13 独白

    13(過去)


 十月五日。

 私の心は酷く荒んでいた。

 十日後のザナイェールに向けて準備期間に入ったため、講義もゼミの活動も全て休止しており、現に研究室には学生はひとりも来ていない。本来であれば教員にとってもまたとない羽根を伸ばせる良い機会なのだが、どうにもイライラして落ち着かない。

 シガレットケースをひっくり返して取り出そうとしたが、一本も残っておらず舌打ちを漏らす。デスク上の灰皿を見れば今朝から既に十本以上は吸い殻が増えていた。

 研究室をゆっくりと見回す。書棚には数々の研究資料が納められ、机には様々な書類が乱雑に置かれている。

 これは私が築き上げてきた地位だ。

 十年前のあの火事の日以来、私は両親を奪った炎を強く憎んでは克服するために炎魔法をひたすらに研究してきた。その甲斐あってか、こうして研究職に就いて妹の学費と生活費の面倒をみることができている。妹に不自由な生活はさせたくなかった。

 大きくため息を漏らし、なんとなしに窓の外を見る。壁にポスターを張り付ける学生、木版に色を塗る学生、大きなバルーンを大人数で膨らませる学生達――。

 学生諸君が和気藹々と時に面白おかしくふざけながらも、来たるザナイェールのために着々と準備を進めている姿が嫌でも目に留まる。

「シャノン……」

 妹の姿をイメージし、学生達の中に溶け込ませてみる。

 笑い、騒ぎ、青春を謳歌する妹の姿。

 本来ならば今頃は彼女も演劇校友会であんなふうに活動していたに違いない。だが、それは二度と叶うことのない幻想だ。あの子は二度と歩くことができなくなった。

 そして、あの日以来あの子が笑っているところを一度も見ていなかった。

 学園にいれば気が滅入るだけだと感じ、私は隣町まで繰り出すことにした。教員用の駐車場に停めている安物の軽に乗り込み、エンジンを始動させる。中古で購入したものだが、ガソリンを使わない魔力稼働の車も随分と安く買えるようになったものだ。

 信号待ちをしながら、思い起こすのはやはり妹のことだった。

 思えばシャノンが入学して以来、すっかり姉妹の会話が減ってしまっている。入学時に彼女からは学園内では教員と学生として接してほしいと強く言われたことを思い出す。あの時は結構なショックだったが、私も妹離れをするいい機会なのかもしれないと感じ、従うことにした。

 それもあってか学園内で姉妹関係だと知っている者は理事長や一部の人間だけだ。

 結局のところ今もこうして妹離れなどできていないことに気付かされ、乾いた笑いが零れる。

 信号が青に変わり、アクセルを踏む。三十分程走らせただろうか。道すがら立ち寄った店でいつもの煙草を買い、シガレットケースに詰めなおす。

 そのうち一本を咥え、人差し指を立てて指先から火を灯す。

 煙を吐きながら道路の案内標識を見れば、少し行ったところに図書館があることを示していた。そういえばこの街の図書館はそれなりに大きいんだったか。良い研究資料が見つかるかもしれない。

