Chapters 7 潜入

「...Boss! Why are you here?(ボス!なぜここに………)」

「Good night.I want to know about progress.(やあ。進捗について知りたくて)」

 彼が微笑むと同時に、大きな金色のピアスが揺れる。あれから、どれくらいの日にちが経っただろう。この男から日本人テロリストの残像は、すでに消え去ってしまった。結局、この男にとって部下とは駒でしかないのだ。

「………あ、リバースさん。」

「ベルか。久しぶり。」

 ボスに向かって口角を上げる彼女は、彼が名前を覚えている少なき人間である。

「『日本』への出張、お疲れ様。ニュースで見たよ。」

「ういっす。楽勝!」

 どこでこんな日本語覚えたんだ。

「あ、そうだ。」

「んー?」

「こないだ『侵入者』排除のために島のhopeを追加したんだけど、どうなったんだろう。」

 軽い気持ちで聞いたはずだったが、ベルは苦笑いしかしない。聞いてもらいたくなかったかのように。

「あー………それがですね。」

「ほう。」

「………ほぼ全滅しちゃったらしいんですよ。」

 ………全滅しちゃったらしいんですよ。全滅し、全滅………

 ん?

「………どれくらいの比率で?」

「ほぼ九割ですね。」

「………『侵入者』の姿は映ってなかったの?」

「はい………死角から攻撃されちゃったらしくて。」

 ………総司令官は沈黙した。

 厳かであらねばならないボスの立場には、相当似合わない腑抜けた顔で。

「………なんで?」



 まず、フレームの高い位置を握る。

「人差し指はまだフレームの上だ。」

 トリガーガードへ指を乗せるのは、射撃時のみ。

「銃の中心線は手首を通るように。」

 下半身は銃の反作用に負けないよう構える。そして………!


『あー、朝練?真面目ー。』

「っっっっっ!!び、っくりしたぁ。」

 完全に集中していたから、情けない声を出してしまう。視線を向けると、そこには壁にもたれかかり笑みを浮かべる、イマ。………いや。

「サクラか。」

『当ったりー。』

 イマが再び寝込んでから、一週間ほどだろうか。聖さんが作った薬は飲ませられなかったけど(あんなもの飲ませられるわけない)、イマは翌日には全回復にまで良くなった。

「急に出てこないでよ。びっくりするから。」

『許可してるのはイマだもんねぇ。』

 ………イマの、二重人格。俺たちはそれを、「サクラ」と呼ぶことにした。

 イマが「サクラ」になる時、外見では特に違うところは見つからない。でも、内面はとても対照的だ。

「イマ」は、慎重な性格で、できるだけ被害が少ない道を選ぶことが多い。

「サクラ」は逆に好戦的。楽観的な性格で、とりあえず成功する方法をとる。

 ………俺は人を性格で定義づけするのはあまり好きではないのだけど。

『まだ腕の怪我、治ってないんでしょ。無理しないほうがいいと思うけど。』

「そんなわけにはいかないんだよ。」

 確かに、腕の傷はたまに膿んで激痛がするし、手もまだ治りきっていない。でも。

「この中で一番弱いのは、俺なんだから。」

 ………サクラ。彼女の戦闘力はずば抜けている。普通、いつもより強い動きをしたら身体に支障が伴う。それがないのは、他でもない彼女の元の体質の強さがあるからだろう。訓練での成績も悪くはなかったし。

『私が暴走したら、止めなきゃだもんね。』

「いや、そういうことじゃ。」

『大ジョーブ。暴走も、裏切りもできないだろうし。』

 サクラは、少し遠くへ視線を向ける。そこにいるのは、よくもまああんな格好で、といった姿勢で居眠りする、聖さん。寝相の悪さははこの中でピカイチである。(あまりいい意味ではない)

