肆、鬼団子と萵苣の味噌汁

 芒の膝ほどの台に、二人並んで腰を下ろす。隣には干し途中の大根が転がっているためお互いに肩がぶつかり少し窮屈ではあったが、今の芒はそれどころではなかった。

 彼女の視線は手元の椀――鬼団子と萵苣レタスの味噌汁に釘付けだったからだ。

 そもそも、部屋に戻って食べようとした捌を止めたのは芒だった。部屋に戻るまで耐えられない、今すぐ食べたい、と子どものように我が儘を言って、厨の中でどうにか座って食べられそうなところを探して今に至るというわけだ。

 味噌汁を見つめる芒の顔に、昇ってきた湯気が当たる。それはただ熱いだけでなく、ほんのりと酒の匂いのようなものも感じた。味噌特有の香りだ。

 芒は、箸で味噌汁をかき混ぜる。すると、たくさんの萵苣の中に、ころころとした鬼団子が浮かび上がってきた。丸く青白いそれは、薄目で見ればつみれのような姿をしている。青鬼の姿など見る影もない。


「い、いただきます……!」

「どーぞ! めしあがれっ!」


 味噌汁の中を泳ぐ鬼団子を箸でつまむ。鬼食いの癖で、まずは全方位から眺め、香りを確かめる。そして口元に持ってくると、勢いよく食いついた。


「あ、気をつけて! すっごい熱いから」

「……ふっ! あっふい‼」

「遅かったか~」


 心配する捌の隣、芒は夢中で咀嚼する。

 鬼団子によくしみ込んだ味噌汁が口内にあふれた。だが、それだけではない。鬼団子の肉汁も感じられる。脂が少ないように思っていたが、ぱさぱさ感はまったくない。

 つまるところ――


「――ぅんまッ‼」


 そういうことである。

 さて、鬼団子を咀嚼し終えたら、次は萵苣だ。箸でごっそりつかみ取り、口いっぱいに頬張る。

 わかっていたが、尋常じゃなく熱い。舌を火傷しているかもしれない。

 でも――止まらない。

 萵苣を嚥下したら、またすぐに頬張る。次は鬼団子と萵苣の両方と欲張ってみた。噛むことによって萵苣の水分が放出され、口内がいっぱいいっぱいになる。

 あぁ、なんて幸せな苦しさだろうか。

 具をある程度たいらげると、芒は椀に口をつけ上を向いた。汁を一気に食道へ流し込むつもりなのだ。ごっごっ、と音を立て、まるで猛暑の中の水分補給のように芒の喉が上下する。そして最後の一滴まで飲み切ると、芒は静かに椀を下ろした。


「あ~……青鬼、うっま……」


 恍惚とした表情を浮かべて、吐息と共に心からの感想をこぼす。体温が上がったのだろう、頬は紅潮しており、額や鼻頭にうすく汗をにじませていた。

 しばらくうつろな瞳で宙を眺めていた芒だったが、隣に捌がいたことを思い出す。すぐさま彼の様子をうかがうと、ぽかんと口を開いて芒を見ていた。

 …………やってしまった。

 思わず固まってしまう。下級貴族といえど、こんな言葉遣いを外でするなんて褒められたことではない。それに食べ方もまずかった。あんな一心不乱にむさぼるなんて、獣のようだと言われても反論できない。

 いや、でもあそこまでおいしいものを作るこの法師も悪いんじゃないか、なんて焦るあまりに責任転嫁していると、捌はにまにまと満足そうに口角を上げた。


「へぇ~、そう。そんなに『』かぁ。そりゃ料理人冥利に尽きますなぁ。ま、私料理人じゃないけど」

「うっ……」


 居心地が悪く顔を背けるが、捌は覗き込むように背を丸める。


「何さ、恥ずかしがらなくてもいいじゃんね。貼り付けた作り笑いじゃないもんが見れて私は満足ですよっ」

「……そりゃようござんしたね」

「皮肉ってんね~。相棒ったらなかなかご機嫌な性格してらっしゃるわ」


 あんたもな、と思いながら、芒はまぶたに半分ほど隠れた目を向けた。

 刹那、何か声のようなものが聞こえる。


「捌殿、今何か言いました?」

「え? ご機嫌な性格してんねって話?」

「それじゃないです。なんかこう……」


 ――一等幸福でいなければ。


「――ッ⁉」


 違う、これは耳で聞こえているわけじゃない。そんな直感があった。脳内に響くような……いや、脳内から湧き出るような感覚に近い。

 何だこれ。「一等幸福でいなくちゃ」なんて思ったことないのに、何で急に、こんな――


「――なんか聞こえちゃった?」


 困惑している芒の瞳に、不気味なほど白い顔当てが映る。その目は見えないが、声音からして何か察するところがありそうだ。


「一等、幸福でいなければ、って……」


 わけがわからないまま脳に浮かんだ言葉を伝えると、捌は少しの間考える素振りをし、


「んー、ここまで味覚が良いのも考えもんね……」


 と、口を引きつらせた。


「どういうことですか?」

「それを説明するには、ちょいと遠回りしなきゃならんかも。理解できんようなこと羅列するけど、平気そ?」


 そう言われ、芒は未だに声が響く脳内に、幸也のうなじ辺りから現れた青鬼を思い出す。


「理解できないことなんて、今さらです」

「それもそーね」


 捌は頷くと、持っていた椀を置いて人差し指を立てた。


「まず結論から言うと、相棒が食べた青鬼は衛士の幸也ゆきなり氏に憑いてた妖なんだよね。この辺りは察しがついてたんじゃないかと思いますっ」

「そうですね。なんとなくそんな気はしました」

「うん、その直感誠に素晴らしいっ。じゃ、次は妖についての説明ね」


 長い中指が立って、芒の視線はそこへ向く。


「妖ってのは、簡単に言えば人の理解を越えた力を持つ魔の物の総称。強い個体は己のみで存在できるけど、弱い個体だと人に憑りつかないと生きていけないんだ。そうやって宿主の負の感情を餌に力を蓄えて、代わりに願い事を叶えてくれるってわけ」

