Chapters 5 私が。

 その、同時刻。

「行きます。」

 国会議事堂、入り口。警官がいた。………首を二つにもがれた死体が。黒い人々はその胴体を踏みつけ、堂々と歩いてゆく。

「………ここで、大丈夫ですか。」

「うん、すぐ気づかれないようにロッカーかなんかに入れといて。よろ。」

 わずか十分ほどの出来事だった。廊下付近で少し歩き回った後、人々は去っていった。この十分で、この国が………日本が終末するなんて、誰も予想していなかった。

「はぁー、最近は『駆除』で大変ですねー。」

「本当だよ。忙しくて寝れもしねえ。」

 わいわいと子供のように廊下を歩いてゆく男性二人。………五、四、

「ん?なんかロッカーから音しないか?」

「気のせいだろ。」

 三、二、

「いや、ほんとに………」

 一、

 零。


 上がる血飛沫。あたりに飛び散る小腸の破片。バケモノが次に見たのは、呆然と立ちすくむ男性だった。

「は、、は?曽根?え?」

「あああああああぁぁ!!」

 化物の咆哮。すぐ死ぬことができなかったこの男性は、不幸であった。化物の歯は足を噛み砕く。そうしてゆっくり、脇腹へと目を移していった。

「うあああ!!助ケテ!タスケ………っ!!!」


 それから、一時間後。

 通常国会に参加していた議員、三百人ほど。

 全員の死亡が確認された。



「ミライっ!」

 騒然とするわずか四畳ほどの部屋で、私は自分の存在を知らせる。気づいたミライは目を見開き、何かを言いかけたけれど結局、何も言わなかった。机の上には血で染まった彼の左手がある。まだなお勢いを止めず流れ、黒々としたそれらを見ることができず、私は目を逸らした。

「今、手錠の鍵を開けるから動かな………」

「なんで。」

 彼の言葉は、最後にふてぶてしい声色と変わり、発せられた。貧血のせいか青ざめた顔からも怒りを感じられる。

「逃げろって、言ったのに。」

 彼が怒っているのを見たのは、これが初めてだった。私は咄嗟に言葉を失い、手を止めてしまう。

「それは違うだろ。」

 重い空気を断ち切ったのは、その声だった。多芭田さんが、日系人を両手で押さえつけながら、私たちを見ている。

「こいつはな、ここまでクソテロリストの跡を辿ってここまで来たんだ。お前を助けるためだけにな。………無駄にしようとするな。」

 たったそれだけの言葉だったのに。ミライと私の考えを変えるには、十分な効果があった。ミライははっと一瞬息を飲み、それからまた頷いた。

「うん………ごめん、イマ。」

「クソテロリストとは心外ダナ。」

 日系人の男が今更と言わんばかりに声を出す。

「あんたは今んとこ小説の雑魚キャラだからよ、無駄な行数が増えるんだ、話さないで欲しいんだけど。」

「はは、冗談ヲ。」

 不気味な笑い。不安を感じ取ったのは、私だけではないようだ。

「後ろがガラ空きだゾ。」

 まさか。

 ………そこからの一瞬。壊されたドアの後ろで、数人………十数人の男が銃を構える。異変に多芭田さんが気付き、横へ体を逸らすと同時に、連発する銃声音。ドドドド、と、音がやっと止む。

「………容赦ねえな。」

 多芭田さんが銃弾を避けた拍子に、日系人は離れてしまった。掠ったのか、首あたりに軽く傷がつき、うっすらと血が流れている。「まあナ。」と日系人が笑う。

「言ったダろう、脱獄は死刑ダ。」



「あーあ、ここに来て一軍のお出ましかよ、ついてねえな。」

 多芭田さんが気だるそうに天を仰ぐ。自分たちが包囲されるまでは一瞬だった。

「はっ、その通りだな。弾は切れたがナイフ一本あればお前らの処刑なんて楽勝だ。全員まとめてミンチにしてやるよ。」

 外人が大多数を占める中、唯一そこにいた日本人テロリストが、嘲笑う。

「一度に集まってくれて好都合だ。悪く思うなよ。」

 自分の母国の現実を見た気がして、思わず顔が歪む。その中で、多芭田さんだけが冷静だった。

「ちげーーよ、俺らじゃなくて。」

「あ?」

 ふっと。多芭田さんが笑ったのはその時だった。

「不幸なのはお前らだ。」

「ダ」の一秒後。

「………うあっ?!」

 パンパーン、と、花火が失敗した時のような破裂音。この音は知っている。………爆竹だ。ドアの近くに仕掛けてあった爆竹に意識が逸れる一瞬。

「………あ。」

 無言でイマが、手錠の鍵を外す。

「Cowardly!(姑息な!)」

 多芭田さんに向けられるアメリカ人テロリストの銃口。すかさず手に持っていた鉄の手錠を、その男の頭に投げつける。もちろんそんなもので倒れることはないが、時間稼ぎには十分だった。ここからはただのボロ試合である。