 停滞している思考の整理をするため、その方角へ車を転がした。


 図書館に着くと並んでいる書架には目もくれず真っ直ぐ受付にいる司書のところへ向かった。

「やあ、すまないが炎魔法に関する蔵書があれば持ってきてほしい。基礎研究から歴史書まで何でも構わないが、できれば古い文献がいいな」

「……かしこまりました。すぐにお持ちします」

 司書の女性はバックヤードに引っ込む。

 書架に置かれている市販の書籍など、既にほとんど目を通しているので興味もない。新たな発見を求めるのであれば、大きな図書館の蔵書を漁るに限る。

 やがて戻ってきた女性から数冊の文献を受け取り、館内の読書スペースに赴く。一冊ずつ手に取り、ぱらぱらと流し読みしていった。

「これは読んだことあるな。こっちもだ」

 どれもこれも目新しさがない。この図書館は外れだったかと沈みかけたその時、一冊の古びた本に目が留まった。

 タイトルは『邂逅かいこう』。今にもページが抜け落ちそうなほど風化している。活字で刻まれているのを見るにかなり昔の書物で、十数分もあれば読みきれる文量だ。

 背表紙の分類コードによると手記に分類されるらしい。

「フリッツリートを強く信奉していた女の自伝か……シャノンだったら興味持つかもな」

 ページをぱらぱらとめくってみる。正直なところ、文章も拙くて非常に読みづらい。文を斜めに流し読みし、話を端折って頭に流し入れる。

 フリッツリートに人生を捧げた女が詐欺師らに謀られ、金も家族までも失った。詐欺師らは女の家に火を放ち、炎に追い詰められた女は火事へ飲まれる前に己の身体を焼き、焼身自殺を図るといった内容だった。

 そこまで読み進めて鼻で笑った。

「ふん、くだらない。なんで自殺した奴が自伝なんて書けるって言うんだ」

 十中八九ただの創作物語だろう。途中で読むのをやめてもよかったが、残り数ページだったので最後まで読み進めることにした。

 女はかろうじて一命を取り留めたのかと思いきや、そうではないらしい。

 女は詐欺師らの放った炎、そして自らの炎に焼かれ命を落とした。だが死後の世界でフリッツリートと『邂逅』し、その身に炎神の力が宿ったという。

 そうして現世に蘇った女は火の中を悠然と闊歩し、とうとう詐欺師に復讐を遂げた。

 その後はリートの奇跡の力によって幸福な生涯を送ったそうだ。

「三流小説の中でも酷い出来だなこれは……」

 本を閉じて机に伏せる。あまりにもくだらない物語を頭の隅に追いやって、次の文献に手をつける。だがそれ以外の本も全て読んだことのあるものばかりで、残念ながらめぼしい収穫は無かった。

 諦めて司書に本を返却したものの、どうにも先程の手記が気がかりで仕方ない。

 むしろに転がった針を探すかのように、頭の中で引っ掛かりを探る。

「これ、以前どこかの論文誌で読んだそれと内容が似ているんだ……」

 確かタイトルは『炎魔法による生命活動の活性化技術に関する提案』。著者名は直ぐに思い出せないが、あまり見ない名前だったので学会に名の通った人物ではなかったはずだ。

 それは炎魔法の熱エネルギーを活用して人間の細胞を活性化、代謝を促進させて健康を得られるのではないかという仮説を記した論文だった。尤も、炎による外傷が防ぎきれない点や、実証実験が難しいという問題点も著者によって記されていたはずだ。机上の空論に過ぎない理論で、ほとんどの研究者は鼻で笑ったことだろう。

 もし、この『邂逅』が実話だとすれば。

 私が発見してまだどこにも発表していない、ある『現象』を併用すればあるいは――。

 これは思わぬ収穫だ。私は上機嫌で図書館を後にした。身体の軽さは今朝とは比べ物にならない。

 頭の中を飛び交う突飛な思考をまとめあげ、これを論文の形に仕立て上げるのだ。


 十月十日。

 私は機嫌が良かった。鼻歌さえ歌いだしかねないほどだ。

 先日から着手した論文の執筆が自分でも驚くほどのスピードでみるみるうちに進んだからである。既に原稿用紙にして五十枚程度書き終わり、意気揚々といった調子だ。

 そして何よりも今日は愛しい妹の誕生日だ。

 今年でもう十九歳になるんだな。時が経つのは早いものだ。

 彼女はリートを信仰しているため大々的な誕生会を開いてやることができない。だが家族としては二人きりの時間を設けて祝ってやりたい。

 だからシャノンには今日の昼前に少しだけ時間を作ってもらっている。

「おっとしまった、もうこんな時間か!」

 時計の針は九時半を回っていた。

 普段は買わないケーキなんかを予約注文したものだから、すっかり受け取り時間を忘れてしまっていた。執筆途中の原稿を机に置き、慌てて研究室を飛び出して愛車に乗りこみ隣町へと繰り出した。


