生前、偶像だった彼女のこと

 春奈は生前、『十二単じゅうにひとえ』というアイドルグループのメンバーだった。


「観ていると心が落ち着くような、魅力的な和風美少女が歌って踊るグループを作りたい」と発足当時、プロデューサーがそう語っていたのを覚えている。このプロデューサーは政治的なメッセージを強く発信するタイプのひとで、出来たばかりの頃、かなり批判を受けたのを覚えている。プロデューサーは氷見さんという名前で、実は春奈はほとんど話したことがない。正直、名前を貸しているだけ、みたいな存在だ。ちょっと怖い雰囲気があり、できれば近付きたくはないひとだ。初期メンバーだった春奈でさえもそうなのだから、後から入ったメンバーとの繋がりはもっと稀薄なはずだ。


 批判は色んな方向から飛んできたが、一番面白かったのは、『なんだよ、こんな名前のくせに、十二単、ほとんど着ないじゃないか』だ。実際、春奈は一度も着ていない。ただ和風の衣装を着た十二人組だから、『十二単』で、それ以上の意味は一切ない。


 春奈はむかしから目立つのがあまり好きではない。ただ客観的に見れば、どうしても容姿の良い側になり、ひと目を惹いてしまう。自慢っぽくなってしまうし、反感を買ってしまうから、もちろん口に出すことはしないのだが、とはいえ過剰に謙遜してしまうと嫌味になってしまうので、どう振る舞うかは、いつも春奈の悩みだった。


『ねぇ、春奈もやってみたら』

 と、『十二単』のアイドルオーディションに参加したのは、姉のすすめだった。自己主張の下手な春奈に対して常日頃、「もったいない」と口にしていた姉は、春奈がもっと目立つ場所へ行くことを望んでいたのだ。


『えぇ、私はいいよ。前にも言ったよね』

 過去にも何度かこういう提案を姉から受けていて、そのたびに春奈は断っていた。

『でも、これは春奈に似合う気がするけどなぁ。古風な感じで』

『古くさいって言いたいんでしょ』

 この話をした当時、春奈はまだ十六歳の女子高生だった。ただいつも、「年齢より落ち着いている」と周囲から言われることが多かった。母から何気なく、「老成している」と表現された時は、さすがにショックだったのを覚えている。


『違う、違う。これは冗談抜きで』

『私はこういうのは、本当にいいや』

 普段は大体これくらいで話が終わるのだが、その時の姉は絶対に引かなかった。このアイドルグループと春奈の相性について、何かぴんと来るものがあったのかもしれない。根負けした春奈は結局、オーディションに参加することになった。どうせすぐに落ちるだろう、と思っていた。実際、書類選考に通った後、会場に行くと、こっちが気おくれしてしまいそうなほど綺麗な女の子たちがいっぱいいて、来る場所、間違えたかもしれないなぁ、これ、と春奈は戸惑ってしまった。


 受かった後、一度、マネージャーに聞いたことがある。

『私は本当に受かって良かったのでしょうか。だって私より、綺麗なひとがあんなにいっぱいいて……』

 これは謙遜ではなく、客観的な事実だ。


『受かってしまった以上、自分で良かったかどうかを問題にすることに、あまり意味がない気がするね。それは受からせた側の問題だ。やっぱり良くなかった、と思えば、きみが弾かれるだけだろうね』

『厳しいんですね』

『きみだから、そう言うんだ。それなりに相手によって、言葉は変えているよ。きみは別に弾かれることを恐れていない気がするからね。私としてはもうすこし怖がって、しがみついて欲しいんだが。この業界に』

 マネージャーの金沢さんは、まだ二十代なかばで、メンバーに所属するひとりと言われても信じてしまいそうなほど、魅力的な雰囲気を持っていた。凛とした佇まいで、異性だけでなく、同性からもモテたはずだ。


