Chapters 10 夢の終わり

『無事で、よかっ、た。』

 息が、できなかった。人の死は、散々見てきたはずだ。なのに、自分の大好きな人が弱っていく様を見たくなかった。

『アレン、い、今なんとかするから』

『ごめんなあ、聖。』

 暖かいその声に、耳が吸い寄せられる。

『リブのこと、守れなかった。』

『………え、まさか………』

『あいつらに、連れて行かれた。無事かも、わからない。』

 一瞬でも安堵してしまった自分が許せない。リブを連れて行った「あいつら」のことを俺は知らない。でも、今はアレンをなんとかしないと………!

『二人で探しに行こう、だから!』

『俺は、無理だ。』

 優しい声に、蓋をされる。アレンが辛うじて浮かべた笑みの前、俺は何もできなかった。

『多分俺、無理だと思う。』

『は………』

『死ぬかも、俺。』

 三回も、言い直された言葉。意味はわかっていたはずなのに。信じたくない。死なせたくない。

『置いてって。』

『いやだ。』

 口をついた言葉があまりにありきたりで。でも、これしか思いつかなかった。諦めたくない。アレンに被さった柱さえなんとかできれば………

『無理だよ。てこが使えればいいけど、使えそうな棒もないし、時間がない。化物が、くるから。』

『でも………っ!』

 死ぬ、のか?もう少しで、日本に帰れるはずだったのに。せっかく弟に会えるかもしれなかったのに。どうして、アレンなんだよ。なんで………!

『ミライに、会いにいくんでしょ?』

『………!』

『死なないでよ、こんなとこで、死ぬなよ………!』

 ブワッと、瞳で堰き止めていたものが流れ落ちた。死ぬべきなのは、俺だった。アレンじゃない。俺のせいで、アレンは。

『………聖。これから、俺の言うことを、よく聞いて。』

『いやだ!』

『頼む。これが、最後だから。』

 耳を貸さなければよかった。でも、アレンの残酷な笑顔が、俺の意志を無にした。

『………あり、がとう。聖、俺は死ぬけどさ。弟に、伝えて欲しいことがあるんだ。』

『………!』

『ずっと、渡したかったものが、あるって。』

 アレンが、柱の下から拳を出した。その左腕は原型を留めないほど損傷していて、見たくなかった。それでも手を差し伸べると、アレンの拳から光が溢れた。よくみるとそれは、銀色の石がついた指輪だった。

『これだけが、俺が生きていた証になるから。なくさ、ないで。ミライにそれを渡すまで、俺はミライを想っていたって伝えるまで、死なないで。』

『でも、俺は………!』

 たくさん、殺した。何人この手で殺めたかわからない。

『………聖。』

『うん。』

『お前は、無敵だ。』

 はっと、アレンの顔を見直す。アレンの抉れた右目を見ていることは辛かったけど、目を離してはいけない。

『お前は人を殺した分、命の重さを十分わかってる。その手で、たくさんの人を救える。お前が、これからの未来を作るんだ。』

『………!』

『お前は、俺の誇りだよ。だから、生きろ。』

 彼の左手が、俺の頬について涙を拭った。俺の顔を手の平の鮮血が濡らして、温かかった。最後に、苦しそうな笑顔を見せて。

『行って。』

『………アレン。』

『生きろ!聖!』

 その声に背中を押され、俺はその場で立った。顔を直視しないまま、走り出した。時々叫んだり、泣いたりしながら。

 俺は、アレンを見捨てたんだ。



 何日、泣いたかわからない。食を抜き、何も飲まず、ただ雑暴に明け暮れた。正気を取り戻したのは、きっと一ヶ月も後のことだと思う。自分の生命力を、強く呪った。でも、俺は死んではいけない。アレンとの約束を果たす日まで。

『………街が、ない。』

 ………元々ここは、俺たちが無賃乗船でたどり着いた場所だった。そんな場所に、なんの思い入れもない。………けど。

 炎で焼き払われた家々。あの化物が破壊したであろう、腐敗した死体。前まで煩くも懐かしい雰囲気をしたスラム街の影は、もうそこにはない。ただ、アレンと、リブ。二人との思い出が跡形もなく消えてしまったことだけが、寂しかった。