 特に何事もなく一時間足らずで無事にケーキを入手し、研究室へ戻る。

 部屋に入ると扉を背にして一台の車椅子が机に向かっていることに気が付いた。

「シャノン?」

「うわっ!?」

 気配に気づかなかったらしく、シャノンの肩が跳ね上がった。

 どうやら入れ違いになっていたらしい。幸い研究室は建物の一階に位置しているため、車椅子のシャノン一人でも容易に訪れることができる。出掛ける際に鍵をかけなくて良かった。

 ガサッと音を立てたその手元には先程まで私が着手していた原稿用紙があった。

「読んでいたのか」

「その、ごめんなさい。勝手に」

「いやいいんだ、構わないさ。ここまで一人で来たのかい?」

「あ、うん。ミレイアは外出してたから。校友会の準備を手伝ってくれているみたいだし忙しいんだと思う」

 ミレイア。彼女のルームメイトであるミレイア・ライツのことだ。炎魔法の実習成績が優秀だったと風の噂で聞き、いち研究者として気になっている人物だ。彼女には妹のことで何かと世話になっているし、できれば一度膝を突き合わせて話をしたいものだ。

「ほら見ろ、ケーキを買ってきたんだ。コーヒーを淹れるから、食べながら話でもしよう」

 ケーキとコーヒーを味わいながら、シャノンと色々なことを語った。

 学園生活のこと、校友会のこと、ルームメイトのこと――。

 だが、決して二か月前の事故については言葉に出さなかった。それはシャノンも同じだった。

 時計を見る。時刻は十一時半になろうとしていた。そろそろ頃合いだろう――私は懐から箱を取り出し、シャノンの前に差し出す。

「改めて誕生日おめでとう。今年も良い一年になることを願うよ」

「ありがとう、姉さん。開けてもいい?」

「ああ」

 シャノンは包み紙を破り、箱を開ける。

 鳥の姿を模した銀色のネックレスだ。翼で囲うように赤色の丸い石がはめ込まれている。

「たまたま入った雑貨屋で見つけたんだ。確か君の好きなリートの話にそんな鳥が出てくるものがあったのを思い出してな」

「もしかして『熾鳥しちょう』?」

「ああ、多分それだな」

「とても素敵。姉さん、ありがとう」

 口でそうは言っても顔は笑ってはいなかった。

 この程度でシャノンの笑顔を取り戻せるはずがない――そう覚悟してはいたが、実際その通りになると結構へこまされる。

 私はチェーンをつまんで箱から取り出し、シャノンの首後ろで金具を留めてやった。胸元で輝くそれは、やはりシャノンによく似合っていた。

「さて、そろそろお開きかな。部屋まで送ったほうがいいか?」

「ううん大丈夫。そろそろミレイアも帰ってきてる頃だろうし」

「ん、ライツ君か。そういえば彼女も君の誕生日を知っているんだな」

「もちろんよ、同じ信徒だもの」

 フリッツリートの信徒にとって誕生日は最も重要な日――研究者の私もそのことは当然承知している。

 家族である私はさておき、同じくリートを信奉する同胞――それも、真に心を通わせた親しい者だけにその日を伝えることが許されている。ましてや毎日リートに祈りを捧げる熱心な信徒である彼女ならば尚のこと妹の誕生日を祝福してくれるだろう。

