Chapters 16 絶望の島
雨が降ってきた。傷口に雨水が染み込んで、激痛を誘った。痛い。じゃあ多分、俺は生きている。これから、死ぬかもしれないけど。
静かだ。誰もいない。こうやって、肉体は腐食していくのだろう。
「………痛い。」
舌は、動かせる。感触もある。………でも。
「こっちは、無理、か。」
笑ったつもりだった。感覚のない右手を、静かに憂いた。
バッドエンド。なんて、この言葉に相応しい結末だろう。
「………拘束、しないでいいの?」
「………もう、争う必要ないから。」
社員たちは疲弊していた。きっと反撃を思いつく者なんて、もういない。でもそれは、私にとっても同じことだった。
「肩、大丈夫なの?」
「………正直、だめ。もうあんまり、右腕は動かせない。」
そっか、と、そっけなく少女は切ってしまう。また沈黙が落ちた。その時。
「!聖さん!」
驚いたから、こけそうになった。でも。表情は暗い。
「………まさか。」
「ミライは、まだ見つからなかった。」
聖さんは、貧血じみた青白い顔で、告げた。
「リバース・アウフタクトの遺体を、見つけた。」
その場の全員が、息を呑んだ。しかし。答えは分かり切っていた。
「………爆発で、即死だったらしい。」
聖さんが出したのは、彼が耳にしていた、ピアス。そこには、血がついていた。
皆、呆然とした。どこかで泣き出す人もいれば、ベルーカさんのように静かに俯くだけの人もいる。でも、聖さんは。
「すまない。」
それしか、言わなかった。一番辛いのは、彼のはずなのに。
「すぐまた探しにいく。だからイマ、お前は………」
口だけ動かしながら、彼の目の奥が少しずつ黒ずんでいくのが見えた。
「聖さん!」
「………すまない、動き、すぎた。」
あんなに無理をするからだ。彼は気丈に振る舞ったけども、脇腹を二回刺されている。他にも多くの怪我をして、きっと限界だったんだ。
「休んでください。あとは私が」
ミライを探します。そう言おうとして、なぜか言葉に詰まった。
ミライ。もし、どこにもいなかったら?爆発に巻き込まれて、死んでいたら?判別できない細かい肉片になって。もしくはどこかの骨の一部が落ちていて。
「イマ。」
「………!」
「イマ、落ち着け!」
駄目だった。考えたらいけなかった。過呼吸が起こりそうになって、蹲る。想像したくなかった。でも、その考えだけが今は脳裏で渦を巻く。
「………いやだ。」
落ち着けない。総司令の死亡が確定したその時点で、むしろ。その先を、考えたくはなかった。
ミライ。お願いだから。
私たちを、置いていかないで。
捜索は、ほとんど一日中続いた。総司令官の死体があったという場所の近くでは、ミライは見つからない。爆風で飛ばされた可能性を考えると、もっと遠くにいる確率も高い。
「ミライー!」
身体中の痛みを無視して、探し回る。瓦礫の下を、爆発で燃える炎の中を見るのが、怖かった。それでも、信じる。大丈夫。無責任に、進むしかない。終に私は、森林の中に入っていたらしい。引き返そうと、踵を返そうとした。その時。
「ミ、ライ?」
ここから遠く、遠く。倒れた人影が見えた。この場所からでは、生死がわからない。振動の動悸に任せて、近づく。足が早まって、涙腺が音を立てる。
ミライだった。
「ねえ、ミライ!」
気絶なのか、死んでしまっているのか。脈を測ろうとして、私はまた息を呑んだ。なかったのだ。彼の、右腕が。
「う、そ。」
直視できなかった。滴り落ちる血の量が、青白い顔が。不安をますます煽った。自分の鼓動がうるさい。左手首を持ってみたけど、激しい焦りのせいで冷静に脈拍を測れない。お願い、お願い。お願いだから。
「お願い………っ!」
「………」
びっくりして、顔を見た。吐息。微かだけど、聞こえた気がする。
「え。」
動悸が弱まる。左手を、握った。すると、強い感触を感じた。握り返された。ミライの目が、薄く開いていた。唖然とする私。
ミライは、目だけで笑いかけた。
「ばか………っ!」
もう駄目だった。身体中の力が一気に抜けて、涙を溜めていた涙腺が崩れ落ちる。
ミライは何も言わなかった。言えないのか、言わないのかは、分からないけど。悲しくてしょうがなかった。安堵と絶望を噛み締めて、私はただ泣いた。
夜が続いた。夜独特の酸っぱい匂い。その中で、機械音が混じりあっていた。うるさい音ではない。軽くて、早い音。それはまるで。
