肆、包み焼き河童もどき

 瞬く間に、娘が突如として消えた家――天平あまだいら家の事件は広まった。

 魚名が上級貴族の娘だったこともあり、屋敷には大勢の検非違使けびいしが押しかけたらしい。数少ない使用人たちも事情聴取の後に暇を出され、現在屋敷はもぬけの殻だという。

 かくいう芒も、近頃頻繁に出入りしていたことで検非違使の男性が事情を聞きたいと訪ねてきた。

 心配してくれる女房たちを宥め、芒は検非違使からの質問に対し包み隠さず答えた。

 最後に訪ねた日、屋敷の当主は気が立っていたこと。そして、女房や使用人を含めた魚名への態度も。


「魚名様にあてがわれた部屋は、物置同然でした。当主にとっては仮にも自分の娘ですよ。あの扱いはどうにかならないんですか」


 思い出しただけで胸糞悪くなる。

 そんな芒の問いに、検非違使は言いにくそうな顔しながら「もう、どうにもならないでしょうね」と返した。

 何だか含みがある言い方だ、と訝しげな顔をすると、検非違使はそれに気づいたのか続けて言葉を紡ぐ。


「――死んだんですよ、天平家当主様。自分の屋敷で、娘の魚名様が消えたその日に」

「――は、」

「さらなる混乱を防ぐため知っている者は限られているんですが、どうせいつか公表する情報ですし貴方にはお教えします」


 そう言った検非違使は一つ息をついた。


「――実はね、ばらばらだったんですよ。身体が」


 その言葉を理解した途端、ぞっと血の気が引いていく。ついこの間まで当たり前に生きていたのに、いつの間にか無残に死んでいるという事実が受け入れられなかった。


「そ、その死体から誰に殺されたとか、魚名様の行方がわかったりとか、しないんですか?」

「わかってたら俺たちももう動き出してますよ。それができないから、こうして地道な事情聴取をしてるんです。あぁでも変な点が一つだけあって……」

「変な点?」


 芒の聞き返しに、検非違使は首肯する。


「はい。左腕だけが無いんですよ、どこにも」

「何者かに盗られたってことですか?」

「まぁ普通はそう考えるんでしょうが……如何せん腕なんて誰もいりませんからね。その点もふまえて調査中です」


 どうやら検非違使の方でも、今回の件についてはまだ何もつかめていない様子だ。わかったことは何もわからないことだけ、というところか。

 束の間、その場に沈黙が落ちる。だが、重たいその空気を変えるように、検非違使の男性が口を開いた。


「これは事情聴取をした使用人の方から聞いた話ですが……何でも、当主様は魚名様の髪が黒一色でないことが許せなかったそうです」


 ――お父様もこんな変な髪の私を嫌っているから……。


 ふと、魚名の悲しそうな声が脳裏をよぎる。

 芒はうなずきを返し、検非違使の男性に話の先を促した。


「当主様と亡くなっている魚名様の母君はお互いに黒髪黒目だったため、魚名様の髪が黒でないと知ったときは不義の子だと疑って大変だったといいます。そしてろくに話も聞かず、当主様は母君を口汚く罵り、耐えられなくなった母君は自ら命を絶ったそうですよ。それ以降も魚名様にはきつくあたっていたとか……」

「ああ、やっぱりそうなんですね」


 芒の言葉に、検非違使は辛そうな表情を浮かべた。


「何というか、職務上こういうことは言っちゃいけないと思うんですがね。当主様が死んで、娘の魚名様が行方不明になって、どこか安心してる自分がいますよ」


 そう告げる検非違使の気持ちも、わからなくはない。

 あの物置のような間へ追いやられていた魚名。その原因がいなくなったのだから、ある意味解放されたと言ってもおかしくないのだ。

 だが解放されたとて、その先がなければいけないと芒は思う。

 辛かった分、幸せになるその先が。

 子どもみたいな考えかもしれないが、誰だってそう望みたくなるだろう。

 せめて無事であれば――芒にはそう願うことしかできないのだ。




 天平家の事件が解決しないまま、ひと月ほど経った。今年はまだ、雪が降っていない。

 寒いだけでうんざりするそんな季節の中、事件にまとわりつくように変な噂が出回っていた。

 それは――天平家当主の左腕が妖となって彷徨っているというものだ。

 生前の当主は水かき部分が大きい手を持っていたらしく、噂の妖も「河童かっぱ左腕ひだりうで」と呼ばれるようになったという。

 では、なぜ「河童の左腕」は彷徨っているのか。それは、別れてしまった身体を探しているのだという笑えない設定があるのだそうだ。おそらく、この事件を小耳に挟んだ誰かさんが面白おかしく吹聴しているのだろう。

 当然、日々面白い情報に飢えている後宮では、噂が瞬く間に広がったことなど言うまでもない。

 七華殿しちかでんの女房たちは、「この噂に乗っかってまた秋月が面倒なことを言い出すぞ」と顔を青くしていたのだが、何と、その予想は裏切られることになった。

 おかしなことに、彼女はこの件について一切興味を示さなかったのだ。

 それを不思議に思った女房の一人が秋月に問う。なぜ「河童の左腕」は食べたいと言い出さないのか、と。

 すると、秋月は興味なさそうな顔で答えた。


「『河童の左腕』はまことの妖ではないからね。だから――」


 美しい黒の瞳が芒を捉える。


「――芒、全部食べていいよ」


 そう、命令という名の許可が出された。


「……承知いたしました」


 芒は短く答え、七華殿を後にする。

 ある人物に会いに行くためだ。

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