孤独なドラゴン

 荒野に立ち上る土煙の中、一匹のドラゴンが立ち尽くしていた。遠くから向かってくるゴブリンの大群に退治する青緑の巨体は両腕を大きく広げ、彼らが来るのを待ち構えていた。


 激突の瞬間、飛びかかるゴブリン達に対し、両腕を大きく振り回し、鋭い爪で切り裂き、硬い拳で殴り、大群を蹴散らすその姿は、どんな敵も寄せ付けない迫力があった。


 少し距離をおいて、ここに近づく別の影があった。巨大な斧を持ったサイクロプスが、しばらくゆっくりと近づき、やがて猛スピードで駆け出し、揉み合う魔物たちに接近していった。


 飛びかかるゴブリンの間隙を縫って、巨大な斧が振り下ろされる。これを左腕ではじくドラゴンだったが、返す刀で振り回される2撃目はかわしきれずに右脇に食らってしまう。僅かながら鱗を切り裂かれたドラゴンは、そのまま斧を掴むと、大きく息を吸い込んだ。


 その様に気づいたゴブリン達は慌てて逃亡しだし、サイクロプスもまた必死で斧を取り返そうとするが引き戻すことはできず、諦めてその腕を離した時、ドラゴンの口からは灼熱の炎が吹き出され、前方に広がる土地はほぼ焼け野原となった。


 焼け焦げた無数のゴブリン達をドラゴンは尻尾で薙ぎ払うと、あらわになったサイクロプスの頭を踏みつけた。彼はすでに意識を失っていたが、この地での戦闘はこれで終わったようだ。


「All Enemies Defeated」


 画面にそう表示されると、みつきはシステムメニューからシャットダウンを選んでゲームを終了した。「モンスターズサーガ」を始めてもうすぐ1年、オンラインを始めて2週間。思いもよらなかったが、いつきが育てたドラゴンに勝てるモンスターは、もしかしたら存在しないのかもしれないと思い始めていた。


 ここ数日はネットで強いキャラの情報を探ってきたが、今回のサイクロプスは「西の荒野の用心棒」と言われていて、西方を攻めるプレイヤーを確実に餌食にしてきたキャラらしい。しかし、みつきのドラゴン変異種の前には敵じゃなかった。あとは海の覇者リヴァイアサンが最強ではないかという噂があるので、ぜひ戦いたいところだが、まだ竜人型で戦っているので負ける気はしない。

 始める前の少しの不安が、大きな満足感と安心感に変わったところで、そろそろ出かけないといけない時間だった。


 今日学校から戻ってきたら続きをプレイして、西方を制圧したら北方の海を目指すつもりだった。そこまでくればきっと、自分の仮説は確信に変わり、最強のドラゴンを名乗れるほどの自信に繋がるに違いない。


「みつきー、シンジくん達よー」


 下の階から母が呼ぶ声が聞こえて、みつきは体を強張らせた。さっきまでの幸せの気持ちがギュッと萎んでしまい、逆に恐怖心が鎌首をもたげて来た感じがする。急いで制服を羽織り、カバンを手に持って部屋を出た。いつものことながら階段を降りる足取りが重い。


 玄関には真二しんじ達3人が居た。にやにやして気色が悪い。本当なら一緒に学校なんて行きたくない。というか、そもそも学校に行きたくない。でも、そんな事を母には話せないままだった。


「行こうぜ、みつき」


 半笑いで話しかける真二の声に再び体を強張らせたが、母は台所からいってらっしゃいと言うだけで、自分達の姿を気にかけたりしなかった。真二は小学校3年の頃からのだから、母は安心しているのだ。


 みつきは玄関のドアを締めて、これからも今日という長い一日が始まることを覚悟した。3人は学校に向けて歩き始めたが、最初に孝雄たかおが聞いてきた。孝雄は5年生の時からの友達だが、真二に付いて周りに威張る、腰巾着の典型のようなやつだった。運動や勉強でも負けたことはないが、真二の脇でずっとこちらにちょっかいを出してきて、最近は特にキライだった。


「持ってきたか?」


 最初は聞こえないふりをしたが、すぐに立て続けの質問が来た。


「持ってきたかって聞いたんだよ!」


 孝雄の足の裏がみつきの右膝を捉え、よろけて倒れそうになったけど、なんとか踏みとどまった。


「ないよ・・・お金なんて・・・」


「あぁ??」


 孝雄は怒りの色をあらわにしたが、真二がこれを制した。


「待てよ。帰りにしようぜ。それまでどう詫びてもらうか考えないとな」


 みつきは先日モンサガで、「南半球の主」とされるデュラハンを倒した。強敵と聞いていたのでドキドキしながら向かったが、特に問題なくあっさりと勝った。問題はその後だった。このデュラハンの持ち主は、3年の片山かたやまって人で、その弟の隆斗りゅうとが真二と孝雄と仲が良かったことで、みつきの存在に気づかれてしまった。