「キーボードでも打ってるんですかー?」
「………」
無視ではない。本当に聞こえていない、もしくは集中しているのだろう。多芭田聖が、さっきからよく分からない機械と向き合い続けている。ヘッドフォンをつけながら。今なら、殺れるだろうか。少し考えて、やっぱり首を振った。無理だ。殺気を感じれば、私でも気づく。
暇になった私は、妄想を繰り広げた。遺書の制作?小説の執筆?いやいや、この状況でそんなの書けるほど呑気じゃないか。作者じゃあるまいし。じゃあ、モールス信号で、通話してる?なら、あり得るか。
………信号。
『よく使ってたんだよ。前の仕事柄でね。』
思い出した。総司令がよく分からない呪文を呟きながら、上部と通信していたこと。その後に、軽く私に教えてくれたこと。………でも、もういない。
………いや、考えない。モールス信号だとしたら、多芭田聖のものだけでも聞き取れるかもしれない。
「ニ」、「ホ」、「ン」、「メ」、「ツ」、「ボ」、「ウ」、「?」
………は。
「は?」
同じタイミングで、多芭田聖も目を見開いていた。日本滅亡。日本が。
「滅亡した………」
その時。遠くから微かな声が聞こえた。佐倉イマ。ずいぶん騒がしい。見つかったのか。多芭田聖は即座にヘッドフォンを捨てて駆けていった。私は何もかも考えたくなくて、目を閉じた。
朝が来た。一番早く目覚めたのは、私らしい。立ち上がって、肩の痛みに眩暈を覚える。水辺を探そう。聖さんは、瓦礫にもたれかかって目を閉じている。本当に、目を閉じているだけなのかもしれない。
ミライは、あれからずっと寝ている。目を覚ましていたのは、あの瞬間が最後だった。もしかしたらこのまま、死んでしまうのではないか。そう考えると、居ても立っても居られなくなる。
森の中に入った。昨日はあんなに雨が降っていたから、川じゃなくても大きな水溜りくらいどこかにあるはず。見つけたらうまく蒸留して使おう。
これから、どうしていけばいいのだろう。きっと、このまま止まっていても、何もできず死んでいくだけだ。ミライは、このまま放っておけばどれくらいで失血死に至るか分からない。応急処置はしているものの、まだ不安が多い。
そんなことをぐるぐると考えていた。だから衝撃だった。
「………え。」
0時の方向。真正面。陽の光に澄んだ青い海の中で、こちらに近づいてくる影があった。
「船………?」
確かに、こちらへ来ようとしている。敵か、味方か。
「味方だよ。」
「!」
びっくりした。さっきまでぐっすり(というよりはぐったり)眠っていた聖さんが、茂みの中から姿を現した。顔は青白い。
「どうして。」
「昨日、アジトの中で通信機を見つけたんだ。多分UNOが本部と連絡を取るためのものなんだろうが、この島の近くで通信できそうな場所へ信号を送っていたんだ。」
それで昨日、一人で機械に向き合っていたんだ。未だに残るモールス信号。それを夜通し聞き続けるのは、神経を鑢で直に削るようなものだ。
「で、一番最初に連絡が取れたのが、近くを遭難していた無人の旅客船。できるだけ早く向かうとは言っていたが、まさかこれほどとは。」
船をよく見ると、日の丸の旗が海風に靡いている。日本。
「出られるんだ、この島から………」
安堵のような、呆れのような。そんな感情らに浸っている私に、聖さんが語りかける。
「………この島を、出る前に。」
「?」
「お前たちに、言わなければならないことがある。」
どこかで、鳥が鳴いた。気を張っていて、今までそんなことにも気づけなかった。
「日本は、数週間前に滅亡宣言を発表している。」
背中を汗がなぞった。
人の声がしたかもしれないけど、私には聞こえなかった。
あっという間の出来事だった。
上陸した船から日本人が数名出てきて、重症者を先に旅客機へ乗せていった。ミライも、その一人だった。UNOの患者たちとは部屋を隔離してくれるらしい。抵抗しないとしても。
この島から全員を連れ出すとすると、置いていかなければならない人々がいる。この爆発で犠牲になった、死者たちだ。残念ながら人数の確認はできず、弔う十分な時間もなかった。私たちにできたのは、死体を見つけるたびに手を合わせることくらいだった。
「いきましょう。」
「………はい。」
