弐、鬼団子と萵苣の味噌汁

 衛士えいしが仮眠を取っていたという北門の陣屋に向かうと、下半身を押さえていた九人の男たちは青ざめた顔で捌に縋りついた。


「法師様ッ! あぁ来てくれたのですね!」

「助けてください法師様ッ! 一物がッ! 我らの一物がッ!」

「治りますよね⁉ これは妖の仕業だから法師様がいれば治りますよね⁉」

「はーい、みんな落ち着いて」


 衛士たちの手によって法衣が着崩れてしまっていたが、捌は大して気にした様子もなくよく通る声で制止をかけた。


「ちゃんと全員の話聞くから慌てないで。ということで、一人ずつ最近気になった出来事とか教えてくれない? 大丈夫だよ、ちゃんと解決するからね」


 捌の言葉によって、ほんの少しだが衛士たちの目に安堵の色が浮かぶ。よかった、これで助かったも同然だ、と彼らは口々に言い始めた。まだ事件は解決していないのにここまで安心させるとは、捌は相当優秀な陰陽法師なのだろう。この点も秋月に報告しよう、と芒は一人うなずいた。

 その時、一人の衛士が芒に気づき目を向ける。


「法師様、その……彼女は?」


 その一言で先ほどの己が行動を思い出したのか、衛士たちは一斉に頬を染め居心地悪そうに捌から離れる。一物と連呼したり、涙を浮かべていたりと、女性の前で醜態を晒してしまったと感じたのだろう。だが、その辺りを報告する気がない芒は正直何とも思っていなかった。後宮内でも下世話な話は大いに盛り上がる。男性たちが思っているほど、女性は純粋無垢ではないのだ。

 さて、彼の質問にどう答えるのが最適か。芒は衛士に向けて笑みを浮かべ、時間を稼ぎながら思案する。

 鬼食いが表に出ることはあまりないため、この恰好を見ても彼らは芒が何者であるかよくわかっていないだろう。素直に身分を明かしてしまってもいい。しかし、陰陽法師とはまったく関係ない役職の者を現場に連れてきたということが、捌にとって不利に働くかもしれない可能性も捨てきれない。

 笑顔で稼げる時間にも限界がある。とりあえず冗談でも言ってお茶を濁すか、と思った矢先のことだった。


「その質問、待ってました! 彼女は今回の同行者兼相棒――内親王の鬼食い様でっす! 私の格好いい姿を上に報告してくれますっ! はいみんな拍手!」


 全て言った、包み隠さず。ついでに拍手まで求めた。

 慎重という言葉がこの陰陽法師の頭にはないのか。そう思い、まばらな拍手が生まれる中、隣に立った捌の顔を見上げる。が、顔当てのせいで瞳に映った感情を判別することは難しい。

 彼の上がっている口角だけを確認し、この現場に向かう前の出来事を芒は思い出した。


 ――内親王から妖が食べられるかの確認だけでなく、退治の場にも同行し報告せよと命を受けております。決して邪魔はいたしませんので、同行の許可をいただけませんでしょうか。


 衛士の話を聞いて駆け出す捌の背を追いかけ、芒は秋月から下された命を伝えた。足を止め振り向いた捌は驚いたように口を開けている。次いで、手を口元に当てて悩むような仕草を見せた。

 危険なこともあるだろう、同行拒否まではいかなくとも厳しめの条件を出されるかもしれない。そう思いながら捌の言葉を待っていると、


 ――法師以外の人が同行するなんて初めてでちょいと恥ずかしいけど、出来るだけ格好いい感じで報告してくれるなら許可しますっ!


