Chapters 8 懺悔
「いいことを一つ、教えてあげる。」
「………!」
何も、聞く必要はない。撃てばいい。それなのに。
体が動かなかった。
「この個体はね、触れた対象者の表皮のDNAから、情報を得ることができるんだ。今の所、わかっているのはヒジリの情報だけだけどね。」
「………だったら、なんだ。」
漏れた情報が俺だけのものなら、幸いだ。どうせ、身体的な情報を調べても、何も出てこないだろう。
「………知りたいと、思わない?」
「近くの人がどんな情報を持っているのか」
「どんな特性があるのか」
「母親は誰か」
「父親は誰か」
「知りたくない?」
「興味ない?」
hopeの首が、回る。文字通り、百八十度の回転。その首は音を立てながらこちらを向いた。ごきり、ゴキリと、パーツが外れる音がする。声帯が外れ、声がただの息遣いへと豹変する。
「教えテあげるヨ?聖も、知リたくナい?」
「………ずっと。」
俺の声は、至って冷静に思えただろう。それでも、銃を持つ片手はきっと震えている。恐怖のせい、ではない。
「この可能性だけは、否定したかった。………だけどっ。」
息が、荒くなる。………こんなに感情が昂ったのは、久しぶりだと思う。
「………総司令官。そこにいるんだろ?
総司令官は。
お前なんだろ?
『リブ』。」
久しぶりに味わう、恐怖だった。
国会議事堂に潜入した時さえ、何も感じなかったのに。
「………リ」
「ちょっと、黙ってて。」
そう、あしらわれただけ。
なのに、こんなに怖いのは。
………モニターに向かう総司令官が、笑っていたから。
「………さすが。」
「さすが、ヒジリだあ。」
『………聖さん!』
その声で、我に帰る。
眠りについていたはずのイマ、いやサクラが大声を張り上げて、銃を構える。すかさず、俺もしゃがみ込んだ。
………一発の銃声。弾はhopeの首を貫き、脆くなっていた頭部をもぎ取った。
………いや。まだ死んでない。
『………外した。』
「………あ。」
さっきの銃声で、ミライも目を覚ました。
「hopeだ。まだ生きてる。………第一に、触れられるな。」
「!………はい。」
二人はすぐに状況を飲み込み、すぐ体勢を整えた。
首のもげたhopeが、再び向かってくる。
また、引き金を引いた。
「ゲームは、あんまり得意じゃないんだけどなあ。」
小さく、ぼやいてみる。ただパソコンに向かい、キーボードを打ち鳴らすだけ。スワン………「Un-hopes 三号」の頸は壊れたものの、標準機はまだ生きている。自分の思うがままに動く首のもげたプレイヤーは、人形のようだ。
『お前なんだろ? 「リブ」。』
………大した、問題じゃない。ずっと、そのつもりでいたから。ヒジリが、俺を覚えているかも知れないこと。俺が、ヒジリを殺さなければいけないこと。
「………さて、と。」
敵は、三人。居場所はわかったが、できれば、情報も欲しい。だけど。
「流石に、一筋縄じゃあいかないよなぁ。」
ヒジリが、他の二人を庇うように動いている。察しが早い。
「………変わんないなぁ。」
また、独り言。周りの奴が変な目で俺を見ているのだろうけど、気にしない。そうやって、モニターに向かう。………けど。
「あ、れ。」
唐突な出来事だった。体の内側。心臓の底、とでも言うのだろう。そこに沸々と、何かが湧き上がってくる感覚がした。気持ちが悪い。なんで。
………答えは、すぐわかった。顔に、傷がある学生兵。
「誰かに、似て………」
「リバースさあん!」
はっと、我に帰る。ベル………「ベルーカ・リリィ」が、まるで子供のように手足をバタバタさせている。
「死にそうですよ。」
「え………あっ。」
まずい。ぼーっとしていたせいで、hopeの状態がいつの間にかボロボロに。
そうして、戦闘に戻る。さっき抱いた、意味深な感情も、無視して。
随分、きついかも知れない。
「サクラ、弾はあと何発だ?」
『………ピストルだけだと、五です。』
冗談らしく、まじかー、なんて呟く聖さん。………わかる。いや、わかんないけど。
何かがその顔に潜んでいることを、俺は知っている。
いやまずその前に、この状況をなんとかしないと。
「ミライ、遠くからでも撃てるか?」
「はい。正確に、は厳しいかも知れませんけど。」
大丈夫。まだ腕の傷が治っていないとはいえ、銃を撃つくらいならできる。言われるがままに、ピストルを構える。
