Chapters 14 覚醒

 何処かで、銃声と悲鳴が聞こえる。でも、俺たちにとってはその程度だった。

 息を吸って、吐いて。辿々しくお辞儀をする。殺し合いの前は、そうすることが俺たちのルールだった。今から、ヒジリを殺す。好きな友達を、殺す。

「行くよ。」

 自分の信念のために。



 ダガーに手をかけた瞬間、殺し合いは始まる。

 リブは予想通り、すぐ間合いを詰めてきた。接近戦が得意なリブのことだ。すぐ勝負をつける気でいるのだろう。

「………ねえ、せっかくだし喋ろうよ。」

 笑いながら耳元で囁くリブ。俺は靡かない。

「こうやって会うの、五年ぶりでしょ?!ヒジリ!」

 ダガーが振り翳され、俺も同じ金属でかわす。鉄と鉄が擦れ合う音が、妙に耳に痛く、心地いい。

「君がこれまでどうやって俺たちの探索を潜り抜けてきたのか、どうやってあの夜生き延びたのか、知りたいことがたくさんある!」

「………お前こそ。」

 ダガーの音は止まない。それでも、話し声はかき消されることなく互いに届く。

「何でこんな組織に加担する?」

「理由なんてないよ?正直hopeとか、科学の発展とか、そんなものに俺は興味ない。復讐さえ果たせれば、それでいいんだ。」

「復讐、か。」

 蛍沙架亜蓮への。でも今は。

「ミライは関係ない。お前が見るべき相手は、もういないんだ。」

「関係ない?よく言うよ。」

 ダガーが弾き出される。もう片方のナイフを腰から出し、素早く攻撃を防いだ。

「アレンとあの子を一番重ねていたのは、君のくせに。」

「!」

 リブは左手にダガーを持ち替え、そのまま突いてきた。器用な戦法だ。反応が遅れ、腹部を鋭利な刃が貫く。

「………五年間。実戦の経験がないせいで、反応が遅いね。今のヒジリじゃ、俺は倒せないよ。」

 薄暗がりの中、出血に歪んだ人殺しの顔が、歪んだ笑みを浮かべる。………いや。まだ終わりじゃない。

「………お前、後ろも気をつけろよ。」

「っ!」

 実戦の経験が足りない。それは、お前も同じことだ。床に撒いてあった「爆竹地雷」を、リブは都合よく踏んだ。リブはすぐその場を離れようとしたが、もう遅い。火花、と言うには大きすぎる爆炎が、目の前で爆ぜる。皮膚を焦がす勢いの爆風に、少しだけ目を細める。まだ、生きてるな。

「………あー、だる。」

 爆炎の向こう側。炎の光を反射したピアスが、小さく揺れる。ダメージは想像よりも大きい。長い髪が解け、気怠そうにこちらを見る戦友に、少しだけ安堵した。やっと、こっち見たな。

「本気で来いよ。死ぬぞ?」

「………冗談だろ?」

 


「知らせないと………!」

「知らせるって………まさか。」

 思い立ってすぐ、ミライは身を翻した。だめだ。

「俺、行ってくる」

「だめ!」

 無我夢中で、手を引いた。だめだ。あの男とミライを、会わせてはいけない。あいつは、きっとミライを見たら、すぐ殺しにかかる。総司令官は、蛍沙架亜蓮のことを恨んでいるから。

「だめ………行くんだったら、私が」

 前を見て、言葉が詰まった。言うべき言葉は決まっているのに。ミライが、優しく笑っていたから。

「イマと俺で比べたら、まだ俺のケガの方が軽い。だからより遠い総司令部の部屋に行くんだったら、俺の方がいい。イマは、できるだけまだ中にいる人たちの避難誘導をお願いしたい。」

「………でも。」

「大丈夫だって。」

 ………ずるい。思わず泣きそうになる。そんな顔で言われると、言い返せない。

「俺は死なないから。」

「………!」

「行ってくる。」

 手の温もりが消え去って、ミライの背中が遠ざかる。だけど、止まっている暇はない。何も考えるな。今、私がやるべきことをするんだ。

 この時、私はまた後悔をした。

 もっと、強く留めておくべきだったと。



「そういえばさぁ。」

「あんま喋んなよ、体力使うだろ。」

「いやぁ、喋ってないと集中できないんだよ。」

 嘘つきめ。どれだけ攻防を続けているかは、もはや覚えていない。無視してはいるが、疲労とダメージが少しずつ自分の足を遅くしていることがわかる。でもそれは、リブも同じことだ。

