壱、雪兎の削り氷
青鬼の件から数日がすぎた。
秋月は青鬼の味噌汁をえらく気に入ったようで、よく女房たちにねだっている。栄養が偏るからそればかりでは駄目だと叱られているが。
「それにしても、今日は春と思えないほどに暑いね」
本日の
「このように暑い日が続いては、今年の夏が長くなってしまうかもしれないね」
一人の女房がうなずき同意を示す。それに満足そうな笑みを浮かべた秋月。
「そうだ、こんなに暑いのだから、何か冷たいものが食べたいね」
そのまま一句読むように、さらりとそんなことを言った。
面倒くさい気配を察知し、黙り込む使用人たち。芒も例外ではなかった。気配を殺すように息さえ止めている。
「ね、芒?」
しかし残念なことに、白羽の矢は刺さるのだ。
「頼んだよ」
その一言は何より重い。芒は引きつった笑みで、蚊の鳴くような返事をした。
「――というわけなんですが、冷たく調理できる妖っていませんか?」
餅は餅屋。蕎麦は蕎麦屋。妖は陰陽法師だ。そう思い立ち、陰陽殿にいる捌の元へ向かい問うてみる。が、彼は困惑した様子で首を傾げた。
「いないことはない……けど、運良くそういう妖が現れるとも限らんしね」
「やっぱりそうですよね……」
根食派に割り振られた部屋にて、芒と捌は低い机を挟んで座っていた。管理人に冷たいお茶を出してもらい、それで唇を湿らせる。
さて、どうしたものか。捌は言葉を選んでくれたが、わかりやすく言えば、そんな特定条件の妖を見つけるのは難しいということだろう。しかし、これは内親王の命。どうにかして冷たいもの――しかも妖を見つけねばならないわけだが、さすがにそこまで捌にお願いするのは申し訳ない。彼には調理の面で大いに助けてもらっているし、退治する妖も一つや二つではないのだ。
この間の青鬼のように、急遽助けを求めて来る人々もいる。こればかりはしかたない。
「無理を言って申し訳ございません。冷たそうな妖を探す工程はこちらで何とかしますので、その後の調理については前回同様お任せしてもよろしいでしょうか」
「いや、うん……。それは構わんのだけど……」
頭を下げた芒に、捌は少し戸惑ったような動きをする。
「ほ、本当に相棒が妖を探すの?」
「はい。わたしは匂いで妖を認識できると教えてもらいましたし、どうにかなるんじゃないかな……と」
そう伝えると、捌は愕然とした。顔当てのせいで見えない瞳も、きっと見開かれているだろうことが容易に想像できる。
「いやいやいや、そこはきちんと専門家に頼んでくださいっ!」
専門家に頼んだうえでの行動なのだが、と思っていると、捌は一つ息をついて話を続けた。
「もっとこう、食い下がってっ! いや別に食い下がられた方がやる気出るとかそういうんじゃないけどさ!」
「……じゃあどうしろと?」
「ど素人が妖探しなんて危ないから絶対、ずぇったい止めて! ていうか、私以外の陰陽法師でもいいからもっと頼りなさい! 若い子がいらん気遣いしないっ! わかった?」
正直、よくわかっていない。
必要以上に誰かを頼るということが芒には理解できないのだ。もちろん、人間には得手不得手が存在するため、頼ることだって選択肢だとわかっている。先ほど調理の工程をお願いしたのも、自分にはできないことだと判断したからだ。
だからといって、控えめにも難しいと言われた探す工程まで頼るのは、何というか違う気がする。
そこまで芒は図太くなかった。
「…………善処します」
「あ、限りなく善処しない言い方だ。よくないぞ、そういうの」
そう言われても困ってしまう。
そもそも、芒がこのような性格になってしまったのには理由があるのだ。
彼女は貴族出身だが、下級貴族であるため実家はそれほど裕福でなかった。なのにも関わらず、彼女を含め兄弟が八人もいるのだ。しかも末っ子の紅一点。食事時に遅れればご飯が無いことなどザラだった。誰一人として末っ子が揃うまで待ってくれないのだ。
加えて、鬼食い役になってから周りは上級貴族ばかり。秋月が細かいことは気にしない質なので
今さらこの性格を変えるのは難しい。そう思っているからこそ、芒は心中で自分自身にため息をついた。
沈黙が落ちる中、捌が後頭部をかきながら口を開く。
「冷たいかどうかはわからんけどさ……」
「はい」
「実は、今朝方届いた任がありまして」
「はい」
「時間かけて探したのに収穫無しってことになると相棒も心労やら何やらがひどいと思うんで」
「……はい。どうにか別の方法で内親王のご機嫌取りをしなきゃになるので正直しんどいですね」
「だよね。まぁそういうわけで……一緒にどうですかね」
「妖退治に?」
「妖退治に」
芒にとってはありがたい誘いだ。この案なら冷たいものでなくとも秋月のご機嫌は斜めにならないかもしれない。そう、妖であれば。
秋月が食べた妖はまだ青鬼だけ。冷たく調理できる妖を探していたら、ほかの妖を見つけたからまずはこれを食べてくれという流れでいけば比較的軽傷で済みそうだ。
「……捌殿」
「あ、やっぱり駄目的な――」
「――天才ですか」
