参、鬼団子と萵苣の味噌汁

 一物が消えた妖事件を解決した芒と捌は、陰陽殿に戻る際、正門ではなくくりやに面した勝手口から入ることにした。

 妖を退治したのだ。胸を張ることはあれど、なぜこそこそ帰るのか意味がわからない。そう芒が問えば、以前別の妖の生首を持って正面から戻ったところ管理人が気絶したのだと、捌は小声で教えてくれた。妖を食べることで奇異の目を向けられている捌の所属一派――根食ねじき派にも何かと目をかけてくれている管理人のため、身体に障る行為は控えたいという。

 自分は目の前で青鬼の首を切断したところを見ているのだが、と思いながらも口に出さないでおく。芒はそういう状況にも耐性があった、それだけのことだ。




「相棒、料理の経験は?」


 べっとりと血が付着した手を洗いながら尋ねる捌に、芒は首を振った。すると捌は一瞬何かを考え、あぁそっか、と納得するように頷く。


「内親王の鬼食い役なんて、ある程度身分がなくちゃなれないもんね。そうなると、相棒はどこかいいとこのお姫様かな?」

「いえ、わたしは東部とうぶの田舎に生まれた下級貴族です。母が内親王の女房だったので、その伝手で丁度空きがあった鬼食い役を紹介されたんですよ。ほら、瞳の色も黒じゃないでしょう」


 この国では、漆黒の髪と瞳を持つことが上級貴族の証になる。まるで鴉のような色合いの上級貴族たちは、都である央都おとに居を構えており、それ以外の下級貴族は央都を囲むように位置する北部、東部、南部、西部のどれかに住むというのが基本的な法則だ。

 芒は捌によく見えるよう、重たい一重まぶたを上に引っ張った。普段まぶたに隠れがちな茅色の瞳が現れる。


「あら、おいしそうできれいな眼球」

「……ありがとうございます」


 素直に喜んでいいのかわからないが、とりあえず誉め言葉として受け取っておく。このままいくと、人間の身体でどこがおいしそうかなどの方面に話が広がりそうなので、芒は別の話題を振ることにした。


「そ、そういえば、これから作る味噌汁には萵苣レタスが入るんですよね? 今見た感じだと厨にありませんが、大丈夫なんですか?」


 少々力づくで話題を変えたため不安だったが、捌は何とも思っていない様子で得意げな顔をした。


「ふふん、実はちゃんと用意してあるんだなこれが! 私、こう見えて何通りも策を準備しておく派なんで」

「え、準備っていったいどこに……」


 芒は再度厨の中を見渡す。清潔に保たれたかまど、蓋をした水瓶の上に立て掛けられたまな板、その他調味料の数々と保管されている食材たち。

 萵苣なんてどこにもないじゃないか。そう思っていると、捌は床板の一部に手をかけ外し始めた。かこっ、という軽い音を立てて外れたその中から、布に巻かれた大きな萵苣が現れる。藁に包まれた氷が囲むように配置してあることから、おそらく簡易的な氷室ひむろといったところだろう。


「涼しいとこでいい子にしてたかなぁ~?」


 床に膝をつき、まるで赤子に触れるかのような優しい手付きで萵苣を取り出す捌。そんな彼に鼻白みながらも芒は問う。


「あれ? 萵苣って普通常温で保存しますよね? 氷室に入ってるところは見たことない気が……」

「あははっ、その料理したことないって感想や良し! そんじゃ特別に見せてあげよっかな!」


 捌は芒に向かって、布を取り払った萵苣の底を見せる。その芯の部分は、ぽっかりと穴が開いていた。


「え、あの、これ虫に食べられてますよ!」

「だったらもっとやわらかい葉を食べられてるよ。この穴は私がやったの。こうやって手のひらで押して、芯をねじり取ってね」


 芒は穴をまじまじと見つめる。たしかに虫も這っていないし、傷んだりしている様子もない。


「こうして成長を止めると長持ちするんだよ。それに萵苣はひんやりしたところを好むからね。わざわざ床下の貯蔵庫に氷と保管してたのもそのためなんだ。ほら、ちょっと食べてみて」


 捌は水瓶から汲んだ水で簡単に萵苣を洗うと、葉のやわらかい部分を千切って芒の口元に差し出した。触れた拍子に、葉についていた水滴が唇を濡らす。


「……っ」


 ためらいがちに口を開き、萵苣を迎い入れて咀嚼。すると、ぱりっ、しゃきっ、という音と共に、歯を押し返すようなみずみずしい触感が神経に伝わる。青臭さは残るが、それすら新鮮な証である気がした。


「すごっ……お、おいしいです……!」


 嚥下を終えた芒が感想を伝えると、捌は顔を横に向けていた。その様子はどこか不自然で、顔当てから覗く耳はほんのり赤く染まっている。


「え、どうしたんですか?」

「いや、その……ねぇ? まさか手ずから食べるとは誰も思わんでしょ……」

「あぁ、そんなことですか」


 使用人同士で菓子を食べる際、相手の口に放り込んでやることもある。この程度で照れるなんて少し初心すぎやしないか。気さくな雰囲気に加えて話し方も巧みだから、女人に好意を持たれることも少なくないだろうに。器量の良し悪しは顔当てのせいでよくわからないが。