「あの女の子、えっと、銀髪の学生兵。」

「………」

「わざわざUNOに捕まったんだって。どうしてだろうね。ヒジリは知ってたの?」

「………何となくは。」

 目を引く注意書き、急すぎるタイミング。

「彼女はきっと、俺を試したかった。そして。」

「この衝突を促したかった。」

 俺たちの最終的な目標は、島からの脱出。だけど、UNOのアジトが残っている限り、救助を呼ぶことも、自力で脱出することも困難。だから、きっとUNOの諜報員に偶然見つかった所、いい機会だと判断し、投降を決めたのだろう。が、UNOのアジト内で様子を見て、それが困難だと判断し、すぐ逃げようとした。

「企は失敗したね。彼女が逃げ切る前に、君たちが来てしまった。」

「どうかな。」

 全て、リブがミライに会わなければ済むことだ。

「あ、今俺とミライ君が会わなければ全てうまく行くと思ったでしょ。」

「は」

「俺もそう思うよ。」

 会話の世界から、現実に引き戻される。リブは、気づくとピストルを片手に握っていた。まずい。至近距離だ。銃弾は、ダガーでギリギリ防いだ。でも、ヒビが入ったダガーはもう使い物にならないだろう。

「俺だって、あんな奴の弟の顔見たくないよ。」

「………どうして。」

 あんな奴?リブも俺も、何度だってアレンに救われてきたはずだ。それに。

「………こんなこと、言ってもお前を苦しめるだけかもしれない。でも。」

 可能性の話だ。

「アレンが。お前を殺そうとした。その事実を認める気はないけど、否定する気もないよ。」

「何それ、そんなの」

「もしも。」

 あの夜。起こったことをシミュレーションしてみる。

「お前に銃を向けていたと思ったアレンが、本当は奥にいる別の人物に銃を向けていたのだとしたら?」

「………!」

 アレンはあの時、本当にリブのことを心配していた。「守れなかった」と。「無事かどうかもわからない」と。

「アレンは………!」

「ごめん、やっぱ無理だわ。」

 話を切られる。思わず息が止まった。リブは、苦しそうだった。何かに囚われているようで、本当は自分が自分を苦しめている。

「やっぱ許せない。」

 どこかで、誰かが叫んでいる。逃げる人々の足音が聞こえる。でも、そんなことは外の世界の話に過ぎない。

「そろそろ、終わらせようよ。外の空気が不穏だ。話したいことは話せた。」

 予感がした。次の攻撃で、終わる。俺とリブ、どちらかが死ぬのかもしれない。………だったら。



「………ねえっ!」

 扉を開け放った。見たことのない光景に戸惑ったけど、今はそんな暇はない。

「Who is that...?」

「The witch! She might have escaped!」

「Kill her!」

 簡単な英語が耳を通り過ぎていく。聞いてもらえるはずない。そんなこと、わかってるけど。

「Listen me!!」

 とにかく、声帯を切る勢いで叫んだ。できるだけ、多くの人に届くように。

「Frankly speaking, there is a bomb which will fire within ten minutes!(単刀直入に言う、ここにはあと十分で爆発する爆弾が仕掛けられている!)」

 叫ぶ、けど。やっぱり混乱にかき混ぜられたその場は、一向に鎮まる気配がない。誰も聞いていない。

「Get away from here,soon! I’m not planning to fight with you anymore!(ここから今すぐ逃げて!これ以上戦うつもりはない!)」

