第四章 吸血鬼と選択

第13話

 恵人がノアの眷属になってから約五年の月日が流れた。

 その間に恵人は高校、大学を卒業し、来年の四月から地方公務員として役所に勤めることになっている。

 ノア曰く、吸血鬼の血は細胞の新陳代謝を異常に活発化させるだけではなく、遺伝子レベルにまで干渉し、人間のDNAから吸血鬼のDNAへと情報を書き換えるらしい。まさになんでもありだが、飛躍的な身体能力の向上や索敵能力の会得はそうでもしないと説明がつかない。


 事実忌み子の呪いも薄まっており、今では一瞬触ったくらいでは死なない程度に落ち着いている。まだ油断はできないが、マフラーと手袋は外して過ごしていることが多い。つまり、ずいぶん人間らしい日々を送ることができるようになった、ということだ。


 そんな体になったからか、この五年間は吸血鬼にまつわるトラブルに巻きこまれることが非常に多かった。

 その度に怪我したり、死にかけたり、ノアと喧嘩したり、死にかけたり、散々な目にあったが、それなりに充実していたとも言える。


 ただ、普段の生活はあまり変わらなかった。

 元々二人で暮らしていたし、眷属になったからといって学校をサボるわけでもない。

 唯一変わったと言えるのは恵人の人間関係だ。

 楓のおかげで残りの高校生活は友達もでき、クラスで浮くこともなかった。学年が上がってもなぜか楓が同じクラスだったが、大助かりだったことは言うまでもない。

 今まで一切楽しめなかった学校生活を、一年半で思う存分楽しんだ、という感じだ。


 大学も、ノアに学費の援助を貰いながら通うことができた。

 なぜか楓が同じ大学同じ学部で履修科目もほとんど同じだったが、またしても楓のおかげで友人関係には困らなかった。

 以前なぜ自分と同じ大学なのか尋ねたことがあったが、


『私の進路は私が決める。折原には関係ない』


 と、一蹴されてしまった。

 アルバイトは住んでいる街の駅構内にある本屋を選んだ。昔から本は好きだったし、接客業をやってみようという気持ちもあったからだ。ただ家の近くを選んでしまったため、ノアが毎日来てしまうのは誤算だったが。

 今の恵人は、様々な人に支えられながらなんとか一般的な大学生活を送れていた。ノアに出会う前の自分に聞かせたらきっと信じないだろう。

 幸せを望んでいた折原恵人は、自分の想像よりも素晴らしい幸せを手に入れてしまった。


 時々、こんなに幸せでいいのかと思う時がある。自分で掴み取った幸せではない気がするし、自分以外の忌み子はこんな幸せを得られていないはずだからだ。

 自分だけが運良く、ノアに出会い、眷属になったことで呪いが薄まって人間社会に適応できるようになった。でもそれは、恵人の力ではない。

 彼らを差し置いて、このまま幸せでいていいのかと、思う日がある。

 けれどそんな時、ノアは決まってこう言ってくれる。


「恵人が幸せなことが私の幸せ。だから私のために幸せでいて?」


 その言葉を思い出す度に元気が出る。

 少しずつ、自分が幸せでも良いと思えるようになった。

 そんなノアは、今日は珍しく朝から仕事。

 五年前から変わらず我が家の大黒柱はノアだ。ノアが稼いでくれなければ、恵人は大学に行けなかった。

 バイトできるようになってからは少しでもいいから家にお金を入れようとしたが、ノアが断固として受け取らなかった。


「自分で稼いだお金は自分で使いなさい」

 だから恵人はそのお金でよくノアにプレゼントをするようになった。

 限られた予算でノアに何をあげたら喜んでくれるか考えるのが楽しくて、給料が入れば必ず何かをあげていた。

 ノアからしてみれば一時間あれば余裕で稼げるような金額のものしかあげられなかったが、それでも毎度非常に喜んでくれたのであげる甲斐があった。

 だから本来恵人は働かなくても何も問題ないのだが、このままノアに頼り切りはどうしても嫌だったのでなんとか就職した。

 役所勤めの地方公務員を選んだのも、仕事内容というよりは異動がほぼなく、安定したライフプランを組めると思ったからだ。

まあなぜか、楓も同じ就職先なのだが。


「よ、ちゃんと準備してきた?」


 その楓が、目の前に現れた。

 高校生の頃から大人っぽい雰囲気があった彼女は大学に入ってから更に洗練され、より美しくなった。大学で死ぬほどモテているという噂を何度も聞いたが、結局四年間彼氏ができた事実はないと、風の噂で聞いた。

