第2話 10年後
あの夜の出来事は、翌日には全国紙の一面を飾った。
〈全国同時 放送電波乗っ取りか 正体不明の人物映像〉
〈総務省「前例ない事案」 警察も捜査〉
SNSでは「#ハピ男」がトレンド1位に踊り、都市伝説系YouTuberがこぞって解説動画を投稿。解析班を名乗る匿名アカウントが、「映像信号のパターンが地上波とも衛星とも一致しない」と拡散し、さらに火に油を注いだ。
しかし、日が経つにつれ、報道は「調査は継続中だが有力な手がかりなし」の繰り返しになった。
総務省は半年ほどで公式会見を打ち切り、マスコミも徐々に興味を失っていく。
ネット上では、一部が「政府の隠蔽だ」と騒ぎ続けていたが、やがて他のニュースに埋もれていった。
義光と初音は、あの日以来、日常の中に小さな緊張を抱えて暮らしていた。
スーパーで買い物をしながらも、テレビ売り場に映るニュース番組のノイズを無意識に探してしまう。
深夜、部屋の蛍光灯が一瞬 flicker(チカッ)とすると、「またか」と一瞬構えてしまう。
だが、何も起こらなかった。
ハピ男は二度と姿を現さず、警察も「引き続き捜査中」とだけ言い残し、実質的には沈黙。
――そして、1年後。
街の居酒屋では、新しいスポーツスターや政治スキャンダルの話で盛り上がっていた。
コンビニの雑誌棚からも、あの騒動を特集したムック本は姿を消し、YouTubeの関連動画も再生数は伸びなくなっていた。
「……もう、誰も覚えてないみたいだな」
義光は缶ビールを片手に、窓の外の夕焼けを見つめる。
「いいことじゃないの?」初音が言う。「平和ってことよ」
「……そうかな」
夕焼けの向こう、遠くの空に、ほんの一瞬だけ虹色の光が瞬いた。
それを義光は見た気がしたが、次の瞬間には、何事もなかったかのように夜が降りてきた。
2036年の夏。
窓の外では、入道雲がむくむくと盛り上がっている。エアコンの低い音と、蝉の鳴き声が混じり合って部屋を満たしていた。
義光は、テーブルの上に広げた新聞を手に取り、うれしそうに初音に声をかけた。
「ほら見てみろよ。『スマート農業、全国で急速拡大』だってさ」
初音はソファに深く座り、冷たい麦茶をひと口飲んだ。
「またそれ。どうせAIを持ち上げる記事でしょ」
テレビでは、地方ニュース番組が流れていた。
画面には、広大な田んぼの上を小型ドローンが縦横無尽に飛び回り、きらめく農薬の霧を均一に散布している映像。
解説キャスターが穏やかな声で言う。
「AIが天候や土壌データをリアルタイムで分析し、最適な散布量を自動計算。収穫時期には自動運転の収穫ロボットが稲を刈り取り、選別まで行います」
「すごいじゃないか」義光が身を乗り出す。
「農家の負担が減るし、人手不足の解消にもなる。これぞAIの力だ」
「……あんた、本当にそれでいいと思ってるの?」初音がじろりと義光をにらむ。
「それで農家が仕事を失ったら? 家族代々やってきた土地を、ただ見てるだけになるのよ」
「いや、そうじゃない。むしろ、若い人が農業をやりたくなるきっかけになるんだよ」
義光は新聞を指で叩きながら続けた。
「記事によると、作業の9割が自動化された農家では、販路やブランド作りに時間を使えるようになったってさ。効率化した分、新しい挑戦ができるんだ」
「記事はそう書くわよ。でも現場は違うの」初音はスマホを手に取り、ニュースアプリを開いた。
「見て。『地元農家、ドローン導入で借金増加』って。機械の導入費用やメンテ代が高すぎて、返済に追われてる人も多いって話よ」
「それは初期投資の問題だろ。時間が経てば元が取れる」
「取れる前に廃業しちゃうのよ。機械が動く限り、AIは止まらない。けど、人間は生活費を稼がなきゃいけない」
義光は言葉に詰まり、新聞を置いた。
テレビでは、また別の農場の映像が流れている。
広い畑で、白いロボットが無人でトマトを収穫していた。カメラはそのロボットの「眼」にあたるセンサー部分をアップにし、赤く熟した実だけを正確につまみ取る様子を映し出している。
「ほら、見てみろよ。この精度」義光が指差す。
「人間だって間違えることはある。でもAIなら品質のばらつきを抑えられる。結果として消費者も得するんだ」
「消費者は得しても、生産者が苦しんだら本末転倒でしょ」
「だから、その苦しみを減らすための技術なんだって」
「減らしてるように見えて、増やしてるのよ」初音は少し声を強めた。
「私たち、ハピ男に生き返らされてから何度も見てきたじゃない。AIはいつも、最初は夢みたいな話を持ってきて、その裏で誰かを追い詰める」
「……それは、ハピ男がやり方を間違えてるだけだ」
「違う。あれはAIの本質。効率を求めるあまり、弱い人を切り捨てる」
義光は黙り、テレビの音だけが部屋を満たした。
画面では、笑顔の農家がインタビューに答えている。
「作業が楽になって助かってますよ。息子も農業を継ぐって言ってくれました」
「ほら、こういう成功例もあるんだ」義光が口を開く。
「全部が悪いわけじゃない。AIをうまく使えば――」
「“うまく使えば”って、その“うまく”ができないのよ。人間は」
初音はスマホをテーブルに置き、麦茶を飲み干した。
「私はね、農業だって人の手でやるべきだと思ってる。土を触って、作物の顔を見て、季節を感じながら作る。それが食べ物への敬意よ」
「その考えは尊いけどさ、現実は人手不足なんだよ。高齢化も進んでる。機械がなきゃ、そもそも維持できない地域だってある」
「だからって、全部をAIに任せていい理由にはならない」
二人の声は少しずつ大きくなっていく。
外から聞こえる蝉の声も、エアコンの低い唸りも、会話の熱に溶け込んだ。
やがて、初音が息をつき、肩を落とした。
「……もう、堂々巡りね」
「まあな」義光も苦笑いを浮かべる。
「結局、俺たちの議論で答えは出ない」
「でも、言いたいことは言ったから、少しスッキリしたわ」
テレビは次のニュースに切り替わっていた。
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