 これから、どうしよう。まず、死体を弔わないと………

『………hopeの設置、終わったかー?』

『!!!』

 死に絶えた街の向こうから、声が聞こえる。思わず外柄だけが残った家に飛び込む。なんで。人が、いるなんて。

『半分、ですかね。気をつけないと、誤作動で襲ってくるんですよ。』

『できるだけ殺すなよ。数には限りがあるからな。』

 なんのことだろうか。耳をさらに傾けようとした。


『………うっざ。』

『………!』

『生きてたんかよ、お前。』


 懐かしみのある声が聞こえてきた。アレンじゃない。もっと幼くて、冷たい。

『………お前、早くしないと置いてくぞ。』

『………はい。』

 少しだけ、霞んで見えなかったけど。外で覗けた景色を信じたくなかった。

 フードで隠された顔、笑わない口元。………揺れる金色のピアス。

 でも、もうそこに俺が知っているリブはいなかった。



「ずっと、誰を恨んでいいのかわからなくて。ひたすらhopeを殺してきた。………ずっと、逃げてきた。」

「………」

 沈黙。気づくと外では日が昇り、空を照らしている。どのくらい、聖さんの話を聞いていただろうか。

「これまで、あの男がリブだって確証はなかった。だからこそ、詳しく調べるために自分からUNOに捕まった。諜報員たちの話から、外の情勢も大体分かった。」

「そこで、俺たちに会ったんだ。」

 ふっと、聖さんが薄い笑みを浮かべる。

「最初にお前を見た時、夢かと思ったよ。アレンに、怖いほど似ていて。だけど、目を逸らしていた。強く見つめると、過去の懺悔が急に迫り上がってくるから。」

「………」

「もし俺が、あの時アレンを救える力があったら。もし俺が、あの日の前に危険を伝えていれば。もし俺が、あの時消えていたら。そもそも、もし俺が、この世にいなければ。」

 アレンは助かったのかもしれない。言われなくても、わかる。俺もそうだ。

 あの事故。飛行船で起きた事故で、死ぬべきなのは俺だったのかも知れない。でも、俺は生きた。たくさんの人が、死んだのに。………だけど。

「だけど、たった一人でも。俺が生きていることを願ってくれた人がいたから。死ねなかった。」

 聖さんが、滑らかな仕草で自分の指からあのリングを抜き取る。俺の手のひらをとり、それをのせる。想像よりもずっと重い金属の温度を、しっかりと感じる。

「生きていてくれて、ありがとう。」

 それは、今まで見た中で一番優しい聖さんの笑顔だった。何か、やりきったような、新しい覚悟を背負ったような笑顔。

 ………それを見たからだと思う。水晶体がくぐもって、鼻が詰まった感じがして。俺はまた、子供に戻った。

「………ずっと。俺なんかが生きていていいのか、疑問だった。」

 一緒にするのは、烏滸がましい。けど、聖さんと俺は少し似た人生を辿っているのかも知れない。生きていて欲しいという言葉が欲しくて。ひたすら頑張ったけど、ダメで。

『生きて!』

 ………この言葉を、ずっと求めて。走り続けた。

「………こんなにも、俺が生きていることを望んでいる人が、いたって。」

 ずっと、独りだと思っていた。でも、違う。

「聖さんが、生きていてくれて、よかった。」

 泣き崩れてしまっては、いけないと。堪えていた。無意味にしたのは、再び頭に置かれた聖さんの手の体温だ。声を押し殺しながら、俺は泣いた。親の前で泣いた記憶はない。飛行船の事件でも涙一つ出なかったというのに。全部、押し流されていく。