「Kill them! Fast!!(あいつらを処刑しろ!)」

 兵士の一人がそう言い、たくさんの刃が振り下ろされる。絶対そんな状況じゃないのに、多芭田さんは相変わらず笑っていた。



 あれからどのくらい経っただろう。刃が振り下ろされる、避ける、振り下ろされる、避ける。それだけの単純な攻防。が。

「なんだよ、もう終わりかよ。」

 ………数分前に、終わりました。多芭田さんは首に怪我はあるものの、まだ飄々としていて、何ならまだ「物足りない」みたいな表情をしている。

「てめえ………卑怯だ、ぞ。」

 攻撃を喰らってうつ伏せになった日本人テロリストが多芭田さんを睨む。多芭田さんの攻撃は、見ていた中だと、投げ技五回、合気道三回、そして………爆竹六回。

「そう思うか?不意打ちと小さい爆弾どっちが卑怯だよ。」

 いや、爆竹でしょう。

「うし、じゃあここで撤収するか。………立てるか?ミライ。」

「………はい。」

 ふと少し気遣うような口調でミライを見る。頷いたものの、ミライの顔は青ざめていて、歩くのですらきつそうだった。あれだけ刺された左手は出血こそ止まったものの、まだ動かすにはきついようだ。

「そしたら、早めに戻ろう。出口は確か、西側に………」

 多芭田さんが少し目を逸らす。たったその間だった。

「イマっ!」

 え、と。肩を強く前へ押される。その瞬間、私が振り向いて見えたのは、焦るミライの顔。多芭田さんに蹴散らされたはずの日系テロリスト。………裂かれる、ミライの腕。血飛沫。

「っっ!!ああっ!」

 痛みに顔を歪める、ミライ。ミライの神経を切り裂いたナイフは空中で血を弄び、小さな空間で一際強い光を放った。馬乗りになった日系人はニンマリと笑う。

「死ねえ、クソガキィ!」

 多芭田さんがすかさず駆けつけようとするが、きっと間に合わない。そこから私は、スローモーションの世界に入ってゆく。

 ………死ぬ。ミライが、死ぬ。助けろ。助けろ、助けろ助けろ助けろっ!!………どれだけ念じても、足は動かない。どうして。どうして、私はっ………!


 ————嘘つき。

 はっ、と、感覚がまた、異次元へと飛んでゆく。頭が、耳が痛い。


 ————本当は、動けるんでしょ。

 もうやめて。そう、頭の中だけで叫ぶ。あなたは。あなたは、誰。何者?


 ————私は。

 視力が薄れてゆく。ふっと意識が消えてゆくその直前、この声だけが聞こえた。


『私は、あなた。』



 もう、五年前のことだろうか。今でも鮮明に、覚えている。

「………ばけもの。」

 気がつくと、教室にいた。相変わらず液体になってしまいそうなほど暑い夏で、正午の日差しが窓からこちらをスポットライトのように照らしてくる。

「ばけもの、ばけもの!人殺しっ!!」

 私のことを指差しながら罵る女の子がいる。確か、梨子ちゃんって子で、私の親友だった。元親友の叫び声によって、周りを取り囲んでいたクラスメイトたちが急に叫んだり、泣いたり、逃げ出したりする。………なんで?私は何もして………え?

