参、酒呑童子の秘蔵酒
来る日も来る日も、志願者は減っていった。
芒が酒蔵「
そんな中、いつも通り芒と
「そっち洗い終わいました?」
「うむ」
「じゃあもらいま――」
「――盗まれたぁ⁉ いったい何やってんだ‼」
鼓膜がびりびりと痺れるほどの怒号。
二人揃ってお互いを見つめ合う。何か起きたようだ。
作業場の外で慌てたように複数の足音がする。
「……さっき盗まれたって言ってましたよね?」
「吾にはそう聞こえた」
「秘蔵酒かな」
「そうでなければいいがな」
「酒呑童子の秘蔵酒」が盗まれてしまっては、毎日洗い物に耐えてきた意味がない。芒と大江にとっても一大事だ。
息をひそめて聞き耳を立てる。すると、蔵人たちの話し声が聞こえてきた。
「おいどういうことだよ、秘蔵酒が盗まれたって」
「知らんわ。大旦那が起きたときにはもうなかったらしい」
「盗人の顔すら見れてねぇのか……! どう探しゃいいんだよ!」
「とりあえず
芒たちの嫌な予感は的中した。どうやら盗まれた酒は「酒吞童子の秘蔵酒」らしい。
がっくりと肩を落とす芒。しかし、そんな彼女の背を叩く男が一人。
「まだ諦めるには早いのではないか?」
「聞いてなかったんですか、盗人の顔すら見てないんですよ?」
「そこは人間の底力を見せ所であろう」
そう言った大江は三度手を叩いた。こっちを見ろとも、落ち着けともとれるその音に、この場にいる全員の目が向く。
刺さる視線をものともせず、大江は口を開いた。
「皆の衆、慌てることはないぞ」
よく通る声で、彼は続ける。
「秘蔵酒を盗んだと言う
呆けている芒の肩が、ぐい、と大江の方へ引き寄せられた。
「――この吾と九十七番の、洗い物組でな」
「………………は?」
やけに芒の声が響く。
大江は薄紫色の瞳を芒の目線に合わせ、大真面目に言葉を紡いだ。
「――というわけだ、九十七番。『酒吞童子の秘蔵酒』、探しに行くぞ」
そう言われ腕を引かれる。そしてようやく現状を理解したときには、すでに酒蔵「伊吹」を後にしていた。
「ちょ、ちょっと待った、大江殿!」
「何だ」
「何だじゃないわ! 探しに行くって、あてはあるんですか⁉」
「ないが?」
「ないが⁉」
まさかの回答に思わず声をあげてしまう。反対に大江は涼しい顔をしていた。
「ないって、それもうどうしようもないじゃないですか! どうしてあんな大口叩いたんです⁉」
「こういうのは勢いが大事であろう?」
「何ですか捌殿みたいなこと言って――」
そこまで口に出し、ふと思い当たる。
確実に手を貸してくれるだろうあてだ。
その瞬間芒はうつむき、肺の中が空っぽになるほど深いため息をつく。そして頭を掻きながら、「……ついてきてください」と大江に告げるのだった。
「な、る、ほ、ど。そんなことがあったんだ。大変だったね」
芒たちが宿泊している宿に駆け込み事情を話すと、捌はそう言って何度もうなずいた。
「……面倒をかけて申し訳ございません」
「うむ、吾も詫びよう」
二人揃って頭を下げる。すると捌は手を横に振った。
「やめてやめて! むしろ頼るっていう選択をしてくれてうれしいよ! だから頭上げて!」
「……はい」
素直に従い頭を上げる芒。おずおずと捌の様子をうかがうと、口角が上がっている。どうやら、先ほど言ったうれしいという言葉は本当のようだ。
そのとき、あることを思い出す。
立花邸に行く前、もっと食い下がれと言われたときのことだ。
――私以外の陰陽法師でもいいからもっと頼りなさい! 若い子がいらん気遣いしないっ! わかった?