「彼女にはずいぶん迷惑をかけてしまっているからな……来年になったら私の講義も履修できるだろうから、その時は贔屓目で評価してやろうかな」

「ふふっ、姉さんの講義は単位が取れないって噂がすごいからね」

 ああ、妹がようやく笑ってくれた。私のジョークか……いや、これもライツ君がそばにいたからこそだろう。彼女は妹を笑顔にできる人間だ。

 私は妹の身体を考えて介助士を雇おうとしたが、妹はそれを拒んだ。本当に必要だったのは心のケアのほうなのだろう。ライツ君に任せて正解だったのだ。

 シャノンをせめて部屋の外まで送ってやろうとしたが、机の一点を見たまま動こうとしなかった。

「姉さん。さっきの論文なんだけど……」

「どうした?」

「あれを読んだとき、ある話を思い出したんだ」

「もしかして『炎魔法による生命活動の活性化技術に関する提案』?」

 シャノンがまさかそんな論文誌まで目を通していたとは。研究者として鼻が高い。

 だがそれはてんで的外れだったようで、妹は首を傾げた。

「何それ……? そうじゃなくてフリッツリート様の逸話――『熾鳥』だよ」

 シャノンは先程贈ったネックレスの鳥をちらつかせ、そして歌を歌うかのように言葉を紡いだ。繊細で美しい声に聞き入ってしまう。

 それはリートが起こした最初の奇跡の逸話だった。

「この話、姉さんの論文に似ていると思わない?」

「……リートが傷ついた鳥をその炎で焼き尽くし、遺灰から蘇った鳥はリートの眷属となった物語、か」

 言われてみれば一理ある。炎によって鳥は無傷の状態で蘇った。というよりは生命活動の活性化によって傷を治したと考えるべきか。

 なるほどリートならではの視点に舌を巻く。所詮は伝承――作り話なのだから、私の脳にはそれと紐づけるという発想は端から存在しなかった。

「ただこの論文で記した内容は実証が難しいものなんだ。外部からの炎と、自分自身の魔法による内部からの炎による相互作用。それの後者が特に難しい。自分の身体を自分で焼くに等しい行為だからな、動物で実験するにしてもほとんどの動物は自らの身体を傷つけたりはしない。それが人間となっては尚更――」

「――姉さん」

「……?」

「その実験、やってみるつもりはない?」

 言葉に詰まる。シャノンは一体何を言っている。何を言い出すんだ。

「被験者は私。私が自分の身を自分の炎で焼く。姉さんにはそれをサポートしてほしいの」

「何を馬鹿なことを言っているんだ、そんなの認められる訳がないだろう!」

 思わず大声を張り上げる。自分の喉からこれほどの大声が出るとは想定しておらず、はっと我に返った。だが彼女があまりにも危険な事を言い出したのだ。多少強い語調でたしなめるくらい許されるだろう。

 しかし意に反してシャノンは私に負けずとも劣らない声量を張り上げた。

「私にはもうこれしかないの! リート様は熾鳥の怪我をこの方法で治した……だったら私のこの脚だって何とかなるかも知れない!」

 興奮のあまり車椅子から一歩踏み出そうとし、崩れ落ちそうになるのを何とか腕で抱き留めた。

 その小さな身体が微かに震えているようだった。

「お願い姉さん……今日は私にとって年に一度の大きな決断を下すべき日なの。だから――」

 今にも泣き出しそうな、押し殺すような声だった。

 リートの信徒にとって最も重要な日。その重大性が分からない私ではない。

 それに妹の意見を否定することに対してどうしようもなく胸が締め付けられ、内側を激しくかきむしりたくなるような罪悪感さえ覚えてしまう。

 シャノンを車椅子に押し戻し、シガーケースから取り出した煙草を咥えてフィルターを噛み潰さぬよう唇の隙間から言葉を押し出した。

「ああもう、分かった、分かったよ! ただし危険だと判断した場合は即座に中止、それでいいな?」

「……ありがとう。もちろんそれで構わないから」

 昔から言い出したら聞かない子だ。

 人差し指を立てて煙草に火を灯し、ゆっくりと深く肺に流し入れた。普段妹の前では吸わないように心掛けているが、この時ばかりはこうでもしなければとても冷静ではいられなかった。

