Chapters 6 佐倉とサクラ

 雫が、岩を叩く音。一つ、二つ、そして、また一つ………。静寂の中、それだけが空間を揺らす。ここは、夜の世界。

 足音が、聞こえる。水溜まりを踏みつける音。どんどん近くなってゆく。

 ………人殺し。あんたは、最低なやつだ。

 誰。いや、あいつだ。逃げたいのに、体が動かない。

 ………そのくせ、自分じゃ何にもできない。誰かに頼って、甘えてばかり。

 わかって、る。ずっとずっと前から。それは、私が弱いから。そう思っていたのに。

 ………弱くないくせに。死なないくせに。そうだ、私なんか。

 しねばいいのに。


「………っっ!!」

 肩で、息をする。苦しい。体が、熱い。熱が出ているのだろうけど、体が動かない。

「ミラ………」

 助けを呼ぼうとして、やめた。隣を見てみると、月光に薄く照らされたミライの顔がある。………どうせ。私なんか。

 その夜、私は荒い息を押し殺しながら眠りについた。



「風邪だな。」

 多芭田さんがイマの額に手を置き、呟く。前夜。俺たちは無事に、あの建物を脱出した。あの島は俺の夢などではなく、ちゃんとここに存在した。島外まで出ることができたら安全だろうけど、俺たちにそんな技術も、体力もなかった。そのため、しばらくは脱出の方法を考えながら、建物から離れた場所で生活するようにした。多芭田さんは前まで廃村の家屋を隠れ場所にしていたらしいから、そこを拠点とすることに同意して。それから、三日後。

「ミライ、もう動けそうか?」

「はい………死ぬほど痛いですけど。」

「お前本当にタフだな。」

 嘘である。腕も手も動かせるかわからないほど痛いし、何なら貧血でまだクラクラする。でも。

「じゃあ、イマ。行ってくるから。」

「………はい。」

 イマがいる手前、そんなこと言えないだろう。あの時、イマは。

『………私が?』

 返り血で染まった顔。甲高い、悲鳴。イマは疲労か、はたまたショックのせいか、気絶してしまった。それから、ずっと寝込んだままだったのでまさかと思ったら、このような事態となった。というかまず脱出できたことが不思議なのだけど。

「使える薬草があるかもしれない。記憶は朧げだけど。」

 その多芭田さんの提案により、俺たちは薬草を探しに行くことにした。イマを一人にするのは心配だけど、建物からは遠いし、化物………hopeにも見つかりにくい場所だ。大丈夫なはずだ。………いや。