思わず笑みがこぼれる。
少し前の自分だったら、今ごろ大江と二人で走り回っていただろう。でも、一緒に食べようと待っていてくれたり、理由もなく干し柿をあげようと思ってくれたり、そんな捌だから必ず力になってくれると思えるようになってしまった。妖に関わることでなくとも、彼はきっと手を貸してくれる。
まさかここまで染められていたとは、自分でも驚きである。
「ありがとうございます、捌殿」
「吾からも礼を言わせてくれ、捌とやら。それから、あいさつが遅くなってすまぬな。吾は大江。九十七番とは洗い物組としてこき使われておる」
「大江殿はさぼってるでしょ」
会釈する大江を見ながら、ふとあいさつが返らないことを不思議に思う。
捌の方へ目を向けると、彼は大江を無言で見つめていた。瞳が見えないので何を考えているのかわからないが、ただただこの色男を凝視している。
大江も同じように、捌を見つめ返していた。
大人の男性二人が見つめ合う異様な空間に耐えきれず、芒はどうしたのかと問う。すると捌は、はっとしたように謝罪し始めた。
「急にぼーっとしちゃって申し訳ない。すでにご存じでしょうが、私は捌。陰陽法師です。よろしくお願いします、大江氏」
「敬語は不要だ捌。へり下るべきはこちらであるゆえな」
「そんじゃお言葉に甘えんね」
「うむ」
先ほどの変な空気は何だったのか、今ではこれでもかというほどに和んでいる。いったいあの一瞬で何があったのだろうか。
――いや、まずは秘蔵酒が最優先だ。芒は切り替えるように頭を振る。
「あの、盗まれた秘蔵酒についてなんですが、どうやって探しましょうか」
「あ、それなら案ってほどじゃないけど考えがあるよん」
そう言って捌が手を上げる。
「まずどうして酒を盗んだのかってとこなんだけど、私的にはお金目的だと思うんだよね」
「お金?」
「うん。宿の女将さんに聞いた話だけど、酒蔵『伊吹』の大旦那は今病床に伏してるらしい。そんな彼の最高傑作と謳われる酒だ。高額で取引されると思わん?」
たしかにそうだ、と芒はうなずく。大江も同意していた。
「己で酒を造らず取引となると……商人か」
「女将さんにこの辺の商人たちについて聞いてみようか」
三人は腰を上げ、一階にいるであろう女将の元へ駆けるのだった。
この辺りにいる商人について聞き込み、実際に店まで訪ねてみたが、「酒吞童子の秘蔵酒」は見つからなかった。
それどころか売られたという情報も、それらしきものを持った怪しき人物を見たという証言も出てこない。
どうすればいい。さすがにここまで情報がないとなれば、お手上げではないか。それに、もしかしたらもう盗人は遠くまで行ってしまった可能性だってある。
芒は頭を抱えた。しかし、大江はそこまで気にしていない様子で、ふむ、と何かを考えている。
「……大江殿、その余裕そうな感じはどこから来てんですか」
そう問うと、彼は薄紫色の瞳を芒に向けた。そして――
「――盗人の正体がわかったかもしれん」
と、言い出した。
「……え、本当ですか?」
「吾、嘘、言わん」
「その言い方がもはや怪しいんですけど……」
もったいぶらずに早く言え、という目で見やると、大江は一つ咳払いをして口を開いた。
「――妖ではないか?」
「え、」
「秘蔵酒は売られていない、誰も盗人を見ていない。逆にここまで情報がないのであれば、それは妖ではないだろうか」
芒も捌も合点がいく。
「たしかにあるかも。盗人を見てないんじゃなく、見えてなかったってことか」
「然り」
捌の補足に大江は大きくうなずいた。
「相棒、妖の匂いとかしない?」
芒は鼻をひくつかせた後に首を振る。
「駄目です、しません。というか、西部に来てからずっと酒の匂いがしてるんです。それのせいか、ほかの匂いがよくわからなくて……。捌殿はどうです?」
「ごめん。私はそこまで匂いに敏感じゃないんだけど、相棒と同じでお酒の匂いがずっとしてるね。お酒を扱う店が多いからだとばかり思ってたんだけど……」
そう言った捌は困ったように後頭部をかいた。
盗人が妖かもしれないとわかったとて、それを追う手がないなら足は止まってしまう。これでは妖を探せない。そう思ったときだった。
「すまぬ」
という謝罪が芒と捌の耳朶を打つ。
「それ、吾だ」
「は?」
二人の言葉が重なった。
「その匂いの根源、吾だ」
「――は?」
再度重なってしまう。
しかし、大江はまったく気にした素振りもなく言葉を続けた。
「吾は中々大物ゆえな。ここら一帯を己の匂いにしてしまうのもしかたないことよ。許せ、二人とも」
「いや、この匂いは妖の匂いって意味で……」
そこまで言いかけて、芒は止まる。
そういえば、どうやって大江は盗人が妖だと判断したんだ?
