15 決着

    15


 視界の全てが真っ赤に染まっていた。

「ミレイア、ミレイア!」

 何度叫んだことだろう。クラリエ・ベールルは炎の波に向かって呼びかけるが返事はなく、ただ絶望だけが胸を蝕んだ。

 肌が焼けるようにひりつく。少しでも気を緩めれば光の障壁が溶かされ、クラリエもその灼熱に飲まれてしまいかねない。

 この火力に襲われたとなるとミレイアは助かる由もない。己の無力さが恨めしい。だが今はそれを嘆いている余裕などなかった。

 状況を打破する手段は一つしかない。バリアを展開したまま、一歩ずつ後退するのだ。離脱さえできれば、応援を呼ぶことだってできる。

 おそらくはアズマイル・ブーケもこちらの姿を視認できていないだろう。一歩、また一歩と下がっていく。

 その刹那、炎の壁の向こうから更なる火球が飛来してバリアに衝突した。

「くっ……!」

 不可視の光が大きく揺らぎ、思わず両腕に力がこもる。

 間髪入れず、更に数発の火球が命中した。滅多矢に撃ち込まれている訳ではない。アズマイルにはこちらの位置が把握されているようだった。

 これ以上は限界が近い。もう駄目かと諦めかけた次の瞬間――。


 海を割るかのごとく、眼前の炎が真っ二つに両断された。

 行き場を失った炎は大きく揺らぎ、そして霧散していく。

 辺りは急激に暗く落ちる。目が慣れるまでのほんの数秒、クラリエにはその中心にある人影が妙に光り輝いて見えた。

「ミレイア……?」

「心配かけてごめん、今戻ったよ」

 赤髪の映えるその精巧な人形のような少女は少しだけ口角を上げ、火傷ひとつない姿でそこに佇んでいた。

 まさか、あの状況下で生きていたとは――想定外の事態にクラリエは瞼を瞬かせた。

 一方で壇上ではアズマイルは何かにはっと気づき、そしてそれは苛立ちへと姿を変えていた。先程、炎の波に飲まれていた最中――二人が何らかの魔法を用いていたのは炎を通じて感じていた。恐らくは光の障壁魔法だろう。そしてそこから二つの炎魔法が生じたことも、リートの力を得たアズマイルには直感的に伝わっていたのだ。

 アズマイルの炎、クラリエの炎、そしてミレイア自身の炎――。

「まさか……この土壇場で目覚めたと言うのか!?」

「ええ、その通り。私もあの世でフリッツリートと邂逅を果たしてきた」

 彼女はあの土壇場で逆転の発想に至り、そして見事『リートの試練』を乗り越えて炎神の力を手にしたというのだ。

 思わず耳を疑う。そんなことが現実にあり得るというのだろうか。しかしあの炎に飲まれたはずのミレイアがこうして無事に立っていることが何よりの証左ではないか。

「冗談じゃない。そんな奇跡のような出来事――」

「私一人だったらきっと駄目だった。でも私はあっちの世界で大切な人に出会った。彼女の力がなければ、あのまま死んでいたかも」

「ふざけるな! シャノンは私の妹だ、君の物ではない!」

 激情に駆られたその両腕から再び灼熱が噴き出し、天井を焦がす。

 全力を以て放たれたそれは、果たしてミレイアが腕を大きく凪いだ途端、軌道が大きく逸れて建物の壁にぶち当たった。

「今なら、どんな炎だって操れる自信がある」

 ミレイアは両腕を前方に伸ばす。大量の魔力が身体へ流れ込んでいくのが肌で感じられる。

 次々と撃ちだすアズマイルの炎をミレイアは涼しい顔でいなす。

 今度はミレイアの撃ち出した炎が壇上へと飛びこんでいく。

 アズマイルは相殺を試みるも、衝突した瞬間ミレイアの炎は眼前で大きく爆ぜる。

「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な――」

 白衣の袖が燃え、髪がチリチリと焦げる。リートの炎を以てすれば打ち消すことなど容易いはず。

 これではまるで――。

「まるでリートの力が……私からライツ君に乗り移ったみたいではないか――!」

 勢いに巻かれて気付かなかったが、アズマイルの力は確実に弱くなっていた。

 リートは自分よりもミレイア・ライツを選ぶというのか?

 このままでは押し負ける――そう思った刹那、アズマイルははっと息を飲む。先程までそこにいたはずのクラリエ・ベールルがいなくなっていた。

 逃げたか――いや違う!

 背後を振り返り、舞台後方の垂れ幕へ火球を飛ばす。瞬時に幕は引火して燃え上がった。それを裂くように幕は横一線に斬り落とされ、長剣を抜いたクラリエが駆け出していた。

「はああああああっ!」

 渾身の力を込め、得物を振りかぶる。

 だが一歩遅い。この間合いでは刃は到達しない。切っ先は空を切るだろう。

 剣を振り抜くよりも速く、アズマイルは炎を直撃させんとする。

 だが――。

「――ッ!?」

 瞼の裏に火花が散る。アズマイルの身体はもんどりを打って吹き飛び、舞台から叩き落とされていた。

 剣は届かない距離だったはず、何故――そう考える余地もなく、駆け出したミレイアが目前まで迫る。

 彼女にいくら炎魔法をぶつけてもいなされてしまう。しかし隙さえ生ませることができれば――。

 ふらつく頭を押さえ、アズマイルはやっとの思いで腕を掲げる。

「危ない――!」

 ただでさえ焦げ付いた天井――すなわち二階の床にアズマイルの炎がぶち当たる。

 狙い通り天井は崩れ落ち、迫るミレイアの目前に轟音とともに倉庫のメタルラックが降り注いだ。それに怯んだミレイアは一瞬の隙を見せていた。

 今だ――!