 後ろの衝撃を感じた。イマが、俺の首に腕を回し、鼻を啜っている。慰めているくせして、自分が泣いているんだ。聖さんの顔は、見れなかった。泣いてはいなかったと思う。

 どうして泣いているのかなんて、もう覚えていない。嬉しかったのか、悲しかったのか。怖かったのか、ほっとしたのか。きっとどれでもよかった。

 自分はきっと、この瞬間のために生きていたと。思えたから。



「Hey,boss!(総司令官!)」

「………ワッツ?」

 びっくりした。リバース・アウフタクトは、いつもよりイライラした素ぶりを見せてから、部下に応じた。私に至っては、気付きさえしなかったのだけど。

 ………総司令官も、苦労しているんだな。そんな薄情な感想しか、申し訳ないが思い浮かばなかった。でも、なんとなくわかってたから。この人が、重い闇を背負っているって。

「He has just arrived.(彼がきました)」

「Oh...yes.」

 また総司令官が、あの腑抜けた顔を見せる。ここさえなければ出世できるのになあ。

「彼って?」

「………早めに手は打ったほうがいいかなって。助っ人を呼んだんだけど。」

 にしてはすごい嫌そう。

「同伴しますよ。」

「頼む。」

 助っ人、か。あの三人を消すためだけだったら、いらない気もするけど。………いや、違うな。あの三人は、全てが誤算でできている。

(苗字わからん)イマ。キラキラネーム。抜群の殺しの才能を持つ。

 多芭田聖。総司令官と同じ、元少年兵。戦闘力は以下略。

 そして、吉田………蛍沙架ミライ。戦闘力はさほどない。けど。

 私たち一番の、誤算。

「...Hello,nice to meet you.」

「コンニチハ。日本語喋れルノデイイですよ?」

 うーわ、苦手なタイプの外国人だあ。サングラス、長身、ひげ、下手な日本語。この世で私が嫌いなものをしこたま担いだ人だなあ。下手な日本語は私もだけど。

「急に来てくれてありがとうございます。」

「………マサかBLUE総司令官殿ガ女性の子供だとは思っテイナカッタですがなあ。」

 きょとんとする、リバースさん。そうなのである。総司令官は綺麗な顔立ちをしている上、金髪ロングヘア。おまけにピアスもついてるし、小柄。最初見たら誰もが綺麗な女性だと思うのである。男性だけど。

「やだなあ、僕は男ですよ、根っからの。」

「ハハ、その後ろにいるロリは、子供デスカ?」

「ロ………!」

 ロリとはなんだ!私はこれでも十二歳だ!大人だ!多分!

 ………と言いたいところだがリバースさんに止められる。

「人三人処刑するだけにボクを呼ぶトハ、あなたも堕ちタモノですなア。」

「………あなたが思うより、ヒジリは手強いですよ。………それに。」

 ムカつく助っ人に、司令官は優しく反論する。どこか、殺意を混ぜて。

「これは、復讐ですから。」

 ………沈黙は一瞬。最終的に助っ人のほうがキレて、ガニ股で中へ入っていってしまった。歩き方も嫌いだ。

「………復讐って、多芭田聖へですか?」

「いや。」

 ここは即答。振り返った顔が、真顔だった。

「蛍沙架亜蓮へだ。」

 ………あいつはあの日。

「俺を、殺そうとした。」



 それから、私たちは日々を消化した。生温く、どこか退屈な日々。だけど、これが私たちの平穏だったと思うと、納得がいく。………でも。

「不自然だな。」

「はい。」

 hopeが、いない。少ない、なんて言えるものではないのだ。ここ最近、一度も見ていない。

「前の襲撃で個体が少なくなっている、なんてことならいいんですけど。」

「………あるいは、今は身を潜めているだけか。」

 苦笑いする聖さん。嵐の前の静けさ。だけど、この状況では警戒しながらも不安なく生活できていることがわかる。

「じゃあ、ミライと見張り代わってきます。」

「ああ。」

 聖さんが右手を上げる。その薬指に、もうあの指輪はなかった。どこか不自然で、だけど安心する。………今、その指輪はミライの手にある。

 ………私たちの関係。何も変わっていないと言って仕舞えば、そうなる。だけど、ミライが笑顔を見せることが多くなって。聖さんから私たちに話しかけてくれることが増えて。………私は。

「………イマ。」

「?はい。」

 呼び止められ、足を止める。どこか真剣な声色だったから、身構えた。

「………俺たちはさ、明日生きているかどうかわからない状況にいる。今俺が窓の外から狙撃されても、hopeがここに乗り込んできても、なんの不思議もない。」

「それは、わかります。」

「だから、後悔だけはするな。何かやり残したことがあるまま死ぬことは、考えるな。………分かったか?」

「………!」

 ………わかってしまった。私がミライのように鈍感だったら良かったのに。

「………はい。」

 赤面を見られないよう、踵を返す。密かに、拳を固く握りしめた。



「ミライ、見張りを代わりに………」

 しかし、彼は返事をしなかった。疑問に思って覗くと、彼はまさか壁にもたれて寝ていたからびっくりした。………見張りだって言うのに。最近色々あったからしょうがないのだけど。叩き起こそうか。

「あのさ、ミライ………」

「ごめん、なさ、い。」

 ………耳を疑った。

「………え。」

「ごめんなさい………」

 ………それは、ミライの寝言だった。そのままミライは、また眠りについてしまう。顔を歪めて汗をかき、うなされながら。

「………なんで。」

 なんで、そんなことを言うのだろう。そこで私は、ミライの首元に気がついた。どこかで拾ったであろうチェーンにあの指輪を入れた、ネックレス。………これは、一種の呪いかもしれない。呪いであると同時に、ミライの希望だ。

『ごめんなさい』

 それは、誰に?なんで?私は、あなたに謝られるようなことをされた覚えはない。むしろ、私はあなたのことを………!

