第12話

 目を開いた恵人の視界には、見知った天井が広がっていた。

 そこは天国でも地獄でもなく、ノアと一緒に暮らした家の恵人の部屋。

 死後は一番住み慣れた家で過ごせということだろうか。

 そんなことを思いながら部屋を見渡すと、ベッドの横に座っている銀髪の少女がいた。

 一人で住むのは寂しいし悲しいが、恵人が創り出した幻覚であってもノアと一緒に過ごせるのはいいな、などと思っていると。


「恵人っ……! 目が覚めたのね……」

「え? ノア、どうして……」


 わけがわからなかった。

 恵人は確かにヴェラに胸を貫かれ、死を実感した。

 急いで身体を起こし自分の胸を触る。だが貫かれたはずの身体はしっかりと塞がれている。   

 あんなに無茶したのにも関わらず、全身に痛みは皆無だった。むしろ身体が軽いほどである。

 わけがわからないままノアの方に顔を向けると、ノアが振りかぶった手が恵人の頬に届く寸前だった。

 ばちん。

 乾いた破裂音が、恵人の部屋に響く。

 かなりの勢いで放たれた平手。けれど不思議と、痛みは少なかった。

 痛んだのは、心だった。


「どうしてじゃ、ない……! なんであんな無茶するの……!」

「……ごめん」

「恵人は人間なんだよ……? 死んじゃうんだよ……?」

「……ごめん」


 ノアが泣いている。

 泣かせたのは誰か。

 紛れもない、恵人だった。

 泣かせるつもりなんて毛頭なかった。けれど事実、恵人は一番大切な人を泣かせてしまったのだ。

 後悔の念が恵人を覆う。取り返しのつかないことをしてしまったと。

 だがなぜか、恵人は生きている。


「でも、じゃあ俺はなんで……?」


 殺されたはずの、死んだはずの恵人が生きている。空いた穴も塞がって、ベッドの上に座っている。本来起こらないはずの現象が、今自分の身に起きていた。

 目に溜めた涙を拭って、ノアが答える。


「……吸血鬼の再生能力が秀でているのは、血のおかげなんだよ。だから吸血鬼の血単体だけでも、その再生能力はあるの」


 恵人はノアが紡ぐ言葉を黙って聞いていた。その内容に予想がついても、黙って聞いていた。


「恵人が意識を失ってすぐ、私の血を恵人にあげた。試したことはなかったから一か八かだったけど、うまく作用して、私の血は恵人が失った部分を修復できたの」


 でも、とノアが言葉を詰まらせる。とても見ていられなくて、恵人はノアの手をそっと握った。それに気づいたノアがゆっくりと握り返し、ふうと息を吐く。


「でも、吸血鬼の血から人間の細胞は作り出せない。吸血鬼の細胞しか作り出せないの。だから恵人の胸は吸血鬼そのもの。定期的に私の血も接種しなきゃいけない身体になったの」


 ノアは言い切った。ところどころ声を震わせながらも、言い切った。

 そして再び涙を流す。先程の涙とは違う、後悔から流れる涙。


「ごめん……! 私のエゴで、恵人に生きていてほしくて……! それで……!」


 やはりノアは、ひどく自分を責めているようだった。

 自分の勝手で恵人を延命させてしまったこと。

 恵人の身体をおよそ人間とは言えないような身体にしてしまったこと。

 その二つにかなりの罪悪感を抱いている。

 けれど恵人は、ノアに感謝していた。

 どんな形であれ、またノアに会うことができた。

 また一緒に過ごすことができる。

 それだけで充分だった。

 だから、ノアに伝えなければならない。


「ノア、俺はまたノアに会えて嬉しいよ。ノアもまた会いたいって思ってくれたから、そうしようと思ったんでしょ? それもまた、嬉しいんだよ」


 恵人は持ちうる限りの優しい声音で、ノアに語りかけた。


「元々人間とはかけ離れた身体だったんだ。今更半分吸血鬼になったところで変わらないよ。だから大丈夫。顔を上げて」


 顔を上げたノアは、涙で顔をグシャグシャにしていた。

 元は自分が招いたことだが、こうしてノアの泣き顔を見られたのであれば少しは役得だったかもしれない。本人に言ったら絶対に怒られるので言わないが。


「……なんでそんなに優しいの」


 涙を止めながらノアがそんなことを聞いてきた。

 なぜと問われれば、それは――。


「ノアが好きだからだよ」


 その言葉は、あまりにも自然に恵人の口からこぼれた。

 りんごが木から落ちるように。

 葉を滴る水が地面へ落ちるように。

 照れや恥ずかしさがない、純粋な言葉だった。

 だから自然と、その言葉もこぼれた。


「俺を、眷属にしてください」


 それが恵人の心の底からの想いだった。

 ノアのために生きるのではなく、自分がノアと一緒に生きていきたい。今回の一悶着でそれが明確になった。

 誰のためでもない、自分のため。


「ダメかな……?」


 ノアは首を横にふる。


「ダメじゃない、ダメじゃないけど……! だって、私、眷属のこと恵人に隠してたんだよ……?」

「いいんだよそんなこと。ノアが俺のためにわざと隠してたんでしょ? なら、責める理由なんてないって」

「でも……!」

「ノアの気持ちを聞かせてよ」


 ノアは息を詰まらせていた。きっと彼女の中には葛藤がある。過去のこととも重なり、その選択をするにはかなりの重圧があるはずだ。

 それでもノアは意を決して目を開いた。


「私は……」


 そして、ゆっくりと口を開いた。一つ一つの言葉の意味を確かめるかのように、ゆっくりと言葉を紡いでいった。


「私は、恵人と一緒にいたい。だから、私の眷属になってほしい」


 その言葉を聞いた瞬間、恵人はノアに抱きついていた。

 今までの抱擁より強く、激しく。

 すぐにノアも抱き返してくれ、二人は強く抱きしめ合う。


「血、吸って」

「いいの?」

「もちろん」

「じゃあ、私のも吸って」

「ん、わかった」

「じゃあ」

「うん」


「「いただきます」」

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