 今日は大学でゼミの中間発表がある。そのゼミもこれまたなぜか楓と同じだが、恵人と楓が入ったゼミは非常に緩かった。故に大学四年生は月一の授業のみで、ふんわりと内容が固められていれば中間発表も問題なくクリアできる。

 だから恵人は今日一ヶ月ぶりに大学へ来て、前日に今書いている卒論を適当にまとめただけだ。


「ばっちりだとも」

「めちゃめちゃ質問してやる」

「学食奢るから勘弁してください」


 そんな、どこにでもあるような大学生活を送っていた。

 恵人と楓が所属しているゼミは、忌み子に関する法律を研究するゼミだ。

 五年という月日が流れても、世間の忌み子に対する扱いはあまり変わらなかった。差別が助長されるわけでもなく、改善されるわけでもなく、ただただ、平行線で物事が進んでいた。


 そんな状態を少しでも変えようと、まずは法律ということでこのゼミに入った。楓がなぜこのゼミを選んだかはわからないが、忌み子の恵人と長いこと一緒にいたのだ。きっとなにか思うところがあるのだろう。

 そんな楓だが、ゼミでもものすごい勢いでみんなと仲良くなり、そこに恵人をスムーズに招き入れ、もう何年も一緒にいたかのような関係性を築いている。

 外から見ていると、楓は距離感を掴むことがうまいのだな、と思う。近すぎず遠すぎず、絶妙な距離感を保ち、近づく必要があれば近づき、離れるべきだと判断すれば遠くなる。そのスタンスを崩さないので、みんなから信頼される。

 そんなようなことを本人に言ったら、「人を詐欺師みたいに言うな」と殴られたことを思い出す。あれは痛かった。


 もう一年半も一緒にいるので、何度も飲み会を開いたり、ゼミのメンバーで出掛けたりしている。今日もゼミのあとは飲みに行く予定だ。

 本当に一般大学生となんら変わりのない生活を送れている。

 ノアのおかげでももちろんあるが、目の前にいる楓の存在も大きかったことは認めざるを得ない。

 楓がいなければ大学にもゼミにもこんなにスムーズに馴染めなかっただろう。

 そして何より、楓は恵人が半分吸血鬼であること、同居人であるところのノアが吸血鬼であること、恵人がノアの眷属になったことを成り行きで知ってしまっている。

 それでもなお、楓は恵人を受け入れてくれた。

 半分人間ではなくなってしまった恵人と、当たり前のように接してくれるのだ。

 本当に、いい友達を持った。


「……なによ、ジロジロ見て」


 いつの間にか送っていた視線に気づかれて、楓に不審がられる。

 ここで変にはぐらかしてもさらに怪しまれるだけなので、いっそ開き直ってみることにする。


「いや、南條がいたおかげで今の俺があるなって思って」

「い、いきなり何⁉ なんかキモい……」

「失礼すぎる」


 顔を赤くする楓はあまり見られないので新鮮だった。

まあきっと恵人自身も楓から急に感謝を伝えられたら気持ち悪がることになりそうなので、楓の反応は見ないフリ。

人前で乱れる楓を見られただけでよしとしよう。


「早く教室行こう、遅れるぞ」

「まじでなんなの……」


 不満を垂らしながらも、楓は恵人の背中を追いかけた。


          ◆


「ただいま」


 玄関の戸を開け帰宅の合図を送ると、パタパタとスリッパを鳴らす音が聞こえてくる。


「おかえり! 飲み会楽しかった?」


 パジャマ姿に身を包んだノアが出迎えてくれる。最近は仕事を減らしつつあり、家にいることが多いため、こうして夜が遅くなっても顔を合わせることができる。

「うん、楽しかったよ」


 飲み会は最初から最後まで中弛みすることなく楽しめた。自分が大人数の飲み会を楽しいと思う性格だとは思っていなかったので、人間何事も経験してみるものだなあと、最近考えるようになった。


 ノアは恵人の荷物を受け取った。ノアが帰ってくれば恵人が、恵人が帰ってくればノアが持つといういつの間にかするようになった動作。それが自然すぎて、感謝を忘れそうになる。


