弐、雪兎の削り氷
「牛車出してもらえるなんて、奇人姫も器が広いね。歩くには遠い場所だから助かっちゃうよ」
「ええ。今回のことを伝えたら快く手配してくださいました。……これで変わった嗜好がなければ手放しでいい主だと言えたんですけどね」
「こらこら」
がたがたと揺れる牛車の中。芒と捌は向かいように座っていた。上背のある捌は少し窮屈そうだが、感謝こそ口にすれど文句は一言もたれない。
今日は、そんな彼に尋ねたいことがあったのだ。
「捌殿」
「うん?」
「青鬼を退治する際、捌殿は包丁を使っていましたよね? たしか、えっと……
その名がすぐに思い出せず、詰まってしまう。だがそれもしかたないことだった。なぜなら、この疑問は芒のものではないのだから。
「七華殿の女房たちに訊かれたんです。陰陽法師の方々は
「なるほどねぇ」
捌は相槌を打つと、
「……読めないです」
「読めたらその筋の人だから。相棒は読めなくていーの」
指で挟み、ひらひらと揺らす捌。
「いちおうこの子が私の式神。でも符術系全般が苦手だから、この子を主で戦わせることはないかな」
芒は手のひらほどしかない紙をまじまじと眺める。
こんな紙で妖を退治できるとは到底思えない。そんな思いが顔に出ていたのだろう。捌は一言、「出してあげよっか?」と言った。
何を出すのかわからないが、芒はとりあえずうなずく。すると彼は何もいない空間目がけて、「守矢氏ー、ちょっと今出てこれる?」と、声をかけた。
その様子に芒は吃驚してしまう。とうとう頭がおかしくなったのか。いや、初めて会ったときから変わってはいたが。
そんなことを考えていると、二人の間の空間がぼんやりと歪み始める。目を凝らすと、次第にその輪郭が鮮明になった。
「こ、この方が……」
「そ。私の式神兼お悩み相談相手」
芒と捌の間に、
肌は一切見えない。顔、首などの肌が見える部分は透けており、向こう側が確認できてしまう。つまり、雑面と服、その他装飾品が浮いているようにしか見えないわけだ。
「彼の名前は
首を傾けて守矢と呼ばれた式神に同意を求める捌。守矢の方も同じく雑面が傾き、声こそ聞こえないが「ねー?」と一緒に言っているような姿であった。
芒の背丈くらいの弓を持ち、腰に大太刀を佩いている見た目から武官を彷彿させるが、性格は中々お茶目なようだ。
芒が観察している間にも、捌とつつき合っている。女房たちもびっくりな乙女仕草だ。
「守矢殿」
そう呼ぶと、守矢は勢いよく雑面をこちらに向ける。そして
「え、えっと……?」
「『守矢殿って何か言いづらくない? 主人と同じように守矢氏でいいよー』って言ってる」
なるほど。通訳してくれた捌のおかげで、やっと何が言いたいのか理解できた。そう言われてまで呼び方に固執するつもりはない。
「では改めして。守矢氏。ご存じかと思いますが、内親王の鬼食い役です。どうぞ、よろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げると、守矢は居住まいを正す。次いで、雑面が低い場所に移動した。一人と一式神が頭を下げ合う構図となる。
芒にはまったく声が聞こえないが、「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と言われているような気がした。
件の
雑草が一本も生えておらず、植えられている樹木も少ない。まるで冬のような景色であるため今の時期には合っていないように思えるが、そのちぐはぐさが生み出す美しさをたしかに感じた。季節の草花が咲き乱れる後宮とは正反対で、珍しさもあったのかもしれない。
「まぁ、使用人の
せわしなく右へ左へ向いていた顔を前に戻す。
紫の文によって妖退治に来た、とはもちろん言えないので、彼女の知り合いの体で挨拶をすることにしたのだ。知り合いの陰陽法師ってどんな間柄だよ、と一瞬疑問も覚えたが、「こういうのは勢いが大事だから!」と意気込んでいた捌に全て任せると決めた。
最初こそ訝しげな表情をした使用人の女性だったが、今では捌の親しみやすい話し方に口元を綻ばせている。
「久しぶりに会いたくなってしまって。あと、彼女がお世話なっている立花家の旦那様にもご挨拶をと」
「まぁまぁまぁ! なんて礼儀正しい方なのかしら!」
捌の顔当てに吃驚していた姿は見る影もない。もう懐にもぐりこめたようだ。
しかし、笑みを浮かべていた女性の顔がくもる。
「あ、そうだ。……ごめんなさい。実はね、紫は暇を出されて屋敷を出て行ったんです」
「そうだったんですか? そんなことは聞いてませんでしたが……」
芒は思案する。文を出して、まだそう月日は経っていない。暇が出されるにしては少しばかり急ではないか。家が潰れるほどの財政難であれば理解できるが。
「では、紫氏はご実家に帰られたんですか?」
「うーん、おそらくそうなのではないかと」
捌の問いに、使用人はあいまいな答えを返した。
芒はそこに違和感を覚える。暇を出された庶民の娘が向かう場所なんて実家しかないだろうに、なぜそんな言い方をする?
