偶像を愛した青年

 仙台彰せんだいあきらは、もともとアイドルに興味があったわけではない。


 嫌いだったわけでもない。それ以前の問題で、興味のベクトルがそっちのほうを向いたことがなかったのだ。嫌悪感を覚えるほども、感情を寄せたことがなかった。そもそも自分に何か強烈にハマる趣味などいままであっただろうか、と思う時もある。あるひとつの世界にはまりこんで抜け出せなくなることを、『沼に落ちる』と表現することがある。


 実際、仙台の高校時代には、アニメやゲーム、映画や音楽、といった沼にはまりこんでるクラスメートたちが何人かいた。


「出無精で、無気力。本当にどうしようもない人間だよな、俺たち」

 と言ったのは、大学の時、同じゼミに通っていた同級生だ。仙台同様、無趣味であまり周囲にとけ込むことのできなかった仙台と彼は、お互いに共感して、仲間意識を覚えていたのかもしれない。


 ただ自分は本当にこれでいいんだろうか、などと言うぼんやりとした不安は、つねにあった。だけどぼんやり程度では、こういうタイプの人間は動かない、と仙台自身、分かっていた。明確な何かを欲しながら、探し求めよう、ともしない。それでいて動き出す人間を、すこしだけ下に置いて、心の安寧を得ている。本当にどうしようもない人間だ、とは思うが、自分の心には嘘をつけない。


 仙台は大学を卒業した後、市役所で働くことになった。なんとなく勧められて、なんとなく目指したら、なんとなくそうなっていた。能動的なことなど、ひとつもなかった。

 無気力を絵に描いたような人間だ。周りで働くひとには自分みたいなタイプはすくなかったので、ここに至っても、ぼんやりとした不安は続いていた。


『十二単』の存在を知ったのは、仙台が二十五歳の時だった。

 偶然、パソコンで動画サイトを開いていると、『あなたにオススメ』の欄に、グループ結成の記者会見を映した動画があったのだ。十二人の女の子たちが二列に並んでいて、福岡春奈は後列の左から二番目に立っていた。決して目立つ位置にいたわけではない。だから理由を問われても、仙台は答えられない。気付けば、目で追っていたのだ。それまで仙台は一目惚れをしたことなどなかったが、もしも一目惚れをしたとしたら、こんな感情を抱くのだろうか、と思った。ただ彼女への感情を、『恋』と認めたくはなかった。


 そして仙台は、彼女のファンになった。初めて握手会に参加した時は緊張して、その場から逃げ出したくなったのを覚えている。彼女は最初から人気者だったわけではなく、仙台が通いはじめたばかりの頃、彼女のレーンに並ぶひとの数は他と比べても、すくないほうだった。だから仙台の顔と名前は、早めに春奈に認識された。


『仙台さんって山形出身だから、山形の仙台さんだ、ってすぐに覚えちゃいました。……あっ、ごめんなさい、嫌な気持ちにさせちゃったら』

 と名前を覚えた、という彼女の報告はこんな感じだった。春奈は相手に親しげに接してはくれるが、決して馴れ馴れしくはならない。その程よい距離感の取り方は、仙台にも落ち着くものだった。


 彼女は舞台上で輝き、仙台はそれを応援する。

 それ以上でも、以下でもない。決してそれ以上を望んでいたわけではない。

 だけどあの話を聞かされた時、まったく下心がなかった、と言えば、それは嘘になる。


『ドッキリ、ですか?』

『うん。春奈は気真面目過ぎるところがあって、正直、面白みに欠ける。もちろんそこに魅力を感じているファンも多いはずだ。仙台さん、あなたのように、ね。でももっと上の段階に行くには、それだけでは足りない、と思うんだ。私は、ね。春奈のステップアップのために、力を貸してくれませんか。もちろん無理強いはしないが』


 春奈の出演する番組の観覧に赴いた帰り、テレビ局を出たところで、仙台は金沢と名乗った女性に呼び止められた。何度か顔は見たことがあったが、マネージャーだとは、それまで知らなかった。素っ気ない話し方をする女性だ。


 長いスパンを掛けて行う、とあるテレビ番組のドッキリ企画があるんです、と金沢さんは言った。


 番組名は教えてはくれなかったが、コンプライアンスぎりぎりを攻めることで人気になった有名な番組があり、金沢さんはその番組を匂わせていた。それでも……、ともうすこし違和感を持つべきだった、と仙台はいまになってそう後悔している。


