第28話 未熟な聖女

 ——奇妙な静寂が漂った。


 誰も口を開かず、ただソフィアさんが手を伸ばした衣擦きぬずれの音だけが響く。

 俺の頬へと手を添えた彼女は、おもむろに「【封印オヴィシグナートゥス】」と魔法を行使した。


「ソフィアさん!?」

「ソフィア様!?」


 ラフィニアとマーシーさんの驚きが重なる。

 白金の光が舞い上がり、それらは俺の身体へ吸い込まれるように静かに消えた。


 と、普段は冷静沈着なマーシーさんが声を上げた。


「ソフィア様、話が違います! 彼女アシュリーに詳しく話を聞いてから、今後どうするか決めると、仰ったではありませんか!」


 彼女は見たことも無い勢いでソフィアさんへと詰め寄っている。

 ふと、俺のすぐ隣にいるラフィニアを見る——と、彼女は目を見開いて俺の姿を見つめていた。


 今も問いを投げ続けるマーシーさんに、ソフィアさんが向き直る。


「落ち着きなさい、マーシー。断りもなく魔法を行使したのは悪かったわ、けど——」


 はっと我に返ったマーシーさんは、半歩下がって頭を下げ「申し訳、ありません」と小さく息を吐いた。


「これでハッキリした……。ラフィニアも気付いたでしょう?」

「……はい。アシュは、どうなるんですか?」

「正直なところ、何も分からない……。宿悪魔なんて聖典にも、記録にも、いっさい無いもの……」


 二人の会話は、理解できない範疇の内容ではあったが、ある単語が頭の片隅に引っかかる。


「封印の、力……?」


 俺が首を傾げた、その時だった——


 胸の奥からひと際大きな鼓動が走り、ふわりと吹いた風が髪やカーテンを揺らした。

 そして俺の首にあった封印具は音もなく崩れ落ち、光の粒子へと還る。


 首に手をあて、「あれ? どうなって——」と声を漏らしたと同時に、の言葉が部屋全体を小さく揺らす。


『キサマが封印そのものになった、という訳じゃ』


 アシュタロトの言葉はいつもよりハッキリと耳を震わせる。

 と、ソフィアさんの視線が鋭く俺を捉えた。


「まさか、自由に出て来れるのかしら? アシュタロト……」

『くくっ、それは無理じゃな。その裁量権を持つのはアシュリーだけじゃ』


 アシュタロトとソフィアさんが言葉を交わしているが、以前と違って俺の意識は今もはっきりとある。

 ——というよりも、口調こそ違うが自分の声が部屋全体から聞こえてくるような、そんな奇妙な感覚だった。


『今は”こやつ”が弱っておるからの……少し無理をすれば、意識だけなら表面に出せる、という訳じゃな』


「ちょっと待った、アシュタロト! どうなって……自分の声を聞かされてるみたいで、ちょっと気持ち悪いんだけど……」


『今は”今代の聖女”と話がある。なに、黙って聞いておれば自ずと分かる事じゃ』


 アシュタロトの言葉に口を噤む。

 それでも小言の一つくらいは、と呟く。


「ったく……俺にも分かるように説明しろよ?」




▽ ▽ ▽




 ——アシュタロトとソフィアさんの話し合いは続いた。

 

 アシュタロトは、修道院を出てからの一連の出来事を語っている。

 そして、その会話の中には、あの地獄を思い出してしまう言葉もあった……。

 

『アシュリーは奴らに捕らえられた……。じゃが、こ奴は屈することなく戦っておったぞ』


 その言葉は気遣ってのことだろうけど、俺には救いに聞こえた。

 拷問の詳細だけは上手くぼかしてくれていたが、 それでもラフィニアは肩を震わせ息を吞んでいる。


 そして話の本筋は、俺の身体に起きた変化とやらに移っていった——。


「アシュリーが起きる前に、マーシーとティミシアが一通り調べた結果——とある結論に達したわ」


 ソフィアさんが静かに目を閉じる。


「彼女は封印の力を宿した、術式に近い存在に変わっていたわ……」


 ソフィアさん曰く、「魔力の逆流が、原因の一端ではないか?」 という事らしい。


「それって……俺はどうなるんですか? まさかコイツアシュタロトの封印として置物みたいになっちゃう、とか?」


 自分で言っておきながら、血の気が引くのを感じた。

 繋いでいるラフィニアの手が、ギュッと握り返してくる。


『いや、恐らくそれはなかろう。ただ——』


 アシュタロトの言葉が途切れる。

 言い澱んだ気配から、嫌な予感ばかりが募る。


「ハッキリ言えよ……。もう、どうしようもないんだろ?」


『そう、じゃな……』


 歯切れの悪いアシュタロトを制するように、ソフィアさんの声が響く。


「説明はワタシがするわ。元はと言えば、ワタシの決断が招いた事態だもの」


 ソフィアさんが背筋を伸ばし、俺を正面から見据える。

 

