Chapters 9 追悼
「お前の生まれについて、聞いてもいいか。」
「………俺は。」
ずくんと、鳩尾の部分が痛んだ。そんなの、痛いくらい覚えている。
「………物心つく前に、両親が離婚して。その後母親はすぐ再婚して、俺は母親の方に預けられました。………母は、俺が嫌いで。父親も、俺に関心がなかったから、顔を見たことも少なくて。母親は………」
「ごめん………ありがとう。」
聖さんは俺の気持ちを察してくれた。俺の頭に、一回り大きい聖さんの掌が乗る。父親を知らない俺にとって、これは初めての感覚だった。
「お前のことを話すためには、俺のことを先に話さなきゃいけない。それでも、いいか?」
「聖さんは。」
聖さんは、いいんですか?喉から出かかった言葉が、固まる。聖さんの笑顔が、答えてくれたから。
「………お願いします。」
「ああ。………イマ。」
俺の後ろの空気が揺れた気がする。そこにはイマがいた。
「お前も、一緒に聞いてくれないか?」
「え。」
「これは、これからの全員に関わる。………辛かったら、いい。」
「いいえ。………聞きます。」
口調は淡々としていたけれど、力強さが滲んだ声を、俺は信じる。
「………今から、十一年前。」
「俺は、少年兵だった。」
………少年兵。二十一世紀から今にかけて、裏で続いてきた犯罪。組織を担ったのは、十代前後の子供。彼らは誘拐されるか、親に売り飛ばされるか。そういった経緯を辿って、立派な殺人兵器へと成長してゆく。
今日も大人をたくさん殺した。
『よくやったなあ、ヒジリ。』
聖。
『ヒジリー。』
『リブ。これ、やるよ。』
上目遣いで話しかけてくる後輩に、パンを一欠片分けてやる。キャイキャイとはしゃぐその子供が、殺人者だなんて到底思えなかった。
………ああ、うん。リブ………UNOチームBLUE総司令官リバース・アウフタクトも、俺と同じ少年兵だった。巨大組織、「Circus」。二百人ほどの少年兵たちと俺たちは、戦争での出動や暗殺など、汚れ仕事を請け負ってきた。家族、なんて概念がない俺にとって、リブは弟のような存在だった。周りの先輩や、大人の人たちもみんな優しくて。訓練になったら、人格が変わるのだけど。
そうやって年を重ねていくと、色々なことがわかってくる。俺が誘拐されてこの組織に組み込まれたということに気づいたのは、八歳の時だった。でも、何も言わなかった。この生活が、幸せだったから。
『これを以て、この組織を解散します。』
幸せだった。この宣言が出されるまでは。
『………え。冗談、だよね、ヒジリ。』
………解散宣言。その時すべきことは、決められていた。
『………あああ。』
『うあああああ!』
『あああああああ!!』
………隣にいた先輩が、タガーで自分の首を掻き切った。鮮やかな赤が飛び散り、視界を彩る。次は遠くで、目の前で、後ろで赤い花火が悲鳴と共に上がってゆく。
………解散。俺たちは、見放されたという宣言。せめて最後、迷惑をかけないようにと大勢がその場で自害する。逃げ出そうとする者を止めることも、一つの使命だった。
『………ヒジリぃ。』
頭にナイフが刺さった、仲間。訳もなく笑いながらこちらへ襲いかかってくるその人を、俺は見ていることしかできなかった。………結局。その人は俺を殺す前に力尽きて、倒れてしまった。痙攣する体と、色を失った瞳を見て、怖くなった。
………死にたくない。
『………リブ。逃げよう。』
『ヒジリ。』
『走ろう!』
幼い手をとって、とにかく走った。どこを目指すか、なんて決めず、ただその場を離れたかった。たくさん、死んだ。自殺とか、その手助けとか、口止めとかで、仲間がたくさん死んだ。
『ああああ!』
『っ!』
今思えば、あの時の先輩たちはまるでUn−Hopesのようだった。道を多くの少年兵たちが塞いで、先にはいけない。………殺しでもしない限り。
この日、たくさんの仲間が死んだ。
俺も、殺した。
『ねえ、誰あの見窄らしい子達。』
『近づいたらダメだ!少年兵だぞ!』
『迷惑なガキだな。』
『どこかで死んでくれればいいのに。』
………知っていた、なんて言ったら嘘になると思う。
