小さなチャンピオン
昼下がりのとある住宅。マンションの一室。リビングでは一人の少女が立ち尽くしていた。肩を小刻みに震わせ、今にも泣き出しそうだが、辛うじてこらえているようだ。
少女の見つめる先には、ソファに座った男性。カーディガンを羽織り、無言のまま少女を見つめる40過ぎのこの男は、どうやら少女の父のようだ。
「
優しく尋ねる父の問いに、華と呼ばれた少女は食い気味に叫んだ。
「イヤなものは、イヤなのっ!!もう、ゲームしたくない…」
父は少し悲しい表情になり、それからゆっくりと、努めて優しく訪ねた。
「なんでイヤなんだ?パパに分かるように、なんでイヤなのか話してみなさい?」
鼻をすすりながら、少女は泣き出しそうなのを必死に我慢したまま、呼吸を整えると、ゆっくりと話し始めた。
「ミカちゃんと、ユウちゃんと、臨海学校で遊ぼうって、前から決めてたのに……それなのに、アメリカ行かなきゃいけないなんて………イヤ……」
華はゆっくりと、涙を堪えながら話した。
「ずっとずっと前から、約束してたのに……なんで、アメリカに行かなくちゃいけないの……?!」
「それは…」
父は話しだそうとしたが、華はさらに続けた。
「日本の大会が終わったら終わりって、パパは言ったのに!!だから私はがんばったのに!!!ミカちゃんとユウちゃんと海に行きたいの!!アメリカなんて行かない!!」
うわーっん、と我慢してた涙が溢れ出し、華は大きな声で泣き出した。父はしばらくその様を見ていたが、やがて話しだした。
「華はまだ10歳だというのに、日本で一番強くなったんだ。だからアメリカに行って、今度は世界の人と戦うんだ。そんな事は誰も出来ることじゃないし、みんなが羨むような事なんだぞ」
「別にできなくていい!みんなが羨ましがらなくてもいい!!ミカちゃんとユウちゃんと、海に行きたいの!!!」
華の涙声は余計に力強くなり、父の話にも聞く耳を持たないままだった。それでも父は続けるしかなかった。
「今はそう思うかもしれないけど、大人になったらきっと、アメリカに行って良かったと思うぞ。お父さんには分かるんだ。華よりもうちょっと大きかった時、お父さんは卓球が強くて天才じゃないかと言われた。日本で優勝したら中国の大会に出れる予定だったんだ。でも、中国には行けなかった。お父さんは勝ったけど、勝てたけど、若すぎるって理由で2位の人が行くことになった。お父さんはショックで、その後は卓球も面白くなくなって辞めてしまった。」
泣きじゃくっていた華は、少しだけ耳を傾けた。
「華はまだ若い。若すぎるかもしれない。でも勝った。その事をみんなが喜んでくれた。褒めてくれた。アメリカで戦って来て欲しいと応援してくれてる。こんな素晴らしいことはないんだ。それなのにもし、華が行きたくないって言ったら、みんなはどう思うだろう?」
華は必死で泣き止み、両腕に力を込めて父の話に向き合った。
「みんな悲しいんじゃないかな?応援してた華がせっかく勝ったのに。アメリカでも勝ってくれると思っていたのに、でも行かないなんて。お父さんもお母さんも悲しい。それに、負けてしまった…カネコさんだっけ?彼も必死で練習してきたのに負けて、でも自分を倒した華がアメリカに行きたくないから代わりに行ってって言われたら?負けたのに行くのか?って思ったりしないかな?」
華は段々と涙が引き、肩の震えもおさまり、表情も落ち着いてきた。
「パパ」
「どうした?」
「私、アメリカに行く。アメリカでゲームする」
「大丈夫か?イヤだったんじゃないのか?」
「みんなのためにがんばる。お父さんやお母さんや、応援してくれた人たちや、ミカちゃんとユウちゃんも本当はアメリカ頑張ってねって言ってた。」
父と娘のわだかまりは解決したように見えた。この時の華の表情は幼いながらも決意が感じられた。父は強くうなずき、華の肩を掴み、その後で頭を優しく撫でた。
華は笑い、父も笑い、リビングには明るい雰囲気が戻ってきていた。
「おやつできたわよ」
そこへ、母が入ってきた。揚げたてのドーナッツが皿に盛られ、ふたりとも喜んでソファに座り直した。
「どうかしたの?」
二人の様子から何かを感じ取った母はこう問うたが、二人とも首を横に降った。
「なんでもないよ、ママ」
父と娘は顔を見合わせ、ニッコリと微笑むと、皿からドーナツを一つずつつまみ、大きく口を開けて頬張った。
それから1ヶ月後、わずか10歳の少女は「ブレイカーズ3」の世界大会で優勝し、一大センセーショナルを巻き起こした。特に海外では知名度が大きく上がり、その評価はとても高くなり、国内でもワイドショーなどが“天才ゲーム少女”として取り上げるなど熱狂した。しかしその後、「ブレイカーズ3」の大会にも、これに近い対戦格闘ゲームの大会や、続編である「ブレイカーズ3スペシャルR」などの大会にもその姿を見せることは無く、やがて人々の記憶からは消えていってしまうのだった。
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