「ありがと」

「どういたしまして。お風呂入っちゃう?」

「入ろうかな」

「一緒に入る?」

「入ろうかな」

「……え⁉ え⁉」

「先に入ろうって言ったのそっちじゃん」


 ノアはからかうだけのつもりだったかもしれないが、言葉には大きな責任が伴うものだ。


「だってそう言われるとは思ってなかったんだもん……」

「あ、そう。まあいいや、入るよ」


 恵人はノアの手を掴んで、風呂場へと連行する。


「待ってせめて電気だけは消させて~!」

 どんなことになったかは恵人とノアしか知る由はないが、それはそれは大いに楽しんだという。



「もう二度と、あんなことは言わない……もう二度と……」


 お風呂場から出たノアは、なぜかお風呂に入る前よりもげっそりしているように見えた。


「お疲れだね」

「恵人のせいでしょ!」


 お風呂上がりのせいか顔を真赤にさせながらノアは反論をする。


「えー俺なんかした?」

「だってあんな……! あんな……!」


 ノアはわなわな震えながら何かを言いたげな顔をしていたが、「もういい!」と言ってその場から立ち去ってしまった。

 そんなノアを可愛いと思いつつ、恵人はノアを追いかける。


「待って待って、ごめんね?」

「ふん!」


 そんなあざとい仕草も、ノアであれば似合うのだから不思議だ。

 恵人は不貞腐れたノアを後ろから抱きしめ、耳元でささやく。


「好きだよ、ノア」

「…………私も好きだけどさ」

「許してくれる?」

「……髪の毛乾かしてくれたら」


 どうやらノアは、髪の毛を乾かされるのが好きらしい。

 恵人としても手間ではないので、定期的にノアの髪の毛を乾かしていた。

 以前なぜ乾かしてもらうのが好きなのか聞いたことがあったが、


「んー、安心するから」


 との回答で、恵人的にはいまいち納得ができなかった。

 けれど、今目の前で幸せそうな顔をしてくれていたらそれでもいいかと、そう思ってしまう。

 ノアは洗面台の前の椅子に座り、今か今かとうきうきで待っていた。


「早くー」

「今行くよ」


 恵人はノアの元へ行って、ドライヤーを手に取りノアの髪の毛を乾かし始めた。

 濡れた髪を丁寧に乾かしていく。ドライヤーを左右に振りながら、上から下に乾かしていく。それらはノアの髪の毛を乾かし始めてから学んだことだ。最初のうちは雑だのドライヤーと髪の毛の距離が違うだの言われ、そのたびに修正してなんとかノアが満足できるような乾かし方を習得した。


「もうどこに出しても恥ずかしくないねえ」

「どこに出されるんだ、俺」


 そんな軽口を叩きながら髪を乾かされているノアは非常に満足げだった。先程のへその曲がり具合が嘘みたいだ。

 恵人より何百年と多く生きているのに、簡単に手玉に取られてしまう。

 そんなところも愛おしくて、何年一緒にいても飽きない自信がある。

 ずっとこんな時間が続けばいいのにと、心の底から思う。


「はい、終わったよ」

「ん、ありがと。今度は私が乾かしてあげる」

「もうほとんど乾いてるけど……」

「いいからいいから、座って」

「はいはい」


 ノアに言われるがまま、ノアの温もりが残ったままの椅子に腰をかける。


「じゃあ乾かしますね~」


 口調といい妙に慣れた手付きといい、本物の美容師みたいだった。


「なんか、ぽいね」

「これでも昔、美容師でしたから」

「え、初耳」

「人間の仕事をやってみたい時期があってね、そのときに一通り」


 どおりで様々な場面で高スペックなわけだ。もちろん元からあるノアの器用さもあるだろうが、その道のプロを経験していればなおさらだ。


「そうなんだ、他にはどんな仕事してたの?」

「そうだなあ、美容師、看護師、お花屋さん、ケーキ屋さんとかかなあ。他にも色々やったはずだけど印象に残ってるのはそのくらいかな」


 いろんな仕事やってきているのだなと素直に感心したが、一つ気になるものがあった。


「看護師……」

「……なんかえっちなこと考えてない?」

「めちゃめちゃ考えてる」

「やっぱり……」

「俺が医者パターンと俺が患者パターンの両方楽しめるのが熱い」

「別に熱くないんだよなあ……」

「今度ナース服買ってくるね」

「聞いちゃいないんだから……」


 とか言いつつなんだかんだノアが着てくれることを恵人はこの五年で学んだ。ノアは押しに弱い。


「はい、終わったよ」

「あれ、もう?」

「ほとんど乾いてたから」

「ほとんど乾いてたんじゃん」


 時刻はまだ午後十一時を回ったところ。眠りにつくには、少し早い。

 夜はいつもリビングのソファで並んで座ることが恒例になっていた。二十歳を過ぎてからはお酒を飲むことも多い。テレビを見るときもあれば、談笑をすることもあり、なんとなく無言が心地良い時もある、そんな時間。