「Die,witch!」

 後ろで声がして、それは銃だった。撃たれる。

「………だっさ。」

 目を見開いた。低い背中が、私から銃弾を防いでいた。手には、手錠の鎖。まさか。

「ベルーカさ」

「女の子相手に銃で相手するなんてさぁ。」

 銃弾は、彼女の腕を貫いていた。声をかけようとした。でもそこで気づいた。ここで初めて、その場が静かになったことに。

「C...Corporal...(へ、兵長………)」

「Get away right now.(すぐに逃げなさい)」

「What?!But...(え?!しかし………)」

「Do you want to die?(死にたいの?)」

 見た目はただの少女。だけど、兵長。彼女が静かに告げると、沈黙がその場を走る。そして、誰かが叫び出して、また時間が動き出す。避難に回った。

「………ベルーカさん。」

「だめだよ。これくらい言わないと、聞いてくれない。」

 笑ったものの、少女はやつれ果てていた。そして、そのまま床に倒れ込む。

「させない。」

「は、あなた何を」

「あなたを、死なせない。」

 きっと、これでうまく他の人々は避難するはずだ。あとはこの子を連れていく。背に少女を負うと、肩の裂けた傷が疼いた。でも、全力で無視する。

 ミライ。どうか、死なないで。



「リブ、一つだけ、いいかな。」

「………何。」

 決めていたことがある。これをいつか、お前に言うこと。

「目の前に、真実と安寧があったら。」

「………!」

「お前は、どっちを選ぶ?」

 少しだけ、安心できたのは。その時、リブが昔のような表情に戻っていたから。リブは、口を開いて、また閉じて、そしてまた言う。

「真実。」

「………そっか。」

「ヒジリは?」

 真実。別に、深い意味なんてないのだろう。だけど、俺は。

「俺は、真実が知りたい。でも、安寧を崩す勇気も、ない。」

「じゃあ、どうするの?」

 俺は、優柔不断だ。覚悟がないし、いざという時に無力になる。本当は怖いし、何に怯えていいのかも、時にわからなくなる。

 だけど。

「俺は、どっちも捨てたくない。」

 どうしても逃げたくない時がある。どうしても戦わなきゃいけない時がある。

「俺は真実が知りたい。だけど、安寧を保つ努力もしたい。もう、誰も死なせたくない。」

「………無茶苦茶だね。だけど。」

 リブが長すぎる髪をかきあげる。笑顔が彼らしい。

「ヒジリらしいよ。」

 これで、終わりだ。

 俺は、あの言葉を忘れるつもりはない。



 ねえ、アレン。五年が経ったよ。

 俺たちが、君の望んだ道に進めているのかは、わからない。でもさ。


『聖』

『お前は、無敵だ。』


「わかった。」

 最後の前進に出た。本当に、最後だったんだ。


「単調だよ、ヒジリ!」

 いつも通り、ただの前進。なのに。速い。

 咄嗟に撃った銃弾は、当たらない。避けられたのか、ただ当たらなかっただけなのか。壁を蹴り、方向を変え、逃げ、向かってくる。なんで。

 ヒジリは、恐怖している。恐怖は、何よりも人の足を止める。もう、大切な人を失いたくない。もう、大切な人を悲しませたくない。

 なのに。どうしてこんなに、強い?

「わかんねえよ………!」

 ダガーを振る。やっぱり当たらない。ヒジリは天井へ逃げ、そして蹴った。上から、そうして迫ってくる。

 殺される。死ぬ。



 ああ、いつもそうだったよね。

 ヒジリは、いつも。

 いつだっけ。

『おーい、リブー、アレンー。』

『?どしたのそんな大声出して。』

 お使いに行っていた帰りだっけ。ヒジリが一冊の本を片手に叫んで。

『何その本。』

『潰れた古書店を見つけて、そこの元主人を手伝ったら、少しだけ読み書きを教えてもらえた。』

『え!ヒジリ字が読めるようになったの?!』

『日本語の、ひらがなとカタカナと、少しの漢字だけだけど。』

 ヒジリがいなかったのは数時間だけなのに。そんなに覚えてこれるなんて。

『アレンは?』

『今は外出中。』

『じゃあさ。』

 滅多に見ない、ヒジリの満面の笑み。

『帰ってきた時に、二人で読み書き覚えて驚かせようぜ。』

 このあと、俺は死に物狂いでひらがなだけ覚えて、アレンはすごく嬉しそうにしてたっけ。

 いつも、ヒジリは前を向いていた。だから、失うことが怖い人なんだと思っていた。失うことを一番怖がっていたのは、俺なのに。

「………どうして?」

 俺は、生きていた。ヒジリのダガーは、倒れた俺の金髪を深々と刺していた。扱いがうまい。髪がぎりぎり切れないように加減して、ここに俺の頭を固定した。横のダガーを覗き込む。映り込んだ自分の顔が、この上なく醜いものに見えた。