「しかし私の論文では三種の炎を必要としている。君自身の炎に加えて外部からの炎を二種類用いるべきなんだ」

「二種類?」

「ああ。同程度の強さの炎魔法と炎魔法をぶつけ合ったら一体どうなると思う?」

「えっと……合わさって威力二倍?」

「……実際に試せば分かる。シャノン、小さいもので構わないから炎を出してみろ」

 シャノンは戸惑いながらも右手に意識を集中させ、指先に小さな炎を灯した。

 それを見て私も同じ大きさの炎を人差し指に灯し、ゆっくりと近づけていく。

 やがてそれらは磁力に吸い寄せられるかのように吸着し、二人の向かい合わせた指先にはひとつの炎が浮かんでいた。

「シャノン。右手は集中したまま反対の手でこの炎に触ってみろ」

 妹は恐る恐る左手を近づけ、そして炎に指を突っ込んだ。

「……!? 熱くない……!」

「ああ、この通り相殺されるんだ。魔法としての威力は相互に打ち消しあって掻き消え、魔力のエネルギーだけが残存することになる。両者のバランスが乱れるとたちまち崩れる危うい均衡だがね。これを用いれば火傷による外傷はほとんどカバーできると予測している。私が先日発見した現象で、これはまだどこにも発表していないんだ」

 私はあの手記『邂逅』の内容を思い返していた。文章が下手で分かりにくかったが、女は家を詐欺師らに放火された――詐欺師ら、つまり少なくとも二人以上は犯行に関わっていたはずだ。

 彼らの放った炎(おそらくただの炎ではなく、炎魔法なのだろう)は極めて奇跡的な確率で同じ威力を持ってぶつかり合い、女を襲ったとする。

 炎は炎としての威力を失い、魔力のエネルギーだけが女を包み込んだまま、そして女は己の身を焼いた。そこで例の論文の理論、炎魔法による生命活動の活性化によって女はフリッツリートに匹敵するほどの力を得た――これが私の見解だった。

 まさか実際にリートの力が宿るなどとは微塵も思ってはいない。だが生命の活性化……これによってもしかしたら、シャノンの負った傷害は治るかも知れないのだ。

「だが私達二人だけではひとつ足りない。研究室の地下にある火炎放射器を使うか……」

 その考えを聞いたシャノンは考える素振りを見せ、そしてこう告げた。

「それなら私に心当たりがある」

「まさかこんな危険かつ違法な実験に第三者を引き入れる訳じゃないだろう。……ライツ君か?」

「ううん、彼女をこんなことに巻き込む訳にはいかない。でもある意味、ミレイアの力を借りると言えるかもしれないね」

 その言葉の意味を理解するのはもう少し先の話だった。

 シャノンは部屋の時計を見る。時刻は間もなく正午を迎えようとしていた。

「行こう姉さん、チャンスは今しかない。今ならきっと成し得られるはずだから」


 シャノンは車椅子を自力で転がし、私はその後方数メートル離れて後をつけた。あくまでも学園内で私とシャノンは他人同士であり、私が車椅子を押している姿は誰にも見られたくないらしい。

 彼女が連れてきたのは演劇校友会の建物だった。学園の端のほうに位置しているため、周囲で学園祭の準備に勤しむ学生の数もまばらだ。

「校友会の人達は正午になればみんな揃って昼食を取りに外へ出る。それに今は本番の広場のほうでセッティングしてるだろうから、昼休みの間はこの場所には誰も来ないはずなの」

 シャノンの車椅子を押して入り口に寄せる。ドアノブを回すと鍵はかかっておらず、簡単に入ることができた。

「目的は二階の倉庫。リハーサルは数日後だから多分まだ運び出されてないと思う」

「この建物は確か舞台袖にエレベーターがあったよな」

「ええ、でも……」

 シャノンはやや困ったような、罪の意識が垣間見える表情を見せていた。

「今から私達は悪いことをするの。もし誰かが来てもすぐ立ち去れるように車椅子は一階に置いて行きましょう」

「……ああ、分かった」

 上手側の舞台袖まで車椅子を押すと、そこには螺旋階段が備わっていた。車椅子を残したままシャノンを両腕で抱き抱え、一歩ずつ階段を昇っていく。私一人でも持ち上げられるほどに細く、小さな身体だった。

 二階にはスライド扉がひとつあったので、そっと開けて覗いてみる。倉庫内にはやはり誰もいなかった。幾つかのメタルラックが並んでおり、数えきれないほどの木箱や筒状に巻かれた布、ハンガーに掛けられた衣装もあれば照明器具まで煩雑に置かれていた。

