Chapters 15 Un−Ballard
一回だけ、アレンが俺に怒ったことがある。
『頼ってよ。』
頬を張り飛ばされて。思いの外それが痛くて。少年兵時代の、先生ほどではないけれど。その場にヒジリはいなかった。お使いを頼まれていたから。
『俺は悔しいよ。リブが我慢する必要なんて、ないんだから。』
『アレン。』
『………ごめんな。』
あの時の顔だ。それが、目に焼き付いて離れない。
やめてよ、アレン。なんで、そんな悲しそうな顔をするの?どうして。
そんな顔を、させたかったわけじゃないのに。
「離れろ、ミライ!」
息を吸う暇もなかった。総司令官「リブ」と思われる人物が銃を構えて。聖さんに突き飛ばされた。銃声………多数。何発も、何発も、等間隔で、響く銃声。耳が痛くなるほど。
「聖さん!」
「お前は隙を見て逃げろ!ここはなんとかするから!」
「そうじゃなくて!」
大目的を忘れていた自分に気づく。呂律がうまく回らない。
「早く逃げないと、この建物は爆発します!」
「はあ?!」
「説明している暇はありません!あと五分ほどで、ここから半径五百メートルが爆発するんです!」
説明はそれだけ。それでも、聖さんは全てを理解したように頷いた。
「だったら、尚更早く逃げろ!」
「どうして!」
「あいつを、死なせない!」
それが、彼の本当の目的だったんだ。そう、ハッとした。そして、俺はまた怒った。いつもそうだ。全部一人で背負って。自分は死んでもいいって思って。
「はい。でも!」
「………おい!」
「死んだら、許しませんから!」
俺は、残ることを選んだ。そして、なんとなく無理やり笑ってみる。これは、短くて軽い、俺の反抗期だ。
死なせない。聖さんも、そして、彼も。
頼む、お願いだから、
死んでくれ。
何回も、肩が外れて、骨が砕ける音がして。それでも、銃を撃ち続けた。軟弱な体。死ぬかもしれない。でもいい。
『………え、アレン?』
『………動くな。』
大好きな人に、銃を向けられて。悲しみと怒りと疑問で何も考えられなくなった。小さなピストルの大きな穴を見つめて、体が動かない。アレンの息は荒い。
『………っっっ!』
銃声はあった。でも、それは俺の後ろからのものだった。目の前で、血が弾ける。アレンの片目が弾丸に潰されて、また俺は絶望して。
『………ぅっっ………!』
『えー、何やってんの、君ー。』
肩に手を置かれた。それは、恐怖の瞬間だった。
『この子のこと、殺そうとするなんてさー。』
そんな言葉を、俺は信じたんだ。アレンではなく、あいつを信じた。
「っ!」
弾切れ。動揺して、弾を詰めることもできなかった。でも、やっぱり冷静な自分が、俯瞰している。あの時のこと。
アレンの目線は、本当は俺の後ろに向けられていて。
後ろにずっと、人影と殺気を感じていて。
『さ、行こう、リバースくん。』
『………待て。』
動揺する俺を連れて行こうとしたサングラスの男を、這いずりながらアレンが止めて。全部、見ていたはずなのに。
『………うっざ。』
アレンの背中から瓦礫が降ってきた。鉄の棒が彼の背中に刺さったのが見えたけど、それは瞳にしか映らなかった。
それから、自暴自棄になった。ヒジリを見つけたのに殺さなかったのは、単なる気まぐれだったと思う。たくさんの人を殺して、たくさんの手を汚して。愚かな自分は、それをずっと正当化し続けた。
だけど。もし、それが本当だったなら。アレンは俺を守ろうとして、全部俺が間違ってきたのだとしたら。
今まで俺がやってきたことって、一体何だったのだろう。
「バカみたいだ。」
気づくと息が苦しくて。泣いている自分に嫌気がさして。
ぼやけた視界で、鋭利な刃物が映った。周りに誰もいないと思って、そのまま手に取った。無意識に。白い刃を、自分の喉元に突き当てた。なのに。
「やめろ!」
知らないけど、懐かしい声。銃声音。弾丸によって、ダガーが吹き飛ばされていた。遠くを見ると、吉田ミライが銃口をこちらに向け、歯を食いしばっている。………彼に似ていることを呆然としている俺をよそに、ヒジリが俺の腕を回して、床に押し付けた。呆然。何も、考えられない。
「落ち着け。どうしてこんな」
