第3話 15年後



 2040年の夏。

 蝉の鳴き声が耳に張り付き、陽炎がゆらゆらと遠くの道路を揺らしていた。

 義光の部屋は、エアコンの効いた静かな空間だったが、そのテレビは今まさに熱気を帯びたニュースを伝えている。


「こちらは、南太平洋の無人海域です」


 画面には、深海探査ロボットが暗い海底を進む映像。

 ロボットの先端が光を放ち、黒い鉱石を慎重に掘削する様子が映し出される。


「AIが制御する自律型ロボットが、今まで人類が到達できなかった深海で鉱物資源を発見。レアアースの採取量は昨年比で3倍に増加しました」


「ほらな、見ろよ初音」

 義光が新聞をテーブルに置き、満足げに笑う。

「ついに資源問題も解決の目処が立ったんだ。これで争いの火種も減る」


「……減るかしら?」

 初音は氷の溶けた麦茶をかき混ぜ、目を細めた。

「採れるようになったら、また別の理由で取り合いが始まるんじゃない?」


「いやいや、AIが公平に管理するんだって。ほら、記事にも書いてある」

 義光は新聞の見出しを指さした。

〈AIが国際資源配分ルールを自動設計、各国の合意形成も加速〉


「その“公平”を信じるか信じないかよね」


 テレビは次の話題へ切り替わった。


 〈自己増殖型ロボット工場、国内初稼働〉というテロップ。


 映像には、巨大な工場内部で、複数のロボットが金属フレームを組み立て、そこから新たなロボットが誕生する様子が映っている。


「AIが設計した自己増殖型ロボットは、建設業やインフラ管理でも導入が進んでいます。橋梁の補修やビルの建設まで、無人化が実現しました」


「すごいだろ?」義光は興奮気味だ。

「これで危険な現場から人を解放できる。労働災害も激減するし、インフラ維持のコストも下がる」


「危険から解放されるのはいいことよ。でも、その後どうするの? 仕事を奪われた人たちは」


「新しい仕事を探せばいい。AIやロボットが苦手な分野もある」


「……それ、10年前から同じこと言ってない?」初音はスマホを取り出し、ニュースアプリを見せた。

「ここ、『自己増殖型ロボットの影響で、地方の建設労働者の失業率が過去最高』って書いてあるわ」


「それは一時的なもんだ。技術が広まれば、ロボットの管理やメンテ、制御プログラム作成とか新しい需要が――」


「誰でもできる仕事じゃないでしょ、それ。高齢者や非技術者はどうするの?」


 義光は少し口をつぐんだ。

 窓の外で、風鈴がチリンと鳴る。


 テレビでは次の映像。

 広大な砂漠に、規則正しく並ぶ無数の太陽光パネルが、太陽の動きに合わせて角度を変えている。

「AIが最適地点を選定し、自動でエネルギー供給網を構築。これにより、国内の再生可能エネルギー比率は80%を超えました」


「いいニュースじゃないか」義光が再び笑顔になる。

「化石燃料の時代は終わりだ。環境負荷も減るし、子どもたちの未来も明るい」


「でも、そのパネルを作るために、また資源を掘り尽くしてるのよ」初音は腕を組んだ。

「深海も極地も、ただの“新しい鉱山”にしてるだけ。結局、環境を壊す方向に進んでない?」


「いや、AIは環境影響も計算してるって。パネルの配置だって生態系に配慮してるらしい」


「“らしい”じゃ、信用できないわ」


 二人の間に、冷房の風がすっと流れる。

 義光は少しうつむき、手元の新聞を畳んだ。


「……初音、お前は何でそんなにAIを疑うんだ?」


「だって、私たちはもう知ってるでしょ。ハピ男のときに」


 静かな間が落ちる。

 2040年の陽射しが、カーテン越しに部屋の床を照らした。

 テレビの音だけが続き、二人はそれを黙って聞いていた。


 やがて初音が小さく息をつき、笑った。

「ま、争ってもしょうがないわね。私は疑い続ける。あんたは信じ続ける。それでバランス取れてるのかも」


「……かもな」義光も口元を緩める。


 画面には〈AIによる宇宙資源開発計画始動〉の文字が踊っていた。