 予想もしていなかった条件が突きつけられた。

 そわそわとした様子の捌に芒はうなずきを返す。……いや、何も言葉が出ず、うなずき返せなかったのだ。




 捌が言った通り一人ずつ衛士の話を聞いてみたが、新しい情報を得ることはできなかった。みんな口を揃えて、いつの間にか一物が無くなっていたと言うばかりである。

 芒は頭を抱えた。情報があまりにも少なすぎる。こんな状態でどうやって解決するというのか。


「……捌殿。この件、本当に妖の仕業なのですか?」


 話を聞き終えた捌に尋ねる。彼は芒の方に顔を向けると、


「相棒はどう思う?」


 と、逆に問うてきた。質問をしたのはこっちなんだが、とか、その相棒呼びは何なんだ、などと思いながらも芒は考える。


「正直、こんな突拍子もないことができる人間はいないんじゃないかと思います。でも妖がやったっていう証拠も無いですし、何とも言えないです」

「ふはっ、公平で正直者だ。作り笑いでどうにか乗り切ろうとするくせに」


 笑った拍子に特徴的な八重歯が現れる。芒は言葉を紡げず、ただ目を見開いてそれを凝視した。芒に見える捌の顔といえば、薄い唇とこの八重歯くらいだ。


「あ、勘違いしないで。嫌な意味で言ったんじゃない。ただ、若いのにずいぶん大人びた子だなぁって思ってたから、正直に答えてくれたことが少し意外だっただけ」

「……公平、というのは?」

「それは言葉通り。みんな妖のせいだって言ってるのに、その中で流されずに『証拠が無いから』って言えるのは大したもんだと思ってさ」


 でもね、と捌は芒に目線を合わせるようにかがむ。


「証拠がから、妖の仕業なんだよ」


 つい、と捌の節くれだった指先が何かを指した。無意識にそれを目で追い、衛士たちの下半身を指しているのだと気づく。


「彼ら、血が一滴も出てないでしょ? 貴殿には出血させずに一物を奪うことってできる?」

「できません……し、やりたくもないですね」

「ね、私も自分が持ってる分だけで十分だから他人のはいらんかな。……と、話が逸れちゃったけど、これは人間にはできない芸当――つまり妖の仕業になるんだよ。まだ動機やら何の妖が関係してるのかまではわからんけどね」


 なるほど、と芒は納得する。そういう観点から妖関連の事件かどうかを判断するのか、これも秋月に報告しよう。そんなことを考えていた時だった。


「おーい! 状況は⁉ いったいどうなった⁉」


 慌てた声が近づいてくる。顔を向ければ、そこには身長が低く面が長い衛士がいた。


「彼も本件の被害者ですか?」


 芒がそう尋ねると、近くにいた衛士の一人が首を振る。


「いえ違います。あいつは幸也ゆきなり。俺たちは第三部隊ですが、幸也は第二部隊です。こんな状態じゃ警備の任も満足にできないだろうって、ほかの部隊に交代を申し出に行ってくれてたんですよ」