『あの人には、勝てる気しないし。』

「………確かに。」

 あの人………聖さんの言葉が、ずっとどこかで引っ掛かっている。

『一応プロだからな。』

 プロ。つまり、殺しの。聖さんの前職を、俺は知らない。

『………あ、でもさ、いっそのこと寝込みを狙えば脱走して密告できるかも………』

「誰が密告だって?」

 びくり、と、肩が震える。さっきまで雑魚寝していたはずの聖さんが、恐ろしい笑顔でサクラのことを後ろから見つめていた。おどけた口調で言い返す、サクラ。

『冗談ですって。どうせ密告する前に殺してもらえるだろうし。』

「お前なあ、冗談も大概にしろよ。イマの信頼がなくなるからな。」

『げ。』

 サクラが苦い顔を見せる。………確かに、サクラは楽観的で、身勝手だ。でも。

 ………イマのことは、この世の誰よりも好きだと。本人が言ったんだ。俺たちは、信じる。

「そうだ、ちょっとお前らの意見を聞きたいんだが。」

「?なんですか?」

「………あそこの砂浜。」

 聖さんが、遠い景色を指さす。肉眼であそこが見れる、なんて言わないでほしい。

「………人が倒れてるんだが。」

「助けなきゃでしょう。」



「Oh!Thanks so much!I’m glad that I can meet you!(本当にありがとう!あなたと出会うことができて本当によかった!)」

「おーイェアー、I’m glad,too.(俺も嬉しいよ)。」

 気持ち悪くなるほど流暢な英語。とは言っても、聖さんが話したのは一文だけである。のに。

「………わ、ワッツ?」

「『くたばりやがれ外来種』だって。」

「………嘘でしょ?」

「嘘だよ。」

 ミライの頭から、湯気が出ている。もちろん比喩だが、ミライは英語が苦手らしい。まあ、それ以外の教科も怪しいけど。

 ………無駄な話はさておき。過去を遡る。

『おーい、手伝ってくれよ、こいつ重いよ。』

『どこ持てばいいんですか。』

 砂浜に倒れていたのは、ヨーロッパ籍と見られる大柄な男だった。着ていたのは、良質な繊維で作られた、軍服。きっと、近くで遭難したのだろう。運の良かったことに、夏のため凍傷などはなく、目を覚ましたらすぐに会話ができた。

「By the way,What happened before you were there?(ところで、あんたがあそこにいる前、何があった?)」

 いきなり、直球で質問をする聖さん。(ミライへの翻訳は私がしたのだけど)外国人兵士は、一瞬顔を青くし、話し始めた。

「...My name is Swan.I’m sailor.When we were working, we were attacked...by “monster”.(………俺の名前は、スワン。水兵だ。仕事をしていた最中、俺たちは襲われた。………バケモノに。)」

