第26話 再会
——ラフィニア視点——
眩しいほどに輝く月明かりが、窓の格子が作る影を色濃く床に落としている。
ランタンだけが灯る薄暗い修道院の宿舎で一人——アシュの着ていた服を抱きしめる。
「アシュ……どこに行ったの?」
誰に向けるでもない呟きが、以前より広く感じるこの部屋に木霊した。
アシュが修道院を去ってから、すでに二日が経っていた。
他のみんなは、何もなかったかのように普段通りに過ごしている。
私はと言えば——
「今日も、お皿割っちゃった……。”あの日”から、失敗ばっかりだよ、アシュ……」
失敗した後悔よりも、アシュへの想いばかりが募る。
会いたい——。
声を聞きたい——。
なにより、また手を繋いで一緒に街を歩きたい。
その想いが、彼女の修道服を抱きしめる力を強くする。
——と、修道院全体が細かく揺れた。
部屋の調度品や、花壇から持ってきたフリージアの鉢植えが、カタカタと振動を音にしている。
「地震……? ううん、違う。これって——!」
——魔力反応だ。
誰かが聖都内で大きな魔法を使った波動が、中央区のココにまで届いている。
大聖堂に張られた守護結界も、ほんの一瞬だけ揺らいだように感じた。
この独特の魔力の雰囲気。それを知覚した私の胸の奥が、熱く跳ねた。
あの時——ルース村が見える丘で感じた、胸が暖かくなるような”アシュの魔力”。
「……アシュ!」
口からその名が零れるよりも早く、私の身体は動いていた。
部屋から飛び出し、修道院の廊下を全力で走り抜ける。
外は雨だ。でも、 降りしきる雨すら裂くように、私は外へ飛び出した。
誰かが呼び止めた声も、追いかける足音も今は煩わしい。
あの魔力の気配が——アシュのそれが、私を前と進ませる。
まだ訓練を始めたばかりの魔力感知だけど、私の向かう先にアシュはいる、そう確信していた。
「アシュ! お願い、待ってて!」
すると、背後でグレインさんが叫ぶ声が耳に届く。
「ラフィニア嬢! 待て、ひとりで行くなっ!」
けれど私は止まれなかった。
この胸を焼き焦がすような強い感情を、放っておけるはずがない。
背後からグレインさんの走る音が近付く。
あっという間に追いつかれ、腕を掴まれる。
「離してっ! アシュが、アシュが私を呼んでるのっ!」
「アシュ? アシュリー嬢か? やはり、あの噂は”虚偽”ということか……」
グレインさんの言葉に安堵と、怒りの音が混じる。
彼もアシュを心配して、苦しんでいるのが伝わった。
そう思うと自然に、どちらともなく手の力が抜けていく。
「グレインさん。アシュリーちゃんを迎えに行きます。付いて来て、くれますか?」
「……普通なら、許可できない」
降りしきる雨脚がより強くなる。
グレインさんは、腕に抱えていた雨天用の外套を私へとかけてくれた。
「だが、俺の責任で許可しよう。それに……アシュリー嬢が危険に晒されていると知って放っておけるほど……俺は薄情になりたくない」
グレインさんも雨具を羽織りながら、大きく頷いた。
▽ ▽ ▽
冷たい雨が叩き付けるように降り、夜の空気は息が詰まるほどに重い。
いつもなら市場の灯りが照らす夜の宴会騒ぎも、今日のこの天候では静かな帳が降りている。
市場に広がる暖色の灯りが遠ざかり、足元の石畳にぬかるみが増え始めた。
アシュを探すのに必死になる私の足を、そのぬかるみが滑らせる。
けれど、いつも転ぶ寸前でグレインさんがそっと支えてくれた。
「ラフィニア嬢、ここから先は気を付けてくれ。北区はスラムが近い」
「大丈夫です。それよりアシュリーちゃんが心配です。急ぎましょう」
私の返答にグレインさんが言葉を呑む気配がした。
それでも黙って付いて来てくれる彼に、少しだけ高ぶった感情の熱が引いていく。
入り組んだ道が増え、迷いそうになってもアシュの気配が私を導いてくれる。
地面の石畳は所々が抜け落ち、ぬかるみや水たまりで更に足場が悪くなっていく。
市場の灯りもまばらになり、夜闇が増えつづける。
ふと立ち止まった店の反対側。
どこまで続くかもわからないほど、闇が濃くなった一角。
その先に薄っすらと見える、暗い裏路地——。
そこに、
黒と赤で彩られた
地面に力なく座り、夜空を見つめて——ただ静かに、アシュは泣いていた。
いつものような強い瞳ではなく、ただ普通の少女のように肩を震わせながら。
近づこうとすると、アシュの視線が私を捉えた。
気だるげに傾けた首。光が弱々しくなった赤い瞳が、雨の中で揺れていた。
「…………ラフィ、ニア?」
数日振りに聞いたアシュの声は、酷く掠れていた。
その絞り出したような声に答えようとしても、胸が痛くて言葉が出てこない。
アシュは無理矢理に微笑もうとしたが、すぐに顔は歪んでうつむいてしまう。
「また……あいつの力に頼っちゃった……。弱いんだよ、俺……」
路地裏の影より濃い闇が、アシュの表情に陰りを落とす。
「怖かった……。ラフィに、会えなくなりそうで……でも、どうしても会いたくて……」
「アシュ……」
