第9話 フィッティングルーム

「今どこいる?」



 普段は連絡が少ない律さんから電話がかかってくるとなると、多少なりとも心の準備がいるわけで。ビビりながら出ると、あっさり見抜かれて、説教じゃないから安心しろと笑われた。



「家にいるならこれから出てこれるか。下に車回してんだけど」

「わ、かりました、すぐ行きますね」

「あーうん、」



 切ろうとすると、何か引っ掛かるような曖昧な返事だったから。それを不思議に思って、律さんの言葉を待っていると。



「……待ってる。早く来て」



 ガターン。


 落とした、落とした。スマホ。すぐに拾おうとするもなかなか掴めなくて、やっとのことで耳に当てると大丈夫かって笑ってますけど。



「す、すみませんなんでも、」

「はは、動揺してんの」



 ガターン。二回目だよおい。


 これじゃ何も言わなくても肯定してるようなものじゃないか。というか絶対分かってて言ってるパターンだろ。


 再び耳に当てるまでもなく笑い声が垂れ流されてくるので、静かに通話終了のボタンを押した。真っ暗になった画面に映る顔は、不意打ちをもろに食らった様子をうまく表している。


 ……見るんじゃなかった。




「お待たせしました!」

「………」



 行きたくなかったよ。でも行かなきゃ困るのは自分だよ。


 だから少しの反抗。お望み通り早く来たさ。律さんから借りてる大きなTシャツと大きなハーフパンツでな。どこのバスケ部だよ。


 皮肉たっぷりに待たせたと強調すると、ただただ無言で眉間に少し皺を寄せられた。カーン、と開始のゴング。変なとこで頑固だから、見下ろされて合った目を負けじと逸らさないでいると。



「……まぁ、いいか」



 いや、何もよくなさそうなんですが?


 あっさり引かれたその決着に、拍子抜けする。でもこれアレだ、勝負所間違えたパターンだ。



「直に分かる。乗って」

「ちょっ、行く前に分かりたいです! ねぇ! 待って!!」



 呟きと共に少し上がる口の片端。背筋が凍るような微笑みをここ1か月で何度見たことか。地獄行きの切符は今も手元にあり続ける。


 早く乗れと助手席にぐいぐい押し込まれ、バタンと閉められたドアで遂に絶望を見た。戦意喪失。そして今日は運転席に乗り込む律さん。うわ珍しい。案内人が直々に連行パターンなの。



「あの、生きて帰れますよね……?」



 項垂れて確認をする私にクスリと笑うだけの男は、行き先のヒントすらくれないまま車を発進させた。





「むずい、……どうなってんだよこれ……」



 あのままよく分からない高そうなホテルに着くと、その中の高そうなブティックに連れてこられ、これまたよく分からない服を渡されフィッティングルームへぶちこまれて今に至る。


 よく分からなくても高価であることは分かった。さっと店内を見回した時に目に入ったピアスの値段が50万を越していた時点で、何も知らなかったことにしようと思った。懸命な判断だと思う。


 そして現在苦戦中の服はと言えば。体を通すところが複雑で、下手に動くと千切れそうだからとゆっくり着ていると、外野から文句が。



「……なぁまだ?」

「すみません、なんか難し、……腕? がどこに出るのか、」

「着りゃ分かるだろ」



 じゃあお前が着てみろ。


 言いかけたことをぐっと押し込み、なんとか再挑戦していると、後ろのカーテンが急にシャッと開く。



 ……いや、え?


 な、ん、で、開くんだよ。


 フツーに怖いし、でも見なきゃ犯人わかんないしで恐る恐る振り向くと……予想の倍恐ろしいもん見たんだけど。例えるなら、『精巧に作り込まれた人形、背後に出現』。イイ笑顔してる律さんのことです。絶対いま、しっぽ踏まれた猫みたいな反応しちゃった。



「なっ、なんで入ってくるんですか、」

「手伝おうと思って」

「店員さんお願いしたいんですけど!?」

「俺でいいじゃん」

「よくないよくない」



 むしろそう思った理由を言ってみなさい。私が納得できる理論で。隠すためにフィッティングルーム入ってるのに、あなたが乱入してきたら前提が崩れちゃうじゃないですか。常識ブレイカーかよ。