 恵人はその時間がたまらなく好きだった。ノアと一緒ならどんなことだって楽しく感じることができる。

 だから今日も、二人はなんの合図もなしに同じソファへと腰掛ける。

 あ、とノアが思い立ったように立ち上がる。


「何か飲む?」

「あー、今日あんまり飲まなかったからもうちょっと飲もうかな」

「了解、適当に用意するね」

「ありがとう」


 二十歳を過ぎてから知ったことだが、どうやらノアはお酒が好きらしい。

 アルコールは好きだが特段強いわけではなく、いつも二、三杯飲むと酔っ払ってくる。

 酔ったノアを見ることもまた、恵人にとっては日常の幸せと化していた。


「恵人~飲んでなくない~?」

「大学生みたいなノリやめて。というかそんなのどこで覚えてきたの」

「この前こっそり飲み会ついていったらそういうことしてる大学生たちがいた」

「また勝手に……」


 困ったことに、ある出来事をきっかけにノアは、気配を消したり姿を変えたりして恵人の後を追いかけることが多くなった。

 半分吸血鬼になって、五感は鋭くなった。それこそ人間に偽装している吸血鬼なんかは、一発で見抜けるようになった。

けれどノアが本気を出して気配を消したり変えたりすれば、恵人には何も感知できない。それほどまでにノアの擬態術は飛び抜けている。


 だが、ヴェラはノアのことが嫌いすぎて感知できるらしい。本人は嫌いだからと言い張っているが、なんだかんだ意識してるんだよなあと思う。それでもノアの感知の仕方は、今度教わりにでも行ったほうがいいかもしれない。

 付いて来るノアの言い分としては「心配だから」とのことだが、身体が半分吸血鬼になってからというもの、人間相手には負けないし、吸血鬼相手でもヴェラのような戦闘狂でなければそう負けない。

 しかしノアは「そういうことではない」と。

 じゃあどういうことだといつも思うのだが、それ以上問いただすとノアの機嫌を損ねてしまう。


「いいじゃん、減るもんじゃないし」

「いや、そういう問題ではなくて」

「じゃあなに? 浮気でもしようとしてるの?」


 ノアの顔が一気に本気になる。怖すぎる。


「……俺にはノアしか見えてないよ」

「えへへ、ありがと」


 酔っているから基本的には単純なのだが、時折見せる鋭さはさすが真祖の吸血鬼。迫力が段違いである。  

 もはや酒に飲まれているのではなく酒に飲まさせてあげているのではないかと錯覚しそうになるほどだ。

 先程の一幕で少し冷静になったのか、ノアの顔の赤みが少し落ち着いて見えた。


「ふう……。なんか、色々あったね」

「色々?」

「うん、この五年間で」

「……そうだね」


 ノアと出会ってからの五年は、長いようで短かった。

 死にかけたこともあった。

 クラスメイトが攫われたことも、吸血鬼の転校生が来るなんてこともあった。

 決して楽な五年ではなかったと思う。

 けれど、毎日が楽しかった。一日だって退屈な日はなかった。

 どんなに痛い目に遭っても、どんなに辛い目を見ても、ノアと出会う日までの人生と比べれば大したことはなかった。

 隣にノアがいる。

 その事実が、恵人をいつまでも元気づけてきた。


「でも、今の俺があるのは間違いなく、ノアのおかげだよ」

 それは何が起ころうとも変わらない、不変の事実。

 誰になんと言われようと、それだけは変わらないのだ。


「ふふ、酔ってる?」

「かもね」


 だからこれからもずっとノアと一緒にいられると信じていた。

 一緒にいて、一緒に思い出を作っていける、そんな未来が待っていると確信していた。

 いつまでもこんな幸せが続くと思っていた。

 

 そう、思っていた。

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