第8話 悪魔アシュタロト

  魔法で半壊した廃教会を出た俺とラフィニアは、ルース村へと向け足を速めていた。

 すでに空は黄昏を過ぎ、星の瞬く時間へと変わりつつある。

 

「アシュ。この先に橋があるから、そこを渡れば村が見える丘に出るよ」

「分かった……けど、この暗さじゃ橋がどこにあるのかも良く見えないな」


 日が暮れれば、もともと暗い森の中では手を繋いだラフィニアの顔ですら見えにくい。この暗闇が俺たちの足を鈍らせていた。

 すると、繋ぐ手を握り返す力がわずかに強くなる。


「ねぇ、アシュ。『火』の魔法とか使えないの?」

「ん? あぁ、その手があったか!」

「気付いてなかったの? ……実はアシュが”天然”なんじゃない?」

「……ラフィニアにだけは言われたくない言葉だな、それ」


 暗い中で「む~!」っと唸り声を上げ、俺の肩をポカポカと叩いているラフィニアは、きっと頬を膨らませた顔をしているだろう。

 そんな想像に肩の力も適度に抜けていく。

 

 灯りになる魔法を探すために意識を内側へと向ける。

 アシュタロトの精神領域――そこにある記憶を探ろうとした時だった。 

 唐突に自分の口から紡がれた”魔法”によって、その行動は遮られる。


「――【灯火よルゥクス】」


 それは二人の頭上に暖色の光を灯した魔法……。


(なんだ? 今、勝手に……)


「わぁ、綺麗な灯り。ありがと、アシュ」

「あ、あぁ……。とりあえず、これで足元くらいは見えるな……」

  

 ラフィニアの言葉もうまく頭に入って来なかった。

 自分の意思とは無関係に魔法名を口にして、発動までさせたのだから。


(まさか……封印が解けて本来の”アシュタロト”も目覚めたのか?)


 嫌な予感に背筋が寒くなる。

 そんな俺の懸念は村の見える丘に着くころには、綺麗サッパリ吹き飛んでいた。


 なぜなら、異様なモノが視界に飛び込んで来たからだ。



「――何だ、アレ? 黒いかたまりうごめいてる?」

「あれが、魔物の群体スウォームだよ……」


 夜の闇にも紛れることのない異様な群体は、波打つように蠢いている。

 黒い塊の群れには赤い光点が無数にある。

 その光が群体を構成する魔物たちの目だと気付くまで、さほど時間は掛からなかった。


 と、その赤い光点が一斉にこちらを向く。


「不味いぞ……明らかに俺たちを見てる! あれ全部、小型の魔物や魔獣かよ!?」

魔物の群体スウォームって、弱い魔物や魔獣が作った群れが狂暴化したものって聞いよ……」

「それにしたって、何て数だよ……」


 前世で見たイワシの群れも大きなモノであれば、およそ数万を超える事もあったらしいが、今コチラへと迫る群体もそれに勝るとも劣らない数だ。

 黒い津波のように、景色が悍ましい黒色で埋め尽くされつつあった。


「流石にこれはマズイ! ラフィニアは逃げろ!」

「ヤダよ! アシュも一緒に――」

「バカ! 俺は戦えるけど、お前は無理だろ? 頼む、逃げてくれ!」


 ラフィニアは「で、でも!」と納得がいかないようだ。


「大丈夫だ……。群体に勝って、そして絶対に生きて帰るよ」

「…………約束、出来る? 女神様に誓える?」

「いや、悪魔が女神に誓ってどうすんだよ。いや、でも……そうだな。誓うよ」

「約束守れなかったら、今度は私がアシュを鎖に繋いじゃうからねっ!?」

「おいおい、それは勘弁してくれよ」


 ラフィニアは「絶対だからねっ!」と声を張り上げ、群体から離れる。

 その背を見送りながら、灯りの魔法がラフィニアに追従するように魔法式を弄っておいた。


「悪魔の魔法知識も伊達じゃないな……」


 つぶやき振り返れば、群体の先頭はもうすぐそこまで迫っていた。


「それじゃ、ラフィニアと約束したからな……。最初から全力でいかせてもらう!」


 闇色の魔力光が全身からほとばしり、ブラックルプスを一撃で葬ったあの魔法の名を呼ぶ。


「【黒嵐アトラ・テンペスタス】」


 先程と同じく、魔法は滞りなく発動した。

 俺の耳にわずかな違和感ノイズを残しながら……。



▽ ▽ ▽



 漆黒の竜巻が立ち上がり、群体の一部を削ぎ落す。

 だが、水面の波紋が消えるように群れのダメージは瞬く間に塞がっていく。


「くッ!? 数が多すぎる……魔法一発じゃ無理か!」



 火の魔法で広範囲を焼き払えば、間違いなく肉の焦げる臭いが広がる。

 だが、くすぶる煙の奥から次の波が迫り、その質量がもたらす衝撃で肺の空気が押し出される。


 風の魔法が敵を吹き飛ばし、空気の刃は間違いなく魔物を斬り裂く。

 だが、そのつど背後から湧き上がるように群体が迫り、爪や牙が掠めれば自分の赤い飛沫が絶えず視界を横切る。

 