「!」

 ミライも、「monster」という単語に反応したのか、私の翻訳を聞く前に体を前のめりにしていた。………バケモノ。それは。

「Un-Hopes………!」

 聖さんが呟いたが、ヨーロッパ兵士、スワンは訳がわからないようで、首を傾げていた。………私たちの時も。

『緊急事態発生』

『避難をお願いします』

。』

「...Can I ask you some question?(いくつか質問してもいい?)」

 あの事件と、繋がりがあるかもしれない。一縷の望みを込め、質問を続けた。



「Why you were...」

「How many...」

「What were you...」

「………これじゃあまるで尋問だぞ。」

 問い詰めるイマの肩を、できるだけそっと叩いた。相手はさっきまで漂流していたんだ。これ以上聞いたら、疲れてしまうだろう。イマはそのことにすぐ勘づき、口を止めた。

「あ………ごめんなさい。」

 ソーリー、と、外国人水兵に向けて一瞥する。賢い子だ。きっと学生兵の徴収さえなければ、名門校に進学していたのだろう。………それに比べ。

「………ソ、ソーリイ?」

「流石にsorryは分かれよ。」

 こんな短い単語で目をぐるぐる回す、ミライ。こちらは要注意だ。今度、英語だけでも教えてみようか。

「Don’t mind.I wanted you to listen my story.(心配しないで。俺は君たちに話を聞いてもらいたかったんだ)」

 ………感じたのは、その時だった。違和感のない、自然な笑み。そこに、何かが。

「………なあ、お前らちょっと外の見張り頼んでもいいか?」

「え、あ………はい。」

 ミライとイマは、少し不可解な顔を見せたが、すぐ席を立ち、外へ駆けてゆく。………気づかれないよう、小声で。

「なあ、サクラ。」

「………え?」

「————」

 それだけ言い、また仮面を被る。



 空は、すっかり夕闇に覆われていた。夜は、嫌いだ。何もかも、飲み込まれそうに思えるから。俺たちを追いかけ回す、怪物のように。

「ねえ、イマ。」

「?」

「さっき、聖さんになんて言われたの?」

「………ああ。」

 イマは、大きな瞳を軽く傾け、教えてくれる。

「『お前、戦闘までしばらく出禁な』って。………サクラに。」

 ………意味がわからない。

「なんか、何考えているのかよくわからないよね。」

「うん。でもさ。」

 垣間に見える、笑顔。聖さんの声。それが、教えてくれる。

「きっと、良い人だよ。」

「………そうだね。」

 それだけ呟くと、また静寂が戻る。微かに聞こえるどちらかの吐息。風の音にかき消される、潮騒。

 ………こんなに、綺麗だったんだ。

 ただ、ストンとそう思った。これまでずっと忙しかったから意識できなかったけど、こんなにもこの島は。

「綺麗だね。」

「………うん。」

 思っていたことが声に変換されたのは、思いがけないことで。それでも、イマが笑ってくれたから、それで良かった。

 沈黙の中、ふとイマが声を漏らす。

「あ………hopeだ。」

「!どこ?」

「大丈夫、だと思う。かなり遠くにいるから。」

 目を凝らすと、夜の中森を彷徨う二、三体のhopeが確認できた。右へ向かったと思えば、折り返しまた戻る。………まるで。

「人間、みたいだよね。」

「え?」

「暗いと、ただの人間に見える。」

 なぜhopeが人間のような姿をしているのか、俺は知らない。でもきっと、理由はこれのほかないと思う。人間のように繕うために。知らない俺たちは、きっと彼らに勝てない。

 この夜が、彼らに味方しているかのように。

「冷えるね。」

「確かに。」

 いくら今が夏の時期とはいえ、夜の寒さはある。しかも、ここが日本よりも寒さの厳しい場所ならば、尚更だ。

 一つの考えが、頭をついた。………イマが嫌がらなければ良いのだけど。

「………イマ。」

「………へ?」

 きょとんとした顔のイマにそっと、右手を差し出した。下心があったわけではない。

「………え、え?」

「冷えるから、握っていいよ。」

 イマは、しばらく何も言わなかった。暗くてよく見えなかったが、顔が少し赤く見えたのは、勘違いではなさそうだ。それでも最後は、ゆっくりと手を握ってくれた。冷たい。

 ………誰かの手をこの手で握ったのは、きっとこれが最初で最後だろう。



「おーい、ガキどもー、晩飯だぞー。」

「わかりましたから、大声やめてください。」

 下から呼ばれ、ミライが応答する。その時に、繋いだ手は離してしまった。………温かい。想像よりも大きな手の感触は、ずっと手のひらに残っている。

「イマー、早くしろー?」

「はあい。」

 なるべく平然を装って、私も駆け寄った。それでも、隠せている余裕がない。………そういえば、聖さん「晩飯」って言ったけど、なんか料理でもしたのかな。………あれ、聖さんって料理できたっけ。

「ほれ、今夜限りの特製カレーだ。好きに食べろ?」

「………真っ青なカレーって本当にあるんですね。」

 ………案の定。不安は当たったようだ。拾った土器で草花を煮たようだけど、なんか色が毒々しいし。変な匂いするし。一体何を入れたんだろう。

「………遠慮しておきます。」

「なんだよ。そこらへんに生えてた植物入れてっから、体にいいはずだぞ?」

「これ………ヨウシュヤマゴボウと水仙の葉じゃないですか?」

「え、そうなの?」

「毒ですよこれ!」

 ヨウシュヤマゴボウは猛毒である。葡萄に似た種子をつけるが、消化して仕舞えば死亡する可能性もある。知らぬ間に毒を盛られていたというのか。まあ、こんなにわかりやすい毒なんてないのだけど。