 ここはすなわち、シャノンが生涯消えない怪我を負ったまさにその場所なのだ。

 辺りを見回すと、壁に大きな円盤状の装置が立て掛けられていることに気付いた。

「あったわ。多分これよ」

 シャノンを床に下ろし、その装置に触れる。

魔巧まこうか。それもかなり大規模なものだ」

「工学部に自作装置の発明好きな先輩がいるんだけど、その人に炎魔法の魔石を提供したってミレイアが言っていたんだ。リートの舞台をやることは決まっていたからすぐにピンときた。あの先輩ならきっと派手な舞台装置を作り上げるんじゃないかって」

 装置を床に転がして調べると開閉可能な箇所を見つけた。開けてみれば中には拳くらいの大きさの真っ赤な石がひとつセットされていた。

「見ただけで分かる、相当に洗練された魔法の込められた魔石だ。これがライツ君の炎魔法……」

「姉さんの炎魔法とミレイアの炎魔法。それを外部の炎二種として使えばきっとうまくいくはず。……二人とも私の大切な人だからさ」

 そんな言葉を口にしてもなおシャノンの心はどこか遠くにあるようだ。私の胸に響かない。彼女の顔を見ることができないまま、壁面のコンセントにプラグを差し込んで起動スイッチを押した。

 装置は音を立てて作動を始め、上部に小さな火球が現れたかと思うとそれはみるみるうちに大きくなっていく。火球はあっという間に三メートル程にまで膨れ上がっていた。

「おいおい、冗談だろう――だが、上等じゃないか!」

 すさまじい熱量を全身に感じる。装置を見ても威力を調節できるダイヤルのようなものは存在しない。幸いどうやら安全装置が働いておりこれ以上は大きくならないらしい。

 これと均衡を保つにはつまりこれと同じ大きさの炎魔法を私がおっ被せるしかないということだ。

 いくつかある倉庫の窓には真っ黒な遮光カーテンがかけられているうえに外はまだ明るい。炎の輝きが外の人間に気付かれることはないだろうが、こんなところを誰かに見られたくはなかった。

「姉さん、じゃあすぐにでも始めよう」

「……ああ」

 シャノンは近くのメタルラックによじ登ろうとする。腕の力だけではそれが敵わず、下から押し上げてやった。

 妹の目と鼻の先には火球――いや太陽がそこにあった。

「シャノン、本当にやるんだな? ……今ならまだ引き返せるんだぞ」

 シャノンは黙って頷く。

 私は深くため息をつき、両腕に意識を集中させた。魔力をじっくりと高めていき、やがて大きな炎を両掌に顕現させ、それを火球に向けて撃ち放った。

 私の炎を受けた火球は大きく揺らぎ、音を立てて小さな爆発を起こす。

 額から噴き出す汗を拭く余裕もないまま出力を強めていき、それに従って火球の乱れは徐々に小さくなっていく。

 少しでも気を抜けば失神してしまいそうなほどのエネルギーだ。

「今だ、シャノン!」

 火球と私の炎が均衡を保ったその瞬間、合図と同時にシャノンはメタルラックから飛び出し、転がり落ちるように火球の中へと飛び込んでいった。

 当然、その手には三種目の炎――彼女自身の炎魔法を携えて。

 火球の中に落ちたシャノンはこちらからは影絵のようにシルエットしか見えない。

「あ……ああっ……!」

 うまく、いったのか?

 両腕からとめどなく流れ続ける炎の熱にあてられ、汗が噴き出し眩暈を覚える。

 何秒が経っただろうか。

「熱い……! 姉さ……助け――」

「シャノン!? シャノン!」

 明らかに様子がおかしい。火球の中の影はもがき苦しみ、宙を掻くような動きを見せていた。

 だが今ここで私の炎を止めたら均衡が崩れてしまう。装置の電源を切ったところで炎が収束するには時間がかかるだろう。

「クソッ、どうすれば――」

 ――どうもこうもあるものか! あの中で焼かれているのは私の大切な妹なんだ。

 私は己の身を厭わず燃え盛る巨大な火球へと飛び込んでいた。


 気が付くと私は床に倒れ伏していた。一体どのくらい寝ていただろうか?