 更なる炎を放とうとした刹那、ミレイアは懐からある物を取り出し、そして宙へと振り撒いた。

「なっ……!」

 宙を舞い散る紙幣の数々。

 それは先日彼女に手渡した妹の世話代だった。アズマイルの手はぴたりと止まる。

 刹那の動揺を生じさせた次の瞬間、アズマイルは顔面にただならぬ熱量を覚え、気付けば激しく地面を転がっていた。

 リートの炎を纏ったミレイアの拳が、アズマイルの頭部を殴り抜いたのだ。その一撃でとうとうアズマイルは伸び、地に倒れ臥したのだった。

 壇上から軽やかに降りたクラリエは彼女に駆け寄り、腕を取って手錠を掛けた。

 携帯端末を取り出し、すぐさま警察の番号にプッシュする。十分もしないうちに警察が駆け付けて彼女を連行するだろう。

 これで、ようやく仕舞いだ。

 服についた煤を払いながらミレイアがこちらに駆け寄ってくる。

「さっきの太刀筋、鮮やかで見事なものだった。刃が微妙に届いていなかったように見えたけど、あれは剣に光魔法を纏わせていたんだ」

「そう、私の得意とする不可視の光魔法。とどのつまり、私の剣は見た目以上の間合いをもって振り抜ける。暗い場所だったら簡単に見破れるトリックなんだけどね。でもアズ先生自身の炎で明るく照らされていたから何とか彼女の目を騙すことができた。でも、これに気付いたのは貴方が初めてよ」

 鞘に納めた剣を掲げ、クラリエはそう答える。

 そうしているうちに意識を取り戻したのか、アズマイルは大きくむせながら身体をもたげた。もはや抵抗の意思はないらしく、手錠の鎖を床で鳴らしてぐったりと座り込んでいた。

「ライツ君、あの状況で金を撒くなんてなかなかやるじゃないか」

「あんたは私とシャノンの関係をお金で解決しようとした。私はそれが気に食わなかった。そんな大切なお金を燃やさざるを得ない事態になれば躊躇うのではないかと踏んだだけ」

「何、全くもってその通りだ。返す言葉もない。両親を亡くしてからはかなり逼迫した家計で生活してきたからな。……大事な人を守るためには金が要る。自分が守銭奴であることを少なからず自覚しているさ」

 床に散らばった紙幣を眺めながら、煤汚れた顔でアズマイルは力なく笑う。

 その手に嵌められた罪人の証を眺めながらぽつりと呟く。

「もはや力も入らない。多分、私に宿っていたリートの権能は全て君に移ったんだろう」

「おかげさまで体調はすこぶる好調。ここ数日で最高と言ってもいいほど」

 ミレイアは表情を変えぬまま腕をぐるぐると回して見せる。

「ひとつ教えてくれ。私はリートの試練――安全に炎に飛び込むための方法について、ある論文から着想を得たんだ」

 炎に包まれながら自分で自分の身を焼くなど、それこそ正気であれば考えもしない発想だ。アズマイルは指を三本立てる。

「その論文『炎魔法による生命活動の活性化技術に関する提案』、街の図書館で見つけた伝記『邂逅かいこう』、そしてフリッツリートの伝承『熾鳥しちょう』……その三つが揃って初めてこの結論に至れたんだ。君もこの全てを把握していたのか?」

 ミレイアは「ええ」と答える。

「リートの物語を君が知っていることは重々承知なんだが、ひとつめの論文はかなりマニアックな論文誌に載っていたはずでな……」

 そんな事か、とミレイアは小さく息を吐き出し、そして告げる。

「その論文、書いたのは私。リートの伝承から着想を得て思いつきで書いたものを寄稿してみたら編集の目に留まったらしく、何故か掲載されただけ」

「……はは、そうだったのか。まったく優秀な学生だ。私の完敗だよ」

 驚きと同時にあたかもそれは必然であったかのような納得感さえ内包したその言葉に皮肉らしさはなく、それはいち研究者としての純粋な感想だった。

 アズマイルはゆっくりと立ち上がるとクラリエの方に歩み寄る。

「ベールル君。此度は本当にすまなかった。言い訳するつもりもないのだが、私も妹を何とか助けようと必死だったんだ」

「ええ、分かっています。後は私達に任せてください」

 続いてミレイアに近づき、両手で彼女の手を掴んで包み込んだ。

「ライツ君、勝手を言ってすまないが妹を頼んだ。リートの力を受け継いだ君なら、もしその力が伝承の通りであるとするなら、私がやろうとしたことを成し遂げられる。きっとシャノンを救い出せるはずだ」

 ミレイアは黙ってこくりと頷く。そこで自分の掌に何かが握られていることに気付いた。

 ところどころ溶けてしまってはいるが、それは銀色の鳥を模した、赤い宝石の嵌められた美しいネックレスだった。

 やがて建物の外ではサイレンの音が遠くから聞こえて来た。警察が到着したのだろう。

「アズ先生を警察に引き渡したらすぐに向かうわよ、魔導監査の本部へ。シャノンさんはそこで貴方を待っているから」

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