 ……え、他のお客さんにも見られたら困るじゃないって? さっきこの人が顔パスで入店した時に、店側が勝手に貸し切り状態にしてましたけど。 マジで何者なのか、日に日にわからなくなる。


 唯一わかるのは、知れば知るほど悪魔の化身にしか思えなくなってくること。最近はその比喩ですら生ぬるい気がしているので、もっとパンチの強そうな上位存在にアップグレードしたい所存。大魔王とか。



「今さら赤くなることあんの」

「そういう問題じゃないでしょう!?」

「赤くなってることは認めるんだ?」

「なっ、てない!!」



 いや鏡見たら論より証拠。


 律さんもそれを分かってか、鏡越しにタチの悪い笑みを浮かべる。逸らせば今度は本物とかち合って、壁際に追いやられていく。 ……これ、たぶん意図的に視線を誘導されたパターンだ。


 視界がほとんど律さんでいっぱいになって、彼の濃紺の艶やかな目が私を大きく映した。強烈な圧。それが私を徹底的に弱者だと知らしめるのに、抗おうとすることすら奪われるような美しさが目を焼く。


 ……ダメだ、と思った。


 原因がわからないのに、先行する感情がキャパをぶっ壊していく。──フッ、と足の力が抜けて、壁伝いに体が沈みこむのを予測していたかのように、腰に腕を回して引き寄せられた。反対の手が、背中を抱き込むように回る。


 その指先が、私の露出されている肩をツツ、と不埒になぞって。



「脱がしやすそうだな、これ」



 ──ドッカーン。


 大爆発でもしたのかってくらい、ふっとんだ。人はこれを破壊力と言うのでしょう。


 私に不利な状況ができ上がっていることに気付いた頃には、大爆発に巻き込まれている。そんな状況を毎回平気でつくってくるわけですよ、この男。戦場だったのか、ここは。



「り、……つさん、……」

「どう思う? ……みこと」



 肩の紐と肌の隙間に指を滑り込ませて、なぁ、と問いかけるように囁かれた。するりと落とされた肩の紐が、私の予防線をまた一つ、壊したようだった。



「……あ、の」



 この人、たぶん人の心わかった上でぶん殴ってくるスタイルなんだと思う。同意を求めるように見られても、そういう観点で服を見たことないから、わかんないんですよ。


 どう答えたらいいのかもわからないまま、見つめることしかできない私の視線を先に逸らしたのは、律さんだった。



「ん、できた」

「え?」



 ほらどーぞ、と律さんが遠ざかったので服に目を移すと、手足が絡まるようだった服が、綺麗にあるべき場所におさまっている。


 ……なに、なんの魔法かけたのこの人。


 反抗心がしゅぅぅ……、と力を大幅に削がれ、この変身マジックのタネが気になって仕方がない。あんなに苦戦してたのに、あれ一体なんの時間だったんだ。


 律さんもしかして、恥ずかしいから教えてくれなかっただけで、この服着たことあるんですか。直球に尋ねると、んなわけねぇだろ、と呆れた顔とデコピンをくらい。



「似合ってる」

「……っ」

「じゃ、準備できたら出ておいで」



 ふわりと頭を撫でられる。出ていくときに見せた、穏やかな微笑み。……なんだこの温度差。ずっと頭に残って、離れてくれないんですが。


 ……というか、そもそも。


 紛らわしすぎると思うんですよ。あぁいうの。こちらの反応を楽しむばかりの彼には、言葉にしたらつまらないんでしょうけど。全員があなたみたいな百戦錬磨じゃないこと、知っててやってますよね。行動すべてが仕組まれたものであるかのように見えるのに。



「あつ……」



 耐性のない私はまんまと罠に嵌まってしまうわけです。情けなさすぎて当分立ち直れそうにないよ。この赤さのまま行ったら、どうせまた遊ばれる。どうやって隠したらいいの。


 こんな仕草だけじゃなくて、ふとした視線とか言葉とか。そんなことにいちいち反応してたらキリがないことくらいは、分かっている。


 だから、自分にできる精一杯の抵抗。例え破壊されると知っていても、予防線は張れるだけ張らないと、痛い目を見るのは自分だ。

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