「………ふざけんな。」
目の前が真っ暗だ。だから叫んだ。
「俺が、死にたいことなんて」
「リブ」
「ヒジリはわかってるだろ?!」
心臓の奥底から。熱いものが込み上げてきて、気持ち悪い。
「お前らがどれだけ止めても無駄だよ。」
「おい」
「生き延びるくらいなら、今ここで舌を噛む!」
………頬を、叩かれた。かなり強く。
「………え。」
「………ふざけんなよ。」
呆然としたまま、彼の顔を見た。多分、泣いていない。でも、それはまるで。
「『………ごめんな。』」
あの時と、重なった。それは、ずっと目を逸らしてきた記憶だった。
息が荒くなって、水晶体が崩れ落ちる勢いで、泣いた。
この地獄から、目を背けるために。
俺はずっと、それを見ているだけだった。自然と涙が溢れそうになった。
………でも、だめだ。まだ、終わりじゃない。
「………急ごう。ここは危ない。」
「はい。」
ヒジリさんが声をあげて、俺は頷いた。総司令官………「リブ」は俯いて、静かに涙を流している。
「片方の肩、持ちます。」
「………ああ、頼む。」
息を合わせて、二人がかりで「彼」を起こして歩き出す。聖さんは、次は拒まなかった。出口までは長い。とりあえず建物から外に出ないと、爆風を喰らうだろう。
ほとんど何も話さなかった。時々聖さんが道を指示するくらいで。
俺も、聖さんも、彼も。自分のことを、互いのことを。何も口にしなかった。
だから後悔した。
「あと少しだ。ここをまっすぐ。」
「………はい。」
あと、どれくらいで。この建物は吹き飛ぶのか。十分。もしかしたら、今にも。
「………っ」
「、どうした、ミライ。」
「すみません、一瞬強い眩暈が」
最悪だった。
振り向いていた聖さんの顔が、光に照らされているのが見えて。
聖さんが目を見開く。俺は後ろを向く。そして、彼は。
爆風が爆ぜた。
遠くで、轟音が聞こえた。「遠く」ではなかった。気が動転していただけで。
「え………」
爆発。全員が、目を見開いた。光と、熱と、風。髪が大きく靡いて、それでも目を離すことができなかった。
「爆、発。」
「………ねえ。」
私が肩で担いでいた女の子が、声をあげた。
「………リバースさんたち、まだあの中。」
心臓が爆音を立てた。動悸がする。
聖さん。………ミライ。
「ミライ………!」
目の前がぼやけている。あの時。
リブが、俺の腕を前に引いて。爆風の反動で、飛んだ。
頭を打った。まずい、何も考えられない。リブは。ミライは。
………くそ。どうして。どうして俺だけ。
意識が飛んだ。
………うるさい。細かく、大きく、耳障りな音が聞こえる。うっすら、目を開けた。火花の音。まだ視界が揺れている。
「何が………」
立ち上がって、すぐ転びそうになった。急いで足元を立て直す。頭痛がひどい。気になって顔を拭うと、鼻血がついていた。ぶつけた訳でもないのに、どうして。
「聖、さん。」
辺りを見渡した。おぼつかない視界で、衝撃的なものを見た。
「………え。」
「本当、滑稽だよね。」
足から崩れ落ちた。力をなくした俺の腕を、掴むものがあった。
「こういうのを『因果応報』っていうんだよね。」
リバース・アウフタクトは、笑った。床に伏したまま。両足をなくしたその体で。
途中から、痛みを感じなくなった。
「大丈夫、君のせいじゃない。」
「あ………」
「早く行きなよ。」
わからなかった。なぜ、自分がこんな優しい言葉をかけられているのか。自分が嫌いで仕方ない、この子供に。
「今の爆発は、不完全燃焼だ。」
「え」
「燃え広がり方が小さかった。でもすぐに、また爆発するだろう。」
そうだ。離れないと、爆発がまたくる。俺は、もう無理だ。ここを切り抜けたとしても、もう。
「………いやだ。」
「え。」
感嘆符が終わる前に、彼は行動を起こした。俺を背中に負って、おぼつかない足元で歩き出す。強く反論する勇気もなかった。
「………離せ。」
「いやだ。」
「離せよ。」
「………絶対、いやだ。」
顔を見れなかった。見たら終わりだとわかってた。
「俺は、お前が嫌いだ。吉田ミライ。」
「………知ってる。」
「お前を、殺そうと思ってた人間だ。なのに。」
