第8話 運も計画のうち?


「おはよぉ……」

 頭を押さえながらよろよろと教室に入ると、琉花が駆け寄ってきて、声をかけてくれた。

「奈子、どした? あたまいた?」

 ああ、ボロボロの心に優しさがしみる。

「琉花ぁ、きいてよぅ。鳥にフンされたの」

「え、朝っぱらから?」

「うん。家出た瞬間終わったわ」

「うわ~、サイアクだね。洗った?」

「そんな余裕ないよ」

「そりゃそっか。拭いた?」

「そりゃあ、拭いたけど……。なんかまだ付いてるような気がして、嫌な感じ」

「それはそれは」

 言いながら、琉花は自分の席にとっとっとっと走って行った。それから、机の中をガサゴソと漁る。あったあった、と言いながら、あたしのもとへ駆け戻ってきたとき、その手にはウエットティッシュがあった。

「使って」

「ありがとうぅ」

 感動。泣ける。

 だけど、待てよ? これも全部、計画通り? 優しくされたり、友情を再確認するイベントが計画されていて、そのためにフンを落とされたりとかしてる?

 ああ、もう。ニャムのせいで、今までは少しも気にならなかったことがすっごく気になる。

 ニャムのせいで……ニャム?

「よく見えないでしょ? 拭いてあげる」

 琉花が髪の毛を拭いてくれている間、あたしはどうにも気になって、カバンをぎゅっと抱きしめた。動きはない。それが当たり前のはずだけれど、今のあたしにとっては当たり前じゃない。

 ニャムは? ニャムは無事?

 ぶん、とカバンを振ってみた。『ウニャッ!』と短い悲鳴が聞こえた。

 無事だ。ちゃんと居る。

「うーん。あとは気分の問題かな、って感じがするけど」

「もう平気。ありがとう、琉花」

「どういたしまして」


 その日は、あたしにとって、とても不思議な一日だった。

 寝坊して、フンを落とされて、最悪な日だと思ったけれど、ふたを開けてみたらそんなことはなかった。

 授業中に先生に指されることがなかったし、やる予定だったテストは延期になった。席替えで初恋(まだ琉花やみかんにもナイショ)の人、シュンくんと前後ろになれたし、給食の時間、ニャムのためにって余りものじゃんけんに参加したらデザートのお野菜クッキーをゲットできちゃった。クッキーを食べてゴキゲンになったのか、ニャムが午後の図工の授業中ずっと隅っこでおとなしく真ん丸になっていてくれたから、思う存分工作できた。

 なんだか、とっても運がいい気がする!

『いいことっていうのは、ずっと起こるものじゃニャいのニャ』

 帰りの会の途中、ぴょこん、とあたしの足の上に乗ってきたニャムが、大あくびをしながら言った。

 どういうこと? って問いかけたかったけれど、教室のなかじゃ問いかけられない。だって、空気に話しかける変な人になっちゃうもん。

 だからあたしは、「話を続けて」って心の中で言いながら、ニャムの背中をそーっと撫でた。

『良いことだけが起こるように計画することはできニャいのニャ。って言うと、違うかニャ? 良いことだけを計画したら、その時はどんな悪いことが起こっても受け入れますって約束するのと一緒、って言ったらいいのかニャ? まぁ、そんニャ感じ』

 そんニャ感じ、で話を終わらせないでよ。あたしは不満を表明したい気分だった。でも、言葉なしに不満を伝えるには、どうすればいいんだろう。

 ネコのこと、もっと知っておけばよかったな。弱点とかがわかっていたら、そこを狙ったんだけど。

 先生の話を右から左に聞き流しながら、ニャムの背中を撫でていた手をだんだんとしっぽのほうへと動かした。

 それは本当に、何気ない動きだった。でも、ニャムにとっては大問題だったみたい。

 びくん、と体を震わせると、毛を逆立たせた。

 これまで触れてきたときはほとんど毛を感じなかったから驚いた。ちゃんとした毛が、ちゃんと生えていたんだ!

『触るニャ! しっぽ触られるの、大嫌い!』

 すごく怒っている。ごめんの気持ちを込めて、背中をさする。

『つまるところ、悪いことがあったら良いことがある。良いことがあったら悪いことがある。生きるっていうのはそういうものニャんだニャ』

 なんだかすごいことを言われているような気がする。よくよく考えれば当たり前のことのように思えなくもないけれど。

「はい、それでは、また明日。明日は絶対テストをやります。もう延期しません。いい点を取りたいと思うなら、今日の宿題を頑張ることをお勧めします。日直さん」

「はい! きりーつ」

 あ、いきなり立ったから、ニャムを落としちゃった!

『イテテテテ!』

 ニャムがあたしのことを睨んでいる。

「気を付け、礼! さようなら」

「さようなら」

 頭を下げながら、顔の前で手を合わせた。今は「ごめん」って口にできないから、せめてポーズだけでも、って思ったんだ。

「なぁ、奈子」

 突然、後ろの席のシュンくんから声をかけられた。

 大変だ。シュンくんに話しかけてもらえるなんて、今日の運、本当に良すぎる!

「なに?」

「お前、なんの儀式してたんだ?」

「ぎ、儀式?」

「帰りの会の間、ずっと何かしてただろ? 腕をこう動かして、それから、挨拶の時に手をこうしたり」

 み、見られてた! あたしの行動、全部全部、見られてた⁉︎

 顔がカーっと熱くなる。

 なんて言ったらいいんだろう。もう、何もわかんない!

 ついさっきニャムに言われたことを思い出す。悪いことがあったら良いことがあって、良いことがあったら悪いことが起こる――。

 ああ、ニャムぅ。あたし、この後ニャムに慰めてもらうっていう計画、してないかな。

 してなかったとしても、今計画したからさ、承認してもらってもいいかな。



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