第24話 経済の支配

穏やかな春の陽光が、黄家の庭を優しく照らす昼下がり。

私は孔明と一緒に、客間で商人ネットワークの代表である李進との会合に臨んでいた。その前に、街の情景が脳裏に蘇る。

呉の港町、建業。長江を下る荷船が、関所の検査を待って列をなしていた。潮の香り、魚の生臭さ、香辛料の匂いが混ざり合い、活気に満ちている。荷船の上では、女たちが手にした化粧水の瓶を光に透かし、その輝きにうっとりと見惚れている。幼い子供が、母親の足元で瓶を覗き込み、キラキラと目を輝かせていた。魏の市場では、馬に積まれた衣類を雪道で運ぶキャラバンが到着し、馬の白い吐息が空に消えていく。荷車が軋む音が、静かな雪道に響いていた。沿道の人々は、その衣類を触った奥方たちが、その驚くほどの柔らかさに頬を当て、満面の笑みを浮かべている姿を、羨望の眼差しで見つめていた。

卓の上には、香りを立てる茶器が二つ。その穏やかな香りと、李進の興奮した声が、静かな部屋に響く。

「お嬢様、孔明様…とんでもないことになっております!」

李進は、そう言って、深々と頭を下げた。

「呉では、奥方様たちが化粧水を求め、魏では、将軍の妻たちが、月英殿が作った衣類を求めております。もはや、この蜀の製品なくしては、彼らの生活は成り立たぬほどにございます。

呉の港町では、女たちが化粧水を求めて長蛇の列をなしております。商人たちも、この化粧水を何とか手に入れようと躍起になっておりまして、呉では銀貨三枚だったものが、今や十枚にまで跳ね上がっております。

孔明様、聞けば、呉では、粗悪な模倣品が出回ったそうでございます。奥方様が、肌荒れを起こし、商人の店に怒鳴り込んで小競り合いを起こしたとか。役人も動いて、市場は大混乱でございます」

「なるほど…」

孔明は、静かに頷いた。

「魏では、取引のために家財道具を売り払い、馬まで手放す者がいるほどです。魏の商人は、蜀製の衣を装飾し、“宮廷仕様”と称して高値で売りさばくなど、転売競争も激化しております」

李進の報告に、私は思わず内心でガッツポーズをした。

(やった! 美と温の力、大成功じゃない! 呉と魏の経済を、私の知恵が動かしてる…!これは、孔明の言う通り、武力よりも国を動かす力だわ!)


その時、庭の奥から、力強い足音が聞こえてきた。

関羽と張飛だ。二人は、私の目の前に立つと、神妙な顔で、しかしどこか感慨深げに、互いを見つめ合った。

「…月英殿。まさか、美や温かさというものが、これほどの力を wield とはな…」

関羽が、静かにそう呟いた。

「武よりも経済…俺たちの知らぬ戦場だな。だが姉御、これは槍より怖いぞ。武器を持たぬまま、相手をひれ伏せさせるのだからな」

「兄者の言う通りだ。戦場での補給の重要性は、誰よりも俺たちが知っている。昔、戦場で補給線が断たれて、あと一歩で勝利というところで、敗北しかけたことがあった。だが、この経済の支配は、その物資そのものを根元から掌握する。これこそ、本当の戦かもしれぬな」

張飛が、満面の笑みで、そう言った。

二人は、月英の「経済戦争」の成果を目の当たりにし、武人としての価値観が揺さぶられる一方で、その成果を素直に認め、喜びを分かち合っていた。


夜空の下。

月英は、経済的な成功に喜びを感じる一方で、この力が、やがて争いの火種になるのではないかと不安を抱く。

「…孔明様。美や温かさというものが、これほどの力を持つと、やがて、これを巡って争いが起きるのではないかと…もしこの力が他国に盗まれたら…?」

月英が不安を口にすると、孔明は、月英の不安を和らげるように、静かに語る。

「この力は、争いの火種にはなりません。この力は、人々を豊かにし、平和へと導くためのものです。もし盗まれることがあっても、恐れるに足りません。その時はまた、新しい知恵を出せばよいのです」

「…それに…」

孔明は、月英の言葉に、静かに、しかし確信に満ちた表情で頷いた。

「月英殿…あなたが、かつて見た戦乱の飢餓の焦土は、今はもう、豊かさがもたらされようとしています。しかし、富が争いを招くという恐れも、また真実。だからこそ、その富を、均す仕組みが必要なのです」

孔明の言葉に、私は、胸の奥が温かくなるのを感じた。


蜀の経済的影響力が、魏と呉にまで広がり、第二部の物語が終幕を迎える。

二人が夜空を見上げる傍ら、遠くで響く市の喧騒と、港の灯火が、経済の息づかいを背景に描いていた。

孔明は、月英の手を取り、「この時点で、戦の勝敗は、ほぼ決まっている」と語る。

(魏と呉は、もはや武力で蜀を打ち破ることはできぬ。なぜなら、彼らはすでに、蜀の経済圏に深く組み込まれてしまっているから…)

「人は便利さと美を手放せぬ。その鎖は血よりも強く、経済圏に組み込まれた国は、やがてその鼓動なしでは生きられなくなる」

孔明の瞳には、未来への確信が輝いていた。

二人は、同盟成立の喜びを分かち合い、未来への希望を語り合った。

その灯火の下、静かに蜀を見つめる影があった。それが友か敵か、この時の私たちには知る由もなかった。

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