ただの洋服
一ノ瀬 翠
第1話
「あっ…」
ある店の前に置かれたショーケースが、ふと目に止まった。そこには、胸元に大きな深紅のリボンがあり、リボンと同じ色のスカートと白いブラウスの袖にはたくさんのフリルがついた、ボリュームのある可愛らしいワンピースがあった。よく見ると、スカートの裾に金色の糸で細かな刺繍が施してあり、深紅の奥ゆかしさをより引き立てている。まるで、熟れた林檎のように赤く、ひと目で心を奪うほどの美しい一着だった。
(かわいい…)
そう思った瞬間、ショーケースのガラスに映った自分の姿に気づいた。止まっていた足は再び動き出し、少しずつ速まっていく。
「この道を通るのは、もう、やめよう。」
そう固く決心したはずなのに、今日もまた、この道を通らずにはいられない。
"あれ"はただ飾られているだけだ。なのに、どうしてこう引っかかる。自分でも、わからない。
あれこれ考えているうちに、あの店の前についた。そして今日もまた、深紅色のワンピースが目に留まる。
「これは魔法だ。」
このワンピースを見た途端、時間がゆっくり流れるように感じる。今まで同じようなものを何度も何度も見てきた。その度に諦めてきた。諦めるように言い聞かせてきた。しかし、このワンピースだけは、なぜか諦めきれない。喉から手が出るほど欲しい。そう思うのに買えない。たとえ買えたとしても、着られない。欲と現実が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「帰ろう。」
今日もまた、すっかり見慣れた景色を見ながら帰路を辿る。この道に、自分が溶けて一つになる感覚がした。
あのワンピースから、離れられない。
ただの洋服 一ノ瀬 翠 @ichinose_sui
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