槙島城、落つ / 明智光秀の視点

 また始まったか。


 上様うえさま――いや、もはやそうお呼びするのも相応ふさわしくないのかもしれないな。将軍・足利義昭あしかがよしあき公が、槙島城まきしまじょうに籠もって兵を挙げられたという報せが駆け巡ったのは、京が本格的な夏の蒸し暑さに包まれ始めた、天正元年てんしょうがんねんの七月のことだ。


 俺こと明智十兵衛光秀あけちじゅうべえみつひでは、織田信長おだのぶなが様――あの規格外の御方おかたのおそばにあって、この騒動をどこか冷めた頭で眺めていた。少し前にも同じようないさかいがあって一度は和睦したはずだろうに。あっさり反故ほごにしてまたいくさを仕掛けるとは。公方様くぼうさま(と、あえて呼ばせていただく)の、その将軍家としての矜持きょうじの高さには敬意を表するが、少々、現実というものが見えてらっしゃらないのではないか。そんな風に思ってしまうのは、俺だけではあるまい。


 案の定、というべきか。信長のぶなが様の動きは、雷光のように速かった。


十兵衛じゅうべえ、すぐに支度をせい」


 その一言で、すべてが決まる。あの御方おかたの周りでは、常に時間が恐ろしい速度で流れていく。逡巡しゅんじゅんやためらいといった言葉は辞書に存在しないようだ。


 信長のぶなが様ご自身も三日には京都から宇治へ向かわれ、六日には京の妙覚寺みょうかくじに入られた。戦支度いくさじたくというよりは、もはや後始末のための行軍だ。勝敗は、始まる前から決している。公方様くぼうさまがお籠りになった槙島城まきしまじょうが、宇治川うじがわに守られた堅城であることは俺も知っている。だが、信長のぶなが様が動員する兵の数を考えれば、それは砂で作った城のようなものだ。


「まずは二条御所にじょうごしょからか」


 俺は妙覚寺みょうかくじの庭を眺めながら、ひとりごちた。あそこには、公方様くぼうさまの忠臣である三淵藤英みつぶちふじひで殿どのが詰めている。藤英ふじひで殿どのとは面識もある。なかなかの人物だが、いかにも古風な、律儀な武士もののふだ。信長のぶなが様の手勢に対抗できるとは思えない。


 予感は的中した。包囲されていた二条御所にじょうごしょは七月十二日にあえなく降伏。即座に明け渡され、見るも無惨に破壊されたと聞いた。


藤英ふじひで殿どのは許されたそうだ」


 そんな噂が流れてきたが、俺はどうにも信じきれなかった。あの御所ごしょは、信長のぶなが様が公方様くぼうさまのために建てて差し上げたものだ。それをたてにされたのだから、腹の虫がおさまらないに違いない。あの御方おかたがそうやすやすと許すだろうか。今はただ、彼の行くすえを案じるしかなかった。


 さて、いよいよ槙島城まきしまじょうだ。


十兵衛じゅうべえ、おぬし手勢てぜいを率いて攻囲に加われ」


 信長のぶなが様から、直接、命が下った。

 よりによって、この俺に。


 かつて俺は、公方様くぼうさまにお仕えしていた。信長のぶなが様に公方様くぼうさまをお引き合わせしたのも、この俺だ。いわば、二人の仲人役なこうどやくのようなものだった。その俺に、旧主を攻めろ、と。


 あの御方おかたは、時折こういう悪趣味なことをなさる。俺の忠誠を試されているのか。あるいは単に、元家臣であれば内情に詳しいだろうという、極めて合理的な判断か。恐らくは後者なのだろうが、どうにも気分が良いものではない。俺の胸の内を見透みすかすような、あの鋭い目が脳裏にちらつく。


 七月十六日、俺は自らの兵を率いて、宇治川うじがわの流れが城を洗う槙島へと向かった。城はすでに、織田の大軍によって蟻の這い出る隙間もないほどに包囲されている。旗、また旗。赤、黒、黄、様々な指物さしものや家紋が、夏の陽光を浴びてきらめいていた。この物量、この熱気。城の中からこれをみれば、いかな猛者もさであろうと戦意を喪失するだろう。