『ヤラセ……というと語弊はあるけれど、春奈がドッキリだと察することができるように、こっちも動くから。怖がらせている、と気に病む必要はないよ、あなたは』


 ストーカー役をやって欲しい。

 それが金沢さんから頼まれたことだった。普段から冷静な春奈の怖がっている姿は、新たなファンを増やすきっかけになるはずだ、と金沢さんは語っていた。よく考えれば、長期間に渡って、ひとりの少女をファンが追い掛け回す、というのは、いくら過激を売りにした番組だとしても、さすがにいまの時代にはやらないだろう。しかもファンに自宅の場所まで明かしてしまうことになる。それでも引き受けてしまったのは、金沢さん、という春奈の身近な存在からの提案だったからかもしれない。あと金沢さんの有無を言わせない雰囲気に呑まれてしまったところもある。情けない話だが。


 以来、仙台は夜道を歩く春奈を尾行するようになった。

 タクシーをおりてひとりで歩いている時もあったし、事務所のひとらしきひとと一緒に歩いている時もあった。彼氏と一緒、なんて場面に出くわすんじゃないか、と不安に思う気持ちも多少はあったが、そういう相手と出会わなくてすんだのは、ほっとした。あくまで自分はファンのひとりでしかない、と考えてはいたが、それでもそういう相手の存在はあまり見たいものではない。


 結局、一ヶ月くらい、仙台の尾行は続いた。途中から明らかに春奈は怯えている雰囲気があって、罪悪感で胸が痛んだ。金沢さんは、『ドッキリと察するように』と言ってはいたが、本当にこれが演技なのだろうか、と仙台は困惑してしまった。

 金沢さんとは定期的に会っていたので、仙台から、彼女に疑惑を投げかけることもあった。いまになって思えば、メールなどでのやり取りを嫌ったのは、証拠として文字が残ってしまうのを避けるためだったのかもしれない。もちろん会話のやり取りでも、レコーダーとかで録音をすることはできるが、仙台がそんなことをする可能性は低いと踏んでいたはずだ。


『あの、金沢さん』

『どうしました?』

『いや、本当に彼女はドッキリだと察しているんでしょうか。俺には、どうもそんなふうには見えなくて。正直、これ以上、嫌な思いをさせるのは』

『春奈は一般人ではないからね。アイドルなんだ。きみたちが思っているよりもずっと、腹が据わっているし、修羅場もくぐっている。怯えた演技できみを騙すことなんて、実は、ね。造作もないことなんだよ』


 仙台の言葉をさえぎるように、金沢さんが言った。

 そうか、そういうものなんだろうか……。完全に納得したわけではなかったが、金沢さんの力強い言葉に反論することもできず、とりあえず仙台は、金沢さんの言葉を自分に言い聞かせて、続けることにした。


 そしてあの日が訪れた。

 春奈が出演する歌番組を収録するテレビ局に、朝、仙台は呼び出されたのだ。金沢さんから。彼女の参加するユニットがその番組には呼ばれていて、その楽屋で初めてネタバラシをするのだ、と金沢さんから聞かされた。金沢さんの後ろを歩く仙台は緊張と不慣れさが相まってテレビ局の通路でどこか挙動不審になってしまった。その姿をすれ違うひとたちが奇異な目で見ていた。


 ただ、やっぱりドッキリは本当だったのか、きょうで解放される、と仙台はほっとした気持ちもあった。

 金沢さんが案内してくれた部屋は、決して広いとはいえない部屋で、真ん中に長方形のよく会議用で使われる長机がふたつくっつけてあった。その机に四つのパイプ椅子が置かれている。まだそこには誰もおらず、仙台と金沢さんのふたりだけだ。端にひとがひとり入れるほどの大きさのロッカーが三つ並んでいた。

 

 そのひとつを金沢さんが開けて、


『ちょっと窮屈だけど、ここに入っていて欲しいんだ』

 と言った。


『ここ、ですか』

『うん。合図をしたら、そっと音を立てずにロッカーから出てきて、「わっ」と背後から春奈を驚かせるんだ』

『合図、ですか?』

『そのタイミングになったら、スマホに着信を送るよ。下四桁はこの番号になっているから。ただ音は鳴らさず、バイブ機能にしてくれ』

『……分かりました』

『あと』

『あと?』

『正直、ね。彼女たちの会話の中には、きみに聞かせたくないものもあるかもしれない。だから直前まで、これを付けておいてくれ』

 と言って、渡されたのはイヤフォンと携帯用の音楽プレーヤーだった。付けると、『十二単』の曲が流れてくる。金沢さんがちいさく笑う。


『彼女たちが入ってきてからでいいよ、付けるのは』

『はい』

『きょうまで、協力してくれてありがとうございます。正直、きみには申し訳ないとも思っているんだ。こんなことに巻き込んでしまって……』

 この言葉を最初に聞いた時、『ドッキリに巻き込んでしまった』ことを、金沢さんは謝っているのか、と思っていた。だけど事件が起こったあとだ、とまったく違った意味になってくることに気付いた。いまでも仙台は考えてしまう。あれは意識的な言葉だったのか、それとも無意識の言葉だったのか、と。