 モンサガのキャラは負けるとロストする可能性がある。この時、片山のデュラハンはロストしてしまった。大事に育てたキャラだったらしく、激昂した片山はその事を仲間達に話し、しばらく機嫌が悪かったらしい。


 そんな中、みつきがモンサガをやってて、強いドラゴンを育ててると知り、それを弟の隆斗が兄に告げ口したのだ。そのまま片山のところに連れて行かれ、キャラ育成にかかった時間と精神的苦痛を理由に10万円払えと脅された。


 それから真二達が毎朝来るようになった。みつきはイヤだったが昔仲の良かった真二の登場に母は喜んだ。理由も知らずに。みつきはこの事をどう解決したら良いのか分からないまま、毎日を過ごし、先生にも親にも言えず、払えないことに対する代償として、利子と称して毎日なんらかの暴力を受けていた。


(これはいじめだ……僕はいじめられてるんだ……)


 その自覚を持つことは出来ていたが、これを大人に話すことが出来なかった。解決できるかもしれないが、エスカレートするかもしれない。解決したとしても別の不利益や被害にあうかもしれない。毎日泣きそうなくらい辛かったが、そんな時はゲームで気を紛らわした。自分が大事に育ててきたドラゴンは、オンラインデビューしても負け知らずで、ネットのモンサガコミュニティでも有名になっていった。

 1年かけて育てたドラゴンは、他のプレイヤーのドラゴンと比較にならなかった。何より、竜人型のドラゴンはあまり見かけず、色も緑や黒が主流で、みつきのドラゴンのように青緑は珍しかった。さらに言うと、竜人型でも竜型の大きなドラゴンに勝ってしまうため、竜型を披露したら、それこそ大変な強さを発揮できる。みつきのドラゴンが活躍すると、とても誇らしかったし、このまま世界一強いと思える称号が欲しかった。何より、負け知らずで敵をやっつける爽快感は素晴らしく、誰にも負けない自信が毎日育っていった。それはゲームの中だけのものではあったが、みつきにとっては大切な時間だった。皮肉なものだが、自分を追い詰める原因になったゲームのおかげで、日々救われていたのだった。


 状況が一変したのは次の週だった。帰って部屋でゲームをしていたが、父が帰って来るとすぐに呼ばれた。


 いつもは夕飯が出来てから呼ばれていたので、このタイミングで呼ばれた事に微かな不安を感じていた。リビングでソファに座る父と母は、神妙な面持ちでみつきが来るのを待っていた。


「おまえ、いじめられているのか?」


 直球すぎて返す言葉がなかったが、つい反応してしまった。


「え?どうして…?」


「木下くんのお母さんから聞いたのよ。あなたが同じクラスの子達に囲まれてる所を見たって。どうなの?本当なの??」


 みつきはまだ覚悟が決められてなかった。でも、嘘を付くメリットもなかったのだが、どう答えていいかも分からなかった。本当に解決できるか分からないし、やっぱり問題が大きくなるかもしれない。


「みつき。どうなんだ?はっきり話してみなさい。父さん達は怒ってるわけじゃないし、おまえが苦しんでるなら、助けるのが親だ。力になるから全部話しなさい。」


 父の言葉を信じようかと思ったが、まだ覚悟が決まらなかった。幼少期からサッカーで鍛えてきた父は、心身ともに強靭で、優しいが時には厳しかった。父はきっと全力で助けてくれるに違いないが、だからといってうまくいくとは限らない。何より原因がややこしい。


「言いたくないなら、真二くんのお家に電話して聞いてみようかしら。仲いいし何か知ってるかもしれないし。」


 その言葉にみつきは反応し、両肩がピクっと動いた。


「やめて!!」


 ちょっと声を荒げてしまったが仕方がない。真二に直接連絡が行ったら、シラを切られたうえで、さらにいじめがエスカレートするだろう。みつきはやっと覚悟を決めた。


「僕をいじめてるのは真二達なんだ・・・」


「どういう事?毎朝迎えに来てくれるのに、あんたをいじめるために来てるってこと??」


「よくわからないな、最初から話してごらん」


 みつきはゲームの話と、それで言いがかりをつけられた事と、片山という上級生と一緒に真二達がいじめてくる事を言った。父からはゲームのキャラを作るのにお金がかかるのかと聞かれたが、そんな事はなくて、無料で出来るゲームだと、誰でも遊んでいれば育てられると言った。他にも何か聞かれた気がするが、ゲームのこと以外はあまり覚えていなかった。