「え、そんなこと……? これってそんなことなの?」

「わたしたち使用人にとってはまぁ、そんなことですかね」


 口を押さえ驚愕している捌をよそに、芒は先ほど食べた萵苣の味を思い出す。

 だいたいの食材は火を通して塩でも振っておけばいいものだと思っていたが、そうでもないようだ。まさか、生でもあんなに食べ応えがあっておいしいとは。これからあの萵苣が味噌汁の具となって出てくるのかと思うだけで唾液があふれてしまう。

 幸也ゆきなりの前でも腹が鳴っていたのだ。もう我慢の限界である。

 赤い耳に手を当て息を吐き出している捌の顔当てをまっすぐに見つめて、芒は口を開いた。


「――捌殿」

「うん?」

「内親王に命を受けた鬼食いとして、わたしはそろそろ青鬼を食さねばなりません……ということは抜きにしてお願いがあります」

「う、うん……」

「お腹が空きました、味噌汁食べさせてください……!」


 勢いよく頭を下げる。それと同時に芒の腹からも空腹を訴える音が鳴った。

 一瞬の沈黙が落ちた後、厨に男の笑い声が響いたのは言うまでもない。




 芒の頼みを大笑いしながら快諾した捌は、慣れた手付きで法衣にたすき掛けを施すと、まな板によく洗った青鬼の胴体を乗せた。頭は布を巻いて、萵苣が入っていた貯蔵庫に保管される。


「よしっ! 帰りの最中に血抜きがいい感じにできたから、これから皮を剝いでいきますっ!」

「うっ……、わたし向こうで待っててもいいですか?」

「駄目ですっ。格好よく報告してもらわなきゃなんだからしっかり見てて。それに、今まで自分が食べてたものってこんな風に作られてたんだって知るいい機会になるでしょ?」

「だからといって、こんな解体作業から見るのはちょっと……」


 きつい、芒は素直にそう思った。空腹なのに顔は青くなっていく。慣れない血の匂いと首が切断された光景を思い出し、貧血を起こしかけているのだ。

 そんな芒を見た捌は、まな板の横に置いてあった切り付け包丁を撫でる。


「うん。やっぱり知っておいた方がいいよ、相棒。できあがった料理が目の前に出てくるってのは当たり前のことじゃないんだ。その裏で作ってくれる人がいて、初めて成り立つもんだよ」

「そ、それくらいわかってます……!」

「わかってないよ。だってさ、その裏の人たちがいなかったら、相棒はご飯食べられないってことだよ? どんな風に味付けするのか……いや、それ以前にどの草なら食べられるのか、肉もどの部位を食べていいのか、わからないでしょ?」

「……ッ!」


 芒は言葉を返せなかった。図星だからだ。それを理解しているからこそ、羞恥に襲われる。


「知らない相棒が悪いってわけじゃない。そういうことを教えてもらえる環境じゃなかったんだ。貴族だしね、しかたないよ。でもさ、今その内の一つを知れる機会があるわけじゃない? だったら学んでみても損はないと思うよ」

「……妖の捌き方を知ったところで、どこにも使えませんよ」


 そうだ、どこにも使えない。使えない知識を得たところで、それはお荷物になるだけだ。そんなことになるとわかっていて、誰が大変な思いや面倒な行為をするというのか。

 芒は眉間にしわを寄せ捌を見つめた。その瞳には反抗的な色が滲んでいる。


「……若いね。物事の法則っていうのは学び続けた一つのものじゃなくて、余分なものから形成されるもんだよ」


 捌は萵苣に向けて顎をしゃくった。


「あの萵苣もさ、普通に保存してたらしなびておいしくなくなるの。でもちょっとした知恵のおかげで、おいしかったでしょ? どこにも使えない知識かもしれんけど。……と、長々と話しちゃって申し訳ないね。ま、何も知らずに後悔したお節介法師の言葉と思ってちょっとだけ考えてみてよ。本当に無理ってんなら大丈夫だからさ」


 そう言った捌は切り付け包丁を握り、慣れた手付きで青鬼の腹に切れ目を入れていく。その姿を見て、ふと思ったことが口を出た。


「……捌殿にも、何も知らないころがあったんですか」


 それは疑問というよりも、ただこぼれた感想にすぎなかった。しかし、捌はわざわざ拾って答えを返してくれる。


「あったよ、包丁の握り方すら知らなかったころが」


 魚や肉だって元々捌かれてるもんだと思ってたからね、そう言って捌は笑った。

 瞬間、目が離せなくなる。彼の顔当ての下にいっさい興味はなかったが、今どんな感情をその双眸に灯しているのか、それを知りたいと思ってしまった。


「…………やっぱり、見てていいですか?」


 その瞳は見えないけれど、声音や動きなどの感じられる部分だけで何を考えているのかわかることもあるだろう。

 先ほど、妖の捌き方なんて知っていたとてどこにも使えないと言ってしまった手前きまりが悪いが、捌は気にした素振りもなく承諾してくれた。

 彼の二歩ほど後ろから解体作業を見学させてもらうことにする。

 青鬼の胴体には、十字に切れ目が入っていた。そして、捌はその境目に指を突っ込むと勢いよく皮を剥がす。思っていたよりも簡単に剥がれていくその様子は、乾いた樹皮を彷彿させた。まな板の上に剥ぎ終わった青い膜のような皮が置かれる。