 ロッカーが閉じられてしまう、と世界は真っ暗になった。

 閉所恐怖症のひとには耐えられないだろうな、と仙台はぼんやりとそんなことを考えていた。このまま普通に終わるのだろうか。ロッカーに入ってから、彼はずっと嫌な予感に囚われていた。視界が失われた状況で心細くなっているだけだ、考えすぎだ、と自らに言い聞かせる。


 暗闇と音楽で、外の様子を知ることのできない時間は、とても退屈だった。

 いっそイヤフォンを外してしまおうかな、とも考えたが、結局、こういう時にその選択を採れるほど、融通の利く性格ではなかった。それにファンとしては裏の顔を知って、幻滅してしまう、という事態も避けたい。彼女たちに限って、特に春奈に限って、そんなことはない、と信じたいが。


 仙台が実際にロッカーの中にいた時間は、おそらく三十分くらいだろう。もしかしたら、もっと短いかもしれない。ただ狭く閉ざされた場所で何もできずにいる時間は、五時間にも十時間にも感じられた。


 スマホが振動する。

 そっとロッカーを開けると、そこにはひとりの女性がうつぶせで倒れていた。その状況でもそれが誰かすぐに分かった。彼女のもとに駆け寄る。


 春奈が頭から血を流していた。誰が見ても、すでに死んでいる、と判断できる状態だった。

 思わず叫びそうになって、慌てて自分の声を止めたのは、いまこの場に自分と春奈しかいない、という現実的な判断だったのかもしれない。どう考えても怪しいのは自分だ。誰かに気付かれたらまずい、とそんな気持ちが萌したのだ。


 だけど部屋の入り口のドアが開く音が背後から聞こえた。振り返ると、その日、春奈と一緒に出演する予定だった『十二単』のメンバーのひとりがいて、驚きと恐怖で声も出せずに立ち尽くしていた。


 仙台は混乱しながらも、『違う、違うんだ。俺じゃない』と必死に伝えたが、信じてもらえなかった。というよりも聞いてる雰囲気さえもなかった。


「そんな死んだはずのきみが、いま、俺の目の前にいる。不思議で仕方ないよ」

「正直、驚いています」と春奈が言う。

「それは、何に」

 ここは生者と死者が交錯する村だ、と春奈が教えてくれた。実際、間違いなく死んだはずの自分と春奈がいるのだから、それは確かなのだろう。死ぬ寸前、最後に頭に浮かべたのは、春奈の姿だった。春奈が憎しみのまなざしを向けて、仙台のことを糾弾するイメージが浮かんだのだ。だけど実際に彼の前にいる彼女の目は、穏やかだった。


「仙台さんが私を殺した、と思っていました。だって、ずっと私の後をつけていましたし」

「そりゃあ、そうだよな。……そしてやっぱり気付いてなかったんだな。金沢さんの嘘だったのか、やっぱり。あんなドッキリはなくて」

「でも、なんで金沢さんは……。あっ、そもそも、まだ話は終わってなかったですよね」


 春奈が死んで以降のことは、仙台にとって、どこか蛇足のような気持ちがある。仙台はとっさにその場から逃げ出した。幸運だったことは、仙台の姿を見たメンバーが叫んだりしなかったことだ。テレビ局を出て、すこし走った後、とりあえず仙台はタクシーを捕まえた。どこか遠くへ逃げなければ、と思ったのだ。だから家には帰らなかった。ネットカフェに向かって、仙台は気持ちを落ち着かせることにした。


「それで俺は……ネットカフェの個室から、金沢さんに電話を掛けてみることにしたんです。俺は明確に金沢さんを疑ってました。だからこれは賭けだったんです」

「賭け?」

「そう、もしも金沢さんが犯人なら、それも俺に罪を着せようとしての計画的な犯行だったなら、電話に出るはずがないし、本当の金沢さんの番号ですらないんじゃないか、って」