「嘘だろ。実つけてたから大丈夫だと思ったんだけどな。」

「これまでよく生きてこれましたね。」

 お返しにこちらも毒を吐いてやる。本当に、どうやってこれまで生きてきたんだ。

 ………すると突然、水兵のスワンが吹き出した。あまり話さなかったからわからないけど、こんな笑い方をする人だったのか。聖さんの肩を叩き、笑い転げる。

「...Sorry, you are pleasant.(すまない、君たちは本当に面白いな)」

「Why?」

 結構真剣なやりとりをしていたつもりなのだが。スワンは次に、優しく微笑む。

「Yes...You’re like family.(君たちは………家族みたいだ)」

 はっと、会話が途絶える。三人で互いの顔を見合った。全員似たり寄ったりの顔をしている。………家族。私たちの感覚にはなかったものだ。これが、そうなのだろうか。

「...So, I’m father?(じゃあ、俺は父親か?)」

 ………そう、聖さんが呟いたところで、また笑い声が戻る。さっきまでの沈黙が、嘘みたいに。

「いや、流石に無理ありますって。」

「だって、一応俺お前らより年上だからな。」

「まず、聖さん何歳なんですか?」

「二十だけど。」

「若っ!」

 衝撃的事実。弾む会話。………かき消されていく過去。

 ………いいよ。これが、一時の安泰だとしても。

 一秒でも長く、こんな時間が続きますように。



 誰もが、寝静まった夜だった。

 一つの影が、その中で起き上がり、ため息をつく。その目は死んだ魚のように薄汚く、焦点がどこであっているのかすら、わからない。のそのそと鳴らす足踏みは、風の音にかき消され。誰の耳にも、届かない。

「………ヨシダ、ミライ。」

 呟いたそれは、ある地点で、しゃがみ込む。その目に映るのは、美しい寝顔。自分の身にこれから何が起こるのか、知らないような。

「………こいつで、いいんだよな。」

 ………それの、手が伸びる。ミライは、動かない。

 そんな、静寂の時間。


「………動くな。」


 低い、深い声。

 それ………いや、「スワン」の後頭部に、銃を突きつける………聖。

 さっきまでの緩慢さが、平和さが、そこにはもうない。


「...Why? I am not understanding...」

「日本語、わかること。」

 強く、言い返す。

「………知ってるからな。」

 また、静寂。「スワン」は、わけもなく笑い声を漏らす。

「………なぜ、わかった?」

 拙くも、おかしくもない日本語。隠れているのは、憎悪にも近い、黒い何か。

「………話す時。文節ごとの区切りが明らかにおかしかった。発音も。………それに。」

 嘲笑うよう、語る。

「さっきの俺の言葉に素直に反応したことが、何よりの証拠だ。」

 スワンの気配は、ぶれない。

「………だったら、その銃を退けてくれ。俺は何も悪くないだろ?」

「………悪いな。無理だ。」

 初めて、スワンの瞳の奥が揺れる。まるで何かに、怯えるように。

 聖は容赦ない。

「今日、お前のことを観察していた。まあ、気づかれないようにするのは骨が折れたが。」

「………何が言いたい?」

「………瞬き。」

 息継ぎすることもなく、聖が語る。

「通常の人間なら一分間に瞬きを約二十回は繰り返す。だが、お前はせいぜい五回で止まっていた。………少なすぎる。」

「だから、なんだ?」

 強く言いながらも、スワンの口調が惑いを含んでいることが手に取るようにわかる。

「………英語のフレーズがおかしいことは、を変換するときに起こることだ。そして、瞬き。………お前。だろ。」

 ………とどめの、一言。


「………お前、Un-Hopesだろ。」



 こんなhopeを、一度だけ見たことがある。

『助け、て。』

 こちらへ向かって手を伸ばしてくる物体。姿は女性だが、本当は。

『す、て』

『tあすkえて』

『タ、ttttta、ssけ』

 声帯がちぎれたのか。声は喉から風を通すだけのものとなっている。………人間じゃない。

『tアアアすkkえてyおおおおおお!!』

『っっ!』

 持っていた銃の、引き金を引いた。銃弾は心臓を撃ち抜き、女性は陸へへばりついた。だけど、血は流れてこない。

 ………元々、hopeは人間と構造が似るように作られていた。しかし、人間の姿をそのまま似せることはほとんどなかった。コストも技術もかかるからだ。

 ………でも、ごく稀に。

 人を偽るために作られたhopeがあった。それは人間の体をそのまま再現し、目視では見分けられない。目でわかる違いは、血液の有無、瞬きの回数くらいだろう。


「………気づかれちゃったなあ。」

 スワン、………いや、「hope」はため息と共に、息を吐き出す。人間にしか見えない仕草で。

「………今、この状況も、俺たちの位置も、お前がいることで、UNOに知らされているはずだ。………お前を、生かして置くわけにはいかない。」

 トリガーガードを外す。これは、hopeだ。人間じゃない。ためらう必要なんて、ない。


「ところで、ヒジリ。」


 なかった、はずだ。


「いいことを一つ、教えてあげる。」

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