まず、フレームの高い位置を握る。人差し指はまだフレームの上。トリガーガードへ指を乗せるのは、射撃時のみ。銃の中心線は手首を通るように。下半身は銃の反作用に負けないよう構える。そして。引き金を、引いた。
………銃声が、二発。でも、そこにhopeはいない。
『ミライ!』
振り向くと、サクラが何かを訴えるように目を見開いていた。銃声のうちの一つ。それは、サクラの脚に当たっていた。
『避け………!』
「サ………っ!」
聖さんが、深刻な顔をして駆け寄ってくる。え………
「………ぐっ!」
突然、後ろから首を締め上げられた。そのまま宙へ吊り上げられる。なんで。いつの間に、hopeが………
「ミライ!」
聖さんが、駆けつけてくるのが見える。しかし、その勢いは、相殺された。
「………!!!」
化物の腕から発射された、長い槍によって。
「全身武器………!」
聖さんが唸る。槍は肩を貫通していて、そのまま体は壁へ貼り付けられた。まるで、画鋲で紙が留められるように。
不意に、視界が混同する。酸欠。でも、動けるものはいない。
それは、気の遠くなるほど長い時間だった。
「いける。」
そのまま、殺せる。案外、あっけないものだ。でも、そりゃそっか。
Un−Hopes三号は、UNOが保有するhopeの中で、一番強い個体だから。
吊り上げた学生兵は、動かない。まるで、人形のように。
「………あ、そうだ。」
今、この学生兵に触れたから。こいつの身体情報がこちらに送られてきたのか。hopeから届いたURLを片手間に開く。何かわかることがあったら儲け物だし。そんな軽い気持ちだった。
————
は。
「………は?」
体から力が抜ける。………いや、何かの間違いかも知れない。見返してみる。
「………リバースさん?」
何も、聞こえない。耳の辺りが、一気に体温を帯びる。………違う。違う、違う………でも。間違いじゃ、ない。
「………なんでだよ。」
どこが、「吉田ミライ」だ。
なんで、こいつが。
その時は、突然やってきた。hopeが何かを思い出したかのようにミライから手を離した。
「………ghrハ?」
ほとんど使えないhopeの声帯が、微かに震えている。
「………っっ!!はあっ!」
ミライは酸欠状態から解放され、思い切り咳き込む。動きたいけれど、矢が抜けない。
「………ヒ、ジリ。ネ。」
目が、釘付けになる。まだ、喋れるのか。切り離されたhopeの頸が、笑っている。
「ワ、アン、オ?」
わかってたんだろ?
「オ、ヒイ。」
こいつの秘密。
「ホ、ヒハ。」
本当に滑稽だな。
「ヨシダ………ホタルザカ、ミライ。」
「っ!」
これだけが、際立って聞こえた。反射的に、体が動く。
「コイツノ、ショウタイハ………!」
「あああああああっ!!」
ただの底力で、矢を抜いた。そこからすぐ、その矢を振りかぶる。
………今、この手でhopeの心臓を突いた。血は、流れてこない。その代わり、中に溜め込んでいた大量のオイルが撒き散らされた。ああ。
………似ている。
「………聖さん!」
「!」
サクラ、いやイマが、血の滴る右足を引き摺りながら近づいた。いや、常人ならきっと動けていないだろう。
「肩………」
「………え、あ、ああ。」
イマに言われて肩の痛みに初めて気づく。自分の怪我のことなんて、とっくに忘れていた。
「俺なら、大丈夫。ミライ、お前は………」
目を移した直後。突然、ひどい頭痛が襲ってきた。ただ、顔を見ただけ、なのに。ただ、無邪気な黒い眼。………やっぱり、似ていた。
「………hopeが、さっき、俺の名前。言ってた、気がして。」
「………まさか。そんなわけ」
「嘘、ですよね。」
何も、答えられなかった。答えてはいけなかった。きっと、何かが壊れてしまう。
「ねえ、聖さん。教えて。」
「俺は、何者なんですか?」
「………今日は、治療して休もう。」
………俺は、無視した。それは、義務だと思ったから。突かれた肩を、思い切り押さえる。じわりと、激痛が広がっていく。
………疲れた。
………きっと、これが転機だった。それから、私たちは拠点を別の場所に移し、変わらない生活を送っている。でも。
『ミーライー。見張り代わろうか?』
「サクラ。………いいよ。まだ続ける。」
ミライの様子が、おかしかった。いや、おかしいというか、惑っているというか………どこか、苦しそうだった。………でも。
