Chapters 4 Un−Hopes

 ………どうして。どうして。


 息が苦しい。足の感覚も消え失せ、ただ脊髄からの命令を糧に動いている。

 ………どうしてだ。

 どれくらい、走っただろう。廃村はもう見えないくらい遠くなり、辺りには青々とした草草が見えるだけだ。………どうして。

「ごめんなさい………っ。」

 足からその場に崩れ落ち、うずくまる。………どうして、私は逃げたのだ。結局、私はあの時から何も変わっていない。助けられ、守られるだけ。

「………行かなきゃ。」

 それでも、 何もしないでいいわけがない。今からあそこへ戻れば、助けることができるかもしれない。軍隊で、一ノ瀬教官は言った。一人の犠牲は気にせず、団体で動けと。でも、その団体はもうない。私が、助けに行くしかない。

 ………どうやって?あそこで私は携帯用リュックを置いてきてしまった。あそこにいたのは、重機を持った大人だ。

「………怖い。」

 まるで、自殺行為だ。そんな人たちから、私がミライを助けるなんて。できっこない。怖い、怖い、怖い………っ!


 ————嘘吐き。

「!」

 声が、聞こえた。辺りを見渡してみる。でも、そこは閑散とした無人島だった。

 ————ホントは、そんなこと思ってない癖に。

 次は、もっとはっきりと聞こえた。高く、掠れた声。………まるで私のような。

「………っ。」

 不意に、激しい眩暈と頭痛が襲ってきた。辺りが暗く見えて、五感が消え失せる。嘘吐き、うそつき………。声が、反芻されたように頭で響く。決してそれは聴覚によるものではないと、薄い意識の中でもわかった。………だれ?口には出ず、頭で問いかける。

 あなたは、誰?



 頭が、痛い。まるで硬い金属の上で眠っているようだ。………眠る?まさか。ゆっくり、目を開ける。そこが、前までいた無人島ならばまだよかった。しかし、そこは。

「お。起きたか。」

「!」

 久々に聞いた、イマ以外の日本語を耳がとらえ、音源の横を向く。そこには、耳についた大きなピアスと薬指の指輪が目立つ、中年の男性がいた。髪の一部が金色に染まった、変わった風貌をしているせいか、空間の中でその人だけが際立って見えた。

「ずいぶん寝てたぞ。無理やり起こされないでよかったな。」

「え?」

 改めて、周りを観察してみる。そこは、人工的な金属で囲まれた、コンテナのような場所。すぐ前には、鉄格子で空間が区切られており、手元を見ると、銀色の手錠が付いている。どうやら自分は「牢屋」と呼ばれる場所にいるのだろうと、すぐに察知がついた。前まで無人島にいたせいか、それらがやけに攻撃的に思える。あの出来事が全て夢だったのではないか、とさえ、思う。