「この皮はあとで油で揚げて食べますっ」

「食べられる……としても、おいしいんですかこれ」

「お酒と合うんだなこれが。まぁ私そんなに飲める方じゃないんだけど。……相棒は? 飲める口? というか今おいくつ?」

「十六です、もうすぐ十七になりますが。飲んだことはないですけど、いちおう元服はしてますよ」

「そっかそっか。それじゃ、男と二人っきりで飲むのは控えた方がいいと教えておいてあげよう」


 そう言った捌は、青鬼の胴体を念入りに洗う。この光景にだんだんと慣れてきた芒の顔は赤みを取り戻してきていた。


「今回使うのは肩辺りだから、その部分だけ切り取ります。その次は肉を荒みじんにして叩いていくよ……と、そうだ。相棒にお願いしたいことがあるんだった」

「え……さ、さすがに何の知識も無しで調理に参加するのは……」

「だーいじょうぶ、そんな難しいことじゃないから」


 ずいっ、と芒の目の前に出されたのは、先ほどの大きな萵苣。


「これ、一口分の大きさに千切っておいてくれない?」

「……一口ってどれくらいですか?」

「相棒の一口で考えてもらっていーよ」


 お願いね、と捌は芒の手に萵苣を乗せて、次の工程に入ってしまった。

 ……あぁ困った。ずっしりと重い萵苣を抱えて芒は思う。急に自分の一口分と言われてもわからない。とりあえず、これくらい頬張りたいという大きさに千切ることにした。

 作業を進めていく二人。そこそこ広い厨には沈黙だけが漂っている。

 正直、気まずい。普段の芒だったら笑顔を貼り付けて相手が好みそうな話題を振るのだが、今日出会ったばかりのこの男の好みなんて知らない。そもそも、捌にはすでに芒の作り笑いがばれている。今取り繕ったところで、気を遣っていることを笑われるのが落ちだろう。

 こういう点も含めて、本当に面倒な仕事を任されてしまったと思う。先ほどだって、年甲斐もなく諭されてしまった。いつもだったらこんなことはほとんどないのに、この陰陽法師といるとどうにも調子が狂う。

 ばれないようため息をつきながら萵苣を千切っていると、隣から頬に当たるような熱を感じた。気になって顔を向ければ、捌が釜に火を点け、その上に鍋を準備しているではないか。

 先ほど言っていた工程はもう終わったのか、と驚愕してまな板を見れば、荒みじんにした上いくつもの青い肉団子が完成している。芒よりもやることが多いくせに手慣れているから異様に早いのだ。というか、動きに無駄がない。鍋の中の水が沸騰するのをただ待つだけでなく、使った包丁を洗ったり、椀の準備などもしている。

 さすがに申し訳ない。自分は萵苣を千切ることしかやっていないのだから、と芒は急いで任された仕事を終えた。

 丁度そのとき、鍋からぼこぼこと煮立った音が聞こえる。それを待ってましたとばかりに、捌はまな板の上の青い肉団子を静かに投入した。火が通ったことでみるみるうちに白っぽい色へ変わっていく肉団子を、芒は捌の隣で眺める。

 その変化は、まるで生きているようだ。……捌かれているのでもう死んでいるのだが。そんなことを考えていると、相棒、と呼ばれる。


「ね、さっき一口分にしてもらった萵苣あるでしょ? あれを鍋の中に入れてくれない? あ、湯がはねると熱いから気をつけてね」

「わかりました」


 指示通り萵苣を投入する。ぶわっと昇る湯気が当たって、耐えられないほどではないが熱い。隣で見ている分には問題なかったが、鍋に近づいて作業していると汗が滲み出た。


「うん、あとは味噌を入れれば終わりっ!」


 捌は萵苣に軽く火が通ったことを確認すると、お玉半分ほどの味噌を鍋に入れ箸で溶かす。ただの湯が色づき、味噌特有の香りが厨全体に充満した。


「あ、お箸出し忘れた……。相棒、お箸出してくれない? そこの棚に入ってるから」

「えっと、ここですか?」

「そうそう、そこ」


 捌は、さっと一混ぜすると、椀に味噌汁をよそっていく。芒が箸を取り出し終えて振り向いたときには、二人分の椀を持った捌がいた。


「――これにて『鬼団子と萵苣の味噌汁』完成でっす! さ、食べよっか!」

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