 二人の間に、また新しい火種が落ちる予感がした。


 〈AIによる宇宙資源開発計画始動〉――

 その文字が、テレビ画面いっぱいに踊っていた。


「ご覧ください」

 ニュースキャスターの声とともに、宇宙空間を進む巨大な探査船の映像が流れる。

「この船は、AIが設計し、自律航行する最新型の資源探査船です。月や小惑星から金属資源を採取し、地球へ輸送する計画が始まりました」


「来たな……」義光がニヤリとする。

「宇宙鉱山時代だぞ、初音。これで資源の奪い合いから完全に解放される」


「“完全に”って、またそういう言い方」初音は冷たい麦茶を一口飲み、眉をひそめた。

「宇宙でも奪い合いは起きるわよ。今度は国じゃなくて、企業やAI同士が」


「いやいや、国際AI資源協定ができてるって。ここに記事がある」

 義光はタブレットを差し出す。

 〈宇宙資源はAIによる需要予測に基づき、公平分配〉と見出しが踊っている。


「“公平”って言葉、ほんと好きよね、あんた」


 画面は、月面に降り立つ複数の小型ロボットを映していた。

 銀色のスコップのようなアームが、月面の砂を少しずつ掘り、真空パックのような容器に詰め込んでいく。


「月面から採取されたヘリウム3は、核融合発電の燃料として期待されています。地球でのエネルギー自給率向上に貢献する見込みです」


「ほら、核融合だぞ。夢のクリーンエネルギーじゃないか」


「夢ねぇ……」初音は窓の外を見た。

「それを掘り尽くしたら、次はどこを狙うの? 火星? 小惑星? それとも……」


「いや、AIはそんな無計画じゃないって。持続可能な採取ペースをちゃんと計算してる」


「持続可能って、誰にとっての?」


 テレビは、別の角度から探査船を映す。

 金属光沢の外殻に、巨大なソーラーパネルが羽のように広がっている。

「この探査船は、船体の修理やパーツ交換を自己完結的に行います。補給なしで最長20年稼働可能です」


「自己完結型……つまり、もう人間は宇宙開発にいらないってことね」


「いや、計画や目標は人間が決める」


「本当に? だんだんAIが勝手に判断する領域、増えてない?」


 義光は少し黙った。

 その間に、ニュースは地上の発表会場の映像へ切り替わる。

 壇上でスーツ姿の科学者が説明している。

「AIは地球外での資源採取を通じて、地球環境への負荷を減らすことを最優先に設計されています」


「最優先、ね」初音は皮肉な笑みを浮かべた。

「優先順位を変えるのも、結局はAIよ」


「変えるときは、人間が承認する」


「それ、ハピ男のときも同じこと言ってなかった?」


 義光は口を開きかけ、そして閉じた。

 部屋の中に、冷房の風とテレビの音だけが流れる。


 ネットニュースの速報が初音のスマホに届く。

 〈小惑星採掘機が予測より多くの金属を回収、AIの判断に疑問の声〉


「ほら、もう出てる」初音は画面を義光に見せた。

「“持続可能”って、やっぱりAIの都合じゃない」


「いや、これはたぶんテストの段階で――」


「たぶん、ね」


 二人の視線がぶつかり、やや険しい沈黙が落ちた。

 蝉の鳴き声が、遠くから響いてくる。


 やがて義光が、小さく笑った。

「でもさ、もしAIが宇宙から資源を持ってこれるなら、戦争の理由は一つ減るんじゃないか?」


「戦争の理由なんて、探せばいくらでも出てくるわよ」


「……悲観的だな、お前は」


「現実的って言ってほしいわ」


 テレビは、探査船が地球に戻るシミュレーション映像を流していた。

 大気圏突入時の炎が、まるで流星のように尾を引く。


「でも……」初音がぽつりと言う。

「もし本当に環境を守りながらやれるなら、少しは信じてもいいかもしれない」


「お、譲歩したな」義光がニヤリと笑う。

「じゃあ、宇宙資源開発の乾杯でもするか?」


「麦茶でね」


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