「………お前を、殺す気はなかった。」

「うん。そうだと思った。」

「意味がないから。」

「………殺す価値も、ないってことか。」

 堕ちたものだな。人を信じられなくなると、こうも人は弱くなるのか。

「違う。ここで人を殺しても、何も進まない。」

「殺すことは、生かすことよりもずっと簡単だよ?」

「でも、戻れなくなる。」

 知ってるよ。

「お前は、まだ戻れるはずだ。」

 違う。

「まだ、俺は戻りたいよ。」

 俺もだよ。

「俺だって、戻れるものなら戻りたい。」

「じゃあ!」


 そういうところだよ、ヒジリ。


「………っっ!」

「油断したね。」


 鳩尾に、隠していたダガーを刺した。

 手応えは、硬い。刺す途中で、腕を掴まれたから。奥までは届いていない。でも、もう彼は動けない。

 彼は、油断した。………いや、気づいていた。だから、ギリギリ急所を避け、威力を殺すことに集中した。

 ならば、攻撃自体届く前に、俺の頭を一突きするくらい楽勝だっただろう。

 でも、彼にはできない。俺を殺せない。

 ヒジリの弱点は一つ。

 優しすぎるんだ。


 ヒジリは床へ倒れ込み、ただ静かに呻いた。きっと立ち上がることも難しい。いける。次は外さない。

「さよなら。」

 倒れたままでも、銃は撃てる。至近距離で、彼のこめかみを狙った。


 銃声。音の世界では、ただそれだけ。

 視界に飛び込んできたものに、唖然とした。

 誰かが、ヒジリに体当たりして、銃弾を庇った。「誰か」が、直感でわかった。

「彼」だって。

 ヒジリが、一瞬驚いて、すぐに理解したように、叫ぶ。



「ミライ!」

 驚いて、焦った。身体中の痛みを引き剥がして、駆け寄る。きつく目を閉じたミライ。銃弾は腕により庇われていて、ダメージは浅い。それでも。

「ミライ。」

「………聖さん。」

「どうして!」

 頭が熱くなっていた。自我を忘れて怒鳴っていた。こんなに彼に対して怒ったのは、初めてかもしれない。

「来る必要はなかった。むしろ………っ!」

「聖さんこそ。」

 さっと、頭が冷えた。ミライの声が、これまでにないくらい冷たかったから。怒っているのは、俺だけじゃなかった。

「どうして。」

「え」

「どうして、死のうとしたんですか。」

 困惑。後は図星。というのだろうか。見られていたのだ。ミライの顔が、怒りと悲しみに歪んでいて。………悲しみ。彼は、泣いていた。

「死なないって!」

「!」

「約束、したのに………っ!」

 忘れて、いた。

『そして何より、死ぬな。』

 言ったのは、俺自身なのに。

「無責任に死のうとしないでよ。この、バカヤロウ!」

「はあああああああああ?!」

 いつも言わないせいかおぼつかないミライが発する、悪口。まあ、案の定流石にキレた。………いや。

「違うんだよ!」

「えぇ………?」

「お前がここにきたら、リブが………!」


「あーあ。やっぱり来ちゃったんだ。」


 音がした。髪が、抜ける音。リブを固定していたダガーに挟まれていた金髪が、一本一本抜けていく。立ち上がった。目が、いつものリブじゃない。



 蛍沙架未来。

『リブ!』

 蛍沙架。

『………リブ。』

 亜蓮。

『ごめんな。』

 アレン。

『動くな。』

 アレン、アレン、アレン!


 側で、二人が話している。

 一人の自分は冷静で、一人の自分は動悸していた。

 眼球だけ、横を見る。見なければいいものを。

 青白い顔で、でも、目はまっすぐな。黒髪で、少し小柄。

 悪寒がした。

 立ち上がって、息を吸う。身体中が痛い。でも。

 もうどうでもいい。

 これで、体が壊れても。

 もういいや。


「虫唾が走る。」

 ほとんど機能していない右腕で、引き金を引いた。



 日本。

 もう、言葉に起こさなくても、良い程度だった。

「廃墟。」

「人類の成れの果て」

 メディアで無責任な言葉を吐かれながら、日本は崩壊した。ストリートチルドレンが、飢えた大人に食糧を乞い。母親とその子供が誰にも見られず腐り果て。

 そして。

「殺す。」

 廃墟の、クラブホールの地下。一人の少年が、拳銃を握りしめていた。スラム街で、たまたま地面に落ちていたのを拾ったのだ。血に濡れた少年。そして、ホールを埋め尽くす「Un-Hopes」たちの死体。

「みんな、殺してやる。」


 様々な記事が世に出る中、こんなものもあった。

「ここは、絶望の島だ。」

 現地の者たちは、口を揃えてこう言う。

「ディスペアアイランド」

 彼らは自らの故郷を、「絶望島」と呼んだ。

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