 ピチョン。ピチョン、ビチョン。音が聞こえる。そうだ、締まり切らない蛇口から水が少しずつ漏れる音に似ている。手元から、聞こえる。

「………あ。」

 見下ろした両手。血がついている。手にじゃない。手に持った、図工用のカッターナイフに。

 ………違う。違う、違う!私じゃ、ない。不意に思い浮かんできた恐ろしい考えを振り払おうとする。無駄な努力だった。

「っ!」

 私の足元。がくりと、膝から崩れ落ちる。………私が、やった?私が、この人たちを。………床に転がった数人のクラスメイトと、血溜まり。それを眺めながら愕然とするだけだった、私。

 容疑者は誰だろう。



 ここから、ぼやける視界のせいでよく見えていなかった。俺の目の前であがる鮮やかな赤。

「………は?」

 日系人が顔つきを変える。俺の血じゃない。きっとあの血は、この男のものだ。男の体に。男の後頭部に、ナイフが刺さっていた。………誰が?大体、察しはついていた。でも、認めなくなかったんだ。

「イ、マ?」

 口に出した瞬間に、新たに突き刺さるナイフ。………彼の頭蓋骨に向けて。恐る恐る横を見る。貧血のせいで視力ははっきりしていなかった、けど。

 ………ナイフを持っていたのは、イマだった。

「………」

 もはや日系の男は、死んでいた。視線もあちらこちらに泳いでいるし、口もただぴくぴく動くだけで、何も発さない。………なのにイマは止まらなかった。多芭田さんに倒されたテロリストらの手から、ナイフを抜き取る。ゆっくり、ゆっくり。男に近づいたイマが、ナイフを振り上げる。

「グシャ」

 そんな音が、した。まるで、熟れた果実がすり潰されたときのような音。イマは男の頭から片手でナイフを抜くと、また刺した。また、また。………でも。

「………は、はは、」

 イマが笑っていると気づいたのは、いつだっただろうか。



 金縛りが、解けるように。その時はやってきた。

「………!」

 暗かった視界が一気に開け、聴覚も元通りに戻る。だけど。………戻らなかったら、楽だったのに。

「………え?」

 視界に飛び込んできた、黒い血溜まり。その源を辿ると、さっきミライに襲いかかった日系人に辿り着く。日系人の、頭に。

「………私、が。」

 私が?あの時………私は何をした?

「………イマ?」

 何かに驚くような顔をした、ミライ。多芭田さん。………ねえ、

「私が、やったの?」

 声にならない声で、問う。二人とも何も言わない。………赤い、血溜まり。赤い雨。赤い、赤い………あの記憶は、もしかして。


 ………違う。私はまだ、私を否定したかった。私じゃない!私はやって………!


 ————違うよ。

 唐突に声が響き、前を向く。そこには、もう一人の私が写っていた。顔に返り血を浴び、白白とした私の顔。もう一人の私は、笑っていた。


 ————わたしがころした。


 全身の血がばっと逆立つ。

『人殺し!』                         あの時。

『あの化物を見つけ、目があわないうちにそこを去った。』    あの時。

『嘘つき。』                         あの時。

『お前一人でここまで来たのか?』               あの時。

 私は、誰だった?あのときの記憶は、本当なのだろうか?ほんとは、全部。

 全部。全部。


 ————私が。


 そこからの記憶は、残っていない。ただ枯れるまで叫び声を出し尽くし、瞳が恐怖で濡れていたこと。ミライや多芭田さんが、心配そうに私を見ていたこと。

 ————もう一人の私は、近くでずっと嘲笑っていたこと。

 全て後から知ったことだ。



 <一人目の証人>

「How many enemies were there?(あそこに敵は何人いた?)」

「…Three.Maybe all of them were Japanese.(三人です。多分全員日本人です)」

 人工的に作られた、静寂の空間。流れるような英語だけが、空間を揺らす。

「Two were restrained.Two men…One who has black and white hair and the other who is maybe student soldier.(二人はあのとき拘束していました。二人の男………黒と白の髪を持つ男と、多分学生兵です)」

「………ヒジリか。」

 一人の男が、日本語でぼやく。その耳にかかった歪なピアスが光を反射して揺れる。ずっと笑顔だったその人物の顔が、初めて黒く染まった。その顔のまま、問う。

「That’s OK.Who is another?(まあいい。もう一人は?)」

「Another is woman.Maybe she is student soldier too.Maybe…(もう一人は女です。多分彼女も学生兵で、きっと………)」

「メイビーメイビー、メイビー。…Don’t you have precise information?(的確な情報はないのか?)」

 そう言うと、他方は黙ってしまう。ため息をついた男は、目の前の人物を見る。そして再び、口角を釣り上げた。

「給餌だ。」

 それだけ言うと、隣にいたもう一人の人物が軽く頷き、硬い靴で地面を叩いた。その人物は、呆然と男を見ているアメリカ人テロリストの腕を掴み、引き摺った。衣服と床が摩擦する耳障りな音が響く。