少年兵は、決して社会で受け入れられることはないということ。生まれつきの人殺しは、蔑まれても当然だと。
『ねえ、ヒジリ。』
『うん。』
『俺たち、死ぬのかな。』
嫌だった。一度怖いと感じた死を、こんなに受け入れてしまっていることが。「しね」なんて何度も言われた。けど。
『………死なない。』
『嘘つけ。だってみんな』
『でも!』
これしか、言葉が見つからなかった。根拠なんてどこにもないのに。
『死なない。』
死にたくない。バカみたいだ。これまで散々、人から未来を奪ってきたというのに。人間の血肉を食う、怪物のくせに。
こうやって、俺たちは地を這った。何があったか………なんて、言わなくてもわかるか。空腹も枯渇も、慣れてたから平気だった。それでも一番慣れるのに大変だったのは、人々からの拒絶だった。ひたすらナイフの先を向けられて、時には殺されそうになる。大丈夫。慣れていけば、きっと大丈夫だから。
『………おい、ガキ。』
スラム街の錆びた街灯の中、ガタイのいい大人たちに囲まれる。もちろん、俺たちにとっては敵でもなかったのだけど。
『夜歩いてたら危ないぞぉ?親に教わらなかったか?』
『こいつら、噂の化け物ですよ。子供のくせに、人を殺すって。』
『へえ、じゃあ闇市で売り捌いてやれば高くつきそうだな。』
俯いたまま、俺たちは何も言わなかった。鬱陶しい。近寄るな。
『………聞いてんのか、この小僧。』
一番の大男が出てきて、俺の胸ぐらを掴んだ。リブが、心配そうにこちらを見ている。なんとか隙を見て、逃げないと。
『ああぁ、分かるぜ?その眼、その顔つき。さぞ、周りから避けられてきただろ?』
『………』
『助けてくれる人もいない。認めてもらうための能力もない。おまけに人殺し。お前たちの生きる場所なんてないんだよ。お前らの使う酸素が、食料が、全部無駄なんだよ。どうせ死ぬなら奴隷になってこき使われたほうが幸せだ。どうせ価値のない人生なんだからなあ。なあ!ゴミ!蛆虫!どうなんだよぉ!!』
………ほとんど、頭に入ってこない。すごく怒っていることだけは、かろうじてわかったけど。………面倒臭い。いっそのこと、殺るか。どうせここなら、誰にも気づかれない。気づかれたところで、どうでもいい。どうせ、価値のない人生なんだから————
『放せ。』
『ああ?………お前。』
モノクロームの世界で、際立って聞こえた声。あの時のことは、忘れない。声の、持ち主は。
「いつか、言おうと思ってた。」
「?」
すうっと、息を吸う。できるだけ自然に、告げたつもりだ。
「『
「吉田未来。お前の、実の兄だ。」
「………っ!」
初めて見た時、なんて綺麗な人だろうと思った。目の色が純粋に黒く澄んでいて、あらゆるものを反射する。髪も肌も清潔に整っていて、そこまでは良かった。ただ、彼の顔右半分は火傷に覆われており、白い肌が赤いかぶれに隠されてしまっている。どこか、悲しみを帯びて。
『………お前か、役立たずのアレン。』
『関係ないくせに割り込むなよ。殺すぞ?』
『………放せ。』
その男………アレンの右手が、俺の襟首を掴む男の右手を捉えた。男の舌打ち。
『………っ!』
『化物のくせに、調子乗ってんじゃねえよ?』
大男の蹴りが、アレンの鳩尾にはいる。彼は起きあがろうとしたけれど、それより先に男たちが周りを囲い、袋叩きにした。悲鳴は聞こえない。
『………』
『………生きてる?』
やがてうるさい音は止み、静寂が戻ってきた。俺たちがつぶやいても、返答はない。………死んだか。結局、この人は俺たちを助けて死んだ。俺たちはきっと皆が言う通り、死神なんだ………
『………た。』
『?』
でも、この人は生きていた。恨み言でも言うつもりなのか。………けど。こちらに向けられたその顔を見た瞬間、毒気を抜かれた。
『生きてて、よかった。』
油と煙の匂いが立ち込めるスラム街の中。アレンは、笑っていた。
『………ああ、起きたの。』
『ちょっと待ってよ。』
あの後、何が起こったのかもわからず、とりあえず彼の家(ホーンテッドマンションの小さい版みたいだったけど)に連れ込まれ、とりあえず寝ていいと言われ、とりあえず家を二人だけにされる………って。