「なるほど、そういうことだったんですね」


 被害者の衛士たちが次々に感謝を述べる。それに対し幸也は、困ったときはお互い様だ、と人好きのする笑みを浮かべて肩を叩いていた。

 きっと信頼できる人なのだろう。そう思った瞬間、ある匂いが芒の鼻腔をくすぐった。それは急激に濃くなり、まるで殴るように脳を刺激する。


「え……?」


 一瞬呆けてしまった芒だが、すぐに匂いの原因を探ろうと辺りを見渡した。

 何だ? どうして急にこんな匂いがする? ……駄目だ、何の匂いか思い出せない。何度も嗅いだことがあるはずなのに。

 思い出すため記憶を漁っていると、捌と衛士たちの会話が芒の耳朶を打つ。


「法師様、俺は今回の休みでやっと家に帰れるんです。そうしたら子をこさえようって妻と文でやり取りをしていてッ……うぅ、もしこのままだったらどうすれば……」

「あら、奇しくも夫婦の床事情を聞いちゃった。これどう処理すればいいんだろ」

「我ら第三部隊は新婚ばかりでして、やや子がまだである者も多いのです。かく言う我もこの間一人目が生まれたので、もう一人欲しいと妻と相談を……」

「も、もう十分ですっ! 奥様のことも考えてそういうことはあんまり言わない方がいいんじゃなくて⁉」


 弱音と共に床事情ももれ出てしまう衛士たち。捌は耳を塞ぎ、できる限りそれを聞かないようにしていた。どうやら少々初心な面があるようだ。


「……う、」


 まただ、と芒は思う。また匂いが強くなった。唾液が口いっぱいに広がる。


「どうにか、どうにかしてください法師様……」

「うーん……完璧妖の仕業なんだけど、妖の気配が一切しないんよね。……さて、どうしたもんか」


 捌はこの匂いに気づいていないのだろう、思案するように顎に手を当てる。その様子を見て、ふと思い出した。

 あぁ、そうだ。醤油のような匂いだ。いや、味噌かもしれない。まるで味噌で味付けした肉のような……。


「……ッ!」


 こんな状況だというのに、唾液はあふれて止まらない。いったい自分の身体はどうしてしまったのか、芒は自らの口を押さえる。あぁもう、とうとう腹まで鳴り出した。

 匂いの根源も目星がついた。ここまできたらもう正直に言ってしまった方がいいだろう、と芒は腹をくくる。そして匂いの源である者に近づいて行き――


「あの……こんなときに失礼ですが、何か食べ物とか持っていませんか? 幸也殿」


 ――実に申し訳なさそうな表情で、おそるおそる質問を口にした。

 場は水を打ったように静まり返り、全員の目が芒に向く。幸也も怪訝そうな顔をしていた。

 その視線に居心地の悪さを感じながらも芒は続ける。


「大変申し訳ないのですが、幸也殿がこちらに来てからいい匂いがするんです……! 醤油か味噌で味付けした肉みたいな匂いがずっと……」

「は、はぁッ⁉」


 幸也は驚愕の色を瞳に浮かべた。


「い、今はそんなこと言っている場合ではないだろうッ⁉ 妖のせいで皆が苦しんでいるんだぞ‼」

「う……それは……はい、ごもっともで……」


 あふれる唾液を飲み込みながら芒はうつむく。そんな彼女を理解できないものを見るような目で見つめた幸也は、煩わしそうに顔を背けた。

 自らの足元を凝視することしかできない芒は思う。――まさしく正論。幸也が言っていることは間違っていない。こんな状況下で腹を鳴らし、はてには食べ物を持っているか尋ねるなんて、怒りたくなるのも当然だ。自分のことながら幻滅してしまう。捌にも作り笑いがばれていたし、思っているよりも自分は不器用なのかもしれない。

 やってしまった、と落胆していると、


「――いや、けっこうそんなこと言ってる場合かもしれんよ」


 よく通る声が、芒の鼓膜を震わせた。彼女に向いていた視線が、一斉に捌の方へと移動する。その場にいる者のほとんどが、何言ってんだ、という目を向けていた。しかし捌はそんなものどこ吹く風で、幸也に近づき頭からつま先まで観察している。


「無礼な行動、誠に申し訳ない。でもね、ちょっと確かめたいことがあって……」


 捌は眉間にしわを寄せ、匂いを嗅いでいるのか、鼻をすんすんと鳴らす。そして、


「うん、お付き合いいただいてありがとう! 感謝感激雨あられってことで――」


 幸也のうなじに手を伸ばした。


「はい、貴殿がおにの温床です」


 何かを引きずり出した捌の手は、人型の何かをつかんでいた。――そう、何かなのだ。

 芒は瞠目し、その何かから目が離せなくなる。大きさは三、四歳の子どもほどであるが、老人のような顔つきをしており、髪は一本も生えていない。加えて、うっすらと血管が見える青い肌。獣のように鋭く伸びた歯。目元まで裂けた口。骨が浮き出るほど痩せ細った肩に、ぽっこりと膨れた下腹。人と同じ造形なのに、人とは思えない何かがそこにいた。


「■■ッ、■■■ァ■■ーッ‼」

「ごめんなさいね、何言ってるかわからんの。……それしても青鬼あおおにかぁ。憎しみや嫉妬心を好む美食家だね。こんな子に憑かれるなんてどんな思想を持っていたやら」


 青鬼と呼ばれたそれは捌に向かって怒りの形相で叫び散らす。耳の奥が痛くなるような金切声だ。思わず耳を塞いでしまう。すると、ぐりんっと勢いよく首が捻じ曲がり、青鬼の目は芒を捉えた。