「どうだったんですか」

「金沢さんは電話に出ました。『もしかしたら犯人じゃないのかもしれない』って、それなら頼りたい、ってそんな気持ちもありました。できれば信じたいじゃないですか。俺は焦りながら、部屋で起こったことを話しました。そしたら、『私はきょうの夜、ホテルにいるから』って、そのホテルの場所を指定してきて。……行きました」

「……行っちゃったんですね」

「不用心ですよね」

「不用心すぎます」

 不思議な話ではあるのだが、お互い死んでいるからか、もう笑い話になってしまっている。してはいけないのだろうけど。


「ま、まぁ、とにかく。それで俺はホテルに行ったんです。時間の指定も遅くて。深夜でした。でも目立ちたくない俺にとっては好都合の時間でした。金沢さんは申し訳なさそうに、『ごめんなさい。まさか、こんなことに。犯人はまだ分かってなくて』と俺に言って、グラスにワインを注ぎました。飲んで、とすすめられて、飲んだ瞬間……気付いたらここにいました。毒だった、みたいです」

「……なんで金沢さん、そんなこと。私、金沢さんと付き合いも長いから、信じたい気持ちはあるんですけど、でも私を殺したのも、金沢さんなんですよね。たぶん……」

 春奈が目を瞑る。


 仙台は掛ける声が見つからなかった。さすがに、そんなことないよ、は白々しすぎる。犯人は金沢さんで間違いないだろう。動機に関してはまったく分からないけれど。


「……直接、春奈さん、」といままでのように呼び捨てではなく、さん、付けになってしまったのは、いまの自分がもう、彼女を偶像として見ていないからだろう。「きみを殺したのが俺ではなかったとしても、きみの死に、俺が大きく関係しているのは間違いないだろう。だから、すまない。こんな見たくもないだろう顔を見せてしまって」

 だけどそう思いながら、心のどこかでは、彼女との再会を喜んでいる。もう二度と顔を見ることもできない、と思っていた、無色で味気ない人生を救ってくれた恩人の顔が目の前にあることに。


 ……だから、それだけでじゅうぶんだ。


「私はすこしほっとしてるんです」

「ほっとしてる?」

「私は正直、あなたを疑っていました。でも違っていて欲しい、っていう気持ちもあったから。私はあなたについて仕事を通してしか知りません。あなたの詳しいことは何も知りません。だけど、どこかでそういうひとではない、と信じたかったんです。理由は分からないけど。だからこの話を聞けただけでも良かった」

「俺の話を信じてくれるんだね」

「……でも、そうすると、金沢さんを疑わないといけなくなるから、すこしの間、保留にさせてくれませんか」春奈がちいさく笑った。「どうせ、私たちはもう死んでいて、また私を殺すことなんてできないんですから。そもそも死ぬのなんて、もう怖くもないし」

 冗談めかした言葉に、仙台も笑ってしまう。


 ただ……。


「でも、俺が近くにいるわけにはいかない」

「これからどうするんですか。村から」

「どこか遠くにでも行ってみようかな」

「村からは出られないんです」と春奈が申し訳なさそうに言う。「出れば、私たちは跡形もなく消滅してしまうんです。私も聞いた話なんですけど。住む家は村長にあたるひと……信濃さん、っていうんですけど、そのひとに相談すれば……」


 それも悪くないな、と仙台は思った。春奈はこう言ってくれたが、自分はそれなりに罪深い人間だ。


「すこしここで様子を見ようかな。住む場所についてもそれから考えるよ」

 と仙台は嘘をついた。

 春奈の家を出る。

 道なりに歩いていくと、途中で、桜が咲いていた。時期なんてひとつも気にしていなかったが、いまは春だったのか。死者たちの世界にも四季はあるんだな。桜は儚さの象徴とされることが多いが、二十代で命を落とした俺や春奈の人生も同じように儚かったのだろうか。実感はいまだにないが、ようやく死んだ、という自覚だけは芽生えてきて、仙台はそんなふうに思った。


 一陣の風に吹かれて、枝から飛び立った花びらがゆるやかに舞った。

 地面に付くのをぼんやりと眺めていると、背後から声を掛けられた。


「出ていかないでくださいね」

 振り返ると、春奈が立っていた。

「春奈さん」

「別に、前みたいに春奈でいいですよ。……言わないと、出ていきそうな気がしたから」

 図星を指されて、仙台はうろたえてしまった。


「……出ていかないよ」

「せっかくだから、もうすこしここにいましょうよ。死体が桜の木の下に埋まらない世界があった、っていいじゃないですか」

「どういうこと?」

 首を傾げる仙台に、また今度教えます、と春奈はほほ笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る