全部、無駄だった。
「………殺すんだったら、もうとっくに殺してる。」
………息を呑んだ。
『俺のこと殺すなら、もうとっくに殺してるでしょ?』
少しだけ微笑んでヒジリにそう言った、アレン。自分がどれだけアレンを慕っていたか。アレンがどれだけ俺を大事にしていたか。全て一気に蘇った。
あいつの、顔を見た。どうしようもなかった。
「アレン………!」
「!」
すがりつくように、俺は泣いた。感情がぐちゃぐちゃになって、とどめない涙へと変換されていた。………アレン。
どうして、死んじゃったの?アレン。
忘れていた。お金がなくて、困っていたこと。アレンを助けたいと幼い愚かな頭で考えて、仕事を探していたこと。そうして辿り着いたのが、彼だった。
『………君、入社したいの?』
『はい。』
誰にも話さなかった。心配をかけたくなかったから。
『君は、元少年兵だね。』
『………はい。』
『大丈夫。うちはそんなお堅いところじゃないからね。あいつらとは違って、君を蔑むことはしない。』
正直、意味がわからなかった。「あいつら」というのが、五年前俺たちと衝突したギャングだということがわかったのは、後のことだ。
『じゃあ、ついてきてよ。』
ついていった。
『この中入って。』
入った。
『早速だけど。』
円柱状の建物の中。目の前には、ぐったり俯いた男。
『こいつ殺して?』
汗が頬を伝った。理解を鼓動が置いていったらしい。
『大丈夫。強い薬で眠らせてあるから、起きないよ。』
『あ………』
声をあげようとした。無意識に体が動こうとして。
『動かないで。』
すぐ、止まった。動けなくなったのは、きっと刃物を喉に当てられているからだ。冷たい。息を吸うと、喉が動いて痛い。
『声もあげないで。誰にも言わないで。言ったらすぐにわかる。それが全部理解できたら、返事をして。わかった?』
『………は、い。』
震える声で返事をした。喉をうっすら血が伝っているのがわかる。後ろから顔が見れない状態で、男は笑い声を出した。
『じゃ、動いていいよ。できるだけ残酷に、目立つように、殺して。君なら、できるはずだよ。』
動いてもいいはずだったのに。
『「君は、押さえつけられている」「君には能力があるのに」「殺すための能力だ」「平穏に過ごすなんて今更できない」「君の手はもうとっくに汚れている」「今更人間らしさを望んだってしょうがない」「殺すため」「君は善に屈している暇はないんだ」「化物なのだから、化物らしく」』
『………いい?』
息ができなかった。
ゆっくり、眠った男に近づく。大きな音を立てても、簡単には起きないだろう。なんとなく、建物の隅に転がっていた長い槍を手にしていた。キリストの処刑の風景が頭に浮かんでいたのだ。
その瞬間、全てを忘れ、全てを諦めた。槍を振りかぶる。
『リブは、化物じゃない。』
『「人間」でもない。』
まだぼんやりしている。でも、俺が好きだった声。
『リブは、「リブ」なんだよ!』
その、一括で。世界がひっくり返った気がした。振り下ろした槍は、男にあたっていなかった。やっぱりアレンが目の前にいて。槍は、アレンが止めていた。
『………あれ、お前、なんでいるの?』
『つけてきた。』
唖然として、槍から手を離した。そしてアレンは、槍を手に取って笑った。口だけで、「伏せて」と言われる。理解する前にかがみ込んだ。
『………!』
槍を大きく回して、それをあの男に当てた。よろけたものの、こんな攻撃では倒れないだろう。
『行こう!』
『あ』
とてつもない力で腕を引かれて、痛かった。怒りが滲み出ていたんだ。去り際に、あの男が「だっさ」と小さく呟いたのが聞こえた。
『………アレン。』
ずいぶん離れた。止まって、俺がそう呟くと、アレンは俺を平手で打った。
『頼ってよ。』
忘れられない、その顔。
『ごめんな。』
結局、その言葉の意味は、最後まで解らなかった。でも、解らなくてもいいと思う。きっと彼は、許してくれる。
「………ぅ。」
彼の体力は、もう限界だった。立っているのがやっとだろうに、無理に進もうとするからだ。
「………もう、いいよ。」
「いや、だ。」
「すべて手に入れるなんて、無理なんだよ。」