 初期メンバーの顔はいまでも全員はっきり覚えているか、というと、それは嘘になる。


 ひとりすぐに辞めてしまった子がいるからだ。脱退、という形で。名前はもちろんはっきりと覚えているのだが、彼女の顔はぼやけて、若干、曖昧になってきている。他の子は全員覚えている。その子はいわゆるセンター候補と呼ばれて、特に注目されていたが、未成年による飲酒や飲み会で接待をする写真などが大きく報じられたことにより、グループを抜けることになってしまった。


 結成当初で、苦楽を共にするよりもずっと前に起こってしまったことであるうえに、春奈自身、その報道をできるだけ目に入れないようにしていたから、どうしても顔の印象が薄いのだ。だから実際、ふたたび顔を合わせたとしても、素通りしてしまいそうな気がする。いやさすがにそれはない、と信じたい。


 報道……。

 そう、報道は必ずしも、『脱退』だけに掛かるわけではない。

『まぁあまり気にしないことだ。外野の声に耳を傾けすぎる、ときみも呑まれてしまう。自ら苦しみの量を増やすことはない』

 と金沢さんは言った。


『たまに思うんです。本当に、「彼女」は自殺だったのかな、って』

『なんで?』

『いや理由なんかまったくないんですけど、何故か私のイメージする「彼女」とどうも繋がらない気がして。……って私も、よく知らないんですけど、ね』

 それは数ヶ月会っただけの印象に過ぎない、という自覚はもちろんあった。


『イメージに齟齬が起きるなんてよくある話だよ。何万回と言われているだろうけど、たとえば「あのひとが殺人なんて」という話はそこらじゅうに転がっている。残念ながら。気丈に見えても、脆い子だったのかもしれない……いや、たとえ気丈であっても、メディアからの攻撃や世間からのバッシングは応えるものさ』

 春奈たちのグループはこういうスタートだったからこそ、あまり恵まれていたグループとは言えなかった。春奈を含めた多くのメンバーが、すぐに解散するものだ、と考えていたはずだ。それでも意外と団結力があり、和気あいあいとした雰囲気が良かったのか、しぶとく『十二単』は生き残った。いまでも生き残っている、と信じたいが、春奈の死んだあとのことは分からない。春奈の死が深く暗い影を落としているような気もするので、正直、知りたくはない。


 春奈は殺された。

 何者かによって殺されたのだ。

 ただ実際に殺されたかどうかを、春奈に判断するすべはない。死の直前までの記憶しかないからだ。ただ生きているとしたら、いまの冷え切ってしまった自分の説明が付かないので、死んでいると判断するしかないのだ。


 背後から何者かに襲われたのだ。テレビ番組の楽屋で。振り向く余裕さえなかった。たまに推理小説などで、ダイイングメッセージと呼ばれるものがあるが、あんな余裕なんて絶対にない、と春奈は思う。仮に顔を見ることができたとしても、無理だったはずだ。そもそも死にそうな時に、指先に力なんて入るはずもない。


 殺されたアイドルがいたグループなんて存続できるだろうか。

 群馬さんにテレビを持ってきてください、と頼めば、いつものトラックで運んできてくれるかもしれないし、他に確認する方法もありそうな気はするが、正直、春奈自身があまりその後のことを知りたい、と思っていないのだ。死ぬまでは、死んだ後のことなんてずっとどうでもいい、と考えていたが、それは死んだら意識がなくなるから、という話で、思考が可能ならば、全然、どうでもよくはない。向こうの世界で、自分がどう言われているのか、グループがどうなっているのか。嫌な想像しか浮かばない。


 知って、罪悪感を抱きたくない。

 ショックを受けたくない。

 傷付きたくない。

 多くのアイドルがおそらくそうであるように、春奈には何人か、印象的なファンがいた。特に最初期から握手会などに足繁く通ってくれるファンは馴染み深く、記憶に強く残っている場合が多い。中には攻撃的なひともいたが、基本的には温かく応援してくるひとがほとんどだった。


