第20話

 信号を超え、海岸の方へ向かうと、一週間前の凄惨な焼け跡の残った建物が見えた。じっくり見ると、なんだか鳥肌が立ってしまいそうなくらい「リアル」だ。

 そうこれは現実なのである。決して「夢」ではない。

「まだ、それらしい人は見当たらないね」

「残念ながら警察官らしき人も」

 どうやらさきほどの鼻声電話は無駄だったらしい。

「『夢』にでてきた人って、二十代くらいの女性だよね」

「・・・そ、そうだね」

「やっぱりまだいないね」

「とりあえず、今回は僕たちもあんまり目だつわけにはいかないから端の方へ移動をしよう」

 ぼくはおろしたゴルフバックを再び背負って、彼女と入口から左方向の海岸の端へ移動した。

「誰か来たよ」

 彼女の視線の先を見ると、閑散とした海岸沿いに一人の男の姿が見えた。

「何か怖い顔のおじさんだね」

 彼女の言う通り、白いシャツと茶色のチノパンを履いた裏社会に居そうな四十代くらいの顔の怖いおじさんだ。

「でも、『夢』で見たあの男ではないと思う。もっと長髪で、もう少し、背が低かったと思う」

「確かにそうだね。でも、なんか怪しくない。周りを気にするみたいに左右を見渡している」

「たしかに、見間違いだったから」

 僕は段々と自分の記憶に自信が持てなくなった。

 ただ、そのおじさんは僕たちが入ってきた入口の方へいってしまった。

 おじさんが言ってしまってから、もう二十分ほど経つが一向にそれらしき人たちは来ない。このまま時が過ぎてしまえば・・・。そんな僕の淡い期待に背くようにそのときはやって来た。

「ねぇ、成田君」

「うん」

 例の女性がやって来た。二十代中頃のワンピースに羽織をした女性だ。どこか、彼女に雰囲気が似ているような気がする。彼女が成長したら、あんな風になるだろうか。

 女性を眺めていると、隣の彼女の視線を強く感じた。

「な、なに?」

「別に~」

 なぜか彼女の視線は冷たかった。

 また、しばらくして、女性の先に人影が見える。目を凝らして、近づいてくるその人影をじっと見た。全身黒い服を着た長髪の男が片手をポケットに入れ、女性の方へ近づいている。

「佐倉さん」

 僕は力強く彼女に呼びかけた。そう、あの男だ。だが、彼女の返答はない。

 僕が隣の彼女の方見ると、彼女はぎょっとした目をひらいたまま、彼女だけが世界が止まってしまったように微動だにしていなかった。

「佐倉さん」

 ぼくはもう一度彼女に呼びかけた。

 彼女は顔をはっとさせ、僕をみた。

「佐倉さん、とりあえず警察を」

「分かった」

 僕は彼女に警察を呼んでもうらように頼み、彼女が立てかけていてくれたバットをケースから取り出した。

 その時だ。男の歩くスピードが上がった。そして、ポケットに入れていた右手を取り出した。その手にはキャンピングナイフの刃が見える。明らかに男の行く先は女性の方へ向いている。

 最悪だ。ぼくはバットだけを持って走り出した。

男が女性にたどり着くより先に、女性のもとへたどり着かなければ。

だが、さらに最悪なことに、男はどうやら僕の存在に気づいたらしい。男は駆け足で女性のもとへ向かった。バットを持って走ってくる制服をきた高校生。目立たないはずがなかった。

「逃げて!」

 僕は女性に向かって叫んだ。女性は後ろを振り返ると、足が固まって動けないようだった。これでは間に合わない。僕は手にもっといた唯一の武器であるバットを思い切り、男の方へ投げた。

 バットは宙を勢いよく浮いた。スピードを保ったまま男の方へ・・・とはいかなかった。

僕の腕力では男のもとまで飛ばすことができなかった。投げる球技は嫌だ。

だが、幸いなことにそのバットは男の足元にまで転がっていき、男の足に絡まった。そのまま男はバランスを崩し、間一髪のところで男は前へ転んだ。その影響で男の持っていたナイフは男の右手方向、つまりは建物方面へ飛んでいった。

