14 覚醒

    14


 ここは一体どこなのだろうか?

 肉体がなくなって魂だけが遊んでいるかのように、重さもなく上も下もなく、水の中をふわふわと漂っている感覚。

 周りをいくら見渡してもただ赤く、黄色く、そして白かった。まるで時の止まった世界で炎に包まれているかのよう――。

 ああ、思い出してきた。私は炎に飲まれたんだ。

 私は、死んでしまったんだ。

 何も聞こえない。この場所は音さえも焼き尽くされている。

 私が死んでから何分が経った? いや、もしかしたらまだ一秒も経っていないかもしれない。百年が経っているのかもしれない。時間が、分からない。

 ただ流れに身を任せ、宙を漂い、赤と黄色の揺らめきをぼうっと眺める。

 私は永遠にこの空間を彷徨い続けるのだろうか。ぼんやりとそんな事を考えた。

 そうしているうちに遥か遠くから――ここに距離の概念があるかは定かではないが、何かがこちらへ近付いてくるのを感じた。

 あれは、人か?

 それが近付いてくるにつれ、だんだんと輪郭がくっきりとしてくる。それはやはり人のようだ。

 女性だ。一糸纏わぬ姿でその長い髪が尾を引かせて、おそらくは今の私と同じようにふわふわと光の粒をまとわせて漂っている。やがて私のすぐ側までたどり着き、背後に周りこんで私の身体を両の腕で包み込んだ。

 それは炎よりもずっと暖かかった。

『……ミ……レ…………ア』

 音が聞こえた。彼女の声だろうか。

 耳から聞こえたのではない。もっと内側、としか言いようがないが、そこから直接頭の中に語りかけられているような錯覚に陥る。

 途切れ途切れだったその声はやがてはっきりと音を結んだ。

『……ミレイア』

 ミレイア。ミレイア。何かの名前だったか。

 ……違う。ミレイア・ライツ――他ならぬ私の名前だ。どうして今まで忘れていたのだろう。

 生まれてから死ぬまでの十八年間、私はずっとミレイア・ライツだった。記憶が、魂に刻まれている。

 それならば貴方は――。

「貴方は、フリッツリート……?」

 声が出せているのかどうかは分からない。もはや声帯などないのかも知れない。

 それでも私は、同じように魂に刻まれたその名を口に出していた。十八年間よりは短いが、私がずっと心に留めていた大きな存在――自分の名前と一緒に思い出すことができた。

「リート、直々にお迎えいただけるなんて……」

 これからきっと私の魂は太陽に昇るのだろう。

 使いの鳥ではなく、最高神が楽園までいざなってくださるとは。死後になって最大の幸福が訪れるとは思ってもみなかった。だが――。

『……貴方はまだ死なない。最後に見たあの光景を思い出して』

 背後から投げかけられる言葉に突然、ガツンと殴られたような衝撃が全身を巡る。頭が割れるように痛い。

 思い出せ――月のない夜。何処かの舞台。あの日の景色が一気に噴き上がってくる。

 一人の仲間と、そして一人の敵。名前は思い出せないが――敵の猛攻を食い止めるべく、私はひとつの賭けに出た。

 己の両手に炎を宿し、仲間が展開していた光の障壁から飛び出した。敵の炎に飲み込まれる直前で私は――。

「私は、自分の身を自分の炎で燃やした……!」

 思い出した。ならば、ここは死後の世界ではない。これはリートの試練――。

 その認識を得た瞬間、周囲の赤と黄色の揺らめきがぐらりと波を打ち、渦を巻いて私の身体の中心へと一斉に流れ込んできた。

 熱い。身体が熱い。そして、同時にかつてないほど強大な力が底から止めどなく沸いてくるのを感じる。

 やがて渦は収まり、周囲は何もない真っ白な空間となっていた。

 両手を広げて前へ突き出す。意識を研ぎ澄まし、ゆっくりと力を込める。

 内側から溢れ出る力が腕を流れ、手首を辿り、そして掌から真っ白な空間の遥か彼方まで爆炎が螺旋を描きながら噴き出した。

「これがフリッツリートの炎……」

 恐怖を覚えるほどの火力。しかし同時にどこか懐かしく、私はこれを知っているようなデジャヴを覚える。

 両手を下ろしてもなお炎は燃え続けている。永遠に続く螺旋のトンネルのようだった。

 だが次の瞬間、背中に強い力を受けて私の身体は宙を舞っていた。叫ぶ暇さえなく、燃え盛る螺旋の果てに向かって吸い込まれるように、自由落下のごとく水平に吹き飛ばされていた。

『貴方はまだ死なない。だから行って! リート様の力で――』

 その言葉に後ろを振り返る。リートが――いや、あの女が私を突き飛ばしたのだ。彼女の姿はぐんぐん遠ざかっていく。

 焦げ茶色のウェーブがかった長い髪。活発な印象の優しいその顔。

 『ミレイア・ライツ』や『フリッツリート』に比べれば遥かに歴史が浅い、しかし私の魂に確かに深く刻まれた名前を、誰よりも大切なその人の名前を叫んでいた。

「シャノン――!」

 彼女に向かって手を伸ばすが、届くはずもない。既に遥か遠くの点となって見えなくなっていた。

 シャノン・ブーケ。

 もう二度と会えないと思っていた。彼女が背中を押してくれたのだ。

 ならば私は、死なない。死ぬ訳にはいかない。もはや恐れなど存在しなかった。水平に落下を続けながらも炎のトンネルの果てを見据える。

 いつもと同じように指を組み、瞼を閉じ、そして祈りを捧げた。

 ――神聖なるリートの炎よ、道迷いし私をどうか、あの時のあの場所へお導きあらんことを!

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