 怖いのか。俺は、ただ単に。

『………は、はは。』

 溢れ出る血を見て笑う。躊躇もなく、殺す。………いや、俺は。

「………っ!」

「?ミライ、どうした?」

 今出せる一番の力で、自分の頬を殴る。俺は、何を考えているんだ。俺は、助けてもらったのに。一番、辛いのは。

「何でも、ないです。」

 一番辛いのは、イマのはずなのに。



「二重人格じゃないか?あれは。」

 元々いた場所から四百、いや五百メートルほど離れた場所。多芭田さんは落ちていた土器で植物を煮ていた。側から見たそれは、毒薬でしかないのだけど。

「真面目に話してください。」

 思わず言ってしまう。

「何だよ。人がせっかく真面目に作業しているところなのによ。」

「いや、真面目って。………まずこれなんですか?」

「薬だよ。風邪専用の。」

 改めて、中を覗いてみる。ボコボコと立つのは、紫色の煙。それを何十倍も凝縮したような、液体。入れていた植物は緑色のものが大半だったのに、どうしてこうなるんだ。

「………味見は多芭田さんがしてください。」

「俺が使ってどうなるんだよ。あと、多芭田じゃなくて、聖でいいから。」

 不貞腐れたように言い放つ「ヒジリ」さん。本当に大丈夫か。

「………話を、戻すけど。」

 ヒジリさんの顔が、急に無となる。こんな空気が俺は苦手だ。

「二重人格は知ってるか?」

「はい、聞いたことくらいは………でも、オカルトの話じゃ。」

「知り合いで、そんな症状が見られた奴がいた。」

 一瞬で、空気が張り詰める。多芭田さんがどんな環境で育ってきたのか、俺は知らない。だけど、本当にあるのか。

「そいつは、もう一人の人格を制御できなくてな。」

「………はい。」

「殺された。あと一人のそいつに。」

 思わず顔が歪む。その人の不幸を憐れむと同時に思い浮かんできたのは、イマの顔。感じ取った瞬間、とてつもない不安に駆られた。

「何か、できることはないんですか。」

「………ない。」

 返ってきた返事があまりにそっけなくて、泣き出しそうになる。でも、そりゃあそうだ。結局、俺には何もできない。

「二重人格は、自分がもう一人の自分に勝たないと、支配を防ぐことができない。………俺たちじゃ、ダメなんだ。」

「………そう、ですか。」

「ただ………」

 ヒジリさんが口籠る。何か、策があるのか。その先の言葉が聞きたくて、問い詰めようとした。その時。聖さんが顔を曇らせた。

「ミライ。」

「え?」

「………hopeだ。」

 咄嗟に息を殺す。木の影の奥、複数のhopeが何かを追うように彷徨っていた。一人………いや、一つ、二つ。どこかで「壊した」であろう足を引きずりながら。

「多いな。」

「………はい。」

 深刻な声色。冗談ではないようだ。

「………なあ、ミライ。」

「はい。」

「なぜ、このここにhopeが放たれているか、知っているか?」

「………一つの空間に制御することが、難しいから、ですか?」

「全然違う。」

 キッパリ否定されてしまい少し不満になる。そんなに辛辣な言い方をしなくても。

「hopeの『眼』の部分。あそこに、標準機が搭載されている。………その情報は、通信でどこかへ中継される。………もうわかるだろ。」

「………!侵入者を、排除するため。」

 その思考と共に、恐ろしい妄想が駆け巡った。もし、hopeが増えたのが俺たちを発見するためで。

「………東へ、向かっている。」

 ………俺たちがいた場所に、向かったならば。

 そこにいるのは。イマ一人だ。

「………まずいな。」



 <猶予リミットの日>

「えっと………一郎くんだっけ。進んでる?」

「吾朗です。」

「………時間切れだ。」

 この三日間。パーソナルコンピューターに、向かい、向かい、向かい続けてきた。それが俺の、残された使命だから。

「何か、わかったことはある?」

 おどけた口調で話しかけてくる総司令官。相変わらず整った顔は涼しげで、笑っているのに感情がまるで見えない。………これを、粉々に砕く。

「一人目。」

 容疑者は、三名。………でも。

「日本首都東京生まれ。学歴はなし、三歳で、大組織に誘拐される。それからの行方はわかっていない。………が。」

 どうせ死ぬなら。

「大組織が内部抗争により、崩壊。その組織は数百回に渡り暗殺を繰り返しており………あんたみたいなピアスを全員つけていた。」

 俺には、やるべきことがある。

 知らなければいけないことが。

「当時十四歳。組織を離れ、巨大組織『UNO』に加入。後に『Un−Hopes』と名付けられる兵器を強奪し。」

 さっと、司令官の顔が暗雲に化す。………そう。これは。

「後に、崩壊した大組織が『Circus』という名の組織だったことがわかる。あの組織は、『少年兵』の教育に熱心だった。………『リバース・アウフタクト』あんたのことだろ。………なあ。」

 言ってやる。この男の化けの皮を剥ぐ言葉を。

「あんた、少年兵だろ。」

 司令官………リバース・アウフタクトが、完全な無表情になる。抉ってやる。どうせ死ぬなら。

「おめでたいよなあ………少年兵でこき使われて、泥水啜りながら、運良く生き残って。みっともないよなあ。それで、今総司令官ですか。」

 ひっひっ、と、笑い声が口から漏れる。司令官は睨んだまま銅像のように何も言わない。もう、笑うしかない。

「今、どんな気持ちで、ここに立っているんですか?どんな気持ちで、俺たちに指図しているんだ?薄汚い人殺しのくせに。バケモノのくせに………!」


 ドスッ、と、体を痛みが支配する。見えなかった。俺は、長い刃を持つナイフで刺されていたことに、まだ気づいていない。心臓を、刺された。口から短い息が漏れる。ああ、総司令官の顔が、近くにある。笑っている。

「イエス・キリストは、磔により処刑された。当時、一番辛いと言われる刑だ。」

 俺には、聞こえていなかった。自分の体の感覚と、心音が、別物になっていることを感じる。痛みすら、もう感じない。………もしかして。自分はもう、死んでしまったのではないか。