「■■■■ッ■■■ァァ■■■■■■■ッ‼」

「ぅひッ⁉」


 小さく悲鳴がもれた。青鬼は、びりびりと振動を感じさせるほどの剣幕で何かを言っている。なんとなく、お前のせいだと言われた気がした。声が直に脳へ届くような感覚だ、眩暈がする。しかし、目を逸らせない。

 ――刹那、ひゅっという空を切るような音と共に、目の前が赤く染まった。


「■ッ、■■ッ?」


 その赤は重力に従って地面に落ち、芒の足元で花が咲くように広がる。

 息が、止まった。

 だが、頭は妙にはっきりしていて、目の前にいる彼が何をやったのかすぐに理解できた。


 ――切ったのだ、青鬼の首を。


 落とし物でも拾うような手軽さで、捌が転がった首を拾う。もう片方の手には泣き別れになった胴体と、どこから取り出したのかわからない切り付け包丁が握られていた。


「鬼とはいえ、血抜きはいと重き作業なり……だからね」


 絶句。大地が赤く染まっていく中、口角を上げ血抜きの重要さを説く男とはなんと異常な光景か。


「……うん、よし。おそらくもう治ってると思うから、みんな安心して」


 その声を聞いて、衛士たちは弾かれたように己の下半身を確認する。一瞬安堵の表情を浮かべるが、喜色に染まった声は一つもあがらなかった。そんな衛士たちに捌は軽く会釈する。


「それじゃ一件落着ってことで。帰ろっか、相棒」

「あ……は、はい」


 その場を去る際に見た幸也の顔は、青を通り越して白かった。こちらを凝視していたが、その瞳には何の感情も灯っていない。例えるなら、虫のようだと思った。




 捌が歩いた場所には、目印の如く粘ついた赤い線が引かれる。それをあまり視界に入れたくなくて、芒は努めて彼の隣を歩いた。

 ちらり、と捌の様子をうかがう。芒はまだこの件について理解ができていなかった。それを尋ねてもいいものだろうか。それとも、今はやめておいた方がいいだろうか。彼の頬についた血を見ながら思案する。

 沈黙の中、先に口を開いたのは捌だった。


「さっき相棒が言ってた通り、鬼は醤油や味噌で味付けするのがよく合うんだよね」

「……え、は?」

「でもね、もっとおいしい食べ方があるんだ」

「あの、急に何の話――」

「――味噌汁みそしる


 突如出された家庭料理の名に、思わず芒は閉口してしまう。いつの間にか足も止まっていた。少し先で、捌も同じように止まって振り向く。彼の口角は心底うれしそうに上がっていた。


萵苣レタスと一緒に煮込むとね、これがもう本当においしいのっ! 今日みたいに天気が悪い日でも暖が取れるしっ! ――というわけで、ど? 食べたい?」


 一歩、捌が芒に近づく。

 少し挑戦的で、楽しそうな口調。


「食べ終わったら食休みがてら今回の件について詳しく教えるよ」


 喉が鳴る。先ほど嗅いだ匂いを思い出す。せっかく収まった唾液が分泌される。


「……食べます」

「ほんと? 無理しなくてもいーよ? 妖退治の光景はけっこうくるものがあったと思うし」


 いったいどの口が言うのか。こちらの出方を見て楽しんでいるくせに。

 芒の顔に笑みはない。どうせばれているのだ、作り笑いなどなくても変わらないだろう。捌の顔当てを見つめ、口を開く。


「わたしが内親王から命じられた任は、退治の場に同行し、妖の生きている姿から食べられるかまで報告せよというものです。こんなわけがわからないまま、やっぱり無理せず帰ります、とはなれません。だから食べます、鬼の味噌汁……!」


 芒の宣言を聞くと、捌は満足そうにうなずいて再度歩を進めた。その背を見ながら、嘘は言っていない、と芒は自分に弁明する。

 先ほど言ったことは本当のことだ。そもそも命が下っているのだから、芒に「食べない」という選択肢はない。しかし、もう一つ理由があるというのが正直なところだ。

 それは何とも単純な理由。芒は秋月の命令だけでなく、ただ純粋に、彼の作る味噌汁が飲んでみたいと思ったのだ。

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