酒呑童子の秘蔵酒

序、酒呑童子の秘蔵酒

われは酒が好きすぎるゆえな。己でも造ってみようかと考えていたのだ」


 目の前にいる色男の言葉を聞いて呆れてしまう。

 ふざけてるのか。酒を造るとは、それはもう大変なことなのだ。何年も下積みをして、やっと酒蔵に入らせてもらえるのだから。

 現在、蔵人くらびとの下で弟子として忙しい毎日を送っている自分だからわかる。こんな細くてきれいな指をした男は、一瞬弟子入りしただけで作業を投げ出すだろう。


 ――何も知らねぇど素人だから、簡単に造ってみようなんて言えるんだ。


 唇を尖らせて言うと、色男は小さく笑った。


「何だ、八つ当たりか小僧。師に叱られ、一時のみ追い出されたからといって、それを他人にぶつけるべきではないぞ」


 かっ、と頬が熱くなる。図星だった。全て言い当てられ、反論すらできなかった。


「……だがまぁ、酒造りに関しては吾よりもうぬの方が経験豊富なことはたしかだ。――というわけで小僧。まだ未熟といえど、素人ではないうぬが最高の酒を造れ」


 ――はぁ?


「はぁ? ではない。厨に一度も入ったことがない吾よりも、うぬが造った方が美味な酒ができるだろうて。そうして完成した暁には、それを惜しむことなく弟子に伝えていけ。さすれば吾はその美味なる酒を一生楽しめる」


 心底楽しそうに口角を上げる青年に、開いた口が塞がらなかった。どこか異様な空気をまとう彼は、疑いの色など一切ない薄紫色の瞳でこちらを捉える。


「うぬの生涯は美味な酒を一つでも多く造ることなり。そう心に刻んだらさっさと行動に移せ。吾の気は長いが、人の生は一瞬だからな。時を理由に成し遂げられなかったでは困るのだ」


 そう言って去ろうとする青年。その華奢な背を呼び止める。


 ――あんた、あんたの名は? さんざん話しておいて名乗りもせずに行っちまうのかよ。


 すると、足を止めた青年は、悩むような素振りを見せながら振り向いた。


「ふむ。いくつも名があるゆえな、どれがいいのかわからん。伊吹いぶきかしら兄弟きょうだい……いや、やはり仲間内でよく呼ばれている名にしよう」


 何やらぶつぶつとつぶやいた彼は一つうなずき、その名を紡ぐ。


「小僧、努努ゆめゆめ忘れるな。――吾の名は酒吞しゅてん。酒呑みと書いて酒吞よ。うぬはこの酒吞のために、最高の酒を造らねばならぬぞ」


 高慢な態度。自分を中心に他人の人生まで決めてしまう常識はずれな考え方。これ以上ないくらい腹が立つはずなのに、なぜか、心が軽くなった。


 ――小僧って言うなよ。


「吾、うぬの名を知らぬゆえ」


 ――星熊ほしぐまってんだ。忘れんなよ、あんたに最高の酒を振舞ってやる男の名だからな。

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