 仙台さんもそのひとりだった。宮城県生まれの仙台さんは、その名前の憶えやすさもあって、春奈がまず顔と名前を一致させて覚えたファンでもある。元々はアイドルに興味がなかったらしいが、グループ結成当初、記者会見の動画を偶然見掛けて、春奈を推そう、と決めたそうだ。直感だったそうだ。その言葉に、私にそれだけの価値が本当にあるのだろうか、弱気の虫が顔が出したりもした。


『……いつも応援しています。頑張ってください』『……元気になるんです。あなたの姿を見ていると』『……もうすこし面白い話をできるようになりたいんですけど、どうも苦手で。また次の時までに練習してきます』

 そんな言葉をよく春奈に掛けてくれた。口数のすくない寡黙なイメージがあった。二十代なかばで、緊張なのかは分からないのだが、春奈の前に立つ時は大抵、無表情で、でも終わり際にちいさくほほ笑んでくれる。その穏やかな笑みが印象的だった。確か市役所で働いている、と言っていたはずだ。


 最初から悪い印象があったわけではない。どちらかと言えば、好印象を持っていた。

 だから、疑いたくない、という気持ちもあるのだ。


『誰かに見られている気がする、って?』

 春奈の言葉を聞いて、金沢さんは眉根を寄せた。

『最近、帰り道、誰かに尾けられているような気がして』

『ちなみに、心当たりは?』

『遠目ではっきりとは分からなかったんですけど、……仙台さんに似ている気がして』

『仙台さん?』

『金沢さんは分かりませんか、よく私の握手会に来てくれる』

『……あぁ、あのひとか。とはいえ、グレーを黒と判断することはできないから。とりあえず帰り道は当面、つねに誰かと一緒になるようにしよう。誰もいない時は私がいるから、安心して欲しい。そうだね、あとは握手会の時の警備も厳重にしよう』


 そんな会話があったのを覚えている。

 以来、握手会に仙台さんが来るたびに、足が竦むようになった。ただ暗い景色の中に混じる中で、本当にその顔が仙台さんかどうかは確信がなくて、違っていたら申し訳ないな、という気持ちもあった。


 そして春奈の死んだ日、収録していたのは民放の歌番組で、収録に参加していたのはメンバーのうちで春奈を含めた三人だけだった。


 その三人は、『十二単』のメンバーのうちから選抜された派生ユニットで、事件が起きたのは、二人がちょうど楽屋を出ていたタイミングだ。楽屋には春奈しかいなかった。大所帯のグループにおいて、スタッフが楽屋に誰もいない、という状態はめずらしかったので、違和感はすこしあった。バラエティ番組ならばドッキリなんて可能性もあるので、春奈は思わず室内を見回してしまったのを覚えている。ただ探し回る気にもなれず、数分、何も起きないと分かると、普段の疲れもあって、睡魔が襲ってきた。その時期は特に忙しかったのだ。


 あまり考えたくはないが、部屋の端に並んでいるロッカーにでも隠れていたのだろうか。そっと開ければ、ドアよりは軋む音はしないはずだ。ドアならばうとうとしていても、分かりそうな気はする。実際に試したわけではないのだが。


 とにかくその状況で、春奈は背後から殴られた。

 春奈は明確に仙台さんを疑っていた。

 あの時期、もっとも春奈に危害を加える可能性が高かったのが、仙台さんだったからだ。……でも、とその一方で、春奈は疑問にも思っている。どうやって仙台さんは部屋に侵入できたのだろうか。関係者以外が簡単に立ち入れる場所ではない。


 そして、いまその人物は、春奈の部屋のソファで横になっている。千葉さんに頼んで、倒れていた仙台さんを、春奈の家の中まで運んでもらった。春奈も手伝ったが、ほとんど千葉さんの力だ。仙台さんは目をつむって動くこともない。眠っているのか死んでいるのかも、よく分からない。春奈も最初にここに来た時は、こんな感じだったのだろうか。


