第6話 解放とラフィニアの”血”
――アシュ視点――
「ラフィニア、お前……」
最初は淡い光の粒子がフワリと舞い上がった。
それはラフィニアを中心に広がり続け、次第に輝きを増していった光は今や、空に向かって一筋の輝きを放つほどに至っている。
(封印が、ラフィニアの”血”に反応した……?)
俺の思考がある結論へと辿り着こうとした時――ひび割れの音は鳴り止んだ。
一瞬の静寂が廃教会を満たした――刹那のあと、ガラスが割れるような破砕音を響かせた。
足元で明滅していた忌々しい魔法陣と不可視の壁は粉々に砕け、ラフィニアから放たれた光が収まると共に霧散していった。
不可視の壁のあった空間へと、恐る恐る手を伸ばす。
「壁が――消えてる」
俺を阻んでいた障壁はもうそこには無い。
封印の鎖もほとんどが砕け散り、俺をこの場に繋いでいたモノはその役目を終えていた。
だが、今は解放された喜びよりもラフィニアの心配が上回った。
腕を支えに何とか上体を起こそうとしている彼女の元へと急ぐ。
だが――
「くっ!? 狼ごときが……邪魔なんだよッ!」
側面から牙を剥き出しにした黒い獣が迫る。
身を
ふと、こちらの状況が良くない事に気付く。
今の俺には、魔力を動せる
「あ~、くそ! この封印作ったやつ、どんだけ厳重にしてやがんだよっ!?」
「あ、アシュ……。逃げて!」
「バカ! 逃げるにしてもお前を連れて逃げるに決まってるだろ! それに――」
まだ消えずに腕に絡みついていた鎖を握り締める。
「こんな犬ッコロ魔獣くらい、何とかしてやるッ!」
その宣言を合図に咆哮が上がる。
開かれた
右手に片手剣ほどの長さに残った鎖。それを真正面から迫る魔獣へと横薙ぎに振り抜く。
ギャリン! と甲高い金属音が風を裂く。
鎖はブラックルプスを捉え、風を裂いた音と鈍い音が重なり、獣は瓦礫の山へ叩きつけられた。
残ったのは、衝撃で巻き上がった土埃のみ。
「おぉ……。この身体、結構強い? 軽くて速いし、力も強い……!」
ゴシックドレスの裾からわずかに覗く細腕を眺め、感嘆の息を吐く。
ふと握っていた感触が消えた――。
視線を落とせば、手にあった鎖は音すら残さず光の粒子となって失われていた。
▽ ▽ ▽
唯一の武器を失ったことには少し不安が残る……。
だがそれよりも、ラフィニアの怪我の状態が気掛かりだ。
「ラフィニア! おい、無事か――!?」
怪我の状態は!? と問いかけようとした俺の声は続きを発する事はなかった。
「う、うん。なんとか、平気みたい……?」
「あ、あぁ……そう、だな。なら良かったよ」
(どうなってる……? あれだけの傷が、もう治りかけてる……)
彼女の首筋にあるはずの裂傷が、今はもうその面影しか残っていない。
顔色も悪くはない。その証拠にラフィニアはしっかりとした足取りで立ち上がろうとしている。
ラフィニアはおずおずと口を開く。
「私が村に着いた後も同じ事があったの……。光が見えたら傷が治って、重かった身体が軽くなって……」
「…………」
「私……なんか変だよね? 死んでもおかしくない怪我だったのに……」
ラフィニアは自分の身に起きた出来事に恐怖を抱いているように見える。
自らを抱き締める手が細かく震えていた……。
「こんなの……皆に『人間じゃない!』って言われても、おかしくないよ……」
「大丈夫、ラフィニアは人間だ。……”悪魔”の俺が保証してやる」
ラフィニアは戸惑ったようにアメジスト色の瞳を何度も瞬かせた。
「そう、なのかな……?」
「ああ。俺を信じろ――って悪魔が言っても信じられるセリフでも無いか」
「ううん、そんな事ない。私、アシュが保証してくれるなら……信じてみる」
「是非そうしてくれ。だからさ、そんな辛そうな顔するなよ」
「うん……。えへへ、ありがとアシュ……」
ラフィニアの沈んだ表情も幾分か和らいだ。
まだ不安も残っていそうだが、いつもの穏やかな笑顔を取り戻している。
「でも、やっと会えた……。ねぇアシュ? ちょっと怖いから手、繋いで……?」
