、あたしも食虫植物になったつもりで琉花に抱きついた。

 足元から、何かが這い上がってくる感覚。

 あたしはそれを跳ね除けたりしないで、肩まで上がってくるのを待つ。

 ニッと笑いかけられて、ニッと微笑み返す。

『ニャんだか楽しそうだニャ。嬉しそうだニャ。ニャコ、みんニャのこと大好きなのニャ?』

 うん。あたし、良いことだけじゃなくて、嫌なこともたくさんあるけど、このクラスや琉花やみかんのことが、

「だーいすきだよ」



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