第18話 裏切り *律視点

 あなたは優しいから、苦しまずに殺してくれるんでしょう?って。


 馬鹿、震えてるくせに。泣きそうなの押し込んでへたくそな作り笑い浮かべてるくせに。何言ったって死ぬのが怖いって、分かるよ。



「あぁ、でも。心残りがあるとすれば」

「……うん、」

「こんな、最期じゃなくて。もっと、……もっとたくさん、好きだって言いたかった、……です」

「っ、……」



 暗い部屋の中でもよくわかる、温かい、柔らかな手が頬を包む。大きな目を細めて、穏やかに名前を呼ぶ。律さん、好きだったって。



「……すみません、こんな時に」



 謝る理由に、俺への気持ちそのものが間違いだった、てのが透けて見えた。最期、てのを免罪符に与えられる言葉は、何より望んでいたはずだったのに。その言葉がナイフのように深く刺さって、抜けそうもない。じくじくと痛みを広げていくばかり。


 何も言えない俺の心情を読み取ったつもりなのか。少し揺らした瞳を隠して、困ったようにへらりと笑う。忘れてください、と一言。頬に伸ばされた手の指でそっと髪を撫で、するりと離れていく温度。 美尊らしくあまりにも穏やかで儚いそれらに、決めたはずの覚悟が容易く揺さぶられて。



「……ほんっと、」

「りつ……さ、」



 美しく微笑んだ顔が驚きに染まる理由はきっと、彼女の離れた手が再び頬に触れ、俺の目元を拭うようになった理由と同じ。


 ……本当に。


 この温かさを自分が消すことに、少しの躊躇もないと思っているのか。何の感情も芽生えないまま一緒にいられるわけないだろうが。切り捨てられるなら最初から助けたりしない。伝えないでいようと思ったよ。だけどどうしたって、強まるばかりだから。




「そんなの俺だって、……好きに決まってんだろ」



 じわじわと目に水の膜が張って、困ったみたいに眉を垂らす。なんでそんなこと言うんですか、って。自分だって言ったくせに。どうせ死ぬ前に後悔したくないから、ていう理由なんだろ。で、それ受け取った俺のこと放置して死んでいくわけか。勝手だと思わねぇの、それ。わかってたろ、もう情が移ってるとかそういう段階じゃないことくらい。



「ばか、はやく殺してよ、……殺さなきゃ好きだって一生くっついてますよ!!」

「悪くないな」

「え、」



 この感情を認めることは、裏切りに値する。


 ここに帰るまで、何度も何度も考えて、感情に踏ん切りをつけた。行動に迷いなんて、ないはずだった。使い慣れていた引き金がうまく引けなかったことなんか、気付かないフリをして。あの男の信用を手放すことがどれほど大きな損失なのか、わかっていたつもりだったから。



「……でも、それならさ」



 美尊の、表情を見て。

 触れて、温度を感じて、言葉を聞いて。そんな目で見つめられて、泣かれたら。俺の手からこぼれ落ちていく全部が、他の何よりも価値のあるものだと理解してしまった。


 どちらを選んでも後悔することはわかっていて。


 それでも、この手を、離してしまうくらいなら───




「どこか、誰も知らないところにでも行こうか」




 ───全部投げうってもいいかなって、思ったんだよ。







【*美尊視点】



「……そんな、ことしたら。律さんはどうなるんですか!! 殺すはずの私と逃げるなんて、許されるわけ……っ、」



 言葉を奪うように唇を合わせると、その先を聞く気はないのか何度も啄む。彼の気まぐれのようなタイミングはいつもの通りだが、あぁまたかと思える状況でもない。終いには何が可笑しいのか、クスクスと笑い出して。いや、そこ笑うところじゃないですよ。



「まじめに、話してるのに……!」

「だって可愛いから」

「!……、!!」

「ふは、息しろよ」



 できませんよ。なんだ可愛いって。必死に説得してるのを黙らせるのが楽しいってか。分かりやす過ぎる程の動揺をして、魚みたいに口をぱくぱくさせて。アホみたいだけど、不意打ちは避けられなかった。手のひらでいくら転がされようと、慣れないものは慣れない。



「急に変なこと言うから……、」

「なんで。可愛いよ」

「……人格変わりました?」

「どうだろ」



 いや変わってるよ。おかしいよ、こんなに甘い律さん。命の選択してたのになんでそこで、……かわいい、が出てくるんですか……!!


 失礼とは知りながら飛び出した言葉。本人は大して気にする風でもなく、それどころか美尊が悪い、と笑いながら認めるものだから、何も言えなくなる。軽く引かれた腕に上体を起こせば、そのままゆるりと囲われて。



「だってそうだろ。そうやって照れ隠しに口が悪くなるところとか。素直な反応とか、やっぱり慣れないキスとか。……こんな時でも自分のことじゃなくて、俺のことばっか考えて心配してる」

「それは……律さんに、苦しい思いして欲しくないからで」

「うん、でもお前だけじゃないよ」



 なぁ美尊。俺のこと好き、と聞かれれば、答えは一つだけ。不安はなく、確かめるための問いは駆け引きなんか要らない。



「好きです。……本当に、大好き」



 その分かりきった答えに返す言葉は無かったとしても、触れた唇から伝わる。見つめられる甘さが訴える。それでも言ってくれるからずるいのだけれど。



「俺も、好き」

「……っ、」



 うまく息ができなくて、でも嫌なものじゃない。それさえ愛おしいと感じる。嬉しい、という言葉では足りない気がして。まとまらない頭で伝えようとする確かな言葉より、先に涙が溢れて止められそうもない。それを小さく笑いながら拭ってくれる指先の温かさにまで、泣きそうになる。



「だから、お前に苦しい思いさせたくない。一緒にいたいと思ったし、その為なら全部捨ててもいい。……逃げ続ける限り、怖い思いはするだろうけど。でも守るから」

「……後悔、しますよ」

「かもな」



 同意を示す割に、悲観したものはそれほど感じられない。だけど、と前置きをして真っ直ぐに射抜く濃紺の瞳に、また落ちる。



「だけど、お前を選ぶことに後悔はしない」



 逸らすこと無く言い切るその言葉と表情に、震える。


 ……本当に、どこまでもこの人は。こんなに格好良い人に惚れない方が無理だ。どんなに建前を並べようと、抗えないものはあるんだよ。



「美尊」

「はい、……律さん」



 たとえ偽物だったとしても、出されたその手をとらない理由はない。救われたことは事実だから。


 正しくない選択だろうが、律さんがいれば他はもうどうでもいいよ。きっと長くは続かないと分かっていたとしても、口に出すような野暮なことはしない。束の間の夢でも、希望的観測でも。


 なんでもいいから、あなたといられる瞬間を失いたくはなかった。

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