「お、おま!? よくそんな恥ずかしい事……。でもまぁ、手繋ぐくらいなら……」
「ふふ……。アシュ、照れてる?」
「て、照れてなんか――っ!?」
ラフィニアとの会話に弾みが付こうとしていた――その時。
地の底から這いあがるような低音の唸りが森の木々と葉を騒めかせた。
響く振動は、不気味に地面を這い寄ってくる。
その気配はまだ遠い。
「ちょい待った! マズいぞ……ラフィニアの言ってた
「…………え?」
「まだそんなに派手に動いていないけど……こっちに向かってる気がする」
「そんな……。じゃあ、ルース村は……」
「……分からない。でも、今は逃げよう……!」
ラフィニアの手を引いてここから離れようとすると、視界の端で不気味に鼓動を刻む羊皮紙に気付く。
それは変わらず一定のリズムと、赤い光を空気に滲ませている。
「ちゃんと処理しとかないとな。放っておいたら、何かマズイ気がする……」
地面に落ちていた羊皮紙を摘まみ上げる。
ラフィニアも後ろから顔を覗かせるが、不快感で顔を
「なに、これ……? 本当に私が持ってきた羊皮紙なの?」
「あぁ。んでコレを仕組んだ奴が、ラフィニアを騙した……」
「う、うん。貰った時と違って、私も”コレ”から嫌な感じがする……」
ラフィニアは胸の前で固く拳を握り羊皮紙を見据えている。その表情には複雑な心境が滲んでいる。
「ラフィニア。これは絶対にお前のせいじゃないぞ。だから……そんな顔するな」
「うん……」
ひと思いに羊皮紙を破り捨てる。
すると赤い光は収まり、不快な気配は薄らいでいく。
羊皮紙と
だが、それもほんの一時の事だった。
再び地を
「ちっ……。とにかく、今はここを離れよう! ルース村までどの位かかる?」
「え? えっと、走ったらそんなにだけど、それでも日が暮れるかも……」
「くそ……夕暮れ前の時間が良くないな。ちなみに村の方向はどっちだ?」
ラフィニアが「あっち」と指差した方向は――今も群体が地を這う気配の中心だ。
(どうする? ここに居ても危険だ。けど村に向かっても群体に鉢合わせる……)
窮地の中で思考に没頭していたせいか、この時の俺は致命的に無防備だった。
さっき交戦したブラックルプスがどうなったかを確認しなかったこと。
狼は群れを作る生き物だと、失念していたこと。
そして、狼にとって遠吠えがどんな意味を持つのか、考えなかったこと……。
それらの油断が牙を剥いた事に気付いたのは、すでに10体を超える獣に囲まれた後だった。
(外での遠吠えは仲間を呼んでいたのか……! くそ!)
「あ、アシュ! 外にブラックルプスの群れが!?」
「分かってる……。すまん、完全に油断した。こうなるまで気付けなかったなんて、とんだ間抜けだ」
ラフィニアが俺の腕にしがみ付く。
その手は細かく震え、強く繋いだ手には冷たい汗が滲んでいた。
(くそっ! どうすればこの窮地を乗り切れる? 武器はもう無い。魔力もまだ使えない……)
ラフィニアと後退り、廃教会の奥へと逃げるように進むが、どの壁の切れ目を見てもブラックルプスが牙を剥き出しに待ち構えている。
薄暗い建物内は獣の臭いと、幾重にも重なった唸り声で反響していた。
(何か無いのか? せめてこの封印が――――まて、封印……?)
「アシュ! ブラックルプスが壊れた窓から入って来てる!」
ラフィニアの焦った声が耳に届く。
だが、俺の脳裏では彼女の”血”が引き起こした”奇跡”の光景が浮かんでいた。
「…………ラフィニア。一つだけ、頼みがあるんだ」
今の俺たちは「ブラックルプスの群れ」と「ルース村で蠢く
これを乗り越えるには”悪魔アシュタロト本来の力”が必要になる……。
(あの”封印”……。アレを砕いたのがラフィニアの”血の力”なら――)
「――な、なに!? 私に出来ることなら何でも聞くけどっ!」
「なら…………お前の血を、俺にくれ!」
「――――はい?」
ラフィニアの間の抜けた声が、廃教会に響き渡った――――。
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