「成田くん」

と同時に後ろから走って来た彼女が、ゴルフクラブの一本を僕の方へ転がした。それを僕は足でトラップし、受け取った。

 そして、僕は受け取ったゴルフクラブを倒れた男へ向けた。

「観念しろ。警察も呼んだ。もう時期にやってくる。手を頭の後ろで組むんだ」

 男は唸りながら、僕を見上げ睨め付けた。

 だが、どんな僕を威嚇しようが、もう袋のネズミ同然だ。

 男はしばらくして呼吸を整えた後、両手を頭の置くように、動かした。

 と思った矢先だった。男は息を吹き返したように立ち上がり、ナイフが飛んだ方向とは逆の方へ走りだした。逃走を図ろうとしたのか。僕は男を追いかけようした時だった。

「しまった」

 男の進む先には、僕に追いついてきた彼女が。そして、男はパケットから同じキャンピングナイフを取り出した。くそ、もう一本持っていたのか。

 僕は彼女に向かって叫ぶ。

「佐倉さん、逃げて!」

 だが、彼女は足を動かせない。

僕は、急いで彼女の方へ向かった。



 その瞬間だけは、私のいるこの世界がゆっくりになったような感じがした。だが、私はこの足を動かすことができなかった。

 瞼を閉じた。いや、きっと閉じてしまったんだ。何かを悟ったその直後、私は再び瞳を開けた。

瞬く間に私の視界に映る光景が血生臭いものに変わった。だが、それは私の想像していたものとは違った。

より、最悪だった。

 私のすぐ目の前には、彼がいた。そして、彼の前にはあの男がいた。

 ぽたぽたと地面に落ちる赤い液体を見たあと、その血痕を辿ると、そこは彼の左の脇腹であり、黒い取手の刃物が刺さっていた。

「はぁはぁはぁ・・・」

 言葉が出なかった。

 私は咄嗟に彼の両脇を取り、段々と重くなっていくその体をできる限りゆっくりと地面におろした。

 彼は青仰向けで地面に倒れると、ゆっくりと深く呼吸をしてた。

「成田くん、成田くん」

 私は地面に倒れる彼を何度も呼びかけた後、顔を軽く上げると、してやったという顔であの男が私たちを見ていた。

 私にはもう恐怖の感情はなかった。私はただ、男に対する怒り、憎悪を込めて、ただ睨んだ。男は数秒ほどして、この場を立ち去ろうと向こうへ走っていった。

 すると、あの怖い顔のおじさんがすごい勢いで男へ迫っていた。

「おい、待て!」

 次の瞬間には、あのおじさんは男を地面にたたきつけ、取り押さえていた。

「警察だ。観念しろ」

「何で、こんなところに警察が・・・」

「お前だろ、わざわざ我々を挑発してきたのは・・・」

 どうやらこのおじさんは警察官でこの辺りを見張っていたらしい。成田くんの作戦はうまくいってたんだ。

 でも、そんな目の前の光景は今の私にはどうでも良かった。

 その後、私は救急車を呼び、何度も彼の名前を何度も呼んだ。

 私は無力だ。こういう時、どういう対処をしたらいいのか、まるで知らない。ただ勉強だけしてきた私には何もわからなかった。こうやって彼の名前を呼ぶしかない。

 なんてちっぽけなんだ。私は自分の無力さに涙をこぼしてしまった。

 しばらくして、彼が口を開けた。

「はぁはぁはぁ、佐倉さんは怪我はない?」

「うん・・・」

「それは良かった」

 彼は笑顔を見せた。苦しいはずなのに。わたしなんかよりずっと苦しいはずなのに

「もうちょっと、頑張って。もうすぐ救急車がくるから」

 彼の顔を見て、涙がもっとこぼれてしまう。

「泣かないで・・・、佐倉さんは、きっと大丈夫だから・・・」

 彼はそう言って瞼を閉じた。

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