『アニメ:チェンソーマン総集編前編』を見る夜

 今宵は例外である。仕事は早々に片づき、銃の匂いを湯で洗い流したのち、小生はいつもの棚からウイスキーを取り、スマートフォンを掌にのせた。映像の海を前に逡巡することはない。指先は迷いなく一つの扉を叩く――「チェンソーマン総集編 前編」。

 梁の上では烏のカノジョが羽を鳴らす。合図は一度きり。生還の点呼と、視聴の開始を許す合図である。小生は頷き、音量を絞り、画面を起こす。


 始まってすぐ、胸骨の裏で何かが一段軽く上がった。テンポが良い。TV版でわずかに湿った手触りに見えた場面が、ここでは呼吸を短く刻み、ドタバタの黒い笑いが前へ前へと走る。

 コウモリの悪魔が血を飲み腕を取り戻す、そのまま屋根をドーンと破る速度。

 ヒルの悪魔が「立派な夢」を並べるそばから、デンジが「おっぱい触りたい」という等身大の欲望で殴り返す直截。

 いずれも考えるより先に笑いが来る。小生は仕事柄、思考を先に置く訓練を受けてきた人間だが、笑いにおいては思考の遅延が快感の条件になるらしい。勢いが先行する、その一点に原作の体温が宿る。カットは短く、見せ場は尖る。重い世界観はそのままに、体感が軽くなる。――これだ。小生の求める呼吸が戻ってきた。


 笑いの生成は“ズレ”である。

 密閉されたホテルの階、出口のない恐怖。人間たちは焦り、喧騒が膨張する――それが普通だ。だがデンジは大きなあくびをして、その場で寝ることを選ぶ。規格外の選択が、常識の真ん中に穴をあける。その穴から笑いが新鮮な空気のように流れ込む。総集編はつなぎを短くすることで、その“ズレ”の瞬間をはっきり可視化する。重さは残り、しかし見え味は軽い。これを編集の勝ちどころと言わずして何と言おう。


 台詞の“置きどころ”も良い。「俺たちの――」の短い一言が、デンジとポチタの絆をぴんと括り、彼の行動原理を悲壮ではなく衝動と受容の結び目として示す。正しいところに少ない言葉が落ちると、後段の選択や犠牲の見え方が自然に一段引き上げられる。言葉は多さでなく、配置で効く。これは戦場でも同じだ。命令は長くてはならない。短い語が正しい位置に落ち、全員の足取りがそろう。それだけが勝機を広げる。


 音が画面を加速させる瞬間も、確かにある。マキシマム ザ ホルモンの「刃渡り2億センチ」が噛み込むと、映像の歯車が一段噛み増す。キックインの衝撃がそのまま快感に変換され、バトルとギャグとドラマが同時に立ち上がる。速度が意味を押し流すのではない。速度が意味を運搬するのだ。暴風でありながら、配達でもある。小生はグラスを置き、背もたれに深く沈んだ。速度の正しい用法を見たとき、人間は年齢に関係なく少し若返る。


 「総集編」という名でありながら、これは一本の映画であると小生は受け取った。前後編に切り分けられた骨格、配信の時間設定、テレビでの長尺編成――観客に“一息で飲み込ませる”意図が設計に透けている。さらに、巻末エピソードを新規にアニメ化した短編が呼吸穴として差し込まれる。硬質な本編の圧に対し、小さな弁が圧力を逃がし、むしろ硬さを際立たせる。再編集は、ただの圧縮ではない。体験の再設計だ。


 小生はふと、己の業を思う。わが稼業の世界もまた重く暗い。人は“普通”の反応を求め、恐怖の前で縮こまる。そこへ規格外の決断で穴を開ける者が稀にいる。成功するかは別として、穴は景色を変える。小生が若いころに惚れたのは、世界の暗さを勢いで笑い飛ばす、その矛盾を正面突破する潔さだった。総集編は、その矛盾を映像の味方に戻した。重い空気は重いまま、笑いは前のめりにやって来る。走りながら見せる。止まって説明しない。――これが今の“正解”だと、画面が静かに告げる。


 梁からカノジョが降り、スマートフォンの縁を嘴で一度叩く。休憩の合図に等しい。小生は動画を一時停止しない。最後の黒みまで見送る。通知は無視する。夜の所有権は今、作品に渡っている。所有権を受けとったものは、責任を持って最後まで運ぶべきだ。


 暗転。部屋の闇が取り戻される。

 小生は画面を伏せ、しばらく思考だけを動かす。勢いで笑わせるという工程に、矛盾は欠かせない、矛盾のまま力になる。ズレが笑いを生むという構造は、恐怖の中で生きる人間の救命装置に似ている。短い言葉が結び目を作ることは、共同体の最小単位を作る手つきに等しい。――ここまで考えて、ようやくウイスキーが舌に戻ってきた。体温が一度、上がる。


 儀式はそこで終わらない。小生は立ち上がらず、掌の上のスマートフォンをもう一度だけ見下ろす。再生ボタンの赤は、まだ温かい。だが二度目は押さない。勢いは、一夜に一度でいい。過剰な加速は、翌朝の歩幅を狂わせる。

 梁に戻ったカノジョが、片眼を閉じる。点呼は済んだ。夜の課業も完了した。小生はゆっくりと灯りを落とす。革と油の匂いが部屋に沈むが、今宵は銃を触らない。速度の余韻は、金属よりも脳に長く残る。走った頭をそのまま眠りへ滑らせるのが正しい。勢いの出口は、必ず睡眠であるべきだ。


 諸君。もし諸君が重い景色に押しつぶされそうになったら、勢いの良い一作を選ぶとよい。勢いは雑ではない。正しく用いれば、意味を運ぶ。ズレは無礼ではない。正しく置けば、笑いと理解の両方を産む。短い言葉は軽薄ではない。正しい場所に落ちれば、誰かの背骨を一瞬だけ支える。

 小生は目を閉じる。画面の明滅がまぶたの裏に残像となって残る。黒い笑いが遠くで鳴り、音楽のキックが胸の奥で遅れて跳ねる。勢いは確かに返ってきた。返ってきた勢いは、今は走らせず、ただ抱いて眠る。明朝のために。


 烏の羽音が心拍と同期する。

 「正解」は、今夜ここにあった。小生はそれを確認し、静かに眠るのである。

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つかの間の休息、作品の奏でる息づかい 野々村鴉蚣 @akou_nonomura

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