「ああ、わかると思うけどな、俺は敵じゃないからな。味方でもねーけど。」

「あ………はあ。」

 よく見ると、その男性の手元にも手錠がかかっている。きっとこの人も、俺と同じように見つかり、ここへ連れてこられたのだろう。

「そういや、お前を連れてきた奴らが『近くにいた女が』とか言ってたけど、お前の恋人か?」

「っ!」

 イマ。イマは、さっきの大人たちに追われているのだろうか。武器は、何も持っていなかった。じゃあ。

「この島にはあの組織の連中や『hope』が大勢いるからな。生きているといいな。」

「『hope』?」

 聞きなれない単語に脳が混乱し、思わず聞き返す。男性は「ありえない」と言った怪訝な顔で俺を見返した。

「お前、学生兵だろ。」

「え?!何で。」

「服装とか体格とか見ればわかるけど。今はそんなことも教えられていないんだな。」

 もう一度、男性がこちらを見つめる。

「『hope』、いや………『Un-Hopes』について、教えてやる。俺も、お前に聞きたいことがある。」

 金色のピアスが白色光に照らされ、光沢を放つ。そこから、長い長い会話は、始まった。



「最初に聞く。お前は、学生兵の何番隊だ?」

「七番隊です。出撃用の飛行船で事故が起こり、ここに不時着しました。」

「それまでの経緯について、聞いてもいいか?」

 見た目とは裏腹に、丁寧な口調。俺のことを気遣ってくれているのだろう。

「はい………飛行中、あの化物………兵器が突然現れて、たくさん、人を、殺しました。ただ必死で………生き残ったのは、俺と、彼女だけです。」

 あの時の恐怖がフラッシュバックし、最終的に拙い声色になってしまった。それでも、男性は理解してくれたようだ。

「そうか。災難だったな。もしかしたら………『UNO』が関係しているかもしれないが。」

「ウノ?」

 聞き慣れない語句がいくつも出現し、頭が混乱する。それを察してもらえたのか、男性は新しく話を切り出した。

「『Un-Hopes』っていう名前は、聞いたことがあるか?」

「え、いや………。」

 少なくとも、誰かからそんな言葉を聞いたことはない。でも、もしかして。

「『Un-Hopes』は、ある先進国によって作られた、殺戮兵器だ。………お前は何度も、見たことがあるだろう。」

「!まさか………!」

 島に「いた」あの化物。あれが、「Un-Hopes」。

「希望を表す『hope』に『un』がつく。つまり、『絶望』を表す言葉だ。今より戦乱が激しい時代、複数の連合国によって作られた。『hope』とも言われる。」

 あの化け物だと口には出さなかったが、こちらが理解したことを悟ったらしい。

「あの兵器に搭載したプログラムは、『敵の内臓を破壊しろ』。死体は、頭部のないものや腑が引き摺り出されたものが多かった。」

「………っ。」

 覚えがある。飛行船で化物………hopeが暴走した時。辺りに落ちていた死体の姿は、無惨なものだった。あれは元々、プログラムによるものだったのか。

「………ひどいですね。」

「ああ。でもな、それをいざ実戦で試そうとした矢先だ。hopeが急に暴走し、備蓄庫を脱走した。hopeはその後、それを利用しようとしたテロ組織によって、強奪された。もう、十年前のことだ。」

「その、テロ組織って。」

 今、俺たちが閉じ込められているのは、きっと政府公認の場所ではない。そのことから、もう察しはついていた。

「ああ………ここだ。」

「!」

 男性が、少し声を落とす。会話が聞かれていることを恐れたのだろう。

「株式会社兼犯罪組織、『UNO』。戦時中も、その組織が国際的に人材を集めていたと考えられている。今じゃ小国ならまとめ上げられるくらいの組織になった。」

 男性の声色は至って淡々としていて、感情が入り込む余地はなかった。………はずなのに。じわじわと、そこから怒りが漏れ出しているように思えたのは何故だろう。

「今は政府によって国民にそのことが知らされていないが、UNOが世界中にばら撒いたhopeのせいで、何百万人もの人が死んだ。」

「………!」

 男性は、隠し切れないと言わんばかりに声色を強くしている。しかし、感情が昂っているのは、俺も同じだった。

「………最低だ。」

 口から飛び出た言葉に、ハッと我に戻る。しまった。聞かれているかもしれないのに。でも、男性は何も言わず頷いてくれた。

「………最後に、聞きたいことが………。」

 男性が言いかけたその直後。がちゃり、と、金属が擦り合う音。ドアが、開いた。そこから出てきたのは、さっき見たのと同じ、数人の大人たち。

「Hey,student soldier. Stand up!(おい、学生兵。立ちなさい!)」

 指を指されたから、きっと俺のことだろう。強い声色で言われ、思わず立ち上がる。大人たちは軋む鉄格子を開き、俺の手を強くひいた。

多芭田たばたひじりだ。」

 急に大きな声が飛んだ時。俺は引っ張られる力をなんとか堪え、足を止めた。

「また会うかもしれない。お前の名前は?」

 まっすぐな目で言われ、凄まじいデジャヴに襲われる。次は、ちゃんと言おう。

「吉田未来です。」

 笑い飛ばされるか、受け流されるかだと思った。でも、どっちとも違った。男性、いや多芭田さんは、一瞬目を見張り、次に薄い笑顔となった。

「そいつはいい名前だな。」

 何で、という声を発する前に、大人たちに怒鳴られ、牢屋から引っ張り出される。これから何をされるのかわからない状態なのに、あの時の笑顔が忘れられなかった。………何で、笑った?