「融合するはずだったアナタたちの魂は変質して、再び分かたれた。このまま打つ手が無ければ——」


『——我らは、互いに消滅するじゃろう。あのの思惑に終着するのが癪じゃがの……』


 二人の言葉が静かに、けれど深く胸の奥に木霊した。

 ラフィニアの「そ、そんな……」と、震える声が耳に残る。


 消滅——。

 その二文字が重くのしかかる。

 現実味の無い宣告に、呆然としているとソフィアさんは遠くを見つめて呟いた。


「そういえば昔、とある研究者が”魂の変質”に執心していたわね……」

「魂の、変質? どっかで……?」


 何となく、その語感に覚えがあった。

 思い出そうと首を傾げていると、後ろに控えていたマーシーさんが口を開く。


「魂の変質——というと、かつてという研究者がいましたね」

「あの狂人は、今はどこで何をしてるのかしら……」


 マーシーさんとソフィアさんが顔を見合わせ、苦い表情を浮かべている。


 だが、それよりも二人の口から出た名前が、俺の心を酷くざわつかせた。


 グイード——。

 その名が耳に触れた瞬間、凄惨な光景がフラッシュバックした。

 

 血と鉄さびが混ざった臭い。

 熱せられた鉄の棒がチリチリと上げる音。

 皮膚を刃が裂く激痛。

  

 それらの血生臭い記憶が身体を震えさせ、呼吸すらままならない。

 俺は、自分を抱きしめて布団に蹲ることしか出来なくなった……。


「アシュ!?」 


 ラフィニアが肩を揺さぶり、俺を呼びかける声でようやく正気を取り戻す。

 そして、彼女の口から冷たさすら感じる声が漏れた。


「……もしかして、アナタを傷付けたのは……グイードってヤツなの?」


 彼女のその言葉に声が詰まる。 

 ようやく開いた口から漏れたのは謝罪の言葉だった。


「ごめん……でも、ラフィは気にするな——」

「また、そうやってアシュは。いつも一人で抱え込んで、私をもっと頼ってよっ!」


 ラフィニアの声に、場の全員が静まり返る。


「俺は、ラフィの照らす道未来を歩けない……今度こそ、本当に」 

「……二人で暮らそうって、一緒に生きて行こうって約束はどうなるの?」 

「ごめん……。残された時間は、ラフィを守るために全部使いたいんだ……」


 一瞬、ラフィニアが息をのんだ。

 それでも、紫色の瞳には決意の色が灯っている。


「だったら教えてあげる! 私はもう、アナタに守られてばかりの私じゃない!」 


 そう言ったラフィニアは立ち上がり、手を祈るように組み——その口から魔法の名が紡がれる。


の名のもとに、癒しと守りの奇跡を——【光の御柱クルゥムナ・ルーチス】」


 白金の光が揺れた。

 だが——


「ラフィニア。まだ、アナタには早いわ」


 ソフィアさんの一言で光は霧散し、あとに残ったのはラフィニアの酷く息切れした呼吸だけだった。彼女の額には、汗が珠のように浮いている。

 肩で息をしていたラフィニアが、崩れるように床に座り込んだ。


「なんで……。どうして私には出来ないんですか!?」

「まだ、その”時”じゃないのよ。時が来れば、魂がアナタを導く……だから無茶はしないで」


 彼女の頬を悔し涙がすべり落ち、握った拳が小さく震えている。


「ラフィ……俺が悪かった。俺の目が曇ってた」

「…………」

「いつの間にか、君はもう守られるだけの女の子じゃなくなってた」


 ラフィニアは顔を俯かせて何も言わない。


「だから、一緒に戦ってくれ。 俺が消えるその時まで」


 その言葉に、ラフィニアの肩がビクッと揺れた。

 俯いたまま、ゆっくりと首を振る。彼女の震える息がわずかに聞こえてくる。

 おぼつかない足取りで立ち上がったラフィニアの目には、涙が溜まっていた。


 震える指先が彼女の心を表しているようで、見ていて辛い。

 彼女へと伸ばした手は、ラフィニアの小さな呟きで触れる前に止まった。


「やだ……」

「ラフィ? なに言って——」

「やだっ! 私はアナタを諦める戦いなんてしたくない!」


 駄々をこねる子供のような言い草——。

 けれど、その瞳には確かな決意が宿っている。


「今度こそ、アシュを救ってみせる……手を取り合う未来を、私が作ってやる!」


 ラフィニアは再び祈るように両手を組んだ。


「ラフィ、待ちなさい! それ以上無茶をしたら――!?」


 ソフィアさんの制止も聞かず、ラフィニアの身体を白金の光が包み始めた。

 空気が震えて、音が遠ざかる。

 ラフィニアの口から、奇跡の名前が紡がれる――


「——【神の御手マヌゥス・デイ】」


 彼女の光が弾ける。そして、”天”の開く音がした。

 光が立ち昇り、世界を包み込むが部屋全体を覆う。

 純白の翼がラフィニアの背後に薄っすらと見えた気がした。 


 だが、その翼と光は唐突に消える。

 一瞬の静寂が、部屋に広がった。


 ふとラフィニアを見上げると、組んでいた手は離れ、腕が力なく下がる。


 そして、突然ラフィニアが床に崩れ落ちる。

 咄嗟に伸ばした手は空を切り、彼女を呼ぼうとする声は俺の喉からは出てこなかった。


 音が遠ざかる中、ラフィニアが倒れた音が妙に大きく反響し、耳を震わせた——。

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