聖さんはもっと、辛そうだった。きっと、ミライとは理由が違う。何かを、まるでミライから遠ざけるように。彼自身も、ミライから一線を置いているように思えた。
なぁんかなぁ………
『他人みたいじゃん、私!!』
怒りに任せて、思いっきり怒鳴る。まあ、誰もいないのだけど。二人は、食料調達や見張りなんかでここにはいない。
………わかっている。私には、何もできないって。きっと、二人。いや、個々の悩みだ。私が入る隙なんて、ない。………でも。
『放って置けないし。』
………んー、どうする?イマ。なんとなく今私が意識交代してるけど、自分わかんないよ?………なんか言ってよぉ。
「イマー?」
『サクラですがあ?!』
聖さんの怪訝な顔。しまった。驚いたせいで大袈裟なリアクションを。
「いや、見張り当番代われるか?」
『わかりましたよ。』
まずい。せっかくイマと交代したのにやり過ごしてしまう。何か、言わねば。
『じゃ、じゃあ聖さん!』
「あ?」
『夜怖いんで、一緒についてきてくれませんか?』
「………はあ?」
………私は馬鹿である。
夜は、怖くない。ただ、陽がこちらの世界を照らさなくなっただけのことだ。暗闇の中、夜を糧に生きる化け物と出会ったとしても、その時はその時だ。
『やだー夜ってこわーい、聖さん助けてー。』
「変なものでも食べたか?」
イマ………じゃなくてサクラの様子がおかしいのである。カエンタケの毒にでも当たったのだろうか。だとしたら死んでるか。………冗談は、さておき。
「お前さ。」
『はあい。』
サクラは破天荒で予測不可能だけど、根拠のない行動はしない。何か、理由があるはずだ。………その理由も、だいたい想像がつく。
「何か、話したいことがあるなら、すぐ言えよ。」
『………流石に回りくどかったよなあ………』
馬鹿だなー私、なんていうサクラ。
『聖さん。』
「ああ。」
『私、小五の時に初めて目覚めたんです。』
あくまで、口調は淡々としていた。まだ、言葉の根底は見えない。
『イマのことを「ビッチ」とか「キャバ嬢」とか馬鹿にしてくるクソガキがいたんです。イマは勉強もできたし、何より美人だし。』
「自分で言うなよ。」
『私サクラですから。』
「………で?」
『………イマが二人の女の子に、髪を掴まれて。図工用の鋏で切られたんです。その瞬間に誰も彼も殺したくなって。………気づいたら鋏を奪って、暴れてた。』
………本当に、単純だな。馬鹿みたいに真っ直ぐで、自分の気持ちに正直。それが、時に人を傷つける。
『私が切りつけた子は、運よく軽傷で済んだんですけど。イマは、それからずっと苦しんでて、ひたすら私を嫌った。………私の、「後悔」です。』
「………何が、言いたい?」
なぜ、そんなこと話したのか。サクラは、不敵な笑みを浮かべ、語る。
「聖さんにも、あるでしょ?」
「『懺悔』。」
『ヒ、ジ………』
『ヒジリ………っ!』
『いき………て、よか………』
『ばけもの………』
『ま、から。』
『逃げろ………!』
『いき、ろ。』
『ダメだ、………な』
『………ね、しね!』
『ヒジリ』
『ヒジリィィぃぃ!!!!』
フラッシュが、脳裏で焚かれた。それは、記憶の断片。
二度と、見たくなかった。
『聖さん?』
酷かった。サクラの声は聞こえているのに、ただの幻聴と聞き分けができなくて。頭が痛かった。貧血が起きた時のように、視界が暗くなって。気持ち悪い。
「ひ、聖さん。」
「あ、ごめん、ちょっと、疲れてる、だけ、だから。」
再び歩き出そうとしたその時、プツンと糸が切れたかのように、思考が停止した。最後に視界に映ったのは、向かう先に見える闇だった。
俺の居場所は、やっぱりそこだった。
「リバースさああああん!」
「うわああ!」
思いっきり、というか強制的に現実へと連れ戻される。って、俺何してたんだっけ。
「びっくりした。一瞬hopeかと。」
「最低!ずっと呼んでたんですよ?」
ベルがまた頬を膨らませて睨んでくる。ある意味年相応の行動と言えるだろう。
「俺、何してたっけ。」
「リバースさん、寝てましたよ。グースカぐーすか。………いや。」
目の前の、幼ない眼に影牢が映った。
「『リブ』って呼んだ方がいいですか?」
すっと、コーヒーを手にしようと伸ばしていた手が止まった。椅子からその少女を見上げてみる。意味は、なかったのだろう。だけど、許せなかった。