 これまで、ずっと退屈だった。何もかも失い、ただ消化するだけの人生。がこの世から消えてから。ずーっと。

「Hey,you?Why are you here?Do you hate me?(なあ、何でお前がここにいる?俺が嫌いなのか?)」

 今はご丁寧に、あっち側の言語で話してやる。ドアの前で一人止まった男は、唾を吐きこちらを睨み返した。

「Yes,very very much.(ああ、とてもな)。」

 大男特有の低い声。さらに苛立ちは増し、自分の知っている限り一番ひどい言葉をぶつけてやる。

「ハンプティダンプティめ。」

 別に訳す必要もないだろうと思い、日本語のまま呟く。

「...What?(何だって?)」

 気づくと男は茹蛸のように顔を真っ赤にしていた。彼のコンプレックスであるスキンヘッドが輝きを増した気がして、笑いそうになる。さらに追い打ちをかけてやろうか。

「ああ、お前バカだから分かんないか。言い直してやる。『スキンヘッド』め………。」

 言葉の途中で、金属と金属がぶつかり合う不快な音が響く。鉄格子の下に落ちたピストル。ここに男が投げつけたのだろう。

「Never say to the licked mouth! If you will did,I‘ll shoot through your head!

 (二度と舐めた口をきくな!次やったら頭ぶち抜くぞ!)」

 英語のせいかさらにヒステリックに聞こえる声。あーあ。

「………吉田、ミライか。」

 頭の中で語句を反芻する。本当に、退屈だった。この日までは。

「久っしぶりに、やる気が出たわ。」

 コンテナにもたれる男が、また不審に思ったのか睨んでくる。それを無視し、腕の手錠に目を下す。

 ………ガシャン、というよりは、ガリッ、と。腕を強く横に引くと手錠が情けない音を立て、壊れる。立ち上がりスキンヘッドを見下ろすと、彼は怯えたような声を出し、ピストルを拾う。

「Die! Monster!(死ね!化物!)」

 連続する発砲音。しかし軌道は大きく外れ、一つも俺には当たらない。

「………モンスター?」

 化物。理解した瞬間、思いっきり鉄格子を蹴り倒す。脆弱で錆びついた鉄で作られた檻は、呆気なく落ちてしまう。モンスターは。

「化物は、hopeと、てめえらだろ。」

 怒りのまま、ハンプティの顔を拳で殴ってやる。男は変な声を出し、すぐに床へへばりついてしまった。………人の命をなんとも思わず、自分の利益だけを優先する化物め。

 早々と俺は牢屋を出る。横に延びた細長い廊下。外を見たことはなかったが、こんな感じなんだ。そうぼんやり考え、ある場所へ向かおうと足を踏み出した、時。

「止まって!」

 高く、透き通った母国語。UNOのやつらで日本語を使う奴なんてほぼいない。じゃあ、まさか。振り向くと、まだ十四ほどの女子が銃をこちらへ向け、こちらを見ていた。その足はおぼつかず、遠くから見て分かるくらい震えている。そして、軍服。………ミライと同じ、学生兵。

「さっき拉致した学生兵の居場所を、教えて。」



 さっきから、息が荒い。恐怖で今にも膝から崩れ落ちそうだ。

 あの後、何とか廃村に戻った私は、携帯用リュックを拾い、たくさんの足跡をたどり、ここに来た。緑に染まった無人島に佇む、人工的な建物。ここを見つけた時はさらに驚き、大きな恐怖に襲われた。………それでも。見捨てられるわけない。

「お前一人でここまで来たのか?」

 意味もわからず頷く。すると、目の前の男性は足をこちらへ向けた。震えが高まる。………嫌だ、撃ちたくない。来ないで。そう叫ぼうとしたのに。

「吉田ミライだろ。」

 はっ、と、息が止まる。こちらの様子を伺い、男性が言い直す。

「吉田ミライ。お前が探している男子学生兵。」

 男子でミライという名は珍しい。当てずっぽうで答えられるものではないだろう。………じゃあ、何で。ミライを、知っている?

「分かったら銃を下せ。お前の恋人がどこにいるか知っている。」

『恋人じゃないっ!』

 なんてことを突っ込めたら楽だっただろうけど、そんな暇はない。

「教えてください、どこに………。」

「ああ………最悪の可能性だけど。」

 さっと、男性の顔が曇った気がする。私の悪い予感を掻き立てるには十分な答えだった。

「きっと取調室拷問部屋だろう。」



 黙っているせいか、さっきまでの雰囲気とは一変して、緊張感が漂っている。とは言っても、ただ腕を引かれているだけなのだけど。さっきから大人の人たちは騒々しく何かを話し合っているようだが、俺が理解するには難しいようだ。

