第2話 村の日常と初めての米炊き指導

黄承彦の仲介で、諸葛亮と私は庭の片隅に腰掛けていた。差し出された茶は、香りはいいものの、慣れない苦味が舌に残る。庭の石畳を素足で歩く感覚が、妙にリアルで――いや待て、私、いつの間に裸足に? 東大の図書館では靴を履いていたはずなのに、転生したら素足がデフォルトなのか。そんな現代的なツッコミが頭を駆け巡った。


向かいに座る諸葛亮は、その茶を静かに一口すすり、優雅な仕草で私に視線を向けた。


「月英殿は、学問にも造詣が深いと聞きました。特に、農政については何かお考えが?」


…いきなり核心に迫ってきた。いや、待って、これってまさか面接?諸葛孔明という名の、天才採用担当者による、義理の娘採用面接?

私の頭の中は、いきなり「就職氷河期を生き抜いた現代女子」のスイッチがONになった。相手は天下の諸葛孔明。下手なことは言えない。しかし、現代知識をいきなり全開にするのも危険だ。


「わたくしは、ただ父に教えを請うていたに過ぎません。ですが…」


私は、庭の木々を眺めながら、言葉を選んだ。

「雨の時期に合わせて稲を植える、と父が申しておりました。天候と作物の関係は、奥が深いものですね」

これは、前世の記憶と黄月英としての記憶から得た、この時代の一般的な農業知識だ。孔明の知識レベルを探るための、探り玉。

すると孔明は、穏やかな笑みを浮かべたまま、頷いた。


「左様。天の恵みを読み解き、地を活用する。農政とは、まさに天下の根本。しかし、米は腹を満たすもの。味は二の次で、腹が満ちればそれでよい、と考える者も少なくありません」


「…この人、味覚方面は無頓着か…」

私は内心でそう分析した。たしかに、飢饉の多い時代だ。味よりも、いかに多くの人間を腹いっぱいにさせるかが重要。それは理にかなっている。

…しかし、おいしいものは、人の心をつかむ。食は文化であり、人の心を豊かにするもの。それは、現代に生きる私にとっては、揺るぎない真理だった。


「…もしよろしければ、台所をご案内しましょうか?」


黄承彦の言葉に、私は救われた思いで頷いた。

この面接は、一旦休憩だ。


台所は、土間と竈(かまど)が並ぶ、簡素な造りだった。使用人の老婆が、慣れた手つきで米を研いでいる。私は、その様子をじっと観察した。

米は、玄米に近い。精米が不完全で、小さな石や籾殻も混じっている。

「これ…洗っても変わらないな」

思わず呟くと、老婆は「お嬢様も物好きでございますね」と笑った。

「炊き方は?」

「この釜に米と水を入れ、薪をくべて炊くだけでございますよ」

…湯量も火加減も、まるで目分量。これではボソボソするのも当然だ。

私の頭の中で、現代の知識がカチカチと音を立ててパズルのピースを嵌めていく。


「…ねえ、私に少し、試させていただけませんか?」


私は老婆にそう申し出た。老婆は驚いた顔をしたが、黄承彦の許可が出ると、すぐに釜を譲ってくれた。

私は、まず米を丁寧に洗い、ゴミを取り除いた。そして、普段よりも少し多めの水に、米をしばらく浸す。

「その手順に、何か理(ことわり)があるのか?」

背後から、諸葛亮の声がした。彼は興味津々といった様子で、私の手元を覗き込んでいる。

「浸すことで米粒が水を吸い、ふっくらと炊き上がります。そして、弱火でじっくり蒸らすことで…」

「ふむ…理屈はわかるが、そこまで手間をかけて、得られるものが味だけでは…」

彼は、まだ首を傾げている。

「いいえ。おいしいものは、人の心をつかむものです」

私は、孔明の瞳をまっすぐ見つめて、そう言った。


やがて、釜の蓋を開けた瞬間、ふわりと湯気が立ち上り、ぷちぷちと米粒が弾ける音が耳に心地よい。

それは、今まで嗅いだことのない、甘く香ばしい、米の香りだった。

台所にいた全員が、一斉にざわつく。

黄承彦が、目を丸くして近づいてきた。

「…これは、米の香りなのか?」

私は、自信満々に微笑んだ。


皆が感嘆の声を上げる中、孔明は黙って箸を取り、一口、また一口。

そして何も言わず、茶碗を置いた。

ただ、指先が茶碗の縁を軽く叩いた音だけが、妙に耳に残った。

私はその意味を問おうとしたが、孔明はすでに立ち上がり、庭の方へ歩み去っていた。


「……何を考えているの?」


湯気の向こうに残る彼の背中は、まだ私の知らない遠い場所を見ていた。

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