第10話 迷子です

「……あー遅れる、」

「だから言ったじゃないですか!!」

「そうだっけ?」



 決まりきらないからと、何度も変えさせられた衣装とヘアメイク。着せかえ人形か。


 既にすごい疲労感で、ホテル内を歩く律さんになんとか付いていく。抗議するも本人はどこ吹く風。とぼける男にそろそろ何があるのか教えてくれと言ってみれば。



「取引先の会社が主催するパーティー。パートナー同伴だったから」

「え……それ、私で大丈夫ですか? なんにも出来ないですよ、」

「しなくていい。笑ってりゃなんとかなる。料理でも頬張っとけ」

「信じますからねその言葉」



 念押しをすると、会場のドアに手をかけていた律さんは視線を寄越して、大丈夫だというように瞬きを一つ。



「お前はいるだけで絵になる女だよ。自信持て」



 そう言ってドアを開けて歩き出すから、動くのが遅れてしまった。


 ……また、この人は。


 頭が真っ白になって、視界が律さんしか映せなくなってしまった。緊張なんてどうでもよくなるくらいに。……ちょっと、ずるすぎませんか。今までそんなこと、一言も言ってくれたことなかったじゃないですか。


 くるりと振り返った律さんの、いつもと違うパーティー用に整えられた姿に、心臓が早鐘を打ってしまう。



「ん、ほら」



 遅れる私にしてやったりな笑みを浮かべつつ、差し出される手。


 反抗の気持ちも込めて強く握り返してみれば、またおかしそうに笑われながらエスコートされた。慌てて踏み出した一歩。



「────っ!!」



 瞬間、人々の視線が一斉に向いた。


 気がした、とかではなく、不特定多数と目が合う。次いで、視覚に飛び込んでくる光と色彩。


 目のつまった濃い赤の絨毯や、天井から吊るされた大きなガラス細工のシャンデリア。煌びやかな招待客のドレスに、彩りが映える料理。クラブでの接客に活かせたらと学んだ語彙でがんばって表現しましたけど。言葉選ばないでいいなら、ぐわぁぁぁ、です。


 ……ひさしぶりだ、この感覚。



「……、……」

「……美尊?」



 どうした、と声をかけられて、小さくだいじょうぶですと答えることしかできなかったけど。圧倒されてのまれそうな私の心情を読み取ったのか、掴んだ手を強く握り返してくれたことが、ただ救いだった。





「どう、慣れた?」


 パーティーの中盤。ホールの奥、主催者らしき人物の挨拶よりも、未だにこちらへ向けられる注目の方が多い。そんな束になった関心をものともせず、ボーイからグラスを受け取り渡してくれる律さんは、場慣れしているのだろうなと思った。



「結構平気そうじゃん」

「ハハハ。見えてないんですかこのひきつった笑顔」

「おー確かにひどいもんだ」

「なんですって」



 そんな軽口で緊張を緩めてくれているのがわかるから、どうにかパートナー面を保とうとがんばっているわけです。……私だって、こういう場の経験がないわけじゃないけど。でもこんなに周りって見えるものなんですかね。


 次々と挨拶に来る人の波が落ち着いてきた頃、すっかり常温になってしまったシャンパンを口に含もうとしていると、さりげなく新しいものに取り換えながら声をかけられたことからもそう。



「……なんか、本当に慣れてますよね」

「ん?………あぁ、」



 一度くいっと軽く眉を上げた後、何かに納得したように下を向いて笑う。可愛い笑顔の裏は可愛くないことばかり考えていることを知っている。というか思い知らされている。



「……何がおかしいんですか」

「いや、嫉妬してんのかなと思って」



 なんで嫉妬……?


 素直に聞き返そうとして、律さんが慣れていることに対するモヤつきがどこへ向かっているのかに気付いてしまった。私以外にパートナーと行ってたから慣れてるんですか、って。言ってるようなもんじゃん、これは。


 反応を伺うように顔を覗き込まれたから、動じてないことを示すために真顔を貫こうとしたのに。


 ……なぜか、目がゆらっと泳いでしまった。


 自分でも気付くくらい。ポンコツかよ。なに? この律さん耐性のなさ。朝の負けん気はここで発揮するべきだったでしょ。慌てて合わせるとにやりとする、……あーあ、出たよ悪魔。



「べ、別に、律さんがどこの誰と何回行ってようが全然気になりませんけど!?」

「俺が、どこの誰と何回行ってんのかが気になってんのな」

「だから違いますって!!」



 ……余計なことをべらべらと。もう黙れよ私の口。


 言い訳すればするほど、深ぁい墓穴できあがっちゃってるのが見える。この人だって否定なんか初めから信じるつもりもないだろうけど。……楽しそうでいいですね、律さん。私のこと、本当はパートナーじゃなくておちょくり要員で呼びましたよね?



「ま、頑張れ」

「何を!? まっ、え、どこ行くんですか……!!」



 肩をポンと叩き、スマホを確認するとひらりと手を振って人混みに紛れてしまった。


 え、嘘でしょ……?


 私、パーティーの概要さえあんまりわかってないんですよ。律さんに挨拶にくる偉い人たちの話もニコニコ仮面で乗り切ってただけ。それわかってるくせに急に放置って、どういうことですか。



「もう、いない……」



 彼の背中を探しても、見つけることができなかった。あんなに目立つ人なのに。存在感コントロールできるって、副業で忍者やってるんじゃないかとかバカなこと考えてる場合じゃないけど。不安も不安。不安でしかない。



「……っ、りつさん……」



 私がどうにか胸を張ってこの場にいられたのは、肯定してくれた律さんがいたからですよ。律さんが選んだ服、いいなって言ってくれたメイク、くれた言葉。全部あるのに、あの人がいないとどれも頼りなく感じる。視線を落としてしまった足元が、今はとても重い。


 ……遊園地の迷子って、こんな気分なんだろうな。

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