船内の人に連れられて、船に入ろうとした。でも。
「あの、聖さん………黒と黄色の髪の、ピアスをつけた男の人は、見かけませんでしたか?」
相変わらずアイデンティティ多いな。冗談はともかく、さっきから、姿を消してしまっている。
「ああ………なんか『最後にやりたいことがある』って言ってました。出航時間までには来るそうです。」
聖さん………リバース・アウフタクト。彼らがどんな気持ちでこの五年間離れていたのか、私には分からない。憎み、許し合いながら二人は未だに、繋がっているのだろう。
何も、考えないようにしよう。これは、彼の問題であり、彼らの問題なのだから。
静かだった。
もうほとんどの人間が客船に乗り込み、この島に残っているのは俺と、死者たちだけだ。確か、ここだったはず。徘徊すること、数分。彼が死んだ場所を、見つけた。
「………ごめんな。」
俺は、この言葉が嫌いだった。自分が他人を傷つけたくせに、勝手に許しを乞うための発言だから。だけど、今はどうしてもこの言葉が出てしまう。
許して欲しかった。俺のことを。彼自身のことを。
目についたものがあった。あいつの使っていたダガーが、床に転がっている。
『何これ、ペントナイフ?』
『そんな高価なもの買えるわけねえだろ。』
いつだか忘れてしまった。彼が五歳の頃、俺は人を殺すための凶器を手渡した。
『やったあ、これでヒジリと一緒に仕事できるよ!』
何がそんなに嬉しいんだか、全く分からなかった。でも、彼はずっと、俺の後をついてきた。いつでも、どこにいても。
「大人に、なってたんだ。」
ずっと弟じゃなかった。彼は彼で、大人になっていた。
………だからこそ。
「………許せない。」
誰かが、リブを貶めた。利用して、簡単に捨てた。
だから、俺がこの手で殺す。
「………悪い、これ、借りるよ。」
ダガーを拾い上げ、踵を返す。また戻ってくる。その時には、これを返せるように。だから、それまでは死ねない。
「またくるよ、リブ。」
蒸気の音が聞こえる。でも、ちゃんと聞こえない。
「いーっだいだい、え、痛い!うあぁ………!」
「すみませんねー、麻酔が不足してて。」
船内での治療。まあ、ぶっちゃけ敵と戦うよりも地獄。
「この医者新人でして。なんかやらかしたら密告してください。磔にするんで。」
「………真面目な顔で言わないでください。コワイ。」
睨みつける看護師の女の人。医者の人は、私たちとそんなに歳が変わらないように見える茶髪の男性だった。医療従事者も不足しているんだろう。「日本列島」内の活動も忙しいだろうに。
「本当に、ありがとうございました。駆けつけて下さらなければ、死んでいました。」
「いえいえ、近くに居ただけですし………」
何やら医者の人が照れて、少しだけ視線が下に向けられている。………えーっと、何を見ているのだろう。
「藍川。」
「ひっ。」
「次この子の胸見たらメスで脳みそ一突きだから。」
「すみませんすみませんすみませんすみません………」
………胸見てたのか。
「………あの、聞いてもいいですか。」
「前置きなしでもいいですよー。」
「………二人の、容態って。」
私の場合。肩と右手に針を縫って、他諸々の切り傷、擦り傷、打撲、筋肉痛。これでも軽いほうだ。でも、二人は。
「あー、えっと、多芭田さん、の方なんですけどね。めちゃくちゃ重症で、普通だったら死んでてもおかしくないんですよ。急所二回くらい刺されてるし。」
「普通、なら?」
「………今デッキの上でウロウロしてます。さっき確かプランクしてたし。」
………わかっていたものの。
「バケモンですよ。」
「患者に失礼なこと言うな。殺すぞ。」
………看護師さんついに言っちゃった。
「あと、吉田さんですよね。」
「………はい。」
なんとなく、頬を汗が伝う。静かに、言葉を待った。
「………ものすごく、頑張っています。」
「え?」
「さっき最初の治療を終えて、今は病室の中にいます。右腕の肘から下が爆発で消失し、他にも足などに多くの銃弾が食い込んでいて、何度も心停止を繰り返しましたが、その度に持ち直していました。………本当に、すごいです。」
それは、お世辞などではなく、本心だと言うことがはっきりわかる口調だった。
「尊敬します。」
「………そう、ですか。」
無意識に、笑みを漏らした。また体の力が抜けて、瞼が重くなった。