「そんなこと、言わないでよ………っ!」

『………母は、俺が嫌いで。父親も、俺に関心がなかったから、顔を見たことも少なくて。母親は………』

 あの噂は、本当だった。いや、脚色された部分もあるのだろうけど、ずっと気づいていた。ミライがずっと長袖を着ているのは、腕のあざを隠すためだと。帽子をかぶっているのは、誰かの暴力から急所を守るためだと。ミライの現実が、彼を殺そうとしていたこと。

 ………なんで?なんで彼ばかり、こんな目に遭わないといけないのだろう。………だったら。この世界が彼を否定しても、私は彼のことを肯定していたい。できるなら。ずっと、隣にいたい。

 ………これは、私の理性が起こした出来事だ。

 右手で彼の前髪をかきあげる。その美しい顔を見て、我を忘れた。ゆっくり、私は、顔を近づけていく。


 唇が触れるのは、一瞬だった。柔らかい感触が心地よくて、私は目を閉じた。それがいけなかった。

「………ん。」

 驚いて目を開けると、ミライもまた目を見開いていた。思わず、すごい勢いでのけぞった。顔が熱を帯び、視界が収縮していくのがわかる。ミライは、ただ虚無に満ちた顔でこちらを見つめるだけだった。

「………!!」

「………?」



 世界最悪のタイミングで俺は来てしまった。あの壁の向こう。俺が足を踏み入れてはいけない世界がある。

「………!!」

「………?」

 静かだろうか。平気か。うん、平気だ。多分。

「ミ………!」

「イマー、ミライー、聞きたいことがあるんだがー………」

「はいいい?!」

 ………絶対間違えた。そこにいたのは、恒温を忘れた顔のイマと、虚動のミライ。

「………あのさ、イマ」

「違う、違うんです!」

 いや、何が。そんな赤面で言われても、説得力ないがな。

「………なんか。」

「?」

 ミライが不思議げな顔でポツリと呟く。………いや、まさか、ないだろ。

「さっき寝落ちしちゃってたみたいで、それで起きたらイマの顔が近くにあって、それで………」

 唇の辺りを触れる。が。

「………何だったんですかね。」

 ………うわーまじかー。

 ………いや、だって。そんなに鈍感だとは。

「………」

 おふざけは、さておき。イマは………

「っ!」

「………!

 音にならない、高音。イマが勢いよく未来の頬を張ったのだ。流石に、手加減はしているだろうけど。

「………え。」

「うわあああああ!」

 悲鳴だけを置き去りにして、イマが逃げてゆく。………いや、なんで。そうして、俺とミライだけが残る。………地獄じゃん。

「………俺、何か悪いこと言ってましたか。」

「言ってた。………けど、これはイマが悪い。」

 確かに、俺は言ったけども。後悔するな、と。………こうなるなんて思うか?

「俺、どうしたら………」

 流石にミライが、落ち込んだような顔で訴えてくる。俺が言いたいことは一つだ。

「俺だけには聞くなよ。」

 二十年、イコール童貞歴。嫌なことを思い出させないでほしい。



「ああああっ!」

 ただ、叫んだ。それしかやることが思い浮かばなかったから。もう、このままいっそ消えてしまいたい。

「………疲れた。」

 呟いてみる。声は地面の中に吸収されて消えた。ずいぶん遠くまで来ていた。辺りに廃村はなく、草むらだけが生い茂っている。

 ………初めて意識した。自分が、彼のことをどう思っているのか。………でも。

『………何だったんですかね。』

「何よそれ!」

 流石に、そこからだとは。だけど、ミライは私をそういう対象としてみていない。だから、あんなことを言うのだ。

「………やっぱり、戻ろう。」

 このままじゃ、きっと後悔する。だから、戻ってちゃんと思いを伝え………


「………あんた、独り?」

「………!」

「運が悪いなあ。」


 知らない声が聞こえ、振り向いた。逆光に照らされた女性のシルエットを双眼が捉える。

 その瞬間頭に鋭い痛みを感じた。

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