 引いては寄せる――まさに波のように尽きる事なく、魔物の群体スウォームが殺到し続けていた。

 わずかも衰えない勢いに、魔法の効果があるのかすら疑いそうになる。


「これは、一旦距離を取らないと飲み込まれる……」


 群体から一旦、離れようとした時だ。

 背後へ回り込んだ群体から、鞭のように伸びる触手が足を絡め取った。

 目を凝らすと、それは昆虫や小型の獣がその牙や爪を突き立て、こちらの足首を穿っている姿だった。


「ッ! マズ――っ!?」


 気付いた時にはすでに手遅れ。

 身体は持ち上げられ、群れの中央へと放り出される。

 黒いうねりの中心は激流のように渦を巻き、待ち望んだ獲物が来たと言わんばかりに激しくうねっていた。


 後方の森から「アシュ!」と呼ぶ声が届いた気がした――。

 だがそれは群体の咆哮に掻き消され、俺の耳が拾えたのはその残滓ざんしのみだった。



 ありとあらゆる方向から、爪や牙、果ては毒液や魔法に似た攻撃が飛び交っている。

 上も下も、左右すら曖昧になるほど翻弄され、裂かれる傷からは熱を持った血が絶えず流れ続ける。

 反撃の余地すら見い出せず、身を小さくして耐える以外の選択肢は残されていなかった。



(あれ? 俺、今どうなってる? マズい、このままじゃ……)


 忍び寄る”死”の気配を感じた――その刹那の間。

 脳裏に、直接響くような声が木霊した。


たわけ。を使っていながら……何というていたらく。恥を知れ!』


 世界の動きが停まった気がする。

 いや実際に”時”が停まっていた。


 全てが灰色に染まり、時間の停止した世界では音すら存在しないかのような静寂が耳を衝く。

 だが、俺の頭には直接語り掛ける声がハッキリと聞こえていた。


『我が誰か……言わずとも分かるな?』


 巨大な鐘楼しょうろうのように脳が揺れる響きが、直接言葉を押し付けてくる。

 最初こそ気付かなかったが、冷静になれば今の自分と同じ声質だ。


「アシュタロトさん……だろ? 一応初めましてだな………」

『ふん! 彼奴きゃつらに利用されたとはいえ、我の身体を乗っ取った不逞ふていの輩が……。じゃが、存外に礼儀はわきまえているらしい』

「そりゃどうも……。それで何で急に? 俺さ、今かなりピンチなんだけど」

『じゃから”戯け”なんじゃキサマは! 我とてキサマに死なれると迷惑なんじゃ! つまり……そう。致し方なしじゃ、


 大音量の声も今は耳に優しいほどに抑えられた声量となっている。

 すると、視界の端で黒曜石の翼がひるがえり、灰色に染まった世界を裂いて色彩を流し込んで行く。


 黒髪に紅い瞳。

 頭には角が一対。その根元には白い花飾りが存在を主張している。

 彼女の身を包むのは黒と白で彩られた豪奢なドレスだ。

 黒曜石の光沢をもつ翼。その中には炎を宿したような暖色の光がまたたいている。


 彼女アシュタロトの記憶で見た姿、そのままだ。


「ん、まぁ当たり前だけど、似てるよな」

『はぁ!? 戯けかキサマは。中身はともかく外見そとみは同一人物じゃろうが!』

「そういやそっか。俺の見た目ってこんな感じなのか……。角は無いけど……」

『魂の有りようが変われば、姿も微妙に変わる。それが悪魔という種族じゃからな。キサマに角は現れんじゃろう』


 アシュタロトとの雑談は話しやすくて……少し楽しい。

 何となくラフィニアが懐く理由が分かった気がする。


「それで? 助けてやる、ってのは?」

『うむ。しばし身体を返してもらうぞ? あのたぶらかされた哀れな群れを輪廻へと返してやらんとな』

「誑かされ……? それってどういう――――」

『質問は無しじゃ、時間がない。あとは聖女――今はソフィアとか言う”アリア”の娘じゃったな。そ奴にでも聞くといい』


 世界に色彩が戻るにつれ、”時”の概念は再び鼓動を刻みだす――。


 そして、世界に”悪魔アシュタロト”が解き放たれた。

 


「さて、ではじゃ。目立ち過ぎぬように暴れようかの」


 黒い翼が翻ると、魔物の群体スウォームは高らかに咆哮する。


 それは滅びに対する恐怖の咆哮ではなく、”救済”を願う歓喜の声に聞こえた――。



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