「釘で手足を打ち込んでから、槍でとどめをさす。長い、長い時間をかけながら。………俺たちは、そんなことする気はないよ。」

 こんな状況だというのに。なんて柔く冷たい声を出すのだろう。聞こえる。どうやら自分は、まだ生きている。でも、もう死ぬ。

「殺すならば、素早く、確実に殺す。苦しまないように。俺は、拷問は好きじゃないからね。………どうだい。それでも俺は醜いかい?………バケモノかい?」

 甘い、甘い声が遠ざかってゆく。最期。本当に最期の声を、振り絞る。

「ヒ………ゴ………。」

「?」

 そこで、目の前が真っ暗になる。心音が、なくなった。死んだ。



「ああぁー、マジか。」

「………はい。」

 元いた場所に戻れたのはいい。しかし。

「こんなにいるとはなあー………。」

 望遠鏡を通して見える、景色。埋め尽くされた、黒い物体。………ここから、五十メートル先。大量のhopeが、こちらを囲っている。それは、化物の行進。

「………ミライ、ピストルの弾は?」

「全部で、三十発です。」

「………俺の銃入れても、七十発か………」

 ヒジリさんが、ガサゴソと建物の隅にある木箱を探る。(ガラクタもどきが一緒に出てきたけど)その中から取り出したのは、タイプの古い猟銃。

「まあ、なんとかなるだろ。」

 ………心配だ。

「大丈夫ですか?」

「信用しろよ?俺一応プロだからな。」

 ………プ、ロ?無機質な二文字。でも。プロって、何の?

「………いいか?あまり撃ちたくはない。場所をバラすようなものだからな。でも、三十メートル。それ以内に入ってきたら、合図する。」

「はい。」

「心臓を狙え。………怖くなったら、後ろを見ろ。」

 ヒジリさんの、似合わない優しい声。チラリと、後ろを向いてみる。そこには、ぼうっと宙を眺める、イマ。

「………わかってます。」

 ………射程距離まで、十メートル。五、四メートル。三、二、一。

 ————引き金を、引く。



 騒がしい音で、我に帰る。目を開けるととてつもない浮遊感が襲ってきて、睡魔が私を襲った。………でも、寝たくない。寝たら、色々なものが見えてくるから。………あいつとか。

『ねえ、起きなよ。』

 弾んだ、声。また、あいつだ。

『二人とも、闘ってるよ。』

 ぼうっと、視線をずらす。そこには、涼しい顔で銃を構える多芭田さん。隣に、遠くへ目を凝らしながら、ピストルを外へ向ける、ミライ。………ああ、そういえば、ミライは訓練での成績が良くないんだっけ。大丈夫、かな。

『起きなよ。起きて闘え?』

 あいつの声は、一層強くなる。でも、熱で、体が言うことを聞かない。

『………やっぱり、動けないんだ。臆病者。………だったらさ。』

 嘲笑う声。耳を塞いでも、聞こえてくる。

『私が、殺してあげよっか?』

 ざわっと、全身の血が冷気を帯びる。フラッシュバックする、あの光景。赤い、赤い、赤い血。私が殺した。

『殺せる。』

 いやだ。いやだいやだ。やめて!!

「やめてえっっ!!」

「殺さないでっ!!」

「あああああああ!!!!」



 まずいな。思ったより多い。無駄撃ちをしているわけではないが、それでも足りない。そんな時だった。

「っ!」

 イマが、発狂し始めたのは。

「殺さないで、殺さないで!!」

「いやあああ!!!」

 どうすればいい。今、離れたら、ここが持たない。それに、俺が何か言ったところで、収まる可能性は………

「………聖さん。」

「………?」

「ここ、お願いします。」

 ミライに、目を向ける。………覚悟の目だった。こいつはわかっているんだ。ここの行動が、全員の命に関わるって。生死を分けるって。

「………頼む。」

「はい。」

 ミライがピストルを手放す。俺は、俺の持ち場を守るだけだ。

『二重人格は、自分がもう一人の自分に勝たないと、支配を防ぐことができない。………俺たちじゃ、ダメなんだ。』

『………そう、ですか。』

『ただ………』

 ただ。一つ可能性があるとすれば。

 ………ミライの声なら。

 届くかもしれないと。



 ねえ、あなたはなんで死なないの?

 私たちは、どちらかはいない方が良い存在なの。

 どうしたい?

 消える?ああでも、そしたら………

 たくさんの人を、殺しちゃうかもよ?

 あんたのせいで。


 大切な人が、また死ぬよ?


 ………やめて。こないで。いやだ!殺さないで!私は私は私は私はっ!!!

 殺さないで!!