妖なんてにわかには信じられないはず。青鬼のときのように、理解を越えた現象が目の前で起きたりしない限りは……。
「――ねぇ」
捌の声がする。
「本当の名前をお聞きしても?」
その問いは、たしかに大江に向かっていた。
「実は貴殿に名乗ってもらったとき、少しだけ輪郭が歪んだ気がしたんだ。名は体を表し、形作るもの。それがほんの少しとはいえ歪んだ。……真名、大江じゃないんじゃない?」
「それはうぬも同じことであろう?」
「うん、そうかも」
「何とも素直な男よな」
大江――と名乗っていた男は小さく笑う。
「まぁよい。ご名答というやつだ、捌。さすがは陰陽法師。うぬの目は誤魔化せんか」
そう言った彼は数歩前へ進み、芒と捌に向き直った。
「では改めて――吾は
――酒呑童子。言わずと知れた大妖怪の名。今回の秘蔵酒に名前を使われるほどの存在。
思わず呆けてしまった芒だが、どうにか正気に戻る。
そして、捌と大江――もとい酒吞の間に立った。
束の間の沈黙が落ちる。
「……どしたの?」
始めに口を開いたのは捌だった。
すると、芒は懇願するような目で彼を見つめる。
「大江……いや、酒吞殿は、悪い奴ではないんんです」
「へ? う、うん」
言い終えると、次は酒吞の方を向いた。
「捌殿はいい人だし、行動に愛を感じるし、料理が上手いんです」
「……うむ」
芒は息を吸い込み、
「だから、お互い殺し合わないでください……!」
と、勢いよく頭を下げた。
しかし、「いや、殺し合うつもりなど毛頭ないが」という酒吞の言葉ですぐに頭を上げることとなる。
「え⁉」
「何だ、殺し合ってほしかったのか?」
芒は何度も首を振った。
「でも、陰陽法師と妖だから……」
そう芒が告げると、捌が納得したように笑い出した。
「ふはっ、なるほどね。そういうことか。でも、大丈夫だから安心して。私は退治の任を受けたときしかやらないよ」
「吾も同じだ。むやみやたらに力をひけらかすのは好まん。そもそもかつてのことだって、頭の固い陰陽法師どもが殺意を持って向かって来たゆえだぞ。吾とて殺されるわけにはいかんのでな、返り討ちにしてやったのだ。だというのに、殺意どころか敵意がない捌と殺し合ってどうする」
二人の言い分を聞いて、芒は安堵する。今この場が一瞬で血生臭くなるかと思っていたが、杞憂でよかった。
「――話は戻るけど、」
と、捌が酒吞に顔を向ける。
「酒吞氏なら盗んだ妖の痕跡わかるんじゃない? 人間にはできないこともできたりするかと思ったんだけど」
「わざわざ呼び方を変えずともよい。今の吾は大江であるゆえな」
そう言った大江はしばし悩み、「できるかもしれん」と言い放った。
「たしかそんな術もあったような気がするのでな。少し待て」
酒吞もとい大江は、
まじまじと観察していると、大江の口から言葉とは呼べない音が発された。
「■■■、■■■■■■■。■■■■■■■■■」
芒はこの音を知っている。妖たちが何かを言うときに聞こえる音だ。もしかしたら、大江にとってこれが本当の言語なのかもしれない。
すると、大江の持つ盃から水が湧くような音が聞こえ始めた。目を凝らすと、空だったはずのそこに透明の液体が波打っている。
信じられない光景に、芒はあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
「……ふむ。二人とも、これを見よ」
その声で弾かれたように盃へと駆け寄る。
「見えるか? これが今回の盗人の正体だ」
水鏡のように映し出されたそれには、赤い皮膚を持った人とは思えない姿があった。老人のような顔つきで、髪は一本も生えていない。血管が浮き出る手には白い酒瓶を抱えている。
「……これって、鬼?」
青鬼とよく似ている気がした。思わずこぼれてしまった芒の言葉に、大江はうなずきを返す。
「正確には小鬼であろうな。人に憑りつくほどの力もなく彷徨っていたところ、吾の名をつけられた酒を見つけたので盗んだのだろう。飲めば力を得られるとでも思ったのか、真相はわからんがな」
「同族の力を得ようとするって、そういうこともあるんですね……」
「
ついてくるよう告げ、歩を進める大江。そんな彼を芒は呼び止める。
「どうした?」
「えっと、その、盃に湧き出たお酒? みたいな液体って……飲ませてもらえたりしますかね? 実はすごくいい匂いがして……」
今まで食べてきた妖は類にもれずおいしかった。美味なる酒を探し続ける酒吞童子の盃から湧き出たものなんて、飲んでみたいに決まっている。
そう思い頼んでみると、大江は無言で顔を青くし芒から数歩ほど距離を取った。彼女に引いていることは明確である。
「……捌よ。こやつのこの食に対する欲、さすがにどうにかした方がいいと吾思うぞ」
「……大変申し訳ない。あとで注意しておきます」
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