「でも………!」
笑って見せた。彼の顔を見ると、やっぱり泣いていた。本当に、そっくりだ。
「………ねえ、一瞬止まっていいからさ。俺の、胸ポケットの中、見てくれない?」
「え」
「いいから。」
戸惑うものの、彼は言われるがままに足を止め、俺のスーツのポケットに手を入れた。感触を確かめた様で、目を見開く。
「これ。」
「ヒジリに、渡して。」
中身を見て、思わず笑いそうになった。ピントの合ってない、ぼやけた写真。中には、いつもの三人。少し拗ねた顔のヒジリ。とりあえず笑う俺。戸惑いながらピースをする、アレン。
「君には、誇ってほしい。」
「。」
「君には、素晴らしい、なんては言えないかもしれないけど、こんなにも勇敢で、優しくて、弟思いの兄がいるって。」
彼が泣くから、俺もなんとなくつられて泣いた。
「生きて。」
「………!」
「見捨てて。」
「………っ!」
唇をかみしめて、彼はやはり、というべきか、首を振った。もう、俺のすべきことは一つだった。
「………ありがとう。」
「え」
「君が俺を『俺』として見てくれて、嬉しい。」
そろそろだ。頬に微かな熱を感じて、彼を前に突き放した。彼は勘づいて、写真を持っていない方の手を伸ばしてきた。でも、俺は取らない。
辛いよ。君の人生は、あまりに辛すぎる。だけど、覚えておいて。
俺は、君がどんな姿になろうと、君の味方だから。
『やりたいこと、できた?』
ここは、どこだろう。いや、俺の、意識の中。走馬灯か。
『………お前か。』
『うん。どんな惨めな顔してるか、見てみたくてさー。』
『………相変わらずだな。』
霞んだ視界の中で、それでもその人物の顔はくっきり見えた。お返しに、こっちも笑っておいてやろう。
『笑ってられるのも、今のうちだからな。』
『え、負け惜しみ?君らしくないね。』
ああ、楽しいな。どうしても、この時間が心地よくなってしまう。
『俺は意外と負けず嫌いなんだ。』
その人物が驚いたように、少し目を見開き、また元の表情に戻る。
『そっか。』
『うん。』
『それじゃ。』
時間だ。最後の瞬間。
『いってらっしゃい。』
そうして、目を閉じた。
爆ぜる。光が、建物が、人の命が。
一瞬で、塵となった。
「………!何」
「不完全燃焼………!」
大方の非難は済んでいたと思った。その時に、また爆発が起きたのだ。さっきよりも、強い。
今の爆発は、絶望に近いものだった。誰も助からない。もう、誰も生きていない。そう、悟らされた。
「………!」
遠くからの、影に気づいた。足と肩がほとんど潰れた状態らしい。歩き方が変だ。
「聖さん!」
「………イマ。」
その顔を見て、私はわかってしまった。
「すまない。リブと、ミライと、逸れた。」
「っ!」
焦燥に駆られ、すぐ探しに行こうと思った。不安だったから。
「待て!」
「だってっ!ミライが………!」
「死んでない!」
大きな一喝。初めて聞いた、聖さんの本気の怒鳴り声。
「生きてる。」
聖さんの手に触れて、気づいた。小さくだけど、震えていた。顔を見ても、わからないのに。
「信じろ。」
みんな、怖いんだ。ミライも、彼も。わからない。生きていて欲しい人が、生きていないかもしれない。同じだ。だから、言い聞かせる。
大丈夫。生きてる。信じる。絶対に。
絶対に、助ける。
絶望ばかりの毎日だ。
「殺す」
生きるために目を覚まして。
「殺してやる」
死ぬために目を閉ざす。
「一体残らず」
長い、悪夢だった。
いや、元々こんな世界だったのかもしれない。
人間の作ったものに、世界の真実を知らされているだけで。
でも、生きるんだ。
人間であるならば、
生きるしかないんだ。
希望のない世界。
終わらない世界を。
光。瞳の表面で、黄色い光が暴れている。
突き飛ばされて、ぼうっとした脳の中で、消えていた感覚がある。
目の前の、血の湖。
俺の右肘から下が、なくなっていた。
この日。俺たちは勝利した。
でも、失ったものは多すぎた。
それは、俺にとっても同じことだった。
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