 頭がふわふわする。記憶がところどころ曖昧だ。私は炎に飛び込まなかったのか?

 いや間違いなく私は炎に飛び込んだはずだ。服がところどころ焦げているのがその証左だ。

 しかし、自分の身体を見回すが火傷はどこにもない。後方ではなおも轟々と火球は唸りを上げている。

 ああ、そうだシャノンは? 私の妹はどこだ?

 隣に横たわっている真っ黒なこれは、なんだ?

 それ・・のすぐ傍には、銀色に輝く鳥のネックレスが転がっていた。

「――シャノン!」

 強烈に殴られたように脳がはっきりとした。私は大急ぎでそれを抱きかかえ、左腕を枕にして仰向けで横たえてやる。僅かだが息はまだあった。

「ねえさ……」

「いい、喋るな! 今助けを呼ぶ!」

 シャノンは全身のほとんど余すところなく酷い火傷を負っていた。今から助けを呼んだって助かるはずがないことは一目で分かった。

 身体を伝わって彼女の生命がその手に感じられる。ああ、見える――彼女の胸の内にある生命の炎が。小さくなっていく。消えていく。

 だが。

 一刻を争う状況だというのに、私は妙に冷静だった。

 時間が止まっているようにさえ感じられる冷徹な流れの中で思考を巡らせる。

 何故、私は炎に飛び込んでなお火傷を負っていない?

 何故、妹の生命があと僅かであると、それを炎の形で視認できている?

 何故、何故、なぜ――。

 シャノン・ブーケの炎。ミレイア・ライツの炎。そして私自身の放った炎。

 三種の炎を従えてリートの試練を乗り越えたのは――。

「まさか妹ではなく私を選んだというのか、フリッツリート――!」

 その瞬間、頭へ上った血と怒りに任せて右腕を振り払う。

 無意識のうちに私の腕からは怒りの炎が噴出していた。その炎は倉庫の壁一面まで焦がさんとする程の火力だった。驚きのあまり目を見開く。

いつも煙草をつける時のように人差し指を立てて力を込めてみる。炎は瞬時に天井を焼くほどの火柱となった。扱い慣れた人差し指に小さく灯そうとしただけなのに、それは圧倒的な爆発力を見せたのだ。

 これがフリッツリートの炎。胸が、腕が、全身が熱い。

 間違いなく今、かの力が私の身体に宿ったのだ。

「ああ、リート……さま……」

 ふと気が付き腕の中で小さく声を上げたそちらに視線を向ける。焦点すら定まっていない目で妹は私の顔を見つめていた。

 彼女の視線は私を見ていない。まるで私の中にある別の『誰か』を見ているような――。

 ああ、シャノン、シャノン。シャノン――。

 その刹那、私の脳裏にシャノンの語ったある物語が過っていた。

 熾鳥。フリッツリートが従えし最初の眷属。灰の山から蘇ったとされる天の使い。

 このまま尽きればシャノンはただの焼死だ。だが、リートの炎によってその生命が尽きたとしたらどうなる?

 伝説のように灰の山から、蘇る可能性が生まれるのではないだろうか?

 彼女に残された時間は残り僅かだ。だがもし私の考えが間違っていたとしたら?

