第4話

 僕たちは少し駆け足気味に新幹線口の改札へ向かった。まだ、平日の午後にも関わらずサラリーマンを中心に多くの人で賑わう東京駅構内を僕たちは通り抜け、東海道新幹線の改札前にたどり着いた。

「十四時半のひかり号でいいんだよね」

「それで大丈夫」

「分かった。席はどうする」

「別に無理に合わせる必要はないよ」

「逆に言えば、無理に離す必要もないでしょ。何かあった時のために近くにしておきましょ」

「じゃあ、七号車の八のEを取って、僕はDを取るから」

「・・・分かった。」

 僕は佐倉さんの言った席の隣の席を券売機の画面でタップして、お金を入れた。悲しいことに休日一日分のバイト代がチケットに変換される様を見て、僕は本当に浜松に向かうのだとさらに実感した。

 既にチケットを購入した佐倉さんが改札のちょっと前で僕を待っているようすを見て僕は駆け足で追いついた。

「ごめん。遅くなった」

「大丈夫。それより早く行こう」

「うん」

 僕たちはホームから名古屋行きと表示された新幹線に乗り込んだ。特急列車とも新幹線の車内はやはり独特の雰囲気を感じる。旅の雰囲気ってやつだろうか。

『次は品川、』

 列車が発車してしばらくするとすぐに、次の停車駅が読み上げられ、続けて定番の音楽がなった。

 品川駅を出発し次の横浜駅に向かう途中、佐倉さんが急に僕に尋ねた。

「さっき、聞きそびれたんだけど・・・」

「なに?」

「成田くんはいつから、『夢』を見始めたの」

「この『正夢』のこと?」

「うん」

「昨日、月曜日の朝に見た『夢』が最初」

「そっか。予想通り」

「ということは佐倉さんも」

「ご名答」

 彼女は不敵な笑みでそう答えた。彼女はあれからもこの現象についての糸口を考えていたらしい。

「なるほど。唐突な質問だけど、佐倉さんは日曜日何を」

「言いたいことは分かるけど、本当に唐突だね。特になにも。ずっと家にいただけ。成田くんは?」

「一日バイト」

「バイトしているんだ。大変だね」

「別に。特にやることがないからだよ」

「勉強とかは?私たちこれでも受験生でしょ」

「別に適当な大学にいければいいから。大学で何か学びたいことがあるわけでもないし」

「そう?成田くんと少し話してみて、意外と頭が良い方だと感じたけど。なんと言うか、言葉の意図を読むところとか」

「意外って、まぁいいけど。それに、それは頭がいいとは関係ないよ」

「そっか。話を戻すけど、お互いに昨日から『夢』を見始めて、その前日は別々の場所で別のことをしていたということ。つまり、共通のトリガーはなさそうだね」

「確かに」

「結局、これから起こるかもしれない現象を確認するしかないってことだね」

「そうだね」

 佐倉さんは一呼吸おいた後、窓から景色を眺めながら僕に尋ねた。

「あのさ、本当に起こると思う」

 珍しく主語のない彼女の質問に、意地悪く僕は聞き返した

「起こるって、夢の中の出来事が」

「・・・うん」

「・・・分からない。でも、起こる可能性が一パーセントでもあるなら、今はただ行くしかないと思う」

 僕が佐倉さんの質問に返答して、しばらくして佐倉さんは僕に言葉を返した。

「そう、・・・そうだね」

 僕は、特急列車の中の彼女がただ純粋にこの現象の糸口を見出そうとしているのだと勘違いしていた。でも、それだけでないのだろう。彼女は浜松に、夢が現実になる場所へ向かうのに彼女なりの不安があったのだと今になって感じた。無理もない。僕にも多少の不安はある。

 だが、お節介に彼女を慰めることも、諭すことも僕にはできないし、その権利はない。不安そうな手を取ることもできない。

「きっと、大丈夫だよ」

 だから、自分に言い聞かせるように一言だけ言った。

「えっ」

 佐倉さんは驚いたように、窓の方に向けた顔を僕の方へ向けた。

 対する僕は少し恥ずかしくなって顔を彼女とは逆方向に向けた。

「根拠はないよ。ただ、自分に言い聞かせてるだけ」

「何それ。でもありがとう」

 佐倉さんは微笑むというより、苦笑しながらであったがそう言った。


 しばらくの沈黙が続き、あっという間に一時間三十分足らずの時間が経った。僕たちは浜松駅の新幹線ホームに足を踏み、弁天島駅の最寄り駅・弁天島駅へ向かった。

 新幹線から降りてくる人たちは少なくなく、スーツを着たサラリーマンはキャリーケースを持ち、観光に来た外国人は大きなリュックサックを背負っていた。カバン一つしか持たない僕たちは『すみません』とか、『sorry』とか言いながら、人混みをかき分けていき、二十五分に一回しかでない豊橋行きの東海道本線ホームへ急いだ。

『列車が発車いたします。黄色い線より内側に入らないよう、ご注意ください』というアナウンスとともに僕たちはがらがらの車内に入った。僕たちは適当に空いている向かいの席に座り、息を整えると、特に言葉を交わすことなく窓の外の景色を見た。

 窓の外から見える畑や田んぼ、たまに見える住宅という代わり映えの景色を意味もなくただ眺めた。この沈黙は何か緊張感のようなものを孕んでいるような気がした。例えるのであればテストの答案が配られてからテスト開始までの、あの何もできない時間だ。テストの時はあの無意味な時間が早くすぎさってしまえばいいのにと考えるが、今は違う。どうしてだか、僕はこの時間が終わらなければいいのにと考えてしまった。正確に言えば、その時が来ないで欲しいと願っていたからもしれない。

