参、雪兎の削り氷
通されたのは、大広間よりも小さく、だからといって狭くはない綺麗な部屋だった。
い草の香りが充満する中に、ぽつんと小さな背中がある。
「
案内役の使用人が声をかけると、その部屋の主はゆっくり振り向いた。
吸い込まれるような黒髪と黒目。小さな顎に、艶やかな唇。丈の短い
十歳にも満たないだろうか、こちらに向けられた身体の線は何とも細い。
芒は少女の前に座り、頭を下げた。
「芒と申します」
同姓であるため名は告げるが、身分は明かさない。これは、道中捌と相談して決めたことである。鬼食いと陰陽法師がつるんでいるなんてどんな関係だと痛くもない腹を探られるのは面倒だからだ。
もしその点を突っ込まれたら弟子だとでも言っておこう。
そう考えていると、少女は一度だけうなずいた。
「私は彰子。そんなにかしこまらなくていいわ。頭を上げて、芒」
言われた通り元の位置に頭を戻すと、彰子は笑みを浮かべていた。
「限られた使用人としか話す機会がないから、今このときはとても貴重ね」
芒の手に白魚のような指が絡められる。白蛇を彷彿とさせるその動きから、目が逸らせなかった。
「ねぇ、こっちを見て。芒」
頬に手を添えられ、彰子の顔が視界いっぱいに広がる。
少女とは思えないゆっくりとした話し方。色っぽい笑み。
同姓なのに胸が高鳴って、頬に熱が溜まっていくのがわかった。
案内役の使用人は、芒にのみお茶と菓子を準備してくれる。
自分だけが食べるわけにはいかない、と伝えたのだが、彰子は小食らしく、見ているだけで十分だと笑っていた。
食べ物を前に見ているだけなんて拷問ではないか、と思いながらも、ありがたくいただくことにする。
「……おいしい」
先ほど大広間で食べた大福もそうだが、とてつもなくうまい。さすがは上級貴族。客に出す菓子までも高級品だ。
「ふ、ふふ……」
可愛らしい小鳥のような声が、咀嚼を続ける芒の耳朶を打つ。
「おいしそうに食べるわね、本当に」
「あ、えっと、すみません……」
「どうして謝るの? 私は好きよ、あなたの食べ方。それではいけない?」
「……いけなくないです」
彼女が笑うたび、心臓が大きな音を立てた。落ち着かせるように、水干の胸元を握りしめる。
「ねぇ芒。あなたはどこで産まれたの?」
不意に問われた内容に、少し驚いてしまう。
彰子は変わらず笑顔だが、こんなことを尋ねて面白いのだろうか。
「わたしは
「枯芝?」
「はい。東部の中でも
「あら、それでは食べるのに苦労したことが?」
「うちは兄弟が多かったので、兄たちとは食べ物の取り合いもありましたよ」
芒の言葉を聞き、彰子は眉を八の字に下げた。
「そんな、まだ若いのに可哀そうに……。ここにいる間はたくさん食べなさいね。そうだ、追加のお菓子も準備してもらいましょう」
彰子の方が若いだろうに、ずいぶん大人びたことを言う。しかし、たくさん食べられるのはうれしい。
緩んでしまった頬のまま返事をしたその瞬間――ふわり、と甘い匂いが芒を襲った。溶けるように鼻を抜ける、そんな香り。
魅了されてしまったのも束の間、口内に唾液があふれ出す。我に返り口元を押さえる芒。
彼女は知っている、この状態を、この感覚を。
――妖が、近くにいる。
芒は辺りを見回すが何もいない。いるのは自分と、彰子だけ。
芒と彰子の目が合う。すると、彼女は口角を上げ、目を細めた。
「どうしたの? まだ日は高いわ。たくさん、あなたのことを聞かせてちょうだい」
◇◇◇◇◇
――同時刻。
「……え、池に着いちゃった」
そう一人ごちる捌。その言葉通り、彼は今、立花家の庭園にいた。
おかしい、どこで道を間違えたんだ、と捌は悩む。
そもそも、始めは大広間にいた。鬼食いの彼女が孫の元へ向かった後、行平から陰陽法師についてぜひ聞かせてくれ、と言われたのだが、先に用事を片づけてくるというので畳の目を数えて待っていた。しかし、戻ってくる気配が一向にないので、