「あれが、槙島殿の城か…」


 宇治川うじがわよどんだ水面みなもに浮かぶように建つ城は、一見確かに攻めにくそうではあった。だが、攻めにくそう、なだけだ。俺たち攻め手は、川をものともせずに橋を架け、いかだを組み、あっという間に対岸へ渡ってしまった。


 十八日、総攻撃が開始された。ときの声が地を揺るがし、鉄砲の轟音が宇治の空に響き渡る。もはや、いくさというよりは一方的な蹂躙じゅうりんに近かった。


 あれほどの堅城とうたわれた槙島城まきしまじょうは、あたりを焼き払い迫ると、その日のうちに静かに降伏した。公方様くぼうさまが、城を出られたのだ。


 あっけない、としか言いようがなかった。室町幕府むろまちばくふ二百数十年。その歴史が、こんなにも静かに、まるで川の水が海に流れ着くように、終わりを告げるのか。俺はその歴史的な瞬間に立ち会っていながら、感じたのは妙な空虚さだけだった。「だから、言わんこっちゃない」という、冷めた感想しか浮かんでこなかったのだ。


 その後、公方様くぼうさま河内かわち若江城わかえじょうへ移られたと聞いた。大坂本願寺おおざかほんがんじ顕如けんにょ殿どのが間を取り持ったらしい。命まではお取りにならなかったのだ。


 周囲の者たちは、信長のぶなが様の寛大さに感心しているようだったが、俺は別のことを考えていた。


 過去に将軍をあやめた者は、ろくな死に方をしていない。源実朝みなもとのさねとも公を討った公暁くぎょうも、足利義教あしかがよしのり公を手がけた赤松満祐あかまつみつすけも、非業の死を遂げた。あの合理主義者の信長のぶなが様が、そうした「たたり」や「天命」を本気で恐れたのだろうか。


 いや、違うな。

 信長のぶなが様は、まだ「将軍」という存在に価値を見出してらっしゃるのだ。完全に無価値なものなら、ためらいなく切り捨てるだろう。だが、まだ使いでがある。だから生かしておき、いざという時に担ぎ出す算段だろう。あの御方おかたの思考は、常に二手にて三手先さんてさきを読んでいる。底が知れないとは、まさにこのことだ。


 それにしても、公方様くぼうさまだ。

 若江に落ち延びてもなお、幕府再興の執念しゅうねんは衰えていないと聞く。各地の大名に書状を送り、「信長のぶながを討て」と檄を飛ばしているらしい。上杉謙信うえすぎけんしん公、毛利輝元もうりてるもと殿どの、そして大坂本願寺おおざかほんがんじ


 その粘り強さ、あるいは現実を見ていないとも言えるその執念には、ある種の畏怖すら覚える。将軍とは、そういう生き物なのかもしれない。一度その座に就いた者は、死ぬまで将軍であり続けようとするのだろう。朝廷から正式に解任されたわけではない、という理屈を支えにして。


 だが、すでに時代は変わった。

 公方様くぼうさまの執念とは裏腹うらはらに、俺の耳に届くのは無慈悲な報告ばかりだ。


 八月に入り、長年 公方様くぼうさまが頼みにしてこられた越前えちぜん朝倉義景あさくらよしかげ殿どのが、信長のぶなが様の前に滅んだ。返す刀で、近江おうみ浅井長政あざいながまさ殿どのついえた。浅井殿の居城・小谷城おだにじょうが落ちたのは、つい先日のことだ。あまりにも早い。すべてがあっという間に、あの御方おかたの手中に収まっていく。


 俺は、新たに拝領した坂本の城から、静かな琵琶湖の水面を眺める。


 かつて仕えた公方様くぼうさまは、天下を追われ再起を夢見る。

 そしていま仕える信長のぶなが様が、新たな天下人として畿内を掌握しようとしている。


 俺はその間で、ただ与えられた役目をこなすだけだ。これから一体どこまで、この規格外の御方おかたに付き合わされることになるのやら。


 退屈しないのは確かだが、心穏こころおだやかな日々は、当分望めそうにない。そんな予感が、夏の終わりの涼しい風と共に、俺の肌を撫でていった。

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