 斜め向かいの席に座る彼女はいったいこの状況をどのように考えているのだろう。と疑問に思っていると、僕たちが座る座席とは逆方向から海とそのさきに広がる太平洋が見えてきた。

 僕が逆方向の窓を見ているのに気づくと、彼女も海を方を眺めた。海が視界に入ると見入ってしまうのは人間の性みたいなことなのだろうか。

 息つく間もなく弁天島駅に着くと、僕たちは海岸の方へ向かった。途中、なかなか切り替わらない信号機に足踏みし、横断歩道を渡ると目の前にはわずかに見える海が見え、海岸の入り口の右横には小さな神社あった。以前訪れた際に立ち寄った神社。今回も寄りたかったが、泣く泣く通り過ぎた。入口を抜けると、一面に海が広がり、その中にポツンと赤い鳥居が浮かぶ。あの海の中に佇む赤い鳥居は浜松市観光名所になっている。

 僕たちは一通り辺りを見わたしたが、特におかしな様子も人も、そして煙も見当たらなかった。

「今のところは大丈夫そうだね」

「そうだね」

 少し安堵した表情の彼女の言葉に僕は軽く頷いた。とりあえず間に合ったようだ。軽く肩のちらを抜いた僕が海の方を見ると、オレンジ色の光が海に差し込んだ。時刻は十六時四十分過ぎ。もう少しで日の入りだ。

 日に照らされる海と鳥居は前に来た時のまま、美しい景色だった。勝手に目が奪われてしまう。軽く靡く風と波の音が一定のリズムで立ち、僕は理由もなく感傷的な気分になった。

 同じように一点を見つめる彼女も同じようなことを思っているのだろうか。このまま日が沈んで何事のなく時間が過ぎればいいのに・・・。平日の夕方、ほとんど人のいない平穏な空気に僕は今朝見た夢が偶然の出来事だと完全に思い込む寸前だった。

 そんなことを思ったのも束の間、この澄んだ夏の空気の中で異質な匂いが僕の鼻に漂った。そこで、後ろを振り返ると、そこは夢の景色のままだった。

 これもまた夢でみたままの建物、旅館だろうか、そこから煙が上がっているのが見える。よく見ると一階付近の方に火元が見える。

 僕は驚愕した。自分の体全体から汗が染みわたるような感覚だった。この非現実を頭が受け入れられていないようだった。同時に少し涼しくなってきたとはいえ、三十度以上のこの気温にも関わらず全身から肌寒さを感じた。何秒ほどたったのだろうか。僕はやっと現実に戻ったような気がした。

「佐倉さん」

 僕が佐倉さんに声をかけると、彼女もまたその光景を目の当たりにしていた。唖然とした表情のまま、僕の声は届いていないようだった。

「佐倉さん」

 僕はさっきよりも力強く彼女を呼びかけた。すると彼女はハッとした様子で僕の声に反応した。僕は続けて彼女にお願いをして火元に向かって走った。

「警察と消防に連絡を」

 火元に向かうと、さきほどより少し広がっているようだった。早急に何か手をうたなければならない。僕はとっさにカバンの中に入っているペットボトルの水を取り出して、ふたを開けた。僕がペットボトルの中に入った水をかけようとすると、後ろから声が聞こえてきた。

「待って」

 後ろから走って来た佐倉さんは息を切らしながらそういうと、カバンからタオルを取り出した。

「ここに水をかけて」

「えっ、なんで」

「いいから、早く」

「う、うん」

 今まで聞いたことのない佐倉さんの力強い声に、僕は困惑しながらも大人しく彼女の指示に従うことにした。

 僕はペットボトルの水を一通り彼女のタオルにかけていった。

「絞ってから、火元にかぶせて」

「わ、わかった、って熱っ」

 ぼくは彼女の指示通りに濡れタオルをぎゅっと絞ってから火元に覆いかぶせた。すると、じゅーと音を立ててさきほどまで赤かった部分の体積が段々小さくなっていった。

 これで静まったかと思われたが、段々とタオルが焼け落ちていって、火元少しずつ再燃し始めた。

「えっ、噓でしょ。どうしよう」

 佐倉さんは困惑し、あたふたとしていた。かく言う僕もこの場の最適解を全く思いつかずにいた。

「とりあえず、水、水かけよう。佐倉さん、ペットボトル」

「う、うん」

 僕たちがどうしようもないでいると、後ろから大きなクーラーボックスをもったおじさんがやってきた。

「二人とも下がって」

 僕たちは言われるがまま一歩、二歩と下がった。僕たちが火元から離れたのを確認すると、おじさんはクーラーボックスいっぱいに入った水をどばぁと火元に向かってかけた。先程以上にじゅーと音を立てる煙に驚く僕らを他所におじさんは靴で火元を踏みまくっていた。

 あまりにも物理的すぎるおじさんの対処方法に僕たちが目を仰天とさせる一方で、火は次第に消えてなくなっていた。

「怪我はないかい二人とも」

 おじさんは驚く僕たちと対照的に、あまりにも冷静だった。大人ってすごいな。

「大丈夫です」

「私も」

 僕たち感謝と尊敬まじりの声色で答えた。

「そうか、それは良かった。君たちのおかげでなんとか火を消すことができたよ。ありがとうね。」

「そんなそんな。こちらこそ危ないところをありがとうございました。」

「そうですよ。むしろ火を消せたのはおじさんのおかげですよ。ありがとうございました。」

 僕は佐倉さんに続いておじさんに感謝を伝えた。


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