神様なんてものを、私は信じていないけれど。
「………わああっ、ちょっと!死なないでください!」
「死にません………」
「死にそうになったら藍川の心臓を移植しましょう。」
「怖すぎるって!」
………ありがとうございます、神様。私たちはまた、生きていける。
五十八、五十九、六十。
「一時間………」
ついにやることがなくなって孤独に始めたプランクだったが、やはり仕事から外れて衰えを感じる。まだできる。次からはイマも誘って二時間にしてみるか。
デッキから、ふと遠くを見つめてみた。霧の中に霞んでゆく、あの島。
「………遠くから見れば、案外綺麗だろう?」
「!」
話しかけてきたのは、船を自動運転に任せた船長だった。いかにも海賊映画に出てきそうな、ガタイの良さが目立つ男性。
「名残惜しいかい?」
「………いえ。特に。」
これは、本心。故郷のような安心感もなければ、離れる恐怖も、寂寥もない。
「そうか、そりゃそうか。」
「………あの島は。一体、何なんですか?」
誤解を恐れずに聞いた。船長は少し目を瞬いて、吐き出すように言った。
「あの島はなぁ、理由は分からねえが五年前Un−Hopesたちが襲撃してなぁ。」
「………」
「みんな、殺されちまったんだ。女も子供も。」
見ていた。hopeの口に挟まった乳児の手足を。足をもがれた少女の焼死体を。
「誰も住みつかなくなって、仕舞いにはあの犯罪組織が住みつき始めた。生存者がいるなんて、考えもしなかったよ。」
「………誰にも、相手にされなかったんですね。」
船長はシャツのポケットからタバコとライターを取り出した。ぬらっと一酸化炭素の混じったガスが立ち上り、長い髭の中にタバコが埋められる。
「………あの島は、『Un−Hopes Island』と呼ばれ、恐れられてきた。踏み入れたら最後。もう、誰も戻って来られないと。」
「………hopeたちの、島。」
絶望島。
「でもなぁ、蓋開けてみるとどこでも同じなんだよなぁ。どこにでもあのバケモノはいて、どこでも人は死に、どこでも俺たちは絶望してしまう。」
「………わかります。でも。」
煙が吐き出される。白煙ないし有害物質は、空気中で分散して霧となる。
「生きて行くしかないんです。人間ならば。」
風が立った。潮の味が混ざった強風だ。これから嵐になるかもしれない。
「………あんた、名前は?」
「多芭田です。」
「そうか。俺はオセアン。雲行きが怪しいからそろそろ操縦室に戻るぜ。」
軽く会釈して、すぐに彼は持ち場へ戻ってしまった。俺は、まだもう少しだけデッキにいようと思った。霧の中に島が消えて行くのを、最後まで見守るために。
嵐が止んだらしい。デッキに繋がる扉を開けると、青空が見えた。日本までは、約一週間かかるらしい。ここで初めて、私はあの無人島の位置を知った。あの島は日本海のど真ん中に位置していたらしい。日本人が乗った船と出会えたことは、奇跡と呼ぶにも満たない偶然だ。
『ここ、気持ちいいですね、聖さん。』
「………サクラ。」
この人、やっぱすごいな。私が「私」だって、言わなくてもすぐに気づいている。
「………最初から、この衝突を促すのが目的だったのか?」
………言われると思った。
『………結果的に言えば、そう、です。』
このままではいけないと思っていた。それに、あの男の心理を確かめる必要があった。話し合ってわかる相手なら、交渉を持ちかけようと。だけど、無理だった。
「あの爪は?」
『演技です。そうすれば相手から信用されると思ったんで。』
「………痛くなかったのか?」
ここで初めて、私は彼が何を問いたいのかを、理解した。私は、イマのことをまた傷つけた。イマは、許してくれた。でも。
『………痛いです。』
それだけ言うと、聖さんはまた海の方へ目を向けてしまった。ちょうどその時。
ドアが開く音がした。顔を見なくても、誰だかはわかった。
「おはよう。」
声が聞こえて、反射的に泣いた。彼の元へ駆け寄る。
『この調子なら、三日以内には目が覚めて動けるようになるでしょう。』
医者がそう答えていたことを、思い出す。聖さんはただ、目を見開いている。
彼が笑いかけた。聖さんは少し経って、つられるように口角を上げた。
「おかえり。」
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