「カタヤマって、3丁目の隆一の事だよな?」


「分からないけど、片山隆太かたやまりゅうたって名前」


 片山の父はどうやら父の高校のサッカー部の後輩らしかった。父はそのまま電話をかけ始めると片山らしき相手にその話をし始めた。みつきはもう、話がどう決着するのか気になるけどどうでも良かった。ちゃんと決着してくれれば良くて、遺恨が残ってこの後もいじめがこっそり続いたり、イヤな思いをしたりがないといいなと。それだけを祈っていた。10分ほどの父の電話は、何倍にも感じられ、みつきはどんな刑に処されるのか気が気でなかった。


「明日、全員連れて謝りに来るぞ」


 電話が終わるなり、父はそう言った。父は部活の先輩だったという立場を利用して自分の息子をいじめていた子の親に謝罪させることにしたようだ。これがハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、みつきにはまだ判断がつかず、話したことが正しかったのか、すでに後悔し始めていた。


 翌朝は真二達は現れず、学校にも来なかった。みつきは一日中不安でドキドキしていて、どこかで彼らの誰かが現れて仕返しされるんじゃないかと思っていた。


 家に着き、こころを落ち着かせるためにまたモンサガをしていたが、やがて父が帰ってきて、さらに緊張感がました。いつ呼ばれるか分からないままだったが、やがて電話が鳴り、そしてついにリビングへ呼ばれた。


「あと10分くらいで来るらしいから、降りて来い」


 リビングで待つ時間は、死刑判決を待つようだった。やがて片山とその息子の隆太と、真二と孝雄と隆斗が来た。真二の親達も一緒だった。


 謝罪は片山の父が促して子ども達が行うと、親たちも次々と謝罪の言葉を述べ、父はもうこれで済んだことだから、今後も仲良くしてやってくれ、みたいなことを言った。


 みつきにとってはこの地獄のような時間が、本当に最後の時となって、明日以降は平和な世界に戻ることを心から祈った。


 真二は泣いていた。もともと仲が良かった時もあったし、彼には良心の呵責があったんだろう。彼の泣き顔を見ただけで、とても心苦しい反面、もう終わったんだと実感して少し安心した。判決はくだされ、どうやらハッピーエンドが来たらしい。みつきの心は一気に軽くなった。


 片山達が帰り、夕飯の時間となった。刑の執行が終わり、やっと平穏な時間が来たと思っていた。だが、そこで父はこう告げた。


「そのゲームはもう禁止な」


(え?!………)


 みつきは自分の耳を疑った。


「彼らもああして謝ってくれたんだ。おまえも原因になったゲームはすっぱり辞めて、明日からまた仲良く遊ぶんだぞ」


 なんの脈絡も無いこの自分への判決がいったいなんなのか、みつきはすぐには分からず、しばらく考え込んだ。しかし、やっぱり自分がゲームを辞めないといけない理由が理解できず、このあと精一杯の抵抗をした。

 だが、父は聞き入れてくれなかった。明日父が帰ってきたら、そのゲームをパソコンから消すというようなことを言われた。ゲームが原因になったことは確かかもしれないが、それをなぜ自分が取り上げられるのか分からず、何度も何度も何度も反対の意見を述べたけど、一切理解してもらえる感じはなかった。パソコンを取り上げないだけまだマシだといった事まで言われた。揉め事の原因にならないようなゲームでみんなで遊べとも言われた。


 みつきは諦めて部屋に帰った。1年という年月以上に、モンサガをプレイし、そして育てあげてきたドラゴンを失うことがとても信じられなかった。いっそ、消したふりをしてやり過ごそうかとも思った。でも、それが通じないほど、父がパソコンに詳しいことも知っていた。


 心が空っぽになったような気持ちのまま、暗いままの画面を見つめていた。


 それからおもむろにPCの電源を入れると、最後のモンサガを遊ぶことにした。みつきは自分のドラゴンの称号を「狂気の竜王」に変えるとこれまでオンラインでは使ってこなかった竜型に変身させた。

 それから大きく翼を広げて大空に舞い上がり、やがて王都に襲来した。逃げ惑う人々も、襲い来る魔物も、やっぱりみつきの敵では無かった。ただただ、悲しさと怒りをゲームにぶつけて、街も人も魔物も、生き物全てを滅ぼし、ゲーム内で3日の時が過ぎた時、みつきは疲れて眠った。


 翌朝目覚めたみつきは、最後に自分のドラゴンを削除しようとした。しかし画面はすでにログアウト後のものになっており、再びログインしようとすると、見たことがないエラーが出ていた。


 ネットで調べて分かったが、自分のアカウントは規約違反により凍結されたらしい。悲しさより虚しさが勝つ感情に囚われ、もう何も考えることが出来なかった。いっそPCも壊してしまおうかと思うほど、そして両手をぎゅっと握りしめ、爪が食い込んで痛みを感じたまま、しばらく立ち尽くしていた。


 やがてみつきはいつもの朝のように淡々と制服に着替えると、かばんを持って部屋を出ていった。

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