「Come in!(入りなさい!)」

 ガタイのいい鉄のドアの前。中へ押し込まれる。また牢屋に閉じ込められるのか、と思ったが、そうではないようだ。

「さア、座りナサイ。」

 少々舌足らずな日本語。そこには、白く現代的なテーブルと、椅子に座った日系外国人らしき人がいた。笑っていたものの、ホッとできるような笑い方ではなかった。

「私ハ君から情報ヲ聞くための日系人デス。どうゾよろしく。」

「え、はあ。」

 オドオドしながら椅子に腰をかける。………情報を聞く。まさか。

「早速だけド、君。」

 不意に、日系の男の顔がさっと真顔になる。そして、自分の胸ポケットから何かを取り出し、目の前で。鉛色に光る刃。………折りたたみ式のナイフだろう。刃が開いたことを確認すると、男はニンマリとまた笑顔になった。

「拷問は、初めてカイ?」

 ぐっと、息を飲み込む。男の目の中に、黒い渦が巻いているように見えた。



 「ヘエ、見かけによらず、頑丈なんだネ。」

 男の爽やかで黒い声が聞こえる。でも、俺の目にその姿は映らなかった。床に、液体が落ちる音。真っ赤と化したテーブル。そして、男のナイフに裂かれた両手。その黒い色彩は、元の手としての原型を忘れさせるほどだった。もう、痛みで意識すら飛びそうだ。

「もう一度聞くヨ。もう一人ノ学生兵ノ、行方に心当たりハ?」

 冷たい声。………でも、言うものか。俺は黙って首を振る。そしてまもなく、左手を白いナイフの刃が貫く。

「ぐっ………!」

 また、鋭い痛み。

「本当にスゴイネ。ここまで耐えたノ君だけダヨ。拷問の訓練でも受けてたノ?」

 受けていたようなものだ。頭の中で叫ぶ。毎日のように、殴られたり、蹴られたり。母親という名の化物を、見ていたようなものだから。

「次ハ、親指を切り落とすヨ。」

 ナイフを男が抜き、激痛に歪む俺の意識を無視してそう言われる。俺はゆっくり、ゆっくりと悪魔の顔を見上げる。

「ガクセイヘイノ行方二、心アタリハ?」

 男の口調がどんどん強くなってゆく。………もう嫌だ。諦めたい。そう思えたら、楽だったのに。

「いわない。」

 いつも、従ってばかりの人生だった。そんな自分が、嫌いだった。だから。

「残念ダヨ。」

 ナイフが振り上げられる。その0.001秒の間。

「………ミライ!」

 声が飛んだと同時に、鈍い音が響く。金属の板が割れるような、耳に悪い音。日系の男はナイフを空中で止め、ゆっくりと後ろを向く。不気味に感じるほど。俺もつられて前を向く、と。

「………っ!」

 さらに大きな衝撃音。取調室の端にあったビデオカメラが男の頭に投げつけられ、身がぐらりと傾く。

「よお、………奇遇だな。」

 俺が驚いたのは、他でもない。あの男性………多芭田さんがドアが場所で、立っていたから。その足元には金属の残骸が落ちていて、多芭田さんが扉を壊したのだと、推定ができる。でも。

『ミライ!』

 あの声は、多芭田さんのものではない。もっと高くて、細い声。

「化物メ。」

 唇だけで男はそうとだけ呟き、また立ち上がる。その顔はまだ、笑みを作っていた。

「脱獄は死刑ダ。」

 男がナイフを多芭田さんに向け、また振りかぶる。でも、なぜだろう。それまでが、とてつもなく遅く見えたのは。

「遅い。」

 多芭田さんの口から、俺の思考と同じ言葉が漏れる。………とその時には、もう男はナイフを持っていなかった。弾き飛ばされたナイフが部屋の隅で煌めいていることを知ったのは、その五秒ほど先のことだった。

「………ハ?」

 男は一瞬信じられない、と言った顔を浮かべたが、すぐ目の色を変え、多芭田さんに襲いかかる。そこからも速かった。殴りかかった男の腕を空中で多芭田さんが掴み、捻り返した。言葉にすれば、それだけのこと。

「っっ!ぐあぁっ!」

 気づくと男が喘ぐ声だけが聞こえて、多芭田さんは男に馬乗りになっている。表情を崩さず、田芭田さんが叫ぶ。

「今のうちに開けろー。」

 思えば、その時多芭田さんたちが乱闘していたのは、ドアがあった壁の反対側だった。だから、気づかなかったのだろう。

「佐倉イマ。」

 声量をそのまま叫ぶ多芭田さん。一瞬の驚愕があったが、そんなものどうでもなかった。

「ミライっ!」

 細くガラス玉が水に落ちるかのような、その声に比べたら。

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