 悩んでいる暇はもうない。今はこの降って沸いてきた一縷の可能性に賭けるしかないのだ。

 黒焦げた頬に触れ、そして手の先に魔力を込める。

「すまない、すまないシャノン……」

 瞬時にシャノンの全身は炎に包まれた。安らかな表情のまま、数秒も経たないうちに眠るように私の妹はその生命を絶やした。

 止めようもなくシャノンの身体はみるみるうちに変質していく。

 さっきまで私の腕の中にあった、あの美しい顔も、艶やかな髪も、華奢な身体も――もはや影も形も残っていない。

 あまりにも恐ろしい光景に血の気が引いていく。だがこの恐ろしい光景を作り出したのは他でもない私自身なのだ。

 これが、フリッツリートの力。

 これが、神の力。

 彼女の胸元に見えていたはずの、生命の炎ももう何処にもない。

 もはや肌か服かも区別がつかないほどの灰となった妹をゆっくりと床に横たえる。

 私の頬を水滴が伝ったが、それが汗なのか涙なのかはもはや分からなかった。

「おい、私はやったぞフリッツリート! 私はどうすればいい!?」

 ここにいない第三者へ呼びかけるように声を張り上げた。当たり前だが返ってくるのは静寂だけだった。

 伝説では燃えるはずのない灰が再び炎に包まれ、そこから鳥が蘇ったはずだ。

 痛む心に封をして再びこの手に炎を宿し、灰に添えてゆっくりと燃え上がらせる。

 だが、どれだけ魔力を注ごうが灰は灰のままであった。

「ふざけるな、私は妹をこの手で殺めたんだ。できませんでしたじゃ済まされないんだぞ!」

 方法が違うのか。力が足りないのか。あるいは伝説はただの伝説だったか――。

 嫌な考えは頭から捨てろ。私は何をしようとシャノンを蘇生させなければならないんだ。

 時計を見る。十二時五十四分――間もなく昼休みが終わる頃だ。そうすればここには校友会の学生が戻ってきてしまう。この現場を目撃されたら私はただの殺人犯――逮捕される訳にはいかない。そうすればシャノンを蘇生させる機会は永遠に失われてしまう。

 時間だ。今はこのリートの力を研究する時間が必要なのだ。

 だがシャノンを運び出すことはできない。灰は崩れてしまうし、誰かに目撃される可能性のほうが大きい。一体どうしたものか……募る苛立ちをよそに背後ではなおも、私の思考を妨害するかのように人工太陽が音を立てて燃え続けていた。

「ええい、喧しい!」

 思わず電源スイッチを叩こうと手を伸ばし、すんでのところでぴたりと止める。

 装置の蓋を開き、赤々と煌めく魔石の横に備え付けられた基盤を引っ張り出す。そこには心臓から伸びる血管のように無数の配線が接続されていた。

「これを開発した奴、なかなかに腕がいい。制御装置と安全装置は完璧に作動していた。だが今は必要ないがな」

 力を込めて基盤をへし折り、配線を引きちぎる。制御装置を失った装置は更に大きな音を立て、三メートルを優に超えるサイズの火球へと成長を始めた。

 灰を隠すなら灰の中。この倉庫を丸ごと火事にしてしまえばいい。シャノンごと燃やし尽くす。シャノンはあくまでも火災事故で死んだことにするのだ。

 遺体は一時的に警察へ引き渡されるだろうが、そうすれば巡りめぐって最終的に遺族である私の元に返ってくる。

「これだけの規模の魔法火災となれば魔導監査まどうかんさが出しゃばってくるだろうが……」

 大きくかぶりを振って懸念を頭から振り払う。残された道はこれしかないのだ。

「本当にすまない、シャノン。今しばらくのお別れだ。必ず君を――救い出してみせるからな」

 膨らんでいく炎にシャノンの遺灰が飲み込まれるのをしっかりとこの目で見届けてから、螺旋階段を降りて行く。階段を降り切ったところで車椅子が目に留まった。これをどうするべきか――。

 持ち帰るのは絶対に駄目だ。ここに置いておくのもまずい。あくまで彼女は一人でここを訪れ、二階へと上がった風に装うべきだ。

 車椅子を持ち上げる。もはや乗るべき人がいなくなったそれは拍子抜けするほどに軽かった。元来た階段を駆け上がり、そこから倉庫入口のスライド扉のある所へと転がした。

 巨大な火球に飲み込まれていく倉庫を背に、そして最愛の妹への約束を胸に、後ろ髪を引かれる思いで私は走り去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る