第25話 悪夢

 怖い夢を見た。


 内容は思い出せないけれど、頬を伝う水と早い鼓動、断片的な記憶は確かにその事実を裏付けていた。


 今見えているものは、確かな現実だと確かめたくて。隣で眠る律さんに手を伸ばし、少しはねている柔らかな髪を撫でた。温もりがちゃんとあることに安心すると、喉の渇きに気付いて抜け出したベッド。


 出歩くなと言われているが、フロントにあった自販機なら大丈夫な気がして。財布とスマホをポケットに突っ込み、眠りの浅い彼を起こさないように、そっと扉を閉める。私の代わりに握ってもらったタオル嬉しそうに抱きついてるの、ちょっと複雑なんだよな。あんなモチフワ感触でもないし。



「自販機どこだっけ、」



 深夜だからか、照明で照らされた通路もしんと静まり返り、先ほど触れた温もりもすぐに消えていく。


 戻ったらまた暖をとろう。あの人の人間カイロっぷりすごい。体温まで高性能。高過ぎなくて、触れていると気持ちいい。……なんか変態ぽいか。いやそれを考える方が変態なのかな。待て待てまだ変態じゃな、……おいまだってなんだ。性格が悪魔なら温度まで人を狂わせるってか。クラブの誰よりも魔性じゃん。



「っあ、すみませ───……っ!!?」



 悶々とくだらないことを考えていたせいで、ぶつかるほどの距離に人がいたことに気付かなかった。とっさに謝ったけれど、でもこれだけ広いスペースで、どうして。


 ……と、疑問に思い顔を上げた瞬間。



「──ん、んっ、!!…………」



 バチッと音がして、首に強い刺激。


 口元を布で抑えられて、吸ってしまったわずかな刺激臭。


 すぐに真っ白になる視界と遠のく意識は、麻痺するほどに慣れていた感覚だった。対処だって、知らないわけじゃなかった。


 ……油断していたんだ。彼となら、逃げきれるだろうって。


 その結果がこれだ。しかも自業自得。あの時、律さんが言っていたことを思い出した。ごめん。苦しげに呟かれた言葉は、揺れた葛藤をよく表していた気がする。染め上げられていく白い視界の中でこぼれた雫は、生理的なものだけじゃなくて、あの時うまく言葉にできなかった後悔が滲んでいたのだと思う。


 それでも私を選んでくれた、優しくて愛しいあなたの側に。



 ずっと、いられると思っていたのに。








「あぁ、おはようございます」

「……え?」



 シャッと勢いよく開かれたカーテンの音と、そこから入り込む日差しに目を刺された。痛いほどに眩しい光は、なぜか懐かしさとともに強烈な嫌悪感を呼び覚ます。


 瞬間に驚くことはいくつもあって、次いで目に飛び込んできた天井は見覚えがある。それからカーテンを開けて挨拶をする男にも。



「な、んで、……相田さんが」

「あれ、覚えててくれたんですか」



嬉しいな、と微塵も思ってなさそうに作り笑いを浮かべられるが、それどころではない。



「会社は、どうしたんですか? ……だって、だって相田さんは、あの時助けてくれたじゃないですか!!」

「助ける? どうして」

「どうしてってそれは、」

「部下だからっていつも慕っているとは限らないですよ。……それに、僕が仕えてる人はあの人じゃない」



 取り合うことなく淡々と告げ、旦那様が待っているから早く支度をしろと冷ややかに言う。


 旦那様。


 もう随分と前に捨てたはずの記憶が、起きたときから感じていた強い嫌悪感とカチリとはまった。



「……そういう、ことだったんですね」

「へぇ。意外と状況をのみ込むのは早いんですね」

「あの人のしそうなことですから」



 そうですか、と受け流して仕度するように促してくるあの人の元部下は、確かによく似ていると思った。慈悲の欠片もない、あの男に。


 ここでぐずぐずと己の危機管理の低さを呪ったところで、状況が好転するわけでも時間が巻き戻るわけでもない。すぐに整えて出向けば、中央に座る壮年の男はおかえりと笑った。



「……お久しぶりですね、お父様」

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