「Please,please! Help me!(お願いです、お願いです!助けてください!)」

 叫ぶテロリストの声も虚しく、腕を引く力は強くなってゆく。その先で待っていたのは、固く閉ざされた重い扉。ここはこうなる前、アリーナ体育館のような場所だったらしい。その扉が、ゆっくりゆっくり、開く。

 そこに、あったのは。

「——ああああああああああぁぁぁ!!!!!」

 ————突き抜けの一階の地面に放置された、夥しい量の「Un-Hopes」。それを見て、引き摺られたテロリストは「ひっ」と短い怯え声を漏らす。そんなこともお構いなしに腕を引く人物は二階と一階を隔てるうすい柵の前で、足を止める。

「神のご加護を。」

 それだけ口にし、男を柵の下へと放り込む。テロリストは抵抗もできず、ただ「hope」の海へと体を沈めていった。

 ————うあああああアアアあああああアアアア!!!!

 叫び声は天井で「hope」の声と反響しあい、もはやどちらが彼らのものかわからなくなった。………「hope」に死体を処理させる利点は、二つある。一つは、人を襲う際の「hope」の動きを観察できること。もう一つは、死体の痕跡を残さず、人を殺せること。

「ねえ、リバースさん。」

「お?」

「三人の容疑者のこと、聞き出さなくていいんですか?」

「………あっ!」

 デメリットは、一つ。すぐ死んでしまうため、取り消しができないこと。

「やばっ………うっかりしてたわ、ごめん。」


 株式会社UNOチームBLUE総司令官「リバース・アウフタクト」。わずか十九歳にして組織を率いる男にとって、そんなことは大した問題ではなかった。

「気をつけてくださいよ。まあ、次の証人に聞けばいいですけど。」

「そっか。じゃあ、早速。」

 そう言うその男の目は、まさに殺人者のものだった。そうして、次の、次の証人が呼ばれていく。



 <四人目の証人>

「君は………会ったことがあるよね、確か………」

宗郷吾朗むなざとごろうです。」

 総司令官は在日外国人だという噂が流れていた。そのためこんなに外国語も日本語も饒舌なのだろう。薄っぺらな笑みを貼り付けながら、続ける。

「俺は日本語の方が得意だから、君と話すときは気が楽だったよ。………本当に、残念だ。」

 これまで、俺以外で三人分の「給餌」が行われている。全員外国人で彼らの会話が聞き取れなかったこと、中年の男性に気絶させられたせいで確かな情報が得られなかったこと。それが原因だろうが、目の前の男の機嫌がだんだんと悪くなっていることが、手に取るようにわかる。

「でも、勾留していた二人を含め、三人を外に出したんだ。しょうがないだろう。」

 もう、趣旨すら変わっていそうだ。司令官は口に笑みを浮かべながら深く深く、ため息をつき、最後だと言うかのように口を開いた。

「何か異論はあるのか?なければ………」

「あの三人の名前を知っています。………スズキを殺した人物も。」

 ぴたりと、男の顔が真顔へと変わる。………あの時。俺がもしも、気絶するフリをしていなかったら。スズキを………数少ない通訳の日系人を助けていたら。俺は死んでいた。

「………話を聞こう。」

 男は近くにあった金属の椅子に腰をかけ、頬杖をついた。………あの時。

「あいつを殺したのは………魔女、です。」

「?女性だったのか。」

 噴水のように、あがるあいつの血。それを見る目。………あの女は、間違いなく。

「二人の男が『イマ』と呼んだ女性です。」

 あの女は、間違いなく。この男と同じ快楽殺人者であると。男は暫し黙りこくった後、また笑顔に変わった。

「君は、情報班にまわってくれ。三日以内に、あいつらの情報をできるだけ集めて欲しいんだけど。」

「三日?」

 世の中が荒れ果てたせいで通信網が乱れたとはいえ、三日もあれば問題はない。だけれど、なぜ期限付きに?

「『猶予』。」

 ニンマリと笑い、発せられた熟語。それだけで、全てが分かった。俺は今。

 ………猶予三日の死刑囚だ。


 <猶予リミットまで、三日>

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