「憑りつかれた人は、自分で気づかないんですか?」


 芒が思い出すのは幸也の姿。青鬼が現れたとき、幸也は芒と同様に瞠目していたように思う。


「妖の気配を察知する人もいるから一概には言えないけど、気づいてない人の方が多いかな。憑りつきますよって許可を取ってくるわけでもないしね。だからいつの間にか温床――妖が育つ宿にされちゃう」


 温床。捌が幸也に言っていた言葉。あれにはこういう意味があったのか、と芒は納得する。


「たしかに。普通は妖なんて見えませんしね」

「そうだね。でも、相棒は気づいてたでしょ? 青鬼の気配」

「え?」

「気配っていうか匂いか。醤油か味噌で味付けした肉みたいな匂い、だっけ? いい線つくよね、本当に」


 そうだ、なぜか幸也からはいい匂いがしたのだ。唾液があふれて止まらなくなるような、そんな匂い。無意識に、芒は己の唇をなぞる。


「さっき相棒は『妖なんて見えない』って言ったけど、正しくはなんだよ。視界には入っているけれど、それを個として認識していない。だから見えない。本当は見えてんだけどね」

「え、ん? あの、意味がよく……」

「あはは、わかりにくいよね! きちんと理解しようとしなくていーよ。相棒は『匂い』で青鬼という個を認識したってだけの話だから。ま、この辺りは法師によっても認識の仕方が違うから詳しい説明は難しいんだ。私は輪郭の歪みで認識するし、温度で判別するっていう同派の兄さんもいるよ」

「本当に人それぞれなんですね」


 芒は納得し頷く。

 まさか認識さえすれば誰にでも見えるようになるとは思っていなかった。妖を見るためにも凄まじい訓練が必要なのだろうと想像していたから。

 そんなことを考え、ふと疑問が浮かんだ。


「あの、わたしが匂いで認識したということは理解できたんですが、どうしてその匂いがわかったんでしょう……?」


 芒の問いに、捌は首を傾ける。


「質問に質問で返して申し訳ないんだけど。相棒、鬼食いになるために厳しい修行とかあったりした?」

「え、そんな大変なことなかったと思いますけど……。でも、いろいろな食材の味を覚えたり、匂いの変化に敏感になるような訓練はありますよ。一応要人の毒見役なんで」

「やっぱりそっか。……うん、十中八九、今回青鬼の匂いを認識できたのはその訓練のおかげだろうね」


 捌は、合点がいったとでも言うように何度も頷いた。

 鬼食いの訓練によって鍛えられた嗅覚や味覚があったからこそ、青鬼の宿主である幸也の記憶も感じ取れたのだろう、と。


「捌殿は食べたときにこうならないんですか?」

「私はそこまで味覚が敏感なわけじゃないからね。あ、でも妖を退治した瞬間に少しだけ流れ込んでくるときはあるよ。今回はそうだったしね」


 だからその言葉には聞き覚えがあるの、と捌は言葉を続けた。

 その言葉とは、「一等幸福でいなければ」というあの呪いじみたもののことを言っているのだろう。

 芒は何も知らない。彼が何に追い詰められていたのか。同僚からもあんなに信頼されていたにも関わらず、他人の一物を消したくなるほどのことが何なのか。


「幸也殿は、これからどうなるのでしょう」

「……どうなるんだろね。同僚の衛士様たちも彼が原因ってわかってるだろうし。ま、あんまり良いようにはならんかもしれんね」


 捌の声から感情が消える。

 陰陽法師という仕事柄、彼がこういう人間をたくさん見てきただろうことは容易に想像できた。御上は国に害なす者へ苛烈な制裁を与えると聞く。捌には、幸也の遠くない未来もだいたい予想がついているはずだ。しかし、何も知らない芒をおもんばかって、あいまいな言葉を選んでくれたのだろう。

 芒は思う。これ以上考えたところで、幸也の過去に何があったのか、これからどうなっていくのかは、ただの鬼食いである自分では知る由もない。そこに気力を割くのは無駄だとわかっている。

 だから――


「――ごちそうさまでした」


 この言葉で、この件について考えるのは終わり。

 食事と同じだ。食べてしまえば、消化されるだけ。その後のことなんて誰も気にしない。

 もしかしたら、捌が所属している根食派の思想も同じようなものなのかもしれない、なんて思いを馳せた。そんな芒に気づいてか、捌は別の話題を振る。


「ど? 奇人の内親王にいい報告はできそ?」

「そうですね、滞りなく進むかと」

「そりゃよかった。そんじゃ――」


 そう言った捌は、芒の持っている空の椀を奪い立ち上がった。いったい何だ、と思っていると、彼は楽しそうに口角を上げ、芒の方へ顔を向ける。


「青鬼を食べたことで、名実共に『鬼食い』になった相棒さん。おかわりはいかがでしょうかっ?」


 そんなおいしい誘い、断る奴がこの世にいるか。

 芒が何度も大きく頷いたことは、言うまでもないだろう。

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