『大丈夫かよ。』
『平気だよ。最近はヤクザも強盗も多いけど、見張ってるし。』
『そうじゃなくて。』
得体の知れない子供を家に置くなんて、不安じゃないのだろうか。そもそも。
『なんで、助けたの。』
同情されることは、初めてだ。でも、いい気は全然しない。
『だってさ。殺してたでしょ。』
『………え。』
『俺が入っていなかったら、きっとあの人たちのこと殺してたでしょ、君。』
感嘆と、呆れ。なんで。
『………あんた、わかっていたんだ。』
『あんたじゃなくて、「亜蓮」でいいから。ずっと噂は流れていたし。』
『………こんな人殺し。家に置いておいていいのかよ。』
『いいんだよ。』
『でも………!』
『だって。』
あどけない、愚直な表情。
『俺のこと殺すなら、もうとっくに殺してるでしょ?』
………この人絶対早死にする。
『へえ、名前ヒジリっていうんだ。聖書の「聖」をとって
『ちょっ、リブ………!』
『だって、アレンが教えてって言ったから………』
結局、行くあてもない俺たちはアレンの家に泊めてもらうことになった。あれから俺は何回もアレンに意思を確認したけど、返答は変わらない。
『俺は一緒にいたいよ?』
………アレンは、どこか不思議だ。普段は全然笑わないで澄まし顔なのに、時々変なところで笑顔を見せる。火傷と愚鈍ささえなければ人気になれるだろうになあ、なんてつくづく思う。実際、リブはアレンによく懐いている。
『リブは、本名何?』
『ああ。リバース。リバース・アウフタクト。』
『なるほど。つづりってわかる?』
『さあ。みんな字が書けないからな。』
アレンは相変わらず笑わない。
『あ、アレンは?』
『俺?蛍沙架亜蓮。日本籍。十五歳。』
『ニホン?ヒジリと同じだね。』
確かに。Circusの先輩がそれだけは教えてくれた気がする。そうやって話していたときだ。
『日本かあ。………懐かしいな。』
また、アレンが笑顔を見せた。それを見ると、無性に追求したくなってしまう。
『アレンは、日本に恋しい人はいるの?』
『え?』
『恋人?』
『いやいやいや!恋人はいない。でも………弟がいるんだ。』
『弟?今どれくらい?』
『確か………今年で五歳かな。』
『結構歳離れてるね。』
『うん………そうだ、写真。』
アレンは胸ポケットから、色褪せた紙を取り出す。そこにいたのは、二人の子供。大きい方のアレンは、まだ火傷が顔に見られないからか実年齢よりもより幼く見える。そして、珍しく笑顔だ。抱いている赤ちゃんが、弟だろうか。
『この頃はまだ………二歳かな。今日もかわいい。』
『ブラコンこわ。』
『名前は?』
『「ミライ」。futureって意味。』
なんで忘れていたのかは、わからない。きっと、無意識に頭がこれを避けていた。
『いろいろあって、この写真を撮った頃に離れちゃったけど。お金を貯めて、いつか日本に帰る。俺が、守らないとだから。』
………アレンの、顔の火傷。戦争か事故でついたものだと思っていたけど、もしかしたら。
『………手伝えることあったら、言って。』
『………え。』
『ヒジリが、優しくなってる!』
『うるさいな!』
あどけない喧嘩だ。それをアレンが、穏やかな顔で見ている。………この時間が、俺の人生で一番楽しい一時だ。その時から、そう確信していた。
時は、あまりに早く経って。俺は十五、リブは十四、そして、アレンは二十になった。五年………そんなに長い時を過ごした感覚はない。単純に、この日々が楽しかったから。
『聖、買い物一緒に来てくれない?』
『わかった。リブは留守番頼む。』
こんな、一般家庭でもありがちな会話。これが日常だった。
買い物メモ:芋、塩、もやし
………これが一日分の食事である。
『もっと俺が働いてれば食わせてやれるんだけどなあ。』
『いいよ。アレンは、貯金も貯めなきゃだし。』
『貯金………ああ。』
ずっと続けている、アレンの日本へ行くための貯金。アレン曰く、少しずつだけど溜まりつつあるらしい。
『二人も一緒に行こうよ。』
『うん………って、は?』
今、なんて言った?一緒に行こう?