「………リバースさん、ずっとうなされてた。」
反論する前に、そちらから発言されてしまった。………そうだ。夢を、見ていた。
『ねえ、ヒジリ。』
『うん。』
『俺たち、死ぬのかな。』
『………死なない。』
『嘘つけ。だってみんな』
『でも!』
鮮やかに蘇る、あの声。何もかも見通す、雨粒のような声。
『死なない。』
「………そうだな。」
俺は、まだ死ねなかった。………生きていたんだ。あいつは。
「………ホタルザカ、ミライ。」
「!」
「って、誰ですか。」
次こそ、頭に昇る血の流れがわかった。衝動的に、体が動いた。
「………それ、聞いちゃう?」
壁に寄りかかる無防備なベルの頸に、タガーを向ける。こんなに体が熱いのに、頭だけは冷静だった。このまま、こいつを殺せる。………いや。
「怖いですねえ。」
手を広げて、ふざけたように笑うベル。………殺せないな。だって。
「でも、リブさん本気で私を殺そうとしてないでしょ。」
「………根拠は?」
「今私が生きていること。」
………なるほど。俺が本気じゃないことを悟って何もしなかったんだ。俺がベルを殺そうと動いていたなら、きっとベルも俺を殺そうとしただろう。………っていうか、それだけに命を賭けたのか?
「………はああぁ、拍子抜けしたわ、なんだか。」
「こちとらニホンの国会議事堂めちゃくちゃにした張本人ですよ。ガキ舐めんなし。」
だから、どこでそんな言葉覚えたんだ。
「じゃ、話してくれますか?」
「………嘘をついても、無駄か。」
諦めるしかない。こいつには敵わないな。
「いいけど、口外はするな。UNOの士気に関わる。」
「えー、面白そー。」
「………殺すよ?」
「冗談ですって。」
軽く脅しても………無駄か。
「俺が、少年兵だった時のことだ。」
「………ジリさん、聖さん。」
「ん………」
目を開けたところが、地獄だったら尚更よかった。でも、また生きてしまった。しかも、目の前にいたのが、ミライだったから。
急激に、死にたくなった。
「今、何時?」
「………聖さんが倒れてから明日の、朝五時です。」
「………じゃあ、寝かせろ。ちょっと、だるい。」
かけてくれたであろう布を頭から被り、現実から逃げる。放っておいてくれ。ただそう願っていた。誰も、俺に関わらないでと。
「………子供じゃないんですから。」
でも、ミライは止まらない。きっと、勘付かれてる。俺が、何かを隠していることを。でも、言ってはいけない。布団(布のこと)をもっと深く被るが、ミライは放っておかないだろう。イマもこちらが起きたことに気づき、泥仕合の始まりである。
「ちょっと、聖さん!」
「………!」
「ヒージーリーさーん!」
「………」
「ちょっ、力つよっ、本当に………』
やばい、イマがキレる。
『起きろおお!!』
「うわあ………」
ミライのあきれる声。
『聖さん!!』
………俺は、きっと酷い顔をしている。泣いた、わけじゃないけど。二人には、見せたくなかった。
「聖、さん。」
「………だめか。」
鼻が詰まった感覚がして、思わず座り直し、俯く。裏返った声になった。
「このまま終わらせたら、だめかなあ。」
………ああ、静かだな。ここでは車のクラクションも、ガスの匂いもしない。いっそのこと、何もかもかき消してくれたら、楽なのに。
「………聖さん。」
「………」
「俺は、傷つく覚悟はできてます。」
ミライの顔を、覗いてみる。こいつは、これまでどんな人生を過ごしてきたのだろうか。想像を絶するような、地獄の中を。それでも、這い上がって生きてくれた。その顔が、全てを教えてくれる。
「知りたいです。何を、失ってもいいから。」
『目の前に、真実と安寧があったら。』
………懐かしいな。優しくて、温かい声。ずっと、聞いていたかった。
『お前は、どっちを選ぶ?』
聞かれて、答えられなかった。俺は、周りが思うほど強くない。臆病で、優柔不断で。だけど。
『俺は。』
「真実が、知りたい。」
「本当に、似てるな。」
思わず、口からこぼれ落ちた。本当に、無意識で。ミライが困った顔をするのが、おかしかった。もう、隠す意義なんてない。
「わかった。」
「全てを、話そう。」
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