「でも、そんな資格……無い……。俺がいると、お前が傷つく……」
言葉の途中で、彼女は嗚咽した。
雨が涙を隠しきれず、頬を伝い落ちる。
私はそっとその身体を抱きしめる——。
小さな肩は冷たく、震えていた。
でも、その鼓動は確かに命を刻んでいる。
——生きててくれた。それだけで、私の頬にも雫が流れた。
「アシュ……アシュ!」
何度も名前を呼びかける、彼女はくしゃくしゃになった泣き笑いの顔を上げた。
「……ラフィニア。会いたかった、ずっと……」
その瞬間、胸の奥に溜めていたもの全部が溢れる。
雨と涙が入り混じる中で、私はアシュを強く抱きしめた。
夜はまだ深く、雨は止む気配もない。
それでも――
闇の中、確かな光と温もりが私たちを包んでいた——。
▽ ▽ ▽
——アシュリー視点——
半壊した地下から地上へと踏み出す。
拷問で弱り切った身体を引きずりながら、夜のスラムへと足を向ける。
叩きつけるような雨が、痛いほどに降り続いていた。
当てもなくさまよい、市場の灯りへと引き寄せられる。
屋根の途切れた裏路地の片隅で、俺は崩れるように腰を下ろし、ただ膝を抱えていた。
ふと見た指先が、まだ震えている。
手首には、さっきまで食い込んでいた枷の跡が痛々しく残っていた。
「俺は……結局、また頼ってしまった……」
喉の奥から、かすれた声が漏れる。
半ば強制的だったとはいえ、アシュタロトの力を解放した瞬間の光景が、まぶたの裏に焼きついて離れない。
血の匂い、焼け焦げた鉄の音、そして——敵が上げる悲鳴。
生き延びたのは、自分の力じゃない。アイツの力を借りたからだ。
しかも、そこに俺の意思は無かった。
自分の手で、誰かを傷つけた事実だけ残る。それが、胸の奥で重くのしかかる。
『……我を呼ばねば、キサマは死んでいたぞ?』
胸の奥で、アシュタロトの声が小さく響いた。
それは責めでも慰めでもない、ただ真実を告げただけの冷たい一言。
「あぁ、分かってる……」
小さく呟いた声は、雨音に消えた。
ラフィニアを守りたい——その願いと誓いが、アシュタロトを呼んでしまった。
そしてその選択が、俺を
(あいつの隣に立つ資格なんて、俺には……)
喉の奥が熱くなる。息を吸うたび、胸が締め付けられるように痛んだ。
それと同時——ラフィニアの声が、どこかで微かに響いた気がした。
(とうとう幻聴か……? 勝手に出て行った俺に会いになんて……)
乾いた笑いが漏れる。
降りしきる雨を見据えるように、空を仰いだ。
情けなくなるほどに、胸の締め付けが苦しい——。
顔を雨粒が叩く。雨と涙が混ざり合い、頬を流れていく。
その刺激が、ラフィニアとの記憶を鮮明なものにする。
礼拝堂で、修道院で、そしてあの花壇で……いつも俺に微笑んでくれたあの声。
——『今日から私たち、姉妹になるんだよ!』
——『じゃあ、帰ろっか? アシュリーちゃん?』
——『この子ね、アシュが水をあげてから咲いたんだよ?』
その記憶が、俺の心を締め付けた。
俺が守っているつもりで、いつも守られていたのは俺の”心”の方だった。
拷問にも屈しなかったのは、ラフィニアに会いたいという気持ちがあったからだ。
どんなに無様でも、恐ろしい力を持っていても、ラフィニアは俺を“アシュ”として見てくれていた。
だからこそ、今は怖い。
この涙を見せたら、彼女はまた自分を責めてしまうだろう。
それだけは、嫌だった。それは、俺の望む事じゃなかった。
それでも——
「ラフィに……会いたい……」
この想いだけが、どうしても抑えられなかった。
彼女に会えなくなることが……何よりも恐ろしかった。
もう泣きたくはないのに、涙はまったく止まらない。
胸の奥でこみ上げる感情が、熱い雫となって頬を滑り落ちる。
声にならない嗚咽が、雨の音に溶けていく。
その時だった——
誰かの、水たまりを踏んだ音が耳を震わせる。
気のせいかと思ったが、音の方へと無意識に顔を向けていた。
俺の視界に映ったのは、金色の髪と紫の瞳——
「…………ラフィ、ニア?」
驚きすら出なかった。ただ、彼女の名前を呼んだ。けれど、それだけで俺の傷んだ心が喜びに震えていた。
ラフィニアの瞳が俺を見つめて、震える声で俺の名を叫んだ。
「アシュ……アシュ!」
そのたった一言が、胸の奥で澱んでいた何かを洗い流す。
立ち上がることが出来ない俺を、ラフィニアは強く抱きしめてくれる。
会いたかった——ただその感情だけが俺に安心感を与えた。
彼女の胸の中へ、倒れ込むように身を預ける。
——俺は、弱い。
自分の心すら守り切れないほどに……。
それでも、ラフィニアと再会出来たことだけは、俺の救いだと思えた。
——世界が雨音だけになって、他のすべてが消えていく。
あとに残ったのは、ラフィニアの温もりだけ。
ふと開いた目に映ったのは、前にどこかで見た”あの光景”。
暖かな白金の光が、俺とラフィニアを包むように、舞い上がっていた————。
一章・前編 ~完~
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