『いや、一番安い交通手段だったら全然お金足りるし。』
『いや、足手纏いだろ、俺ら。』
『いいの。』
大きな手のひらを頭の上に置かれ、返答を拒まれる。大人はずるい。
『自分に都合のいいところだけ隠すなんてさ。』
『なんだって?』
はっと、驚く。心で思っていたことが、口に出ていた。しかし、アレンは表情を変えない。
『知らない方がいいことも、この世にはたくさんありますからね。』
『あ………はあ。』
『………でも、聖。』
声色が、暗く沈む。古ぼけたスーパーの喧騒の中、際立って聞こえる生温い声。
『目の前に、真実と安寧があったら。』
なぜだろう。嫌な身震いがした。滅多に見せない、アレンの笑顔。
『俺は。………きっと、真実を選ぶよ。』
聖は?
『………俺は………』
『お客さーん、詰まってるんだけどー。』
瞬時に、現実へ連れ戻される。レジの店員が苛々しながら大声を出している。
『あ。アレン、呼ばれてるから行こう!』
『………』
俺は、逃げた。決められなかった。結局、それからこの話はしない。なんでこんな質問をアレンがしたのか。それは終にわからないままだった。
次の朝、怒鳴り声で目が覚めた。幼い頃得た野生的な勘で飛び起き、見回すとそこには誰もいなかった。不安に駆られ、玄関へ近づく。
『もう、ここには来ないでください。』
いつも通り、何を考えているのかわからないアレンの声。俺は足を止め、その声に耳を澄ませた。
『………邪魔だ。化物のくせに、そこをどけよ。』
『………リブは、ものじゃない。奪うとか、バカみたいなこと言わないでください。』
『なっ!』
『まあまあ。』
ドアの微かな隙間から、場面を覗いてみる。いたのは、スーツを着た男二人、アレン、そしてリブ。
『だって、この子はあなたにとって赤の他人でしょう?ドアの向こうにいる、あの子供もね。』
『………!』
気配は、消していたのに。観念して、ドアを開ける。きっと、相当の手練だ。
『メンツが揃ったわけだし、話しましょうか。………ね、リバース君。』
『………』
リブが俯き、小さな拳を握りしめる。しかし、アレンは許さなかった。
『話すことなんてない。帰ってください。』
『それはあなたが決めることでは………』
『帰れ。』
リブが、どこか震えた声で告げる。空気が揺れた。大柄なスーツの男は顔をこわばらせたけれど、もう一人の眼鏡の男は一瞬真顔になり、すぐ笑った。
『………わかりました。』
このまま、帰ってくれたらよかった。でも、眼鏡の男は出口と逆の俺の方へ近づいてきた。鼓動が高まる中、男は笑いながら耳元で囁く。
『...It will be rainy today. You’re going to die.』
………難しい英語じゃなかった。意味はわかった、けど。
『………行ったか。』
『ヒジリ。』
「雨が降る。お前は死ぬ。」………どういう意味だろう。
『なんでも、ない。』
………もしここで、話していたら。こんなことにはならなかった。
もし、俺たちがアレンと出会っていなければ。
アレンは、ミライと再会できていたのに。
俺はお使いを頼まれていて。街にはいなかった。戻ってきた時、唖然とした。
『ああっ!火だ、火だっ!』
『逃げろ!』
『あいつがくる前に!』
スラム街の、ゴミっぽいツンとした匂いはもうしない。香るは灰と、煙の匂い。火事だ。でも、本当の地獄は、それじゃなかった。
『あああああっ!アア………』
『………え?』
買い物袋を、その場に落とす。逃げていた住民が馬乗りに乗った人に、襲われている。住民は頭蓋骨を破られ、脳を啜られる。………人じゃ、ない。
『化物だ!早く、逃げろぉぉ!』
『ああああ!』
反射的に、俺も動いた。なんで。どうして。
………ふと、脳裏に大切な人たちの顔が浮かんだ。リブ。アレン。………家は、火の強い場所にある。不安がとめどなく競り上がり、俺は走った。初めて見た化物………hopeが怖くなかったわけじゃない、けど。それよりも二人の命が重かった。家は、すぐそこにある。全焼して跡形もないけど、きっと生きてる。きっと生きて。
『………ひ、じり。』
思いがけないところから、懐かしい声がした。俺の足元。見なくてもわかった。アレン。よかった、生きて………!
『無事で、よかっ、た。』
息を大きく吸った。声が、いつものものとは違う。ゆっくり、後ろを向く。目の前の光景を、信じたくなかった。
アレンは、生きていた。
大きな家の柱に倒されて。
右目を弾丸に潰されて。
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