それがどう間違えたか、屋敷から出てしまい、今では庭園にある池の前で佇んでいる。
自分でも絶対に違う道だったとわかっている。だが、屋敷が広すぎるのだ。前回の
「……こういうとこは昔から変わらんね」
案内人がいないと、目当ての場所まで辿り着けない。まったく困ったもんだ。
「てか、広い屋敷も懐かしすぎて……もう勝手がわからん」
自分自身にため息をつく。すると、背後から足音が聞こえた。
振り向くと、中年の男性が立っている。
「なぁ兄ちゃん、坊さんか?」
よくわからない質問に一瞬首を傾げたが、すぐに自分の
「いや、私はお坊さんじゃなく陰陽法師です。そういう貴殿は使用人の方?」
「いんや、ただの庭師だ。この家じゃ屋敷内で仕事する使用人しか雇わないからな。俺ぁ今日だけ手入れを任されたってことだ」
「なるほど。でも、何でそんな雇用形態なの?」
「貴族様の考えるこたぁ庶民の俺にはわからんよ」
そう言って庭師の男性は捌に近づくと、腰にぶら下げた干し柿を一つもぎ取って差し出した。
「ん、やる」
「やった、ありがと! 感謝感激雨あられ!」
素直に受け取った捌だったが、少し悩んで、そのまま食べずに袂へしまう。
「あ、すまん。苦手だったか?」
「え? あ! 違う違うっ! 干し柿好きだよ!」
「じゃあ何で食わねぇ?」
当然の疑問に、捌は顔当ての中で視線を彷徨わせた。
「えっと、連れにあげようかと思って」
嘘ではない。本当に鬼食いの少女にあげようと思ったのだ。
しかし、この場で食べなかったことは、庭師にとっていい気分ではなかったかもしれない。
申し訳なく思っていると、「何だ、だったら早くそう言え」と、もう一つ手に握らされる。捌用と鬼食い用だ。
「いやいやいや! それはさすがに申し訳ないって! 私がもらった分あげるから大丈夫っ!」
そう言って返そうとするが、庭師はまったく受け取る気がない。
「兄ちゃんまだ若いんだから食え」
「若いってほどでもないんだけど……」
「いくつだ?」
「……二十五」
「若ぇじゃねぇか」
もうこうなったら意地でも受け取ってくれないだろう。
諦めた捌は礼を言って、自分用の干し柿を食べ始めた。
「その連れってのは妹か?」
話相手が欲しかったのか、庭師の彼は質問を続ける。それに捌は首を振った。
「何ていうんだろ……仕事上の関係ってやつ?」
「何じゃそりゃ。そんな関係の奴にわざわざ自分がもらったもんをやろうと思ってたのか?」
心底理解できないとでも言うように、庭師は肩眉を上げた。
「うん、そう……かも。自分でもよくわからんけど。あ、でも、すごくおいしそうに食べる子なんだよ」
――あと、けっこう素直。
そう心の中で追加した。
彼女が洗い物の手伝いを始めたと聞いたときを思い出す。まさか言ったことを実行するとは思っていなかったから、そりゃもう驚いてろくに褒めてすらやれなかった。
面倒なことはやりたくありませんという顔をしているが、実のところ真面目なのだろう。
つまり、いい子ということだ。そう自分の中で結論づける。
「へぇ。そんなうまそうに食うんじゃ見てみたいな。どこにいるんだ?」
「現在別行動中。旦那様のお孫さんと話してるころだと思う」
そう言うと、庭師は眉を寄せ首を傾げた。
「孫? おかしいな。この家、孫なんていないはずだが……」
「……は?」
「立花家は一人娘で、たしかまだ嫁に行ってないぞ」
なら、行平が言っていた孫とはいったい誰のことだ?
嫌な予感がして、すぐにその場から駆け出す。暑い日とは思えないほどに、捌の身体は冷えていた。
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