『大丈夫なのか』と千葉さんが心配そうな表情を浮かべていた。

 確かに不用心かもしれない、とは思ったが、

『問題ないですよ。どうせ私、死んでますから。怖いものなんて』と笑って答えた。春奈としては、彼とふたりになりたい気持ちもあったので千葉さんに帰ってもらった。


 まず生きているのか死んでいるのか。

 それが気になり、春奈は仙台さんの首に手を当てる。冷たい。問題なく死んでいそうだ、と思って、春奈は心の中で笑ってしまう。問題なく死んでいる、ってなんだそれ、と。しかし実際そうなのだから仕方ない。相手の了承なく相手の肉体に触らない、という約束を破ってしまったことになるが、これくらいは許されるだろう。

 彼はなぜ死んでしまったのだろうか。


 それは自分の死と関係があるのだろうか。

 心中するためにまず私を殺したのだろうか、と暗い想像が脳裡を掠めたが、いやいや、と春奈は首を横に振る。だとしたらこんな時間の間隔が空くとは思えない。……だけど春奈は自分より後にここにきたひとを誰も知らない。死んでからこの村に来るまでの時間差はひとによって違うなんて可能性もあるかもしれない。


「……ここは」

 そんなことを考えていたところで、突然、彼が目を開ける。

「私の家です」

 何かもっと先に伝えるべき言葉があるような気がしたが、何を言っていいか分からず、口から出てくれたのは、それだけだった。


「きみは……生きていたのか……いや、そんな」

 仙台さんの思考が、春奈には手に取るように分かった。だってそれは以前に、自分自身が経験したものだから。


「いえ、残念ながら、私はもう死んでいるんです。そしておそらくあなたももう死んでいるんです」

「そうか、これは夢か幻なのか。俺がきみに会うことを望んだから」

「いえ、それも違うんです。……うーん、でもまったく違う、とも言えないのか。私たちは幻の世界にいるようなものだから」


 このあたりの細かい説明は、もっと後からいつでもできるはずだ。

「……でも、きみには生きていて欲しかった」

 悲しげに、仙台さんがほほ笑む。えっ、と思わず春奈は変な声を出してしまった。

「仙台さん、単刀直入に聞きます」春奈の改まった言葉に、仙台さんは反射的なものなのか身体を起こそうとする。春奈は手で制する。「大丈夫です。そのままで大丈夫ですから、私の話を聞いてください」

「あぁ」

 仙台さんの思考はまだ明瞭ではないはずだが、春奈の表情から、どんな言葉が来るのか察したのかもしれない。覚悟を決めた表情している。その顔が、春奈の死に彼が関わっていることを表しているような気もした。


「私を殺したひとは、あなたですか……」

「……俺、じゃないよ」

「私たちはもう死んでいます。だから嘘はつかないでください。仮にあなたが私を殺した相手だとしても、恨むつもりはありません」


 これは嘘ではなく、正直な気持ちだった。

 仙台さんが、私の顔をじっと見つめる。


「大丈夫。……と言っていいのか分からないが、本当に俺ではないよ」

 その言葉は力強く、信用しても良さそうな言葉だった。でも、だとすれば……。誰が自分を殺したのだろう、と春奈は思う。まったく知らない人間に殺されたのだろうか。


「すこしだけ、ほっとしました」

「……ただ」

「ただ?」

「きみの死に俺は関わっている。たぶん。そして俺はきみを殺した人物を知っている」

 

 そう言って、仙台さんはちいさく息を吐いた。


「誰、ですか」

「やっぱり身体は起こすよ。この体勢だと、しゃべりにくいから。……もしかしたら、きみにはあまり聞き心地が良いものではないかもしれない」

 どうする、とそのまなざしが春奈に訊ねていた。


「……教えてください」

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