思わず捌の言葉を遮って言ってしまう。それはもはや断言に近い声音であった。
「一匹……一体? 妖食べたんだから満足してくれよ、と七華殿の一同揃って面ど……大変なことになったと思ってましたが、捌殿の機転のおかげでどうにかなりそうです」
「え、今面倒って言った?」
内親王だよね、この国で一番偉い御上の娘さんだよね、と質問してくる捌に首肯する。
「ちなみに、そちらの任務先はどちらになるかお聞きしても?」
「あ、流していいとこなのねそれ……。えっと、文に書かれてた場所としては、いちおう
「
「相棒……! 何かよくわからんけど格好いいよ!」
同行が決まったその後も芒は陰陽殿に残り、甘味をご馳走になりながら出発日程などの詳細について話すことにした。
「そういえば、届いた任務の内容ってどんなものだったんですか?」
おかわりしたお茶を冷ましながら芒は問う。すると捌は「うん、それがちょっと変な話でさ――」と前置きして詳細を語り始めた。
◇◇◇◇◇
文の送り主は使用人の女性――名は
当主の行平は御年五十二歳で、小言も無く穏やかな人柄らしい。それに比例するように、使用人同士も仲が良いという。
文句なしの労働環境に満足していた紫だったが、しばらく経ってからあることに気づく。
――使用人が消えていくのだ。
最初のうちは
何も言わずに忽然といなくなるのはおかしい。そう同僚たちに訴えてみたが、知らぬ存ぜぬ以外の言葉はなかった。
それでも日々変わらず笑ってすごしている周りに不気味さを覚え、紫はばれないよう細心の注意を払って文を出したというわけである。
◇◇◇◇◇
その詳細を聞き終えた芒は首を傾げた。
「でもこれ、人がやったっていう可能性もありますよね? どうして
芒の疑問に捌は、わかる、と言わんばかりにうなずく。
「私も最初はそう思ったんだけどね。ほかの陰陽法師から話を聞いたら、妖関連かなぁって思えちゃって」
「話?」
「そう。その法師曰く、立花家のお屋敷前を通るとやけにひんやりするんだって」
そういえば、温度で妖を認識する
「ひんやりって、そのお屋敷だけ寒いってことですか?」
「そうなるね。人間の仕業ならその辺りいじれるわけもなし。こりゃ妖かと判断したわけです」
「なるほど」
「ま、送り主の紫氏は藁にも縋るって感じで文を出したんだろうね。使用人の一人が何言ったところで、
そのとき、庭に面した障子の隙間から入り込む日差しの色が、夕暮れの気配を感じさせた。
あ、と用事を思い出した芒の声が部屋に響く。
「すみません。こちらから訪ねておいて申し訳ないのですが、計画を詰めるのはまた明日でもいいですか?」
「うん、私としては全然大丈夫です。ていうかなぁに? 約束でもあったの? もしかして意中の人に会うとか?」
面白いものを見つけたとでもいうように、捌の声音は楽しそうだ。そんな彼には申し訳ないが、「まったく違います」と芒は首を振る。
「実は青鬼の一件以降、
「へぇ、そりゃ偉いや。でもどうして急に?」
「どうしてって、捌殿が言ってたでしょう? 『物事の法則は余分なものから形成される』って。本当にそういうものかはわからないですけど、まぁ、その方が面倒なことも少しは見方が変わりますし。先人に何も知らずに後悔したって言われた手前、無視するわけにもいかないので」
捌から聞いた話を思い出しながら芒は答える。
誰だって後悔はしたくない。だから、やってみようと思っただけだ。
「それに、手伝うと残り物とかもらえるんです。それ目当てな面もけっこうありまして、鬼食いに呼ばれるまでは厨に居座ったりしてますね」
そう言った瞬間、口を滑らしたと後悔する。
捌はきっとからかってくるだろう。「私の言ったこと実行してくれたの⁉ 感無量なんですけどっ!」とか言い出しそうだ。
――そう思っていたのに、一向に声がしない。
いったいどうしたと芒が顔を向けると、捌はぽかんと口を開いていた。その表情につられて芒も呆けてしまう。
口を開けた二人が向かい合う異様な無言空間。時が止まったように見えるのに、太陽の位置だけはたしかに変わっていく。
「……な、何ですか」
先に口を開いたのは芒だ。
「何か言いたいんですか」
「…………あ、いや、とくに何か言いたいことがあるわけではないんですけど、」
居心地悪そうに姿勢を正した捌は、意味を成さない音を何度か紡ぎ――
「あー……その、が、頑張りすぎないようにね?」
体調を心配する親のようなことを疑問形で告げた。
おそらく、慣れないことを始めた芒を気遣ってくれたのだろう。まだ手伝い始めて数日だし、皿洗いしかしていないので頑張るも何もないのだが、と密かに思いながらもうなずく。
「ぜ――」
――善処します。
そう言おうと口を開いたが、もっと彼の気遣いにふさわしい言葉があると思った。なぜか感じる気恥ずかしさを誤魔化すために、いつもより多めに息を吸う。
「――はいっ!」
その素直な返事が部屋の外にまで響いていたことを、芒は知らない。
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