「………いいよっ!」


 暗闇に、光が戻る。肩を、強く掴まれている。動けない。その先にいるのは………ミライ。強く見開いた瞳が、光を反射している。

「イマがどんなに人殺しでも、バケモノでも良いから!」

「………」

「俺は、受けいるから!!」

 ………それが、どんなに致命的な言葉か、わかっているのだろうか。

「受け入れる」ということは

「一緒に死ぬ」ことと紙一重だって。

 この人を殺すなんて、簡単だ。

 手を伸ばしただけで、すぐ壊せる。

 のに。

「大丈夫。イマは、大丈夫だから。だからっ………!」

 肩を握る手に、力が入る。苦しむような、搾り出すかのような声。だから。

 その声に嘘がないって、信じたから。

 私は今、目を閉じた。



『イマ。

 イマ。

 イマ。

 起きて。』

 闇の世界。私は、それと目を合わせた。姿こそ私と同じだが、目が赤く染まっている。もしかして。

『泣いてるの?』

 私の分身は、ほろほろと泣いていた。こんな子だったのか。私が今まで恐れていた子は、こんな少女だったのか。

『誤解しないで。』

『何を?』

『あなたを、消したいわけじゃない。』

 はっと、水浸しの瞳が大きく見開かれる。予想外だったのかな。

『………ごめんなさい。私。』

『イマ。』

『嫌いじゃ、ないの。イマのこと。』

 握りしめた拳が見える。私は軽く頷いた。

『イマが傷つくところを、見たくなかったの。』

 そう、だったの。

 手の甲で涙を拭いながら、頷く「イマ」。だったら。

『人殺し!』

 ………あの時。動いた理由は。

『イマが、好きなの。イマを、傷つけたくなかった。なのに………っ!』

 咄嗟に、体が動いた。私は、今まで嫌いでたまらなかったその人を、強く抱きしめた。

『………ありがと。』

 誤解だった。この人が私の、敵だなんて。私たちは。

 ………抗う必要なんて、なかったんだ。



 何かが起こったことは、俺にもわかった。目の前の少女が一瞬動きを止め、目の奥の光を揺らした。そして、その目が閉じ、また開く。………違う。それはイマじゃ、なかったんだ。

『………ありがと。』

「え?」

『ありがと、ミライ。』

 途方に暮れる俺に、語りかける。目が合ったのは本当にわずかな時間で、それでも違和感には気づいた。何で。そう言おうとした時、イマが俺の前で立ち上がった。

『………なければ。』

「は?」

『視界に入らなければ、良いんですよね。』

 聖さんが躊躇いがちに、「ああ。」と答える。イマは滑らかな動きで床に落ちたガラスの破片を、手に取る。何が起こるのか、まるで予想できなかった。

『………暴走したら、撃ってください。』

「………っ!」

 イマが、俺たちの前へ飛び出してゆく。あそこにはhopeがいるのに。

「イ………!」

 追いかけようとした俺を、ヒジリさんが止める。銃を手放し、聖さんは首を横に振った。

「信じよう、イマを。」



 人を、殺してはいけない。

 殺させてはいけない。

 hopeは、人の命を奪う。

 人間が、作ってしまった化物だ。

『私がやるんだ。』

 hopeの後ろの木の影へと隠れる。大丈夫。

 人は、殺さない。絶対に。

 守る。

『守る。』

 hopeに見られていないことを確認し、背中に回り込んだ。心臓部。ガラスが一発で入るよう、刺した。

「アアア、ぁ。」

 大丈夫。怖くない。………あと、十体。

『三十秒で終わりにする。』

 hopeは、観察すると動きのパターンが少ないことがわかる。そこを突けば。

 慎重に、素早く、心臓を狙う。あと五体。

 三体。

 一体。

『大丈夫。』

 怖くないよ。イマ。

 そうして、ガラスを引いた。



「………っ!イ、マ………!」

 ミライが隣で、走りながら肩を揺らす。あそこから、hopeが確認できなくなった。イマを見つけてそこへ移動したのか、もしくは………

 どちらにせよ、イマに追い付かなければ。

『………ミライ。多芭田さん。』

 でも。心配は杞憂だった。

 そこには大量のhopeの残骸が横たわっており、俺が殺したhopeの量よりも、きっと多い。じゃあ。

「イマ?」

 そう聞いたことで、やっとイマはこちらを振り返った。手にはガラス片が握られていて、その顔は、笑顔じゃない。生き物を殺した、罪悪感の目だ。………だけど。

「ありがとう。」

『………へ?』

「ありがとう、イマ。」

 ミライがイマの目を見つめ、馬鹿みたいにまっすぐな言葉を告げる。きっと、それだけで十分だったんだ。

 イマは驚いた顔の後、柔らかい笑顔となった。それを見て、安心したのも束の間。

「………?!」

 イマが、ミライの前へ倒れ込んだ。熱があったのに、あんなに動いたからだろう。

「すごい熱だな。さっき作った薬でも飲ませっか。」

「イマを殺す気ですか。」

 こうやってふざけた会話ができる。


 ありがとな。

 内心だけで、つぶやいた。

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