知らぬうちに探るような目つきになってしまった芒の腕を、捌が肘で小突く。はっとした芒はすぐに笑みを貼り付けた。
「わかりました。紫氏に会えないことは寂しいですが、私が機会を誤っただけなのでお気になさらず。では、旦那様にだけ挨拶させていただけませんでしょうか?」
「ええ。今すぐ旦那様にお話し通して参りますので、少々こちらでお待ちを」
使用人の背中が見えなくなったことを確認し、二人はお互いに距離を縮めた。
「嘘……ですよね」
「嘘……だろうね」
同時に同じことを告げ、顔を見合わせる。
「文を出したことがばれたんですかね?」
「そうでなきゃいいと願ってるよ。ま、もし本当に文を出したことがばれて
そんな話をしていると、大きな足音と共に先ほどの使用人が駆けて来る。
口角が上がったその表情から、立花家当主にお目通りが叶うことは容易に予測できた。
「そうかそうか、紫のお知り合いとは。ご足労いただき感謝する」
大広間に響く穏やかな声。胡坐をかく中肉中背の男性に、芒と捌は揃って頭を下げた。
彼がこの屋敷――立花家当主の
見目が良いとは言えないが、品がある男性だった。
すでにお互いの自己紹介は終えていたので、芒は出されたお茶を一口飲む。すると、行平は思い出すように言葉を紡いだ。
「短い間だったけどね、紫には世話になったものだよ。いつも明るく元気で、力仕事を任せても嫌な顔一つしない。頑張ってくれていたから、少し多めに包んであげるよう使用人にも指示したんだ」
多めに包むとは、金銭のことだろう。
「なぜ紫氏に暇を出されたのですか? 彼女は真面目ですし、旦那様のお役に立てたかと思うのですが」
紫のことなど文でしか知らないのに、まるで昔からの友人であるように捌は振舞う。
「実を言うと、我もまだ残って欲しかったのだがね。彼女は故郷が恋しかったようで、ほかの使用人たちにもその話を頻繁にしていたそうだ。それを聞いて、可哀そうだと思ってしまってね」
照れくさそうに行平は笑う。
「そうだったのですね。彼女のことをそこまで考えてくださり、誠にありがとうございます」
「いや、むしろこのくらいしかできず申し訳ない。それに、君たちには無駄足を踏ませてしまった」
「それは私たちが機会を誤ったせいですので」
よくもまぁここまで嘘がすらすら出てくるもんだ、と芒は捌の胆力に感心する。加えて、上級貴族への言葉遣いも慣れているように思えた。
いったいどんな経歴なんだ、この男は。
そう思っていると、捌が一瞬だけ芒の方に顔を向けた。そしてすぐ行平へと向き直り、口を開く。
「この度はお時間いただき誠にありがとうございました。では、私たちはそろそろ……」
その言葉で、先ほどこちらに顔を向けた意図を理解する。
一度屋敷を離れよう、という意味だったのだ。
芒も異論はなかった。文の送り主である紫もいないため、これからどのように動くか話し合いが必要である。
小さくうなずきを返し、お茶と共に出された大福を急いでいただく。
芒が最後の一口を嚥下し終わったとき、行平が少し慌てた様子で声をあげた。
「し、しばし待ってくれないか?」
口元を押さえながら、芒は行平の方へ目を向ける。
同じく、行平の視線も芒に向いていた。
「……実は、我には孫がいてね。同姓ということもあるし、ぜひ話し相手になってもらいたいんだが……どうかね?」
「え、ええ。それは構いませんが……」
急な頼みにやや怯んでしまう。だが、芒の返答を聞いた行平は満面の笑みを浮かべた。
「そうか! なってくれるか! いやぁありがたい! そうと決まればすぐに案内させよう!」
少々強引に事を進めようとする行平に疑問を覚えながらも、芒は愛想笑いを続けた。
こうして、使用人が急に消えるという屋敷に長居することとなってしまったわけである。
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