第8話 それ食べ物じゃないんで *律視点
「ん、?」
「……やっと起きたか」
玄関までのエレベーターで、漸く目を覚ましたらしい。ずり落ちそうだったから、背負い直した時の振動で気付いたんだと思う。おろそうとすると、それに気付いてかぎゅっとしがみつかれる。……でた、赤ちゃん。
「……りつさん、だ」
「おー……」
耳元で俺の名前を呟いては、楽しそうに笑う。
ご機嫌がよろしいことで。初めて呼ばせた日はあんなに躊躇ってたのにな。俺の名前をきゃらきゃら笑いながら呼んで遊ぶまではよかったんだけどさ。
「!? ……っおい、」
「ん、……ふふ」
何を思ったか、耳を食べられた。
……いや、俺も意味わかんなかったけど。多分そこにあったからとか、そういう理由。アホのやることだ。分かってるけど、背負ってるせいで両手塞がってるし振り落とすわけにもいかないから、されるがまま。
「……チッ、」
「顔赤い、……かーわい」
かわいいねってひたすら耳を食べられる俺の気持ち、分かるヤツいんの?
振り落とすぞ。もぐもぐ食いやがって。力がそれほど入らないからか、甘噛み程度に噛まれて、舌がなぞって。唾液が音を立てて、息や声が漏れる度にダイレクトに頭にまで響く。食いやすい体勢でも探してんのか、しがみつく力は強くなってるし。
「は、……りつさ……ん、」
「…………」
生き地獄だよ。やめてくれと強く突き放すことはしないけど。泳がせとけば、どこで気付くのか、それとも気付かないまま俺のことを喰い尽くすつもりなのか。どちらにせよ主導権を渡すつもりなんてさらさらない。
余裕があるとか、そういう段階はとっくに通り越している。実際エレベーターのドアに反射してる自分は、死んだような顔してるし。いろいろ感情や耐えるべきことが渦巻いて、それを処理しきるのに表情筋を捨ててんだと思う。未だに背負ったままなのが奇跡なくらい。問答無用で犯されても文句言えないと思うけどね。やってやろうか。今、すぐここで。
別に、覚悟してんならいいけどさ。育ったようで全然定着してない、そのお飾りの危機感にでも刻み付けとけば。後先考えずにやってるとどうなるか。
……あぁ、それを今から教えるのか。
ポーン、と音が鳴り、到着を知らせる。今までで一番長かった気がするよ。
開いたエレベーターから降りて、扉を開ける、その時間さえもどかしい。ベッドまで運ぶ気になれなくて、近くのソファーにおろして俺の腕の囲いに閉じ込めたところで、どういうつもりなのか聞いてみた。
「何考えてんの、おまえ」
「かわいいかわいい律さんのこと!」
「……あっそう」
まだ全然目が覚めてねぇよこのバカ。
酒が回っているせいか素直で、いつも以上にアホさが増している。怖いもの知らずだよな、ホント。泣く子も黙る、なんて二つ名がこいつの前じゃ形無し。
どうしてやろう、マジで。どうせ酒飲むと全部忘れるタイプなんだろうな、だったらいっそギリギリまで攻めてやるか、などと考えながら見つめていると。
「あ……そ、そんなに、みないでください……」
「へぇ……?」
ようやく状況に理解が追い付いてきたのか。恥ずかしさが込み上げてきたらしく、そんなことを訴えてきた。……これはいい。頬を指でトントンとついて、こちらを向かせる。忙しなくきょろきょろと動かす視線を俺へと縫い付けるように、その瞳に近付いて。
「逸らすな」
熱くなってきたのか、染める頬とうっすら滲む汗、言い付けに忠実な、俺を捉える濡れた瞳が容赦なく理性を揺さぶる。
──ぐらり、と大きく傾いて。
「……み、こと……、ん」
どうせ飛ばす記憶の中でしても仕方がない。同意すら得てないし。後で泣かれないように、直前でかけたブレーキ。
……を、ぶっ壊したのは紛れもなくこのアホで。
「……いかないで、」
「──っ、わかってるよ」
すがる目で、顔で、伸ばされた手で。
こういうことを言われると、本当に弱い。
離れた隙間を惜しむように口付けられる、その熱に溺れたくて仕方がない。でもお前、これ本当に覚えててくれんの。忘れ去られることが思ってる以上にキツい気がするから、応えないで好きにさせてるだけ。生殺しにも程がある。
「もっと……りつさ、……」
「……人の気も知らねぇで」
限度ってもんを学んでこい。合間にうわ言のように漏れる、俺の名前が甘美な響きをもつ。……地獄みたいだ。自惚れそうになる。そのまま客の前ででも呼んで困ればいいのに。
本当は、無理ですって泣きながら懇願されるくらい追い込むのがすげえ好きだ。まだいけんだろって、ギリギリ攻めるのが。加虐性の塊で、そうでしか欲は満たされないと思ってたんだよ。最近までは。
……でも。
「……寝るよなやっぱ。目開いてるし」
そろそろだろうな、とは思っていた。
本気になってしんどい思いするくらいなら、と思って大人しく耐えてたよ。ホント裏切らねぇ。
「りつさん、……わたしの、ほるもんたべ……」
「どんな夢見てんだよ」
夢と現実の堺で、起きたらそんな記憶さえないんだろう。あんなに求めてたのも、ホルモン食べてる夢見てたからとかいうオチだろ、どうせ。ふざけんのも大概にしろよ。
ただ、この無自覚に人を振り回すバカの寝顔に、どこか安心してしまう。あと5秒遅かったらお前、寝る暇なんてなかったかもな。
なんとなく頭を撫でてやれば、俺の手に押し付けるようにしてせがまれた。起きてねぇの、これで。寝てるときまで懐き出してんな。
「はぁ……しかたねぇヤツだな」
続きは記憶のある時にでもするかな。
【翌朝の会話】
「……二日酔いです、……」
「あー……、昨日さんざんホルモン食ってたもんな」
「ホルモン……だから飲み過ぎたんですかね?」
「お前ホントに記憶飛んでんだな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます