伍、雪兎の削り氷

 使用人に呼ばれ件の部屋を見た検非違使たちは、一様に言葉を無くした。

 しかし、捌が陰陽法師だと名乗ったところ、妖関連の事件だと理解したらしい。そっち方面に詳しい検非違使を呼びに行く間、とりあえず事情聴取から始めることになった。順番として、まずは彰子、その次に芒、その後が使用人たち。

 行平は話せる状態でないことに加え、腕の怪我もあるため、至急医者の元へ運ばれた。その間も彰子は父である行平を心配することなく、部屋の凍った使用人たちに指を這わせていた。

 己の番が回ってくるまで待機となり手持ち無沙汰となった芒。

 正直、怒涛の勢いで様々なことが起こったので、脳がうまく処理できていない。その反動か、慌ただしい検非違使や使用人たちを眺めて呆然としていた。

 そんな彼女の肩を捌が軽く叩く。

 視線を向ければ、手のひらにちょこんと雪兎の妖を乗せていた。


「こんなときに話すことじゃないかもしれんけどさ……」

「はい」

「奇しくも冷たく調理できる妖が手に入っちゃったわけだけど……食べる?」


 そう言われ、当初の目的を思い出す。

 そうだ、自分にはやらねばならないことがある。秋月に冷たく調理した妖を献上すること。そしてその前の必須な工程――実際に食べて、味や健康に問題ないかを確認せねばならないのだ。

 止まっていた頭が動き出す。


「食べます……いえ、食べたいです!」




 検非違使にくりやで待機していると伝え、何度か迷いながらも無事辿り着いた芒と捌。

 後宮内の厨とは配置が違うと観察していた芒に雪兎を預け、捌は一番近くにあった棚を漁り始めた。


「勝手に漁って大丈夫なんですか?」

「新人っぽい使用人様にあらかじめ許可もらっといたからだいじょーぶっ!」


 それは、今回の件を目の当たりにして正常な判断を下せない弱みにつけこんだだけでは。

 そう思っていると、捌は「やっぱりあった!」と喜色をにじませた声をあげる。


「上級貴族の厨だからあると思ってたんよね」


 その手には、小ぶりな壺が鎮座している。


「何です、それ」

「へっへ、開けたらすぐわかると思うよ~?」


 そう言った捌は、芒の鼻近くに壺を持って来て蓋を開ける。すると、甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐった。


「これ――甘葛あまづら?」

「正解っ! 本当は面倒な調理過程があるんだけど、できあがったものがあるから使わせてもらっちゃおう」


 匂いを嗅いだことで、唾液が多く分泌され始める。

 甘葛とは、大木に絡まるツタの樹液を煮詰めたものだという。

 上級貴族でも手に入れるのに苦労すると聞いたことがある。内親王秋月の鬼食いである芒も、数回しか味わったことがない代物だ。

 捌は深めの木皿を準備すると、芒に預けられていた雪兎を受け取る。そして笹の耳と南天の目を容赦なく払い落とすと、切り付け包丁で氷の胴体を削り始めた。


「その雪兎って溶けないんですか?」


 預けられたときから疑問に思っていたことを口に出す。

 人間の手のひらに乗っていればすぐ溶けてしまうと思っていたが、捌が持っていたときも雪兎は少しも溶けず、芒のときも同じだった。

 捌は削っている雪兎から目を離さず、「妖だからね」と答える。


「普通の氷ならすぐ溶けるけど、こいつはそんなやわじゃないよ。そう考えると、食材としては最高だね」


 食材としてはという言葉に芒も同意した。

 今回の使用人が消えていく件、元はといえば行平が原因だったが、そんな彼を食い物にしたのはこの雪兎だ。愛らしい見た目とは裏腹に、恐ろしい生き物である。

 でも、そんな奴らを匂いで認識し、涎を垂らして見ている自分も中々に恐ろしい。

 青鬼のときにも言われたが、これでは本当に名実共に「鬼食い」だ。そう思いながら、木皿に積もっていく細かい氷を眺めた。

 しばらくして、山になった氷の上に先ほどの甘葛をかけていく。

 匙の先からとろり、と細い線で落ちていく様から目が離せなかった。淡い黄色のそれが、真白い氷に足跡をつけていく。


「うん、よしっ! 雪兎のけず、完成でっす! ほら、食べてみて!」


 ずい、と差し出される削り氷と匙。

 唾液を飲み込み、受け取ろうとしたその瞬間――


「――鬼食い殿。お話を伺いたいのですが」


 厨に顔だけ出した検非違使に呼ばれてしまう。


「…………食べてからじゃ駄目ですか」

「後が詰まっているので、今すぐお願いします」

「…………はい」


 受け取ろうと上げた手を力なく下ろす。

 どうして今呼ばれるんだ。いくら溶けないと言っても、この削り氷を前に呼び出しなんて拷問以外の何でもない。


「捌殿は先に食べていてください……」


 そう言い残し、よろよろとした足取りで検非違使の背を追った。




 事情聴取の場は、行平と最初に会った大広間だった。とはいえ、ほか使用人は別の間にいるため、数人の検非違使と彰子だけがいるこの場所は最初に見たときよりも広く見える。

 彰子は芒に気づくと、優しい笑みを浮かべた。

 その行動の意味がわからない。この屋敷に検非違使がいるのも、行平が医者の元へ運ばれたのも、元はと言えば芒にあの部屋を見せたからだ。そうでなければ、芒も捌も行平の犯行に気づかなかったかもしれない。

 一瞬にして生活を壊した女に、こんな顔を向けることがあるだろうか。


「……あら、どうしたの。芒」


 その言葉で、自分が彰子のところまで歩を進めていたことに気づいた。

 背後から検非違使の引き止める声が聞こえるが、どこかぼんやりしている。


「私に何か用?」


 彰子の声は、こんなにもよく聞こえるのに。


「……一つ、聞いてもいいですか」


 口内がやけに渇いている。


「どうぞ?」

「行平様の行動を止めなかったのは、なぜですか」


 気になっていた。行平の行動に気づいていた彰子が、もっと早くに彼を止めていればこんなことにならなかったのではないか、と。


「――止める? どうして?」


 芒の問いに、彰子は心底わからないとでも言うように首を傾げた。


「あの行動は、父様なりの愛情表現よ」

「……愛情表現?」

「ええ。言ったでしょう、父様は母様を愛していた。でも私が産まれたと同時に死んだ。あの人の愛していた全てを奪ったのは私よ。好きで好きでしかたのない美しいものは、何をしてでも留めておかなければならないと思い込ませたのは私。そんな私が、どうしてあの人を止められるかしら?」

「そ、れは……ただ、傍観していただけでしょう」

「いいえ――」


 彰子は大きく首を振る。


「――愛よ」


 理解できない。言葉が出ない。


「父様が堕ちるなら、娘の私も共に堕ちる。普通とはかけ離れているかもしれないけれど、それが私なりの愛なの」

「あなたの成長が止まったことにも安堵していた親に、どうして、そこまで……」

「あれでも私のことを娘として愛してくれていたのよ。だから、私も愛でその恩を返すの」


 足をついている畳が歪むような感覚に襲われる。少しして、眩暈がしているのだと気づいた。

 検非違使に腕を引かれ、彰子と引き離される。

 そのとき、もう二度と彼女と話す機会は訪れないだろうという直感があった。

 彼女は父の犯行を傍観していた罪人だ。どんな罰が下されるかはわからないが、きっと重いものに違いない。

 切り替えようと深呼吸をする。だが、やけに彰子の言葉が耳に残っていた。




「おっかえりー!」


 検非違使による事情聴取が終わった芒を、捌は明るく出迎えてくれた。

 それに、少しだけ救われた気持ちになる。


「削り氷の味、どうでした?」

「え? まだ食べてないけど」

「……え⁉」


 捌の答えに、思わず大きな声をあげてしまう。


「先に食べててくださいって言いましたよね⁉」

「う、うん……。でも溶けるもんでもないし、待って一緒に食べよっかな~って……」


 開いた口が塞がらない。

 こんなおいしそうなものを前にして人を待つとか、どんな忍耐力してんだ。我が家の兄たちは一度も待ってくれなかったぞ。

 そう思って、ふと気づく。

 ――そうだ。誰かに待たれたことなんて一度もなかった。一緒に食べようと言われたことなんてなかった。

 じわじわと湧き上がるうれしさに勘づかれないよう、口を一文字に結んでまじまじと捌を見つめる。


「え……な、なに?」

「いえ、何でも」


 嘘だ。何でもないわけない。うれしくてしかたない。


「……ありがとうございます。待っててくれて」

「うん、どういたしまして」


 捌の口角が上がる。その瞳は相変わらず見えない。

 あぁ、見たいな――そう思った。

 真白い顔当ての下。まったく興味がなかったが、今だけは無性に見たい衝動に駆られてしまう。その衝動を振り払うように頭を振った。

 まずは削り氷を食べよう。

 腰を掛けられそうな場所はないので、立ったままいただくことにする。

 匙ですくい、口元に近づけるだけでひんやりとした心地良さを感じる。


「いただきます」


 大きく開けた口に、勢いよく匙を突っ込んだ。

 瞬間、口内に広がる甘さと冷たさ。氷とは思えないやわらかさ。すぐに溶けて喉へ流れてしまう。

 それと同時に聞こえる、男の声。


 ――こんな顔、もう嫌だ。

 ――醜いことなんて言われずともわかっている!

 ――美しい人だが、本当に可哀そうな人だ。こんな醜男ぶおとこの元へ嫁がされるなんて。


 そこに、小鳥のように愛らしい女の声が混じる。


 ――妻の私は、その顔ごとあなたのことを好いております。それだけではいけない理由がおありで?


 確信があった。行平が愛した人はこの人だと。

 この人を失って、全てを留めておかなければと思ったのだと。


 ――死とは、とまること。この場面を切り取り、保存させておくこと。


 この人がいたから、幸せな自分を殺してくれなんて幸福なことを、心の底から思ったのだと。


「……おいしい」


 言葉がこぼれる。すぐに二口目を口に含んだ。

 芒にはわからない、彰子の言う彼女なりの愛が本当に愛と呼べるのか。でも、わかるはずがないのだ。だって、芒は感じたことがないのだから。家族が大事、主が大事。そのような感情はあるが、多分これは愛ではない。そんな芒に愛だなんて早い話だったのだ。


「そういえば――」


 削り氷を口に含みながら捌が言う。


「あの部屋の凍ってた人たち、溶けたら息を吹き返したって」

「そうなんですか?」

「うん、相棒がいないときに検非違使様が伝えに来てくれた。いちおうお医者様のところで診てもらうことになるし、記憶も混濁してるかもだけどね」

「……でも、よかったです」

「ね。とりあえず生きてりゃ何とかなるからね」


 芒はうなずいた。捌の言う通りだ。

 芒は食べる、医者は患者を診る、検非違使は罪人を取り締まる。凍ってた人々も、また何かを見つけて歩み出すだろう。

 彰子も、そうであればいい。

 そう思っていると、「あ、そうだ」と何かを思い出した様子の捌が袂に手を突っ込んだ。


「はいこれ。庭師のおっちゃんにいただいた干し柿」


 出された手には、言葉通り、干し柿が握られている。


「ありがたいですけど、庭師の方にもらったなら、これは捌殿のなんじゃ……」

「いや、私は私の分でいただいたから大丈夫。それは相棒の分だよ」


 差し出された干し柿を受け取る。

 その瞬間、まずい、と思った。この少しの間でうれしいことが起きすぎている気がする。


「……くれるんですか、これ」

「うん」

「何で、くれるんですか?」

「え、何で? 理由?」


 捌は面食らった様子で後頭部を掻く。そして、


「別に理由があったからってわけじゃなくて……ただ単に、あげよっかなって思っただけなんだけど……」


 困ったような声音で、そう告げた。

 ――がんッ‼ と、頭を殴られたような衝撃に襲われる。

 実際に何かされたわけではない。ただ、芒がそう感じただけのことだった。


 ――前言撤回。

 自分は今、初めて、誰かの行動に愛を感じた。


「……あ、ありがたく、いただきます」


 掠れた声でそう言った芒の頬は、暑さのせいとは思えないほど赤く染まっていた。

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