第11話 ロゼの価値 *律視点
「──あぁ、今回は市場のマーケティングより先方の意見聞いてからだな。……そう、頼むわ」
仕事の電話に気付いてホールから抜けたけど、用件と指示を最低限にして切ったのは、パートナーを残してきた不安から。……クラブ初出勤事件っていう前科持ちだからな。
まぁ、あそこで順調に鍛えられてるみたいだし、振る舞い見てる限りだとさすが、つーか。本人は不安がってたけど、無意識にでもできている所作が、あの子の生い立ちを物語っている。家に置いてると、そんなこと忘れそうになるくらいバカやってるくせに。
「……なんで連れてこられたか、よくわかってなさそうだったし」
パートナー、てのは間違いじゃねぇけど。意味合いとしては、“顔見せ”と“牽制”が大きい。
個人間の契約も、他者に示すことで効力が上がる。まだ手元にあるままの婚姻届は切り札のようなもの。でもハッタリかますには、こういう場で周知の事実として積み上げていくのが強いから。
案の定、挨拶に来たヤツらのほとんどは美尊に強い関心があったしな。
「こちらの方は……?」
「はい、クラブNanaのミコトです。いつも律さんにはお世話になっていて。……あ、ぜひお店にも、来てくださいね」
「は、はぁ……」
いやここカモ客見つける場所じゃねぇのよ。
とか、つっこんだらこの面白い会話見れなくなるから黙ってた。「律さんにはお世話になっていて」が奇跡的にいろんな含みをもたせていて、水面下でコミュニケーションとる招待客相手には効果が大きかったのもある。言う時の表情も、意味ありげな微笑みつくってたのがもう最高。そのまま勝手に勘違いしとけ。
思い出したことに笑みがこぼれつつ、戻ろうとする足はいつもより少し早い。そこまで急がなくていい気もするけど。
──それを止めたのは、面倒な男の声が聞こえたからで。
「女はロゼ飲ませとけば落ちるよ。ピンドンで十分。ピンク可愛いつって味も分かんないくせにさ」
知ったように知識とも言えないことをひけらかすバカ。関わりたくねぇなと思った。でも男は、取り巻きの反応に気を良くしたのか、無駄なことばかりべらべらと。
「こないだもそれで、セントラルの瀬川副社長の女落としたんだよ。マジちょろかったわ」
「えっ、あの鬼副社長の女を!? それって今日連れてた……」
「そうそう、その子。ミコトちゃん。すげーかわいいけどさぁ、中身はバカなんだよね」
「大丈夫なんですかそれ、」
「バレないよ俺に従順だもん」
笑ったよね。なんにも知らねぇくせになかなかに的を得てんだから。
確かにそう。
容姿は優れてる。けど、それを生かしきれてない。すぐに人のこと信用して、だから借金背負わされるのに優しさは変わらない、生粋のお人好し。
小さな抵抗はするけど結局折れて、無茶な要望してもなんとか頑張ろうとする健気さと従順さ。頭撫でるだけで、にこーっとわかりやすいくらいの反応を返してくる甘え上手。何よりこちらを射貫くような、強い琥珀。
外れてることと言えば。
「これはこれは、鈴木財閥の坊っちゃんじゃないですか」
「!?………せ、瀬川副社長……、」
「どうされたんですか、そんなひきつった顔して」
ほんと、写真撮りたいくらいの間抜け面。
そんな怖いか、俺は。……まぁ、平然と挨拶出来る状況ではないだろうな。でも陰口言えるくらいには舐めてんだろ? なら遠慮とかいらねぇよな。言った言葉には責任もつのが大人なんだから。
「最近店に顔出してくれなくなったんで、どうしたのかなと思ってたんですけど、……あぁすみません、ミコトに手出そうとして出禁になったんでしたっけ」
「えっ、あぁいや、その……」
取り巻きへの弁解やら俺への対応やら。どう収拾しようかと頭を回しているのだろう。生憎お前には無理だよ。自業自得な上に、そもそも頭の中身が空っぽ。学ばないから同じことを繰り返す。
「そういえば女はロゼ飲ませとけば落ちるとかなんとかってやつ。本当にそうなんですかね」
「……へ、」
一つの物差しで測ることすらできないなら、お前はあの子の良さに気付くなんか一生無理だよ。教えてなんかやらないけど。一般論だけでもお勉強にはなるんじゃねぇの。
「坊っちゃんが酒の種類を知らないか、……そんなレベルの女にしか相手にしてもらえないんじゃないかって言ってるんです」
「おまえっ……!!」
顔真っ赤にさせて胸ぐら掴むもんだから、思ったより怒らせたなぁとぼんやりと考える。
ただそれは、犬がペアガラスの外で吠えているようなもの。感情的に怒りをぶつけていい相手を見誤るヤツほど無能だというのは、経験則によるもの。そもそも場数が違う。
「……離せガキ」
「っ、」
ほら、こんな風に。
視線一つで怯むような男は、本当に怖いものなんて知らずにのうのうと生きてきたんだろうなと思う。踏み込まなければ知ることもなかった世界。
常識の通らないここじゃお前の振りかざす権力だって、奪うことは容易だ。力ずくは余計勝ち目が無いんだから、話し合いで解決するのが利口だろうが。
胸ぐらを掴んでいる手を掴み返す。手首に少し力を込めると、激昂していたはずなのに、そこに怯えの色が混ざり出す。虚勢でももうちょいがんばれよ、坊っちゃん。無言で見つめれば、結局この程度の脅しにも耐えられなかったボンボンは、力が抜けたように手を離した。
「美尊を選んだことは褒めてやるよ。でもあれは俺のだ。お前じゃ相手にもならない」
それでも欲しいなら、好きにすればいいと思う。どうにもならないことってあるし、そこまでの情熱があるなら。ただそれは。
「……奪う気があれば、の話だけど」
「──……っ、」
あったとして渡す気はさらさらない。
こいつとあの子が運命とかだったらぶち壊しだろうけど。仕方ないよ。どうしたって俺のだから。権力も金も地位も、もってるもん大人げなく使って隣に置いてるよ。
表向きは、借金完済するまで逃がさない責任があるのもそうだけど。どうせならその責任とやらにかこつけて、まだ俺以外を知らないというあの子をそのままに。
真っ白なものに色を染めていくことが、楽しくて堪らない。他のやつなんて知らなくていいから、俺だけを覚えてればいいなんてらしくない欲。
「……奪う、だなんて、……穏便にね、」
「そうですか。じゃあ誤解があると良くないんで、二度と関わらないでください。店にも俺にも、美尊にも」
「わ、分かってます……」
失礼しますとか。いつから敬語になったんだか。
まぁ、痛い目見なきゃ潰し損ねた虫みたいに復活するから。復活する気が起きない程度に戦意を奪っておかねぇと。嫌悪しかない。既に二回ふっかけたし、いよいよ今後の付き合いとかどうするかな。
……まぁ、なるようになるだろ。
「……おい、いつまで隠れてるつもりだよ」
「あら? バレちゃってた」
振り返れば、悪びれもなくひらひらと手を振る、目元のほくろが特徴的な女。
「なんでいる……」
「私も呼ばれてたのよ。店休日にしたから、美尊ちゃんを連れてこれたんでしょう?」
「そうじゃなくて。お前さっきまで会長の相手してなかったっけ、」
「あぁ、……だっておもしろそうなことしてたし」
「見せ物じゃねぇよ」
最高だとウインクを飛ばされるが、別にこいつを楽しませるためにやっていたわけじゃない。ママという立場上、いろんなネタが必要なのかもしれないけど。
「でもいいの?」
「……何が」
「彼女、一人にして。私が見ただけでももう5人くらいに誘われてたけど」
「………」
……まぁ、予想の範囲内といえばそう。
簡単に乗せられるほど軽いわけじゃないのは分かってる。仕事柄流せる術も付いてるだろうし。ともすれば、どんな風に断るのか見てみたい。歩くのをやめたことをからかわれながら行くと、……あぁ、タイムリーだったみたいだ。
「連絡先だけでもダメ?」
「すみません、携帯持ってなくて…」
───ピリリリ。
瞬間、慌てて困り顔。なんて言い訳するのかが気になって掛